↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

44/51

第3章:2の変容――月下宮の静寂と盤面の再構築(44)



「暴論、だと?」


一段高き漆黒の玉座に深く腰を下ろした皇帝レオンハルトが、低く冷ややかな声を響かせた。

そのトパーズ色の双眸に、Sランク覇王たる絶対の威圧感が宿る。だが、怒りに顔を真っ赤に煮やすクローデル子爵は、ひるむことなく言葉を捲し立てた。


「左様にございます、陛下! 帝国全土の領土を束ねる我ら領主や歴史ある貴族を差し置き、出自も素性も分からぬこのような若い娘に、公文書の精査と裁可の第一権限を与えるなど、前代未聞の暴挙! 帝国の法と秩序を揺るがす愚行にございます!」


広場を埋め尽くす貴族たちから、呼応するように重々しい賛同のどよめきが沸き起こる。

「左様だ!」「我ら各領土の領主の面目は丸潰れではないか!」「怪しげな女の言に耳を貸すなど断じて容認できん!」


私は玉座のすぐ傍らに配された特別補佐席で、純白のドレスの胸元でそっと手を重ね、静かに広間を見渡していた。

私のすぐ斜め後ろには、筆頭侍女としての隙のない佇まいでクララが直立し、階段のすぐ下の段には、近衛隊長シュベルトが腰の剣柄に手をかけたまま、殺気すら込めたディープブルーの瞳で貴族たちを威圧している。


クララの後れ毛ひとつないライトブルーの結い上げ髪が、周囲の殺気立った空気を受けてかすかに揺れていた。

彼女のディープグリーンの双眸には、貴族派の重鎮であるクローデル子爵が牙を剥いたことに対する強い緊張と、私がいかにしてこの苛烈な罠を潜り抜けるのかを測るような、冷徹な観察の光が宿っている。


(クローデル子爵……。私が夜会に潜入していたことを知りもしない様子ね。それよりも、昨夜、私が二重帳簿の不正と権益誘導の証拠を完全に暴いて申請を突っぱねたことがあまりに不服なのね…)


彼らの怒りの真因は「素性不明の女への不快感」などではない。

自分たちが長年、法規の穴を突いて不当に吸い上げてきた裏の利権と莫大な私財が、私という「厳格な門番」の登場によって完全に塞がれることに対する焦りと恐怖なのだ。


「フン……」


レオンハルト陛下は薄い唇に不敵な笑みを浮かべ、あごをしゃくった。


「クローデル。そこまで言うからには、相応の対案と『根拠』があってのことだろうな?」


「勿論にございます、陛下!」


クローデル子爵は下顔を歪め、勝ち誇ったように胸を張ると、懐から一冊の分厚い皮装丁の決裁文書を取り出し、恭しく高々と掲げた。


「ならば実証していただきましょう! ここに、我が法部が長年頭を悩ませてまいりました、南部第三領土と第四領土に跨る『塩鉱山権益および水路関税の重複分配問題』の調書がございます! 過去三代の法部卿すら解決できず、両領土の領主が血みどろの法廷闘争を続けている難題中の難題!」


クローデル子爵の言葉に、周囲の領主たちがニヤニヤと意地悪い笑みを浮かべ始める。



「くくく、あの『黒い二重水路問題』を持ち出すとはな」



「あれは複雑怪奇な古代法規と、三つの重複する土地権利書が複雑に絡み合った怪解だ。法部最高の学者どもが10年かかっても解き明かせなかった代物だぞ」


クローデル子爵は私を蛇のような冷酷な眼差しで射抜き、嘲笑を乗せて言い放った。


「もし、このあや殿とやらが『皇帝直属特別補佐』に相応しい卓絶した知性をお持ちであるならば――いまこの場で、この数千行に及ぶ権利主張と複雑怪奇な税率計算の矛盾を解き明かし、両領土が納得する完璧な裁定を下して見せよ! できぬのであれば、自らの無能を恥じ、直ちにこの場から立ち去られよ!」


「なっ……愚かな! 10年越しの紛争をその場で解けなど、あまりに卑劣な無理難題!」


下の段で直立していたシュベルトが、怒りにディープブルーの瞳を燃やし、思わず半歩前へ踏み出そうとした。


だが、私はそっと手を挙げ、シュベルトを静かに制した。



(……10年越しの未解決事件? 複雑怪奇な二重課税と土地権利の重複?)



私はゆっくりと立ち上がると、神聖な純白のドレスの裾を揺らし、堂々とした足取りでクローデル子爵の前へと歩み寄った。


ふっと私から漂う洗練された白檀の微かな香気が、殺伐とした広間の空気に凛とした気品をもたらす。



「クローデル様。その調書を、私にお見せいただけますかしら?」


「ふん、強がりを! 読めるものなら読んでみるがよい!」



クローデル子爵は鼻で笑い、調書を私に突きつけた。


私は分厚い調書を受け取ると、そっとページを開いた。

その瞬間――私の脳内で、白紙の原初アルカナ《万象読解》が静かに覚醒する。


(解読開始――《万象読解》)


視界に飛び込んでくる数千行の古代法規の引用、入り組んだ水路の地図、そして両領土の領主が主張する複雑な税率計算式。

それらは一見、解きほぐしようのない複雑な迷宮に見えた。だが、元社畜として数々の杜撰な決算書や複雑な契約書を解体してきた私にとって、この調書の構造はあまりにも「古典的」だった。



(……呆れたわね。これ、難題でも何でもないじゃない)



《万象読解》の光が、調書の表面に隠された「本質」を瞬時に浮き彫りにする。

複雑に入り組んだ計算式の裏に仕込まれた、意図的な数字のすり替え。そして古代法規の解釈をわざと歪曲させ、対立を長引かせるための不自然な条文の抜き出し。


私はわずか数十秒で調書を閉じると、パタンと心地よい音を立てて表紙を合わせた。



「な……なんだ? もう諦めたのか? 読めもしない難解な文章に恐れをなしたか!」



クローデル子爵が勝ち誇ったように嘲笑する。広間の貴族たちからも、クスクスと蔑むような笑い声が漏れた。


だが、私は澄んだ漆黒の瞳でクローデル子爵を真っ直ぐに見つめ、凛とした声で広間全体へ響き渡るように言い放った。


「いいえ。諦めたのではなく、あまりの『初歩的な欺瞞』に呆れていただけにございますわ、クローデル様」


「……な、何だと!?」


広間の嘲笑が一瞬で凍りついた。


私は静かに微笑みながら、胸の前で指を組んだ。


「この調書は、第三領土と第四領土の領主同士の紛争などではありません。法部が意図的に『ある決定的な事実』を隠蔽し、両領土から二重に徴収した関税の余剰分――年間およそ金貨二万枚に及ぶ莫大な資金を、法部卿であるあなたの裏口座へ還流させるための『人工的な泥沼』に過ぎませんわ」


「な、ななな……何を戯言を! 証拠もなしに無礼だぞ!」


クローデル子爵が血相を変えて激昂する。


だが、私の攻撃は止まらない。私は現代日本で叩き込まれた論理的プレゼンテーションの手腕と、《万象読解》によって見抜いた数値を完璧に暗唱してみせた。


「証拠なら、この調書の四十二ページ、第七条の注釈にございます。ここで引用されている150年前の『皇帝勅令』は、第三節の『水路保全費の免除規定』が意図的に削り落とされていますわ。さらに、第三領土が提出した関税計算書の過小報告と、第四領土の重複課税の差額……これを引き算すれば、毎年金貨二万枚の差額が浮く。その資金の送金先は、あなたの実家であるクローデル子爵家のダミー商会『青銅の秤商会』の帳簿と完璧に一致いたします」


「ひっ……!??!?」

クローデル子爵の顔から一瞬で血の気が引き、膝がガクガクと震え始めた。


「さらに言えば、この土地権利の重複は、古代法規『帝国水路令』第十二条を素直に適用すれば、そもそも紛争すら起こり得ません。水路の中央線を境に権利を等分し、二重課税を即座に廃止すれば、両領土の税収は共に二割増加し、領民の負担は半減いたしますわ」


一息で叩きつけられた、ぐうの音も出ない完璧な分析と、不正の暴露。

広間を埋め尽くす貴族や領主たちは、信じられないものを見る目で私を注視し、言葉を失って完全に静まり返った。


(す、すごい……! 10年誰も解けなかった泥沼の不正を、たった数分で……それも法部の裏金工作まで完璧に暴いてみせるなんて……!)



私の斜め後ろで直立していた専属侍女のクララは、その深緑色の瞳を大きく見開き、絶句していた。



伯爵令嬢として政治の醜悪さを知る彼女だからこそ、私がやってのけたことの異常なまでの凄絶さが理解できたのだ。

ただの皇帝の寵愛を受けるだけの美しい女性ではない。権力者たちの不当な圧力を知性と圧倒的な精度で叩き潰す、本物の「知の覇者」。

クララの胸の中で、冷徹だった警戒心が音を立てて崩れ去り、これまで感じたことのない深い衝撃と感服の熱が激しく湧き上がり始めていた。


「……クローデル」


玉座から響いたのは、地鳴りのようなレオンハルトの声だった。

陛下は肘掛けに頬杖をつき、トパーズ色の双眸に凶暴なまでの愉悦と冷酷な殺気を宿して、ガタガタと震えるクローデル子爵を見下ろしていた。


「お前が長年、余の目を盗んで肥やしてきた腹の脂肪……あやの見事な裁定によって、見事に暴かれたな」


「ひぃっ……! へ、陛下! 違います、これは……罠でございます! この女の出鱈目で……!」


「黙れ」


一言。レオンハルト陛下の絶対の威圧が広間を押し潰し、クローデル子爵はその場に崩れ落ちた。

陛下は不敵な笑みを深め、私へ向けたトパーズ色の瞳に、隠しきれない強い満足感と強烈な所有意識の熱を宿らせて言い放つ。


「見事だ、あや。……お前が我が帝国の『知の門番』であることを、異論のある者はもはや一人もおらんだろう」


全領主が恐れおののき、静まり返る御前会議の間。

私は純白のドレスの裾を優美に揺らし、静かに深々と一礼した。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。