3
「マリー、見習いは終わりだ。これからもよろしく」
季節が一回りして、給料をもらえるようになっても、まだまだマリーは未熟だ。
王室にも納められる硝子細工はこの国の伝統工芸品で、マリーのいる工房には何人かの弟子が入ったが、過酷な暑さと重労働で続く者はいなかった。
マリーは仕事に必死で、手紙が届くまで忘れていた。父からの手紙には、ノエルとの婚約は双方から破棄になったと綴られていた。
両親達は長く話し合って、気弱な息子と不器用な娘では仕方ないと結論づけた。
マリーは学校の中庭で、休み時間を待った。
学校を、辞めてしばらく経っていた。もう、ノエルは母国に帰ったかもしれない。だから、手紙が来たのだと、どこかで思っていた。
休み時間が終わっても、ノエルは来なかった。
婚約破棄の暁には、お礼を言うことになっていたが、憶えてなんかいないだろう。
あの時、マリーはノエルを言いくるめようと思っていた。けれどノエルは、婚約破棄を申し出た。いつも中庭で話すノエルは、家族思いの人だった。
マリーにも、今ならノエルがわかる気がする。自分にも他人にも嘘がつけない、多分誠実な人なのだ。そう思ったら、最後くらい約束は守りたい。
休みの度に何度かそうして。
やっぱり、もうやめよう。そう決めた日に限って。
「マリー」
呼ばれて振り返ると、ノエルが立っていた。
二人とも、既に生徒ではなかったから中庭で会わなかったらしい。
温かいお茶を飲みながら、店内で並んで座っていた。ずっと中庭にいたマリーは凍えていて、ノエルに腕を掴まれて学校の近くのカフェに連れてこられた。
「手紙がきた」
「僕も」
「婚約破棄、ありがとうございました」
約束は果たした。マリーは行こうと立ち上がったが、ノエルがまた腕を掴んだ。
「温まってからにしなよ。そのまま外に出たら、風邪ひく。唇が真っ青だ」
ノエルの見た目だけは好みだから、優しくしないでほしい。
「いつ、学校辞めたんだ?全然知らなかった」
「ちょっと前」
「もう、国に帰ったのかと思ってた」
「そちらこそ」
ノエルがじっと見ていて、マリーは座り直す。
座り直してしまったのは、母国語で話すのも、工房の人以外と話すのも、久しぶりだったからかもしれない。
「ここは、半分私の故郷」
「故郷?」
「亡くなった母は、この街の人だった。もう、国に帰るつもりはない」
暫くして、ノエルが理解し微妙な顔になる。見合い相手のマリーには、両親揃っていたはずだ。
「別に、わたしは追い出されたわけじゃない。血が繋がらなくてもお母様は優しいし、家族で仲は良い。貴方の家に売られた訳でもない」
「だからって、一人でこんなに遠くで―――」
「貴方は、いつ帰るの?」
「分からない。今、学芸員の見習いしてる」
「なにそれ?」
「博物館にいる人。古文書が好きだから、いずれは文官になれって言われてる」
マリーは、日焼けしていないノエルは、本が好きそうだとなんとなく思っていた。
ノエルは、窓の外をしばらく見てポツリと呟いた。
「この街にずっと文通してた人が居て、会いたくてここに来た」
「へぇ。ロマンチック」
ノエルは、笑った。
「だけど国境超えて追いかけてきて、迷惑だって」
「ご愁傷さま」
「だよね」
ノエルは、マリーの方を向いた。
「あの時はごめん。婚約破棄の理由を説明すればよかったのに、君を傷つけた」
マリーは返す言葉がない。だってマリーは、喜んで婚約破棄された。
「全然傷ついてないから平気」
ノエルは良い人過ぎる。ずっと気にしていたのだろうか。
「あの、これ、あげる。凄く綺麗だから」
ノエルに渡された箱は、開けたら青い硝子のペンダントが入っていた。
マリーはパトリシアがいなくなってから、いつも寂しそうにしていた。ノエルは、理由をつけてマリーにあげようと買ったのに、ずっと渡せずにいた。
「女の人にあげるものなんて分からなくて、あの、好きな色も知らないし。気に入らないかもしれないけど。―――マリー?」
「―――なんで」
マリーの声は震えていた。
「ごめん。そうだな。嫌だよね。やめる」
「違う」
マリーは慌ててハンカチを顔に当てて、泣きそうな顔を隠した。
「女性に贈るなら、花とかお菓子がお勧めよ」
「そういうもの?知らないよ」
「一緒に買いに行くならまだしも、アクセサリーは、好みの物を渡せることは無いと思った方がいい」
「ごめん。だから、返して。悪かった」
「嫌。だって、これわたしが作った物」
「作った?」
「わたし、職人なの」
嬉しくて、マリーは結局泣いてしまった。
ランプを作るには、硝子細工の技術と彫金技術も必要で、練習に金の輪を鳥籠のようにして、中に二色の青を混ぜた硝子を吊るした。好きな金と青の組み合わせで、青空を切り取って入れたつもりだった。
マリーが練習で作った品を、いつもの卸業者のおばさんが、素敵だから売ってみようと言って持っていった。随分経って、売れたと言って金貨をくれた。売れなくて、おばさんが買ってくれたのかと思っていた。
自分が作った物を、いいと思ってくれる人がいる。
「硝子じゃなくて、宝石でも色石でもあったでしょう?」
「揺れると色が綺麗だと思った。男物なら自分でつけたかった」
貴族の令息が宝石でなく、私の硝子を選んでくれた。
あの時のノエルは、追いかけるほど好きな人がいた。婚約させられて、必死だったんだろう。寧ろあの時、婚約破棄してくれて、ここに来て良かったのだと今なら思える。
自分が一番になれなくても、自分が作った物が一番になるかもしれない。
「ありがとう。記念にしたいから、ありがたくもらう」
「僕は、そのペンダントに海をイメージしたんだけど」
「海を見たことがあるの?」
「え、まだ見に行ってないの?」
二人の国には、海はない。
マリーは、いつか見たいと思っていた。




