第2章:4の皇帝――覇道と凍てる孤高(20)
重厚な扉の向こうに広がっていたのは、豪奢を極めた地下金庫だった。
壁一面の燭台に淡い魔導光が灯り、山積みにされた金貨や宝石、不正に買い叩かれた美術品が妖しく光を跳ね返している。
「まあ! 悪趣味にも程がありますこと。成金の豚が溜め込んだガラクタの山ですわね!」
フク子が空中で優雅に旋回しながら、紫水晶の瞳で侮蔑を込めて嘴を鳴らす。
あやは煌びやかな財宝には目もくれず、部屋の最奥にある黒檀の執務机へと一直線に向かった。
「ルカ、フク子、時間がないわ。目的はクローデル子爵の不正取引の原本よ」
「了解。俺が周囲を警戒する」
ルカは研ぎ澄まされた視線を扉側へと向け、いつでも抜剣できるよう腰の柄に指を添えた。
あやの無駄のない動きを横目で捉えながら、その胸の奥には依然として、先ほどあやが見せた底知れぬ才覚への熱いざわめきが燻っている。
あやは机の引き出しの底に仕込まれた二重底の魔導仕掛けを、流れるような手付きで解除した。
中から現れたのは、子爵が秘密裏に記録していた密輸と脱税の裏帳簿。
「あった……! これで子爵の悪事は完全に暴ける」
目的達成の安堵があやの胸を満たしかけた――その時だった。
裏帳簿が収められていた底のさらに奥、黒いベルベットに包まれた薄い羊皮紙の束が、あやの切れ長の瞳に留まった。
封蝋には、子爵家の紋章ではない。
帝国の紋章――それも、血のように赤い蝋で塗り潰された【黒鷲の刻印】。
(……何、これ……?)
胸騒ぎを覚えたあやが羊皮紙の封を解き、視線を走らせた瞬間。
あやの瞳の奥で、無意識に【万象読解】が金色の火花を散らした。
文字列の裏に隠された暗号、術式の構成、そして署名された貴族たちの名が、一瞬にして脳内へ解読されて雪崩れ込んでくる。
あやの息が止まった。
血の気が、すっと引いていく。
「あやきち……? どうなさいましたの?」
異変を察したフク子がパタパタと肩へ舞い降りる。
あやは震える指先で、羊皮紙を強く握りしめた。
「……これ、子爵の密輸の記録なんかじゃないわ」
「え……?」
ルカが鋭く振り返る。
あやは青ざめた唇を噛み締め、信じがたい現実を絞り出すように告げた。
「帝国の結界を無力化する禁忌の古代兵器の密輸……そして、近いうちに決行される予定の、皇帝レオンハルトの【暗殺計画書】よ。首謀者は子爵だけじゃない……帝国の元老院や近衛の重臣たちまで名を連ねてる。……国家転覆の、クーデター計画だわ」
部屋の空気が一瞬にして凍りついた。
一地方の不正貴族を摘発するはずが、帝国そのものを揺るがす巨大な暗黒の陰謀の核心を突いてしまったのだ。
「まずいな……。こんな特級の火種、長居するのは危険すぎる。あや、その書類を持って今すぐここから離脱するぞ」
ルカが決断し、あやの手を取って駆け出そうとした――その刹那。
ピシリ、とフク子の全身の白銀の羽が逆立った。
「……っ! あやきち、上ですわ! 来ます!」
カツン、カツン、カツン……。
静寂に沈む地下通路の奥から、無慈悲なまでに規則正しい足音が響いてきた。
大理石の床を踏み鳴らす、硬質な革靴の音。
迷いなく、一直線にこの金庫を目指して近づいてくる。
「くそっ、見つかったか……!?」
ルカが瞬時にあやを背後へと庇い、儀礼剣の刀身を鞘から音もなく抜き放つ。
スカイブルーの瞳を限界まで細め、青白い闘気を全身から立ち上らせるルカ。
だが――あやの鼻腔を、冷たい地下の淀んだ空気を切り裂いて、ある香りが撫でた。
凍てつくような冷気。
そして、その奥から漂ってくる――冷えた夜気に溶け込む、甘い花のようなベルガモットの芳香。
(……嘘……でしょう……!?)
あやの心臓が、痛いほど激しく跳ね上がった。
大広間にいたはずの男。
自分の手の甲に、あの熱い唇を焼き付けていった絶対者。
暗闇に沈む通路の先、開かれた扉の入り口に、長身の影が静かに滑り込んできた。
宵闇の蒼黒髪が、金庫の魔導光を浴びて深青に閃く。
現れたレオンハルトの黄金の双眸が、あやの握りしめる羊皮紙を、そしてあやの濡れた漆黒の瞳を、昏い光を湛えて見据えた。
「――やはり、ここへ忍び込んでいたか」
低く滑らかな、逃げ場を塞ぐバリトン。
冷徹な笑みを浮かべた若き皇帝が、ゆっくりとあやたちの前に姿を現した。




