25、勘違いがとまらない
図書室事件の数日後。
カナは夜中に目を覚まして震えていた。
あの時みた、黄金の瞳。燃え盛る炎。暗闇に引っ張られるような恐怖。
「……っ」
思い出しただけで、全身が冷たくなる。
聖女候補である自分が、これほどまでに怯えるなどあってはならない。
光に選ばれた者は何者にも屈しない心があるはず。それなのに。
「あれは……何でしたの……」
カナは震える指を握り締める。
奇妙なことに、普段のダナ本人からはあの時のような邪悪さは感じたことがなかった。
人ならざる何かを思わせる不思議な気配は確かにある。 だが、それは恐怖ではなく、むしろ温かさや安心感に近いものだった。
そんな彼が図書室で、あれほど苦しそうにしていた姿を思い出し、カナは眉を曇らせた。
「まるで、自分でも何も知らないみたいでしたわ……」
記憶喪失と出自不明。人間離れした美貌。あるいは、あの異様な力。
断片的な情報が、頭の中で急速に繋がっていく。
「まさか……」
カナは息を呑んだ。
古い聖典や伝承に語られる、人ならざる種族。
人間と変わらぬ姿を持ちながら、遥かに強大な力を秘めた存在。
「魔族……?」
その言葉を口にした瞬間、不思議なほど腑に落ちた。
そうだ。彼は普通の人間ではないのだ。
カナには確かに聖女としての資質があった。
人ならざる存在の気配を感じ取り、その力の一端を察知するだけの感覚も持っている。
だが、本来なら長い修練と学びによって磨かれるはずの力は、彼女の怠惰によって十分に育っていなかった。
そのため感じ取った情報を正しく読み解くことができず、いつも自分に都合の良い答えへ飛びついてしまう。
今回もまた、彼女は真実の断片だけを掴み、その意味を盛大に取り違えていた。
カナは寝巻きの襟口をきゅっとただした。
彼が人間でない事は罪ではない。
魔族だから悪いのではなく、問題はやはりコンスタンテにある。
カナの脳裏に浮かんだのは、図書室で自分を激しく睨みつけたコンスタンテの姿だった。
どうして彼女は、あれほど必死にダナを庇ったのだろう。
どうして真実を隠そうとしたのだろう。
考えれば考えるほど、一つの結論へ辿り着く。
「コンスタンテ様は、全部知っているのでは……?」
ダナが何者なのか。どこから来たのか。なぜ記憶を失ったのか。その全てを。
だから知られたくなかった。
だから自分を止めたのだ。
「まさか……利用しているの……?」
その考えが浮かんだ瞬間、カナの胸に強い怒りが込み上げた。
記憶を失った、人ならざる力を持つ青年。
行く当てもなく、頼れる者もいない彼を、コンスタンテは自分の従者として囲い込み、都合よく使っているのではないか。
だから過去を思い出させたくないのではないか。
だから誰にも近付かせないのではないか。
「そんな……なんて酷いことを……」
カナは寝台の上で首を振った。
もしそうなら。
彼はあまりにも哀れな被害者だ。
「助けなければ……」
カナは寝台の上で、強く呟いた。
ダナは自分が何者かも知らない。どこへ帰るべきかも知らない。だからこそ、誰かが導いてあげなければならない。
「わたくしなら……」
きっと彼に真実を教えてあげられる。正しい居場所を与えてあげられる。
もし彼が本当に人ならざる存在なら、その力は、もっと聖女となる自分のために使うべきだ。光の奇跡を持つ、聖女のために。
「きっと、ダナ様もそれを望まれますわ」
カナはそう確信した。
コンスタンテなどに仕えるよりも、自分に傅くほうが、きっと幸せな未来なのだから。
◇
「マリス様。私、全てを理解してしまいましたの」
人気の無い放課後の教室。カナは周囲を警戒するように声を潜め、マリスに顔を近づけた。
「何の話だ?」
不機嫌そうに返すマリスに、カナは確信に満ちた瞳で告げる。
「ダナ様の正体ですわ。彼は、人間ではありません」
マリスの眉が跳ね上がった。鼻で笑い飛ばそうとして、しかし喉の奥でその笑いが止まる。
脳裏に蘇るのは、図書室で目撃した、あの常軌を逸した威圧感。あれは、人間が纏える気配ではなかった。
「……馬鹿げている」
そう呟きながらも、マリスの声には確信が持てていなかった。
「……根拠はあるのか」
「コンスタンテ様は最近、神殿の魔法陣や古代の召喚術について熱心に調べていらっしゃいます。そして、ダナ様は記憶喪失。あの異常な力。あの黄金に光る瞳……」
カナは痛ましそうな表情を作り、胸に手を当てた。
「コンスタンテ様は、禁忌である魔族の召喚に手を染め、ダナ様を縛り付けて利用していらっしゃるのですわ!」
「利用?」
「ええ! だってコンスタンテ様は、いつもダナ様を従えているでしょう? きっと、何か恐ろしい契約を結ばされているのですわ」
「なるほど」
「可哀想ですわ。人ではないからと道具のように扱われて」
カナの脳内では、ダナは「悪女に囚われた哀れな被害者」であり、自分たちは「彼を救い出す光の救世主」に完全に入れ替わっている。
マリスにもその言葉は、これまで胸の奥に燻っていた不快感を綺麗に説明してくれた。
コンスタンテのことが気に入らなかったのは、彼女が傲慢だったから。
ダナが気になっていたのは、彼が救いを求めていたから。
すべては正義のためだった。
マリスの口元が、ゆっくりと満足げに歪んだ。
「なるほど、カナ。その考えは辻褄が合う」
マリスはクククと低く笑った。
「あの男がコンスタンテに酷い扱いを受け、心ならずも従わされているというのなら……、正義の家系たる我が公爵家と、未来の聖女であるお前が、彼を呪縛から解放してやるべきだな。それなら、哀れな彼は私たちに恩義を感じるだろう」
「ええ、そうですわマリス様! 私たちが彼を救ってあげましょう!」
二人の妄想は、自分たちこそが邪悪な陰謀を挫くための聖なる行いだと信じて疑わない。
そこからの行動は迅速だった。
神殿の極秘資料、古代神竜の伝承、禁書庫に眠る古い記録。二人は次々と古い書物を開いては、目当ての一文だけを指差し、顔を見合わせて頷き合った。
「見ろ、ここに『契約により縛られし者は、主に絶対服従す』とある」
「まあ、やはり! ダナ様はコンスタンテ様の奴隷も同然ですのね!」
二人は都合の悪い記述には目もくれず、自分たちの筋書きに合う一文だけを拾い集めていく。
「よし、これでコンスタンテの化けの皮を剥ぎ、その悪事を白日の下に晒してやれる」
山積みの資料を前に、マリスは満足げに頷く。
「決行は、卒業式後の聖堂での礼拝だ。まだ時間があるからきっちりと準備をして臨もう。全校生徒、そして神殿の幹部たちが集まる最高の舞台。そこでダナの契約を暴き、コンスタンテを告発する!」
「素敵ですわ、マリス様! もしコンスタンテ様の指示でダナ様が私たちに襲いかかってきても、聖堂にいる司祭様たちの清らかな神聖魔法が、正義なる私たちを絶対に守ってくれます!」
「その通りだ! 悪女には天罰を、哀れな魔族には救済を。実に、完璧だ!」
互いの手を取り合い、恍惚とした表情で笑い合うマリスとカナ。
彼らはまだ知らない。
自分たちが告発しようとしている相手が、魔族ですらないことを。
まして。
世界で最も怒らせてはいけない存在であることなど。




