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「シシル。どうしてこうなったんだい?」
「すみません。こんなつもりじゃなかったんですが」
「ベットに寝かせるか?」
「いえ、暴れるかもしれないので、もうしばらく抱えておきます」
父の元上司と向かい合ってすわり、ノエルは詫びた。
伯爵は、子どもの頃のノエルを知っている。引っ込み思案の少年は、優しく気弱で泣き虫だった。今は、自分の泣かせた令嬢を大事に大事に抱えていた。
マリーは、ノエルを引っ掻いて、叩いて散々暴れた。落ち着かせようとすると、抱きついて、泣いて泣いて泣き喚いて、泣きつかれて寝た。しがみついて、離れなかった。
やっとマリーを抱えたまま、ノエルはソファに座った。
マリーは膝の上で、寝息を立てている。泣いた顔を拭いてやると化粧が落ちて、いつものマリーだ。
疲れて寝た子犬は重いが、愛おしい。
「君たちの婚約をすすめたのは私なんだが、破棄してから仲良くなったのかね」
「どうも、そのようです」
「マリーはなかなか手強くて、姉君達で女性の扱いに慣れた君しかいないと思ったんだが」
「姉達とマリーは、全然違います。硝子のランプの良さは私には分かりませんが、ここまで入れ込めるのが羨ましいとは思います」
「君の古文書好きと変わらんだろう」
伯爵に笑われてしまった。
「友人の工房にマリーを入れたんだが、友人曰く、マリーは王家の血が見えるらしい」
「それは?」
「硝子のランプには、王家だけに納める赤色があって、稀にその赤が脈打って見える者がいるそうだ。先々代の工房主がそうだったらしくて、そういう者は、いずれ自然と王室付きの細工師になるらしい。硝子や金細工だけでなく、あらゆる物を生み出す手を持つようになると言っていた」
「マリーを見ていると、分かる気がします」
ノエルは、マリーの寝顔を見た。さっきは本気で引っかかれた。
「マリーさえ良ければ、僕は改めて婚約したいと思っているのですが」
「承諾するかは分からんな。君も、相当に古文書に惚れてる」
「お互いに一番好きなのは別の物で、二番目に好きなら距離をとって上手くいくかもしれません」
「上手くいってくれ。うちの奥さんも、マリーにはお手上げだ。ずっと口をきかなくて、死人のようだった。今日、久しぶりに声を聞いた。よし、できるだけ協力しよう」
マリーは、数日、それまでと同じにぼんやりと過ごした。硝子工房に入るまでの自分を、思い出していた。
マリーの両親には、ずっと子どもが出来なかった。隣国から来たマリーの母は、第一夫人の代わりに子どもを産むはずだった。
ところが第一夫人は予想外に妊娠し、僅か三ヶ月後、マリーの母も妊娠が発覚。だから、姉とマリーは三月程しか歳が違わない。結局、父はマリーの母も第二夫人として迎え、二人の母は仲が良かったと記憶している。
マリーと姉はよく喧嘩した。喧嘩して、最後は二人とも泣いて仲直りした。
妹は子どもの頃は、やたらと甘えてきて苦手だった。いつから頼りになったのだろう、ドレスの流行りや貴族の社交に疎いマリーを、姉と一緒に飾り立てたり観劇に付き合わせたり。我儘なようでいて、三人で出掛ける口実を作っていたのは妹だった。
離れてみて恋しくて、自分たちはただの姉妹だとマリーは気づいた。
家族と離れて随分経ったのに、手紙を書いていない。なんて書いたらいいのか、分からない。
マリーは、胸に手を当ててペンダントが無いことに気づく。ノエルに貰ってから、いつも無意識に触っていた。
また、作れるだろうか。
ノエルに縋って泣いてから、赤い硝子を思い出す。初めて赤い王家のランプを見た時、生まれ変わったようだった。前よりもっと欲求が湧いて、今はもっと作りたい。
「できるように、なったこと」
何度もノエルの言葉を繰り返す。ノエルの真剣な眼差しを思い出す。ノエルはやっぱり、誠実だ。
手紙は上手く書けないから、代わりにペンダントを贈ろう。自分だけでなく、姉妹たちにも作ろう。
ノエルは、なんて言うだろう。
姉妹には何色が似合うか考えるうちに、マリーの心は、零ではなくなっていた。
ノエルに、謝りに行かないと。
分かってはいるけれど、まだノエルに会う資格がない。ノエルからは、来ないだろう。
おじさまにも奥様にも引き留められたけれど、前向きに考えられるようになって、マリーは部屋に戻った。
別の工房を紹介すると言われたが嫌だと言って、マリーは仮の工房の場所を地図を頼りに訪れた。
「マリー!」
「怖かったなあ!」
「飯は食ってたか!?」
職人たちにバシバシ叩かれて、歓迎された。
「少しは手加減してください」
「手加減なんかするか。大事な弟子がやっと来たんだ。ビシバシやるぞ」
また、下積みが始まる。
「すみませんでした。私のせいで工房が焼けて」
「新しい工房!大いに結構。楽しみじゃないか」
マリーは、姉妹と自分に色違いのペンダントを作った。皆、少しの透明と白を混ぜて。
マリーが家族と離れて分かったのは、家族を好きだということだった。心が穏やかになった頃、やっと出来上がって箱に詰めて送った。
マリーはそのまま、ノエルの所に向かった。
ノエルの部屋の近所のカフェで、マリーは深々と頭を下げた。ノエルが物憂げに、肘をついてマリーを見ていた。
「大変、申し訳ありませんでした」
ひじをついたノエルの手の甲に、傷跡が残っていた。顔には傷がなくて、少しホッとした。
「元気になった?」
「おかげさまで、工房に復帰しました」
「結構、反省してる?」
「かなり、反省しております」
ノエルは笑っていた。ここまでしょぼくれた子犬がくるとは、思わなかった。
「パトリシアから伝言を預かってる
「おめでとうございます」
「誰に言ってるの?」
「ノエルに」
「何の話?」
「結婚の」
「えーと、誰の?」
「パトリシアとノエルの」
「僕は君のそばを離れる気は無いよ」
「パトリシアが、お嫁に来るの?」
「パトリシアは来ない。パトリシアは振った」
「―――ノエルのばか!」
マリーは、勢いで立ち上がった。
馬鹿は、マリーなのだが。
パトリシアは、属国の商家の娘だ。主国からの留学生に蔑まれていたけれど、凛としていた。
パトリシアの言葉が流暢になるほど、差別は減った。けれど、何も気にせず味方になってくれたのは二人だけだったと、パトリシアはノエルに言った。
「ノエルが、あたしに興味がないのは分かってたし、そういうマリーとノエルだから、気が合うだろうとも思ってた」
パトリシアは、振られたのにいい顔をしていた。
「マリーは、自分の気持ちに凄く疎い。あたしの大事な友達だから、ノエルにも大事にしてほしい」
「パトリシアが、マリーが作った硝子のランプが商品になったら連絡しろって。これで、伝言は伝えたよ」
ノエルに言われて、マリーは無意識に新しいペンダントを握った。
パトリシアは最後に会ったとき、母国語で何か言ったのを思い出した。パトリシアはなんて言ったのか、いつか聞きたい。
「僕のことは聞いてくれない?」
「聞いてほしい?」
「国に帰って文官になれって言われたけど、嫌だって言った」
「何で?」
「僕はずっと、君のそばにいたい。仕事してないと帰らされるから、つなぎで研究に参加させてもらってる」
「ごめん、前と違いが分からない」
ノエルが、ふてくされた顔をしていた。
「父に、ずっとここにいたいから職の紹介を頼んだら、国からこの街に外交窓口を作るから、外交官になれって打診が来た。
うちみたいな子爵家がそんな仕事もらえるわけ無いから、誰かが手を回したとしか考えられない」
「―――おじさま?」
ノエルは、困った顔をしていた。
「そういう役目を果たす外交官は、普通は夫婦で派遣されるから、結婚相手を探しておけって。
マリー、それは理由じゃなくて、きっかけだとは言っておく。婚約じゃなく、結婚してほしい。マリーが好きだ」
次は最終話。




