第3章:1の試練――覇王の謁見と二つの剣(30)
漆黒の鉄門が不気味な重音を立てて開き、純白の四頭立て馬車は、帝国の中枢――レグリア皇宮の壮大な敷地内へと滑り込んだ。
車窓の外に広がるのは、天を突くゴシック様式の尖塔群と、夜空に黒々とそびえ立つ重厚な白亜の城塞。
『わずか一隊でひとつの都市を易々と壊滅せしめる』と恐れられる『黒獅子近衛騎兵隊』が展開する隙のない陣形が、別邸からここ皇宮に至るまで、大気そのものを鋭く研ぎ澄ませていた。
「あや殿。到着いたしました」
重々しい扉が開かれ、グローブを嵌めた手を差し伸べたのは、近衛隊長シュベルト・フォン・アイゼン伯爵。
三十五歳とは思えぬ傷一つない肌と、短く整えられたシルバーの髪。射抜くようなディープブルーの双眸が、馬車から降り立つあやの動作一つひとつを、恐ろしいほどの冷静さで見定めている。
「ご苦労様、シュベルト様。案内していただけるかしら?」
あやは差し出された手を触れずに優雅な仕草で辞退すると、マーメイドドレスの裾をわずかに持ち上げ、凛とした足取りで石畳へと降り立った。
肩の上に舞い降りた紫紺の鳥・フク子が、紫水晶の瞳を冷ややかに光らせ、あやの耳元で低く囁く。
『あやきち。周囲の近衛兵の魔力配置、そしてあのシュベルトという男の眼光……完全にあやきちの能力と胆力を試す品定めですわね。どう料理なさるおつもりかしら?』
(ええ、分かっているわ。ここで一歩でも立ち位置を間違えれば、ただの「珍しい道具」として消費される……)
あやは胸の中で冷静に頷き、思考を高速で回転させた。
押し寄せるのは、生半可な状況への不安ではない。この圧倒的なアウェイの盤面において、己の手札――元社畜としての危機管理能力、経営分析力、そして《万象読解》をどのタイミングで切り、どう未来を自分に有利な方向へ誘導できるかという、自己を激しく律する思考の緊張感だった。
(ルカを「隠し札」として残してきた以上、私が皇宮で絶対的な存在価値を示さなければ意味がない。私の力で、この状況をどう変えてみせるか……勝負ね)
あやは背筋をピンと伸ばし、フク子と視線を交わしながら、皇宮の象徴である大理石の回廊を堂々と歩み進めた。
――ギィィィ……ッ。
重厚な紫檀の巨門が左右へと静かに開かれ、視界が一気に開けた。
そこは、百本を超える漆黒の水晶柱が立ち並ぶ、帝国の頂点――『謁見の間』。
その最奥、数段の階段の上に鎮座する純金と黒壇の玉座に、その男はいた。
皇帝、レオンハルト・フォン・レグリア。
百八十八センチの堂々たる体躯に、漆黒と金糸の絢爛たる帝室正装を纏い、肘掛けに頬杖をついて佇む覇王。
冷たく澄んだトパーズ(黄金)色の双眸が、謁見の間へ踏み込んできたあやを、息をのむような色香と絶対的な威圧感をもって射抜く。大気には、彼の象徴であるベルガモットの甘く鋭い香りが漂っていた。
そして、玉座の階段の下――左右を固めるように立つ二人の側近。
右手に佇むのは、先ほどまで馬車を護衛していた長身の近衛隊長、シュベルト(188cm)。
左手に佇むのは、前髪を隙なく綺麗に上げたシルバーの髪と、透き通るような水色の瞳を持つ知的な青年――アイゼン伯爵家当主代理にして帝国法部卿、ゲオルグ・フォン・アイゼン(185cm)。
【剣の騎士】シュベルトと、【剣の王】ゲオルグ。
武と文の頂点に立つアイゼン兄弟と、絶対の皇帝が織りなす威圧感は、並の貴族であれば足腰を抜かして平伏するほどの息苦しさだった。
『あやきち。正面の皇帝は【4:皇帝(逆位置)】――孤独と重圧で心が完全に荒んでおりますわ。左右のアイゼン兄弟もまた、他人の偽りを見破る鋭い知性の持ち主。生半可なハッタリは通用いたしませんわよ』
フク子が即座にあやの思考を整理し、核となる観察を提示する。
(ええ、望むところよ。相手がロジカルで鋭いなら、こちらも最高精度の「回答」を出すだけ)
あやは心の中で腹を括ると、十二分に洗練された美しいカーテシーを披露し、顔を上げた。
164cmのあやの視線が、高みから見下ろすレオンハルトの黄金の双眸と正面からぶつかり合う。
恐れではなく、この絶体絶命の盤面をどう攻略すべきかを見極める、静謐で知的で鋭い瞳。
レオンハルトは、男爵令嬢の枠に収まらないあやの異質な瞳の輝きに、かすかに眉を動かした。
「……遠路はるばる、よくぞ参った。召喚に応じたこと、褒めて遣わす」
レオンハルトの低く艶やかな声音が、広い謁見の間に静かに響き渡る。
黄金の瞳であやの全身をなぞるレオンハルトの唇の端が、不敵な愉悦を含んで微かに持ち上がった。
「あや殿。面を上げよ。貴様をここに呼んだのは、ただの気まぐれではない。……我が皇宮に巣食う『不審な暗号術式』と『貴族派の不穏な帳簿』。貴様にこれらを解き明かしてもらおうか」
それは、あやの価値と未来の主導権を賭けた、皇帝からの最初の『試練』だった。




