27、健気な我慢はここまでです。芋揚げ令嬢、反撃開始
屋敷へ戻ったその夜。
コンスタンテは重厚な木扉をノックし、父の書斎へと呼び出された。
室内では、父であるブラート伯爵と、兄のクリストフが厳しい表情で彼女を待っていた。
「お前、今日、舞踏会でマリスに恥をかかされたそうだな」
兄は開口一番、硬い声でそう言った。
コンスタンテは僅かに肩を竦め、自身のドレスの裾に視線を落とす。
「……随分と、報告が早いですわね」
「ここのところ、お前とマリス殿の間に流れる不穏な空気は、嫌でも耳に届いていたからな」
クリストフは父の傍らで深く息を吐き出した。
「コンスタンテ。お前は大きな勘違いをしている」
「勘違い……? 」
「お前はもう、とっくに我が領地への義務を果たしているということだ」
予想だにしなかった言葉に、コンスタンテはぱちくりと目を瞬かせた。
父のブラート伯爵が、何も言わずに机の上へ数枚の分厚い帳簿を広げる。
「これを見ると良い」
そこにあったのは、領内各地から集められた最新の売上報告書だった。
「芋揚げの受注書、加工用じゃがいもの栽培面積は二倍、農家の平均所得は三割増」
兄は帳簿を指で叩いた。
「全部、お前が始めたことだ」
コンスタンテは言葉を失った。
「ですが……それだけでは……」
「それだけ?」
兄が呆れたように苦笑した。
「公爵家からの融資額を改めて計算してみたんだ」
クリストフは、さらに一枚の新しい書類を差し出す。
「来年以降の、芋揚げ事業における税収増加予測だ」
コンスタンテは書類の数字を追い、やがてその目を見開いた。
「……え?」
「三年だ。わずか三年でお前の事業は、公爵家からの融資額を上回る利益を叩き出す」
兄は妹の目を真っ直ぐに見据え、断言した。
「つまり我がブラート家は、これ以上リヴァート公爵家に依存する必要がなくなる」
机の奥から、父である伯爵も静かに口を開く。
「コンスタンテ」
「はい、お父様」
「お前はあの男との結婚を維持しようとしているが……もう、その必要はない」
「で、でも、公爵家との繋がりを無下にしては」
「ならば聞こう」
伯爵は立ち上がり、父親としての眼差しを娘へと向けた。
「自分の大切な娘を踏みにじるような男に、嫁に出したい親が、この世にいると思うのか?」
コンスタンテは、言葉を詰まらせた。
マリスの冷淡な顔が脳裏に浮かぶ。
――従え。
――黙っていろ。
――俺を不快にさせるな。
思い返せば、それは決して対等な同盟などではなかった。
「お前がそのまま嫁げば」
兄の声が冷徹に告げる。
「いずれお前の進めた芋揚げ事業は公爵家に取り上げられ、お前自身はただの籠の鳥にされるのがオチだ」
「お兄様……」
「だいたい、マリス殿ならお前と気も合うだろうと思って勧めた婚約だったんだがな」
父は忌々しそうに肩をすくめた。
「マリス殿と聖女候補の娘についても、すでに裏では色々と噂が立っている」
その言葉に、コンスタンテの眉がピクリと顰められた。
「噂、ですか?」
「ああ、先月の慈善晩餐会、王都南区の孤児院訪問、それに大聖堂の礼拝。常に一緒らしい」
クリストフは淡々と冷ややかに答えた。
「それが彼の『答え』なんだろう」
コンスタンテは完全に言葉を失った。自分には完璧さを求めながら、マリスは他の女と歩調を合わせている彼の身勝手さに、胸が冷えていく。
伯爵が包み込むような声音で口を開いた。
「コンスタンテ」
「はい……」
「お前は相手を信じすぎる」
伯爵の静かな声が、コンスタンテの胸の奥深くに突き刺さる。
「だから、自分がほんの少し我慢すれば、すべてが丸く収まると思ってしまうのだろう」
コンスタンテはゆっくりと俯いた。
領地のため、家のため、それが貴族の義務だと自分に言い聞かせて耐えてきた。マリスの小言も、「彼を本気で愛せない自分に非があるのだ」と、どこかで思い込もうとしていた。彼が見下すような態度を取るのも、言葉の端々に潜む支配のトゲも、いつか自分が彼を受け入れられれば、気にならなくなるはずだと。
だが、今日だけは違った。大勢の面前での、あの侮辱。あれは、彼女の誇りだけでなく、彼女の愛するブラート家そのものを愚弄する行為だった。
「コンスタンテ」
兄が再び、今度は柔らかい声で呼ぶ。
「俺はお前があの得体の知れない『芋揚げ』で商売を始めた時、正直に言えば、絶対に失敗すると思っていた」
「お兄様ったら、失礼ですわね」
「だが、俺の間違いだった」
クリストフは自嘲気味に苦笑した。
「お前は次期領主である俺よりもずっと、領民の負担を減らしてみせた。俺よりも遥かに素晴らしい結果を出したんだ。ブラート家の人間として、これ以上ない誇りだよ」
コンスタンテの喉が、きゅっと詰まった。
書斎に、柔らかな静寂が落ち、コンスタンテの大きな瞳が、引き止められない感情の波に揺れていた。
伯爵もまた、静かに、しかし絶対の信頼を込めて頷いた。
「仮に今回の件で公爵家との関係が悪化し、圧力をかけられようとも構わん。領地は我らの手で守れる」
伯爵は我が子たちを前に、力強く断言した。
「ブラート家は、お前ひとりを犠牲にしなければ成り立たないほど弱くはないのだ」
気づいた時には、視界が滲んでいた。
張り詰めていた心の糸がぷつりと切れ、大粒の涙が彼女の白い頬を滑り落ちていく。
それを見たクリストフが、わざとらしく呆れたように笑った。
「おいおい、泣くな」
「泣いてなどいませんわ」
「思いっきり泣いてるじゃないか」
「これは……目の油ですわ」
「目から油、だと……? お前は本当に、詩的才能だけは皆無だな」
涙を流しながらも必死に負け惜しみを言う妹を見て、父と兄は一瞬だけ目を合わせ、同時に吹き出した。
冷たい打算の入り込まない、心からの穏やかな笑い声が、温かく書斎を満たしていく。
その笑い声の最中、コンスタンテはふと涙を拭い、毅然とした表情で顔を上げた。
「お父様」
「うむ、なんだ?」
「婚約破棄の申し出は、わたくしたちからではなく、マリス様の方からしていただきましょう」
伯爵は驚いたように目を丸くした。
しかし、その意図を察したクリストフが、ニヤリと悪戯っぽく口元を歪めて頷く。
「なるほど。向こうの非による婚約破棄として、莫大な慰謝料をふんだくる要求をする訳だな?」
「お兄様、お話が早くて助かりますわ。その通りです」
それを見た父は、可笑しそうに肩を竦めた。
「やれやれ。お前たちは、こういう悪巧みの時だけは本当にそっくりだな」
コンスタンテは涙の跡を残したまま、今度はいつもの、笑みを浮かべた。




