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「マリー、ノエルとどこに行ったの?」
パトリシアの問い詰めるような口調に、先に言うべきだったと思った。
「博物館に古い硝子のランプがあって、急に見に連れてってもらうことになった。ごめん、先に言うべきだった」
「面白かった?」
「一つだけ、七色ガラスを使ったのがあって。硝子がカーブでできてて、繊細だった」
光を纏ったガラスが輝いていた。
「それは良かったと言うこと?」
「とにかく綺麗で、感動したってこと」
「じゃあ、良かったね」
「次から、ノエルに会うときは分かってたら先に言う」
「ううん。もういいの。ノエルにプロポーズするから」
パトリシアの国では、女性がプロポーズするのは普通だそうだ。
「結果は、ノエルから聞いて。どっちにしろ明日、帰らなくちゃいけなくなったから」
パトリシアは、その後に何か言った。パトリシアの国の言葉で、マリーに意味は分からなかった。
「マリー、私の国に来ることがあったら、絶対に会いに来て。おばあちゃんになっても、ずっと待ってるから」
「パトリシア、私ずっとこの街にいるつもり。必ずまた会おう。元気でね」
二人で抱き合って、再会を誓った。
マリーは、パトリシアが帰っても、以前のように涙は出なかった。本当に、パトリシアにまた会うつもりで、もっと遠い国に行くのも、今は怖いと思わなかった。
マリーは、工房の新しい弟子と床を掃いていた。
ノエルは、パトリシアに何て返事しただろう。しばらく会ってない。
思い浮かんだことを慌てて打ち消し、マリーは先に帰る職人たちに挨拶をした。
「お疲れ様でした。気をつけて」
弟子は、無視して挨拶をしない。
「古い小屋だな、やる気がでない」
静かになった工房に、弟子の呟きが聞こえた。
確かに床は掃いてもきれいになったかわからない程、硝子が付いたり、ひび割れたり。天窓を開ける滑車も旧式だ。
「まあ、そう言わないで。十分硝子が作れるんだから」
「あんたは、ここ以外の工房を知らないから、平気なんだ。ここじゃ、俺の腕は活かせない」
「本当に、綺麗に仕上げるもんね」
「本気で言ってるのか?」
何が癪に障ったのだろう。顔が歪んでいる。
婚約破棄を思い出し、喧嘩しないようマリーは気を静めて謝った。それが、余計に悪かったらしい。
「クソ女」
謝った時には遅かった。怖い。首を締められ、マリーは涙が浮かぶ。苦しい。
「俺が一番だっ!指示するなっ!」
「―――ゲホッ、ゲホッ」
本当に殺す気はなく、マリーは床に突き飛ばされた。
弟子は、炉の扉のハンドルに手をかけた。
「だめっ」
掠れた声で叫んでも、遅かった。
弟子は炉の扉を開けると、掬って火種を投げた。何度も撒き散らした。火が飛び散り、火の手が上がる。
「消してっ、早くっ」
マリーは溜めてあった水を汲んでは、必死にかけ始めた。
マリーは蹴り飛ばされ、弟子は狂っていた。
騒ぎの中、マリーは工房から助け出されて、そのまま道に座っていた。
工房は燃えていた。
夕闇に赤い炎が上がって、工房の屋根が焼け落ちた。
首を締められた時は涙が出たのに、なぜか今は涙が出ない。
マリーはただ、ただ見ていた。
ノエルが、おじさまに挨拶するのを遠目に見ていた。ノエルが貴族令息らしく振る舞うのを見るのは、婚約破棄依頼だ。奥様とも何か話している。
「セセラ、すまなかった。同じ言葉の方が慰められると思って」
「いえ。大切な人なので、心配していました」
ノエルは、隣室でソファに座っている表情のないマリーを見た。
奥様が着せたのだろう。令嬢らしいドレスに、結った髪。化粧して美しいのに、マリーは人形みたいだった。
「ふたりで、話したいのですが」
夫妻はドアを開けたままにして、出ていった。
「マリー、心配した」
向かい合って座ると、マリーの首に汚れのようなあざと、腕には擦り傷。
「ここへ来た伝が、マリーも同じだと知らなかった」
そういえば、父達は同じ職場にいたことがあって、婚約の話が出たらしい。伯爵は、マリーとノエルの父親たちの上司だった。
「パトリシア、帰ったよ」
「―――婚約おめでとう」
抑揚のない声。マリーは、ノエルを見なかった。
「マリー大丈夫?」
マリーの虚ろな目が、泳いだ。
「燃えた。―――全部、燃えた」
マリーは唇を噛んだ。
「硝子の好きな仲間だと思ってた。大好きな工房だった」
「誰も死ななくて、幸いだった」
返事はなくて、慰めも聞こえないらしい。
何が見えているのだろう。何も映さない、マリーの目。
「技術はなくなってないんだろう?再建できる」
「彫金細工をやる意味が分からなくなった。無駄だって言われた。硝子だけでいいんじゃないか、硝子すらできてないんじゃないか。ランプなんて、永遠に作れない」
マリーの中が、ぐちゃぐちゃになっていた。
「マリーをよく知っている人に、マリーの作ったものを贈ってごらん。完璧じゃなくても、マリーができるようになったことがあるはずだ」
「何を作れっていうの?」
「マリーがあげたいものを」
「もう、工房には行けない。私のせいで全部燃えた」
「でも、工房の人達は待ってる」
「誰も、異国の小娘が本気だとは思ってない」
零になってしまったマリーの心を、百でなくても、せめて十でもいいから戻したい。
「一緒に工房に行くから。準備して」
「結構です。子どもじゃありません」
婚約者として会ったときの様な、言い合いが続く。
「硝子のランプは、嫌いになったのか」
「―――はい。大嫌いです」
「ペンダントを返してくれ」
マリーは、首から青い硝子のペンダントを外してテーブルに置いた。
「捨ててくる」
鷲掴みにして、ノエルが部屋を出ていく。
「どこに捨てるの?」
「池に投げ捨ててやる」
「捨てる必要ないでしょう」
「大嫌いなら、構わないだろう」
「なんで」
「二度と見なくて済むように、捨ててやる」
「だめっ、やだっ、やぁぁ、返してよぉっ」
「もう、いらないっ、だろうっ」
追いかけてきたマリーを振り払い、ノエルは外に出た。
中庭の池に、ペンダントを投げた。
8話で完結です。




