第3章:1の試練――覇王の謁見と二つの剣(31)
――あや、と呼ばれた女。
玉座の幾重もの高みから見下ろすレオンハルトのトパーズ色の双眸に映るのは、不気味なほどの静寂を纏った異質の令嬢だった。
ギルドマスターであるウォルターの別邸に潜伏していた謎の女。帝国の暗部がその存在を察知し、レオンハルトがシュベルトに直々の勅命を下して別邸から引き出させたのだ。
それ以外の彼女の過去、真の出自、そして背景に関する情報は、帝国の情報網をもってしても皆無に等しかった。
だからこそ――レオンハルトの不敵な興味は、静かに揺らめいていた。
(……ほう。通常の女とは、明らかに毛色が違うな)
冷たく冴え渡る思考の中で、レオンハルトは眼前の女を品定めするように見つめた。
これまで帝国の高貴な令嬢や女傑たちを嫌というほど見てきたが、誰もが己の前に引き出されれば、その絶対的な覇気に圧されて平伏するか、恐怖と媚びで身を縮こませてきた。
だが、この女にはそれが一切ない。
百六十四センチの華奢な身躯に、洗練された美しい紫のドレス。
完璧なカーテシーを見せた後、真っ直ぐに顔を上げたその双眸には、命乞いの色も、取り繕うような焦りもなかった。
何より異質だったのは、その瞳の奥に宿る「静謐で澄み渡った知性」と、まるでこの過酷な状況そのものを冷徹に観察しているかのような、得体の知れない底深さだった。
肩に乗った不気味な紫紺の鳥が、警戒するように紫水晶の瞳を光らせている。
存在そのものが、この帝国のどこを探しても見当たらない異質な空気を放っていた。
「……シュベルト」
レオンハルトが低く呟くと、玉座の右下に佇む近衛隊長シュベルト・フォン・アイゼン(188cm)が、銀色の髪をわずかに揺らして無言で一歩前へ出た。
三十五歳の【剣の騎士】のディープブルーの瞳は、すでに女の呼吸、体温、指先のわずかな震えまでを精査し終えている。
シュベルトの沈黙の視線が語っていた。――『危険な隠し事は感じられない。だが、得体が知れない』と。
左手に佇む帝国法部卿ゲオルグ(185cm)もまた、綺麗な水色の瞳を細め、思考の奥で冷徹に計算を巡らせている。他人の心理の裏を暴くゲオルグの眼光を前にしても、女の呼吸は一切乱れなかった。
何も知らないからこそ、知りたくなる。
この女は一体何者で、何の目的をもって己の前に立ち、何ができるのか。
「貴様が一体何者なのか……ここで見極めさせてもらおうか」
レオンハルトの指先が軽く動くと、控えていた近衛兵が恭しく二つの羊皮紙を捧げ持った。
ひとつは、皇宮の地下防衛術式に刻まれた、解読不能の不審な『未知の暗号術式』。
もうひとつは、元老院の反皇帝派貴族たちが複雑に偽装し、帝国会計監察官すら匙を投げた『不密の二重帳簿』。
どちらも、常人の知識やハッタリで読み解くことなど到底不可能な、帝国の難題だ。
レオンハルトは肘掛けに頬杖をつき、冷たく澄んだトパーズの瞳で女を射抜いた。
(もし何の能もないただの女ならば、即座に処断するまでのこと。……だが、もし我が想像を超えるものを持っているならば)
血と泥の玉座をたった一人で背負い続けてきたレオンハルトにとって、人間とは『利用すべき駒』か『排除すべき敵』でしかなかった。
だが――あやと呼ばれた女は、差し出された二つの羊皮紙を一瞥しただけで、怯えるでもなく、冷や汗を流すでもなかった。
それどころか、その薄く美しい唇の端に、かすかな――あまりにも不敵で静かな微笑を浮かべたのだ。
その瞬間、レオンハルトの冷え切った胸の奥で、カチリと何かが小さな音を立てて噛み合った。
(この女……いま、笑ったか?)
皇帝の絶対的な殺意と威圧を前にして、嘲笑でもなく、ただ「盤面を楽しむ」かのように見つめ返してくる瞳。
何も知らないはずのこの女に対して、レオンハルトは己の中で未知の興味という名の熱い火種が、密やかに灯ったのを感じていた。




