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ジャガイモ大好き伯爵令嬢は、黒い小間使いが神竜だと知っても揚げ油の温度が大事です  作者: 怒れる布団


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8/21

8、黒い翼

 婚約の挨拶から三ヶ月。


 ブラート伯爵家の書庫は、普段は使用人が埃を払いに来るだけの静かな場所だった。しかしここ数ヶ月、その扉は朝から夕まで閉ざされたままになっており、中では、コンスタンテが床に本を積み上げて、だらしなく寝転がりながら本を読んでいる。


 「……神竜に関する最古の文献は第一王朝期の『天地創造記』。現存する黎明期の写本が三冊。それから民間伝承集……あら、誰ですの?甘い芋、硬い芋特集を混ぜたのは」


 呟きながら、羽根ペンは止まらない。


 コンスタンテはダナの正体について、初めは芋を食べて記憶を失った少し珍しい『森の精霊か、あるいは魔族』の類なのだろうと考えていた。けれど、精霊図鑑をめくっても『人間の姿を完全に保ち、金に光る目を持つ精霊』など載っていなかった。


 さらに、数日前、ダナが、聞き慣れない言葉を口にしたのである。


 その音を聞いた瞬間、コンスタンテは以前、兄と従兄が古代の神竜語について議論していた際に交わしていた発音と酷似していることに気がついた。


 精霊では説明がつかない。魔族の特徴とも一致しない。古い文献を開くたびに、ひとつの仮説だけが消えずに残り続ける。


(まさか、とは思いましたけれど……残る可能性は――神竜?)


 神竜語は、神竜のみが用いると伝えられる言葉だ。


 一度浮かんだ仮説は、調べれば調べるほど合致していった。


 コンコン。


 エイミーが扉を叩いて入ってきた。本の海に埋もれた主人を見て、はあ、と息を吐く。


 「お嬢様。お行儀が悪いですよ。それに根を詰めすぎです……」


 「エイミー、神竜の目撃例をまとめた文献をもっと見たいですわ。図書館に行けばあるかしら?」


 「婚約者のいる令嬢がなさることではありませんね。……私としては不本意ですが、結婚に向けて淑女としての教養を深める時期のはずです」


 「あとでダンスの練習もしますわ。ステップを踏みながらお芋の品種改良を考えられるように」


 「そんな器用なダンスの訓練はなさらなくて良いので、少しお休みになってください」


 コンスタンテはようやく起き上がり顔を上げた。


 「……あのね、エイミー」


 「はぁ」


 「わたくしがリヴァート家に嫁いだら、ダナの記憶を調べてあげられる人がいなくなるかもしれませんわ」


 エイミーは押し黙る。


 「ダナの記憶は、いつか自然に戻ると思っていました。……けれど、どうもそんな簡単ではないみたい」


 視線を落とし、指先で厚い本をなぞる。


 「彼には、本来の居場所があるはずですわよね? ……もっと早く考えるべきでした」


 「……お嬢様」


 「だから、急ぐ必要があるの」


 それだけ言うと、コンスタンテは再び本に視線を戻し、エイミーは無言で頷いて、そっと部屋を出ていく。


 こうして、手元のメモや本を辿り直すと、コンスタンテが集めた手がかりは三つあった。


 ・ひとつは、使用人達から聞いたダナの寝言だ。彼は時折、苦しそうな呻き声や、誰かを呼ぶ声、そして聞いたこともない奇妙な音を口にしていると聞き、その都度、手帳に記してきた。


 (・神竜は人の世界では失われた神竜語を操ると伝承あり)


 ・ふたつめは、四年前に北の村で聞いた古老の話だった。伯爵家が森の別邸にて過ごしていたあの夏、村の外れで「黒い影が空から落ちてきた」という目撃談が複数件あった。それは生き物のように動いていたと、彼らは口をそろえて怯えていた。


 (・過去に神竜が転落し、教会の力を借りて無事に自分の国に帰還した記録あり)


 ・みっつめは、ダナが拾われた日に呟いた「ダナスラル」という言葉。コンスタンテは長い間、それを彼の名だと思っていた。

 コンスタンテは、昨日の夕方に見つけた教会発行の古い文献を改めて開き、手を止めた。


 (・神竜の王族の名に好んで用いられる「ダナティス」は、神竜語において【黒い翼】を意味する)


 「初めて会った日に呟いたダナスラルという言葉。『ダナ』という音が共通している……偶然とは思えませんわね」


 もしこの仮説が正しいのなら――。

 

 コンスタンテは一度頷いて手帳を持ったまま、夕食後の片付けをしているダナを見つけ、声をかける。


「ダナ、少しいいかしら?」


「はい」


「……貴方の記憶の事なのだけれど、少し聞いてもいい?」


 その瞬間、ダナの手が、止まった。

 皿を握ったまま、彼はゆっくりとコンスタンテに向き直る。普段の灰色の瞳が、ぼんやりと焦点を結ぼうとして、奥からあの金色の光が陽炎のように揺れた。


「……き、おく」


「ええ、貴方の……ダナ?」


 ダナの顔から、すっと色が引いた。

 透き通るように白い顔で、彼はそのままぐにゃりとしゃがみ込む。皿が床に落ち、派手な音を立てて割れる。両手で側頭部を押さえ、呼吸が浅く速くなっていく。


「っ……あ……」


「ダナ?」


 コンスタンテが慌ててダナの肩に手を置くと、彼の体が小刻みに震えているのが分かった。


「……頭が、割れる……みたいで……」


「喋らないで!」


 光が消えたような彼の瞳を見て、コンスタンテは迷わず、その頭を強く抱きしめた。そして、彼の耳元で、そっと囁く。


 「ごめんなさい。ダナ。何も考えなくていいわ。眠って」


 穏やかなコンスタンテの言葉が、ダナの意識を優しく包み込んでいく。すると、まるで魔法のようにダナの身体から力が抜け、全身の重みがコンスタンテの腕に預けられた。


「……エイミー!」


 呼ぶ声に応えて、エイミーと、たまたま芋揚げをつまみ食いしに来ていたコンスタンテの兄が飛び込んできて、ダナを長椅子に横たえた。彼の顔はまだ青白かったが、呼吸は落ち着いている。


「……記憶の話をしただけなのに」


「お嬢様、これ以上は……」


 エイミーの痛切な視線に、コンスタンテは静かに頷いた。


「そうね。なんだかよくわからないけれど、今はやめておきます」


 コンスタンテは立ち上がり、割れた皿の破片を拾い集め始める。


 ただ記憶の話をしただけで、これほど苦しそうなんて。


 今まで何度か過去について尋ねたことはあった。けれど、今日の反応は明らかに異常だった。


(何かありますわ)


 胸の奥に、重い石のような不安が沈む。


 長椅子の上で静かに眠っているダナを見ると胸が締めつけられる。


 本当に神竜なのだろうか。


 もしそうなら、なぜ人間界にいるのか。なぜ記憶を失ったのか。


 分からないことばかりだった。


 その時、バリ、という呑気な音が聞こえた。

 振り向くと、長兄のクルストフがテーブルに置いてあった芋揚げをつまみ食いしている。


「クルストフお兄様、その芋揚げ、塩と砂糖を間違えて両方かけたやつです」


「そうなのか? これ美味しいぞ?」


「……え?」


 コンスタンテは顔を上げた。


 兄は平然と二枚目、三枚目を口に運んでいる。


「甘じょっぱい」


「……」


 コンスタンテはしばらく兄を見つめたあと、『砂糖+塩=可能性あり』と手帳に書き留めた。

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