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魔石の王  作者: こ
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3/9

第3話 崩れる山

 窓に寄ると、熱で頭がぐらりと揺れた。


 私は窓枠をつかんで、外を見た。


 山が、光っていた。


 中腹の、十日前に崩れた斜面のあたりだった。白い山肌に走った裂け目が、内側から、炭火のような赤い色を漏らしていた。光は息をするように強くなったり弱くなったりして、そのたびに、裂け目のまわりの岩が、黒く浮かびあがった。


 ごろごろと、岩の転がる音が、上のほうで続いていた。小石が斜面をすべり落ちる、さらさらという音も混じっていた。止まらない。


 あの斜面だ。井戸端と山羊小屋を埋めた、あの斜面の、その上が、また動いている。


「お兄ちゃん」


 ティモが、私の袖を引いた。


「山、また崩れる?」


 きのうの朝、境の石の前で聞かれたのと、同じ問いだった。


 あのとき私は、見てくると答えた。崩れそうなら、真っ先に知らせに戻る、と約束した。


 私は、左手の包帯を見下ろした。手のひらが、心臓の拍子に合わせて、ずきずきと脈打っていた。額には、まだ熱が残っていた。


 それでも、答えは決まっていた。


「崩れる。だから、みんなを起こしに行く」




   *




 階段を下りると、ガラムが、寝間着のまま土間に立っていた。ロッドが、もう長靴を履いていた。カーナイ先生が、外套を羽織りながら、二階から下りてきた。


「北の斜面が、また崩れます」


 私は言った。


「十日前と同じところです。上の岩が、まだ落ちつづけている。夜明けまでもたないかもしれません。村の人を、全員起こして、外へ出したい」


 ガラムが、私の顔を見た。熱で赤い顔と、包帯の手を見た。


「どこへ出す?」


「小川の向こうの、東の低い尾根です。羊囲いと、石の祠がある。あそこは、崩れた斜面の筋から外れています」


 きのう、山から下りるときに見ておいた場所だった。崩れた土砂が流れた筋と、その外側。どこまでが危なくて、どこからが安全か。


 ガラムは、一度だけ、うなずいた。


「わしは西の家から回る。若様は東から。ロッドさんは、真ん中を頼む」


 村は、二十軒あまりだった。


 私は、一軒ずつ、戸を叩いた。


「起きてください! 山が崩れます! 小川の向こうの尾根へ!」


 戸が開くと、眠そうな顔が出てきて、それから、私の後ろの赤い山を見て、目を見開いた。


 年寄りは、村の男たちが背負った。私は戸を叩いて回り、赤ん坊のいる家では、母親の荷を右の肩に担いだ。山羊は、ティモが綱をまとめて引いた。ティモは、もう片方の手で、祖母の手を握っていた。


 先生は、足をくじいた山羊飼いのじいさんに、肩を貸していた。先生の顔も、灯りの下で青白かった。きのうの術の壁で、まだ力が戻っていないのだ。


 私は、片手で荷車を押した。右手と、右の肩とで。左手は、使えなかった。包帯の下で何かがにじんで、布が湿っていくのが分かった。


「若様、それはわしが」


 村の男が、荷車に手をかけようとした。


「あなたは、そっちのおばあさんを。私は、こっちのほうが得意なんです」


 男は、ちょっと笑って、おばあさんのほうへ走った。


 小川を渡り、東の尾根を登りきったとき、空の端が、白みはじめていた。


 ガラムが、村人の頭を数えた。二度数えて、うなずいた。


「全員だ」


 その声が終わらないうちに、北の斜面が、崩れた。


 どおん、という音ではなかった。もっと長い、地面ごと引き裂くような音だった。斜面の上のほうから、岩と土砂が、ひとかたまりになって、ゆっくりと、すべり落ちていった。


 土煙が、村の北の端を呑みこんだ。


 煙が晴れたとき、北のはずれの家が二軒、なくなっていた。屋根も、壁も、土砂の下だった。


 尾根の上で、誰かが、短く泣いた。


 ティモの祖母が、ティモを胸に抱きよせた。ティモは、祖母の腕の中から、私を見た。


 私は、ティモにうなずいた。


 知らせた。間に合った。誰も、いなくなっていない。




   *




 けれど、それで終わりではなかった。


 夜が明けて、山の姿がはっきりしてくると、尾根の上の誰かが、指をさした。


「あれ、なんだ……?」


 崩れた斜面の、いちばん上。中腹の扉のすぐ左手に、新しい裂け目が口を開けていた。


 そこから、何かが、這いだしてきた。


 一つ。二つ。三つ。


 岩と鈍い金属でできた、人の形のもの。胸のところだけが、赤黒く光っている。


 尾根の上が、しんと静まりかえった。


「……岩魔だ」


 ティモの祖母が、震える声で言った。


 岩魔たちは、崩れた土砂の上を、ゆっくりと下りはじめた。向かっている先は、村だった。土砂に埋まらずに残った家々。その中には、慌てて出てきたせいで、竈の火を消しきれなかった家もあった。細い煙が、何本か、屋根から立ちのぼっていた。


 そして、村の向こうには、この尾根がある。


「逃げよう」


 誰かが言った。


「どこへ?」


 別の誰かが言った。


 尾根の上には、柵もなかった。年寄りが七人。赤ん坊が二人。足をくじいたじいさん。山羊が十数頭。東の谷へ下りる道はあるが、年寄りの足では、岩魔の歩みから逃げきれるか分からない。


「麓の町には、きのう知らせを出した」


 ガラムが、低い声で言った。


「けど、助けが来るとしても、早くて明日だ」


 私は、腰の剣に手をやった。


 刃こぼれが二つある、父の剣。きのう、岩魔の腕を斬りつけて、跳ねかえされた剣だ。剣では、あれは止まらない。


 止めるなら、胸の石だ。けれど、石を抜くには、片手では足りない。きのうは、剣でこじって、左手でつかんだ。いまの左手は、物も握れない。体には、まだ熱が残っている。三体を相手に、同じことはできない。


 私は、山の中腹を見上げた。


 崩れた斜面の上に、扉が見えた。きのう、私が閉めた扉だ。


 ——あれなら。


「先生」


 私は、先生のほうを向いた。


「岩魔は、灯りに寄ってきましたね。きのう」


 先生が、はっとしたように私を見た。


「先生の灯りの魔道具を、床に置いたら、岩魔は先生じゃなくて、灯りのほうを向いた。私が灯りを蹴ったら、灯りを追った。天井の灯りには、見向きもしなかったのに」


「……ええ」


「理由は分かりません。でも、寄ってくるのは確かです」


 私は、扉を指さした。


「あの扉は、私の手でしか開かないし、閉まらない。きのう、先生がどうやっても動かなかった扉です。だったら」


 言いながら、自分の考えを、順に確かめていった。


「灯りで、岩魔を呼びます。あの通路の中まで。それから、扉を閉める。閉めてしまえば、中からは開かない。私にしか開けられないなら、岩魔にも開けられないはずです」


 言ってから、きのうの丸い部屋を思い出した。崩れた壁の向こうは、土砂とつながっていた。


「……奥の崩れたところから、裂け目へ抜けて、また出てくるかもしれません。それでも、村の人が東の谷へ下りるまでの時間は、稼げるはずです」


 先生は、しばらく何も言わなかった。


 山を見上げ、岩魔を見下ろし、尾根の上の村人たちを見た。


「アキトス様は、熱があります。片手も使えない」


「だから、この策なんです。戦わなくていい」


「……灯りは、わたしが持ちます」


 先生は、言った。


「扉の前で、待っていてください。開けるのは、あなたにしかできない。灯りを見せて、呼びこむのは、わたしがやります。わたしの足のほうが、まだ、あなたより確かです」


 私は、反対しかけた。先生だって、立っているのがやっとのはずだ。


 けれど、先生の目は、もう決めていた。


 ガラムが、私たちの話を聞いていた。


「若様。村の者は、わしとロッドさんで、東の谷へ下ろす。じいさんは、わしが背負う」


「お願いします」


「わたしも、お供します」


 ロッドが、一歩前に出た。主家の跡継ぎを、熱のある体で、岩魔のいる山へひとりで出すわけにはいかない。そういう顔だった。


「ロッド。村の人を頼む」


 私は、言った。


「年寄りと赤ん坊を、谷まで無事に下ろしてくれ。それが、いちばん大事な仕事だ。……父上には、私が命じたと言えばいい」


 ロッドは、長いあいだ私を見て、それから、深く頭を下げた。


 ティモが、祖母の腕から抜けだして、私の前に来た。


「また、山に行くの?」


「行く。戻ったら、また知らせるよ」


 ティモは、唇を噛んで、うなずいた。




   *




 岩魔たちは、崩れた斜面の西側を、村へ向かって下りていた。


 私たちは、その反対の、東側から登った。


 尾根から小川へ下り、山の東の肩へ回りこむ。きのう下山するとき、扉の右手の大岩の裏から東へ抜ける獣道を、見つけておいた。いざというときの逃げ道として、目で追っておいた道だ。崩れた斜面からは外れていて、岩魔の通り道からは、尾根ひとつ分、離れている。


 登りは、半刻ほどかかった。


 熱のせいで、何度も足がもつれた。先生は、一度も止まらなかった。


 大岩の陰から、扉の前の棚へ出た。


 扉は、きのう閉めたままだった。


 私は、取っ手の輪を右手でつかみ、中心の丸い板に、手首を押しあてた。胸の守り袋が、じわりと熱を帯びた。取っ手が、軋みながら回りはじめる。


 一回り。二回り。がちん。


 十を数えるほどのあいだだった。扉が、こちらへ、ゆっくりと開いた。冷たい風が、吹きだしてきた。奥へ向かって、天井の灯りが、順にともっていった。


 通路は、大人が三人並んで歩けるほどの幅だった。その奥、三十歩ほど先で、灯りの列は下り坂になって消えている。その坂の始まりの床に、黄色と黒の縞の帯が、一本、引かれていた。扉の縁の、色あせた縞と同じ模様だった。きのうは、気にも留めなかった。


「行ってきます」


 先生が、灯りの魔道具を手に、棚の端から、斜面を少し下りていった。


 崩れた斜面の西側を見下ろす、平たい岩の上に立つ。


 先生は、灯りの覆いを外して、高く掲げた。


 白い光が、朝の斜面に、ひときわ明るく浮かんだ。


 下のほうで、岩魔たちが、止まった。


 三つの胸の赤い光が、そろって、こちらを向いた。


 それから、ゆっくりと、向きを変えた。村ではなく、斜面の上へ。先生のほうへ。


 登ってくる。


 岩魔の足は、遅かった。人が歩くより、まだ遅い。けれど、止まらなかった。崩れた土砂を踏みしだいて、一歩ずつ、確かに近づいてくる。


 先生は、間合いを測りながら、後ずさった。岩の上から棚へ。棚から、扉の前へ。灯りを掲げたまま、岩魔から目を離さずに。


 私は、扉の脇の、取っ手の届くところに身を伏せた。


 先頭の岩魔が、棚の縁に、のっそりと手をかけた。


 先生が、扉の敷居をまたいだ。


 身をかがめて、灯りを床に置き、通路の奥へ向かって、思いきり押しやった。きのう私が岩魔の前で灯りを蹴ったのと、同じだった。


 灯りは、平らな金属の床の上を、くるくる回りながらすべっていった。十歩、二十歩。縞の帯を越えて、その先の下り坂を、からからと転がり落ちていく。白い光が、坂の下から、通路を照らしあげた。


 先生は、すぐに敷居の外へ出て、扉の陰の、私の隣に身を伏せた。


 先頭の岩魔が、扉をくぐった。私たちのほうへは、目もくれなかった。光の来る坂の下だけを、見ていた。二体めが続いた。三体めが、棚の上に這いあがってきた。


 先頭が、縞の帯を、踏み越えた。


 その瞬間、通路の灯りが、いっせいに、赤く変わった。


 耳を刺すような、高い音が鳴り響いた。


 壁の板が、等間隔に、ぱたん、ぱたんと内側へ開いた。その奥から、細い光の筋が、何本も走った。


 光が、先頭の岩魔の背中を撃った。岩が弾け、金属が赤く焼けた。


 二体めが、足を止めた。


 光の筋は、まだ先頭に集まっていた。撃たれるたびに、先頭の岩魔がよろめき、膝をついた。


 三体めが、敷居を越えて、通路に入りきった。


「アキトス様、いまです!」


 先生が、扉に肩を当てて、押した。私も、右肩をぶつけた。重い扉が、きしみながら、閉まっていく。


 閉まりきる前の、最後の隙間から、中が見えた。


 赤い灯りの下で、光の筋が、二体め、三体めへと向きを変えていくところだった。壁の板という板から、光が、岩魔を撃っていた。きのう私と先生が歩いた場所も、あの光の届くところだったはずだ。けれど、一度も撃たれなかった。


 扉が、閉まった。


 私は、包帯の左手を、取っ手の中心の丸い板に押しあてた。手のひらに火が走ったが、離さなかった。右手で輪をつかみ、回した。胸の守り袋が、また熱くなる。肩と腰で回した。一回り。二回り。


 がちん。


 扉の奥で、何かが外れる音ではなく、何かがはまる音がした。


 私は、扉に背中をつけて、その場に座りこんだ。先生も、隣に座りこんだ。二人とも、しばらく、口がきけなかった。


 閉じこめた。三体とも。


 これで、ガラムたちが村の人を東の谷へ下ろすまでの時間は、稼げた。


「……撃ちましたね」


 ようやく、私は言った。


「遺跡が。岩魔を。私たちには、撃たなかったのに」


 先生は、閉じた扉を見上げていた。


「通したのです。あなたを。……あなたと一緒にいた、わたしも」


 先生の声は、かすれていた。


 きのう、二人で何も知らずに歩いた三十歩だった。


「そして、あれを、敵として撃った」




   *




 扉の内側から、音が聞こえていた。


 光が岩を撃つ、ばしん、という乾いた音。岩の崩れる音。


 一つ、また一つ。


 扉の継ぎ目から、赤い光が漏れては消えた。


 音は、だんだん間遠になっていった。三体の岩魔が、崩れていく音なのだと思った。


 けれど、そうではなかった。


 岩の崩れる音がやんでも、まだ、岩魔の足音が聞こえていた。重く、床を踏む音。それなのに、光の音のほうが、少なくなっていく。ばしん。……ばしん。…………ばしん。


 撃っているほうが、止まっていくのだ。


「先生。音が——」


 言いかけたとき、尻の下の岩棚が、震えた。


 地鳴りとは、違った。


 山全体が揺れるのではなかった。ずっと下のほう、山の腹の底のどこかで、何かが、岩を押しのけている。重いものが、少しずつ、少しずつ、上へ動いている。その響きが、岩棚を伝って、背骨に届いた。


 先生が、立ちあがった。


 私も、扉につかまって、立ちあがった。


 崩れた斜面の、新しい裂け目。岩魔たちが這いだしてきた、あの裂け目の奥から、赤い光が、また漏れていた。


 さっきまでの光とは、大きさが違った。


 裂け目の縁の岩が、内側から押されて、一つ、ぽろりとはがれ落ちた。


 その向こうで、何か巨大なものの胸が、ゆっくりと、明るくなった。


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