8 二番目のノエル
少々長めの最終話。
ノエルは、新しい硝子工房の外で待っていた。
歴史地区の整備のため、新しい工房の建設が前々から進められていたのをノエルは知っていた。あの時、建設途中だったここに、マリーを引っ張ってきてやろうと思っていた。
窓から覗くと、マリーは炉の横で作業していた。汗が頬を伝う。顎から垂れても拭きもしない。
婚約者として初めて会った時のマリーは、今のような顔をしていた。
緊張して、気を張って。後ろに丸く纏めた髪で、真剣な眼差しで。
今なら、ノエルにもマリーがよく分かる。
マリーはノエルのプロポーズを、断わった。
「旅先で恋に落ちるのは、気の迷い」
「じゃあ、ずっとここに住んで迷子のままでいい」
「それは、簡単に永住覚悟しすぎ」
「簡単じゃない。僕だって考えた」
「ノエルなら、もっと素敵な女性がいる」
「僕にはマリーしかいない」
マリーは、少し考えた。
「硝子のランプが、私の一番だから」
「知ってる。僕も、古文書が好きだから」
「自分の結婚を考えたことがなかった」
「じゃあ、これからは僕との結婚を考えて」
マリーは、少し考えた。
それから、ノエルの綺麗な顔を見た。
「―――ねえ、ノエル何で笑ってるの」
「だって」
ノエルは、嬉しそうな顔をしていた。
僕との結婚は、零ではないらしい。
挨拶をしながら床を掃き清め、炉の火を何度も確認して。真っ暗になった工房に、二重の鍵をかけた。
マリーは鍵に手をかけたまま、しばらく下を向いて動かなかった。
それでも、進むのだろう。不器用に苦しんで、時々子犬のように喜んで。
「あれ?ノエル」
「仕事、終わった?」
ノエルが近くに立っていたのに、全然気づかなかった。
「待ってないで、呼んでくれればいいのに」
「夕飯、一緒に食べよう」
ノエルは、マリーの手を引っぱって自分の腕に捕まらせた。
「何が食べたい?」
「何でもいい」
「花も買おう。何が好き?」
「どの花も好きだよ?」
ノエルは、笑っている。
マリーの性格は、やっぱり振り幅がありすぎる。零か百だ。
この手を振り払われないなら、零じゃない。
「じゃあ、ノエルは何食べたい?」
「こっちに来てから、無性にケルクーネが食べたい」
ケルクーネは、母国の伝統的な肉料理だ。
「わぁ、聞いたら食べたくなったじゃない」
「こんがり焼いて、レモンをぎゅっと絞って」
「涎が出そう。レモンふたつ買って帰ろう」
ノエルは、マリーを見た。
「え?ノエルも食べるよね?レモンふたつで足りるよね?香辛料あるよ」
「作る気?」
「作るけど?」
マリーとは、やっぱり婚約破棄して正解だった。
色々、心臓が保たない。
「意外な特技だ」
「褒めて、褒めて、惚れ直して」
マリーの作ったケルクーネは、美味しかった。レモンを買ってから、マリーの部屋で作って食べた。
肉に油をかけて焼いて、母国の香辛料と合わせて、レモンを絞って。ケルクーネを作りながら、マリーはいとも容易く、サラダも薄焼きのパンも、スープもマリネも用意した。どれも自国の味だ。
「いつか硝子を作りたいと思ってから、手を使うようにしてた。料理も裁縫も、自分で物を作り出せる手が欲しかったから」
ノエルはマリーの手を見て、マリーの仕事が料理人だと思ったことを思い出す。傷に染みるだろう。
「レモン絞りないんじゃ、僕が絞るよ」
二人で並んで料理しながら、ノエルは言った。
「振られておいて余計なお世話だけど、簡単に部屋に男を入れるのはどうかと」
婚約者だったら、心配でしょうが無い。
「ノエルだから、入れた」
「じゃあ、余計に駄目」
マリーが、ノエルを見上げてにやりと笑う。
「結構信用してるよ。海で泊まったときも、良く寝れた」
―――僕は、試されたらしい。
「マリーは、ちょっと無防備過ぎる。自分が美人だっていう自覚がない」
「今まで、美人って言ったのノエルだけ」
「言われてても、気づいてないだけだろう」
「ノエルだって、カッコいい自覚無いでしょ?」
黙ってしまったノエルを、マリーは見上げた。
喋れなくなって耳まで真っ赤になったノエルは、今なら見た目だけでなく性格も好きだ。
紅茶くらいは、ノエルも淹れられた。その間にマリーは、食後のチョコレートを出してきた。
「デザートにどうぞ」
器には種類の違う、宝石の様なチョコレートが並んでいた。
「高そうな物を惜しげもなく出す辺りで、そういえば令嬢だって思い出した」
「令息だって憶えてたから、デザートまでご用意いたしましたのに?」
二人で笑った。
ノエルはチョコレートを取らず、真面目な顔になった。
「デザートの前に、渡すものがある」
ノエルが布を開いて見せたのは、青い硝子のペンダントだった。
「池に、投げてた」
「振りだよ、振り。本当に投げたら、マリーに一生恨まれる」
「うん。既に結構恨んでた」
マリーの手を取って、乗せてやる。
「二度も貰うと思わなかった」
「二度も渡すと思わなかった」
しかも、婚約者でもない人に。
ノエルの手の甲の傷は、消えていた。
「ねえ、ノエルって、いつから私のこと好きだった?」
「それ聞く?ひどすぎ」
ノエルは、片手で顔を隠して考えた。
「えーと」
婚約破棄したときから気になっていて、婚約破棄を後悔したとは言いづらい。マリーに会いたくて中庭で待っていたとも、学校に来なくなったマリーを探し回ったとも、言ったらドン引きだろう。
「―――ああ、そうだな。髪切った辺りかな」
中間地点?をとっておく。
「あれは、私、反省してる。だから、今は髪伸ばしてる」
「僕も、マリーに荒療治は反省してる」
「ノエルって、意外と過激な部分あるよね」
「それ、マリーが言う?」
ペンダントを投げて、無理やりマリーの心をこじ開けた。マリーには、マリーらしくいてほしかった。嫌われてもいいと思ったのも、あんな行動も初めてだ。
「私がプレゼントあげても、受け取ってくれる?」
「喜んで」
「じゃあこれ、作り直す」
マリーは、受け取ったばかりの青い硝子のペンダントを見せた。
「何に?」
「男物のペンダントに。ノエルにあげたい」
「振った男にそんなに大事なもの。それは無いだろ」
「さっきは受け取るって言った」
マリーの目は、恋してる目ではなくて。単純に荒療治のお礼らしい。
「まあ、いいか」
貰うのか返すのかもよく分からないけれど、それでも、泣いて喚いて取り返したかった大事な物をくれるらしい。
「で、マリーのおすすめは?」
「このピンクのチョコレートが、一番好き」
「じゃあ、はい」
ノエルは、チョコレートを摘んでマリーに差し出した。子犬に餌をやる感覚だった。
「ノエルが食べて」
「僕は二番目でいいよ」
マリーは両頬に手を当てて、じっとノエルを見つめて動かなくなった。
「どうした?泣かれるのは弱いんだけど」
「―――だって、どうしよう。私って、ノエルが好きみたい」
「じゃあ、また婚約いたしましょう」
マリーならふざけて返事をすると思ったのに、マリーはまだ黙ってノエルを見ていた。
ノエルは、容姿も性格もマリー好みなのだと思っていた。だけど、もしかしたらノエルを好きになったから、ノエルみたいな男性がマリーの好みになったのかもしれない。
「ごめん。何が悪かった?」
「だから、私、前からノエルを好きだったみたい」
「今、気がついた?」
「うん」
「僕は振られたんだけど」
「でも、ノエルが好きみたい」
「そういう自覚の仕方ってある?一体、なんで急にそうなったわけ」
どうやら、突然百だと自覚したらしい。
ノエルはマリーらしくて、笑い出した。
「ちょっと、そんなに笑わないでよ」
「だって、マリー面白すぎる」
マリーといたら、きっとずっと退屈しない。
「じゃあ、さっきの言葉を撤回する」
「僕を好きだって?」
「だって、告白したのに笑い飛ばした」
ノエルは笑いながら、チョコレートを摘み直した。
「はい、口開けて」
マリーは、素直にノエルの手から食べた。
ノエルが二番目で良いと言って、マリーは気がついた。ノエルは時々、思いもしないほど無防備な笑顔を見せる。
長い指も、綺麗な顔も、何よりこの人の誠実さがやっぱり好きだ。
相変わらず赤いランプが一番でも、ここに居続けると想像した時、ノエルが当たり前に一緒にいるのを想像した。
ノエルは、肘をついてチョコレートの器を覗いた。
「二番目はどれ?」
マリーはチョコレートは摘まずに、ただノエルの鼻に人差し指で触れた。
「二番目は、ノエル」
ノエルは、嬉しそうな顔をしていた。
「マリーの一番は、硝子のランプだって知ってる。だから、マリーにとって僕は二番目でもいいよ」
ノエルがマリーの手を掴んで、指にキスをした。
「ちょっとっ」
マリーは、慌てて手を引っ込めた。
「マリーって、美味しい」
「もう」
マリーはノエルの口に、二番目に好きなチョコレートを押し込んだ。
「二番目のチョコレートだって、一番目と同じくらい好きだからっ」
真っ赤になったマリーに、真っ赤になったノエルが口をもごもごしながら、言った。
「―――おかわりがほしい」
二人の顔が近づいて、チョコレート味のキスをした。
「手紙の返事、来た?」
マリーは、ノエルの部屋の前で待っていた。
「見たよ。すぐに出発するって書いてあったから、本当だとすると」
「明後日辺り着きそうだね。このまま、おじさまにも挨拶にいかないと」
「僕はマリーと結婚したいって、言ってあるから反対はされないと思うけど」
二人で、家族に手紙を書いた。
『元婚約者に再会しました。
婚約は破棄しましたが、結婚することにしました』
婚約破棄から、季節は何度か巡っていた。
両家の両親が、大慌てで来るだろう。
「何て説明しよう」
少し強くなったノエルとマリーは、顔を見合わせると笑った。
ツッコミどころ満載の拙い話を読んでいただき、ありがとうございました。その後を別の題名で、いつか投稿したいと思っています。




