26、当て馬にされたはずの私、完璧な貴公子に手を引かれて
王都でも名高い侯爵家が主催する舞踏会。
大広間には無数の魔導灯が煌々と灯され、美しく磨き上げられた大理石の床の上を、きらびやかなドレス姿の貴族たちが埋め尽くしていた。
そんな華やかな熱気から隠れるように、控え室の鏡の前で、コンスタンテは小さくため息をついていた。
今日のドレスは、婚約者であるマリスから着用を命じられたものだ。王都で今最も人気のある高級デザイナーが仕立てた、流行の最先端を取り入れた淡い桃色のドレス。確かに意匠は素晴らしい。
だが。
「……着心地はよくありませんわね」
お世辞にも快適とは言えない肌触りに眉をひそめると、背後に控えていた侍女のエイミーが無言のまま、コンスタンテの腹をムニムニと両手で掴んだ。
「ちょっと、なんですのエイミー。くすぐったいですわ!」
「いえ。お嬢様の『芋揚げ研究』の成果が、大変順調に蓄積されているのだなと思いまして」
「必要な事なのですわ!」
コンスタンテは憤然と胸を張った。しかし、確かに、ウエストを成長させようと努力した結果が現れてきていて、胸を張るとさらに苦しくなった。
ほんの少しだけ、先ほど食べ過ぎた芋揚げを後悔した。
そんな不安を抱えたまま、いざ舞踏会場へと足を踏み入れ、中央のフロアへ進むと、嫌な予感は見事に的中した。
「まあ……」
「あれをご覧になって……」
会場のあちこちから、ひそひそとした好奇心に満ちた囁きが聞こえてくる。
人だかりの中心にいたのは、聖女候補のカナだった。
あろうことか、コンスタンテと全く同じデザイン、まったく同じ色のドレスを着ている。
しかし、決定的に違ったのは、その体型だった。
カナの身体は細く、流行のドレスはその華奢なラインにぴたりと沿い、彼女の美しさを引き立てている。
カナはコンスタンテの視線に気づくと、可憐に小首を傾げて微笑んだ。その視線が一瞬だけコンスタンテのふっくらとした腰回りに落ち、満足げに細められる。
その瞳は、雄弁に嘲笑を物語っていた。
コンスタンテは、うんざりしながら扇を開く。
「奇遇ですわね、カナ様」
「本当にお恥ずかしいわ、偶然ですのよ? コンスタンテ様」
「そうですか」
偶然なわけがない。マリスから聞いたのだ。そう推測するが証拠はなかった。
(まったく、あの婚約者はどんどんカナの言いなりになっておりますわね。最近は嫌がらせまでしてきて何をどうしたいのかしら)
あまりのくだらなさにコンスタンテの心は急速に冷めていく。
さらに追い打ちをかけるように、開会の厳かな演奏が始まるとマリスは、婚約者であるコンスタンテには一瞥もくれず、真っ直ぐにカナの前へと進み出る。
「カナ。最初の踊りを私と」
差し出される彼の手を見て、会場が完全にざわついた。
正妻となるべき婚約者を壁際に残し、別の女をファーストダンスに誘う。それは貴族社会において、誰の目にも明らかな「侮辱」だった。
音楽が始まり、会場の中央で踊り始める二人。
周囲から突き刺さるような視線が痛い。自分が比較され、嘲笑されていることくらい、嫌というほど分かった。コンスタンテは静かに視線を落とし、ぎゅっと扇を握りしめる。
冷ややかに見つめてはいるものの、公衆の面前で泥を塗られたのだ。ほんの少しだけ、押し殺した胸の奥がちくりと痛んだ。
「相変わらず、あの馬鹿の審美眼は腐っていますわね」
毅然と佇むコンスタンテの隣から、気遣わしげな声がかけられた。
振り返ると、そこには親友であり、王子の婚約者でもある侯爵令嬢のレイチェルが立っていた。
レイチェルはコンスタンテの肩を優しく叩く。
「気になさることはありませんわ、コンスタンテ。あなたがどれほど気高く美しいかは、この私が一番よく知っていますもの」
「レイチェル……」
その言葉に続くように、もう一人の親友である、おっとりとした子爵令嬢のマリアがふわりと歩み寄ってきた。
マリアは両手を胸の前で合わせ、大きな瞳をさらに優しく和ませながら、コンスタンテの手をそっと包み込む。
「そうですわ、コンスタンテ。レイチェルの言う通りです。……それに」
マリアは周囲に聞こえないよう、声を潜めてコンスタンテの耳元に口を寄せた。
「カナ様のあの細いお体……ドレスを美しく見せるために、コルセットを限界まで締め上げすぎですわ。あんなに顔色を悪くされて……。ダンスの途中で倒れてしまわないか、わたくしハラハラしてしまいます」
マリアは心底心配そうに、フロアで踊るカナを見つめた。彼女には悪気など微塵もなく、純粋に体調を案じているのだ。
「それに比べて、コンスタンテはお肌も髪も艶やかで羨ましいわ」
「マリア……」
友の温かい言葉に、コンスタンテの凍りついた心がふわりとほどけていく。
その時、大広間に一段と大きな歓声が上がった。
王国の第一王子が、麗しい微笑みを浮かべてレイチェルの前へと進み出たのだ。
「行ってきて、レイチェル」
コンスタンテが微笑むと、レイチェルは
「ええ、最高のダンスを見せつけてやりますわ」
と不敵に笑い、王子の手を取った。
残されたマリアのもとにも、婚約者候補たちが次々とダンスの申し込みにやってくる。
フロアの中央では、王子とレイチェルが息の合った、圧倒的に洗練されたファーストダンスを披露していた。
その清廉な美しさに、コンスタンテがようやく小さく笑みをこぼした、その時。
「――お嬢さん。一曲、お願いできますか」
背後から、低く心地よい声がかけられた。
振り返ると、そこには見覚えのない青年が立っていた。
流れるような金色の髪に、神秘的な翡翠の瞳。年齢は二十歳ほどだろうか。
「え、わたくし、ですか……!?」
思いがけない不意打ちに、コンスタンテは思わず素っ頓狂な声を上げていた。
黒の礼装を纏ったその姿は、会場中の令嬢の視線を集めるほど美しい。
正直に言えば、マリスなど比較にもならないほどに。その青年がそっとコンスタンテの耳元で囁いた。
「僕です。ダナです」
コンスタンテはきょとんと瞬きをしてもう一度見上げる。
金髪。緑の瞳。完璧な美男子。
(なるほど。レイチェルがダナに幻惑魔法をかけましたのね)
余計なことをしたレイチェルにコンスタンテが視線を投げるとその視線に気がついた彼女は思わせぶりに笑ってから、さっと視線を王子に戻した。
そのお節介にコンスタンテは苦笑しながらも感謝する。
「よろしくお願いしますわ」
コンスタンテが手を重ね、音楽に合わせて踊り始めた。
驚くほどスムーズな足運びも、姿勢も、こちらを気遣うエスコートの手つきも、完璧だった。
「練習したの?」
「少しだけ」
「少しでここまで踊れませんわ」
「う~ん。なぜかダンスの基本は知っていたんですよね」
くるり、と彼のリードでターンを回る。
見事なステップ。さらに激しくなる曲調に合わせて、もう一回ターン――。
その瞬間だった。
盛大に、コンスタンテがダナの足を踏み抜いた。
ぎゅむっ。
「……あ」
コンスタンテが固まる。
「ゴメンナサイ!」
普通なら痛いはずだった。しかし、青年姿のダナは困ったように眉を下げて笑う。
「お嬢様なんて小鳥の羽みたいなものですよ」
そのまま、彼女の腰を白い手でしっかりと支え、ふわりと彼女の身体を宙へ舞い上げた。
淡い桃色のスカートが、まるで大輪の花のようにフロアに広がる。
(……ダナ……!?)
視界が回り、会場の光が綺麗な帯になって流れていく。コンスタンテの目に映るいつもとは違うダナの顔。しかしその優しい目だけは、どんな幻術をかけてもまるで変わらない。
コンスタンテの胸が小さく跳ねた。
そして気がつけば、笑っていた。
先ほどまで感じていた冷めた屈辱も、ドレスの着心地の悪さも、全部どこかへ消えている。
会場の反対側、踊っていたカナがその圧倒的な光景に気づいた。
「……誰ですの、あの殿方」
思わず声が漏れた。あれほど目立つ青年を見逃すはずがない。しかも、コンスタンテがあんな顔で笑っている。
マリスも視線を向ける。眉間に深い皺が寄った。
なぜだ。婚約者を無視したのは自分なのに、別の男の腕の中で誰よりも輝いている彼女を見た瞬間、胸の奥が妙に激しく苛立った。
曲が終わる。大きな拍手が響いた。
「ありがとうございました、貴公子様?」
コンスタンテが完璧なカーテシーをする。その時。
人混みをかき分けて、カナが甘ったるい笑顔で近づいてくる。
「素敵な踊りでしたわ」
そして、ダナへすっと手を差し出した。
「次は私と踊っていただけません?」
周囲の令嬢たちが息を呑む。聖女候補からの誘いなら、断る者などいないはずだった。
だが。
「申し訳ありません」
ダナは、カナの手を一瞥することすらなく、冷淡に即答した。
「お断りします」
会場が水を打ったように静まり返る。
カナの笑顔が凍りつき、みるみるうちに引きつっていく。
「え……?」
ダナは二度と答えなかった。その代わりに、呆然とするカナを完全に無視して、優しくコンスタンテの手を取った。
「行きましょう」
「ええ、そうね」
次の瞬間、ダナは屈辱に顔を歪めるマリスとカナをその場に置き去りにし、コンスタンテを連れたまま、堂々と大広間を後にしたのだった。




