22、じゃがいも一万個の刑
就寝前。
コンスタンテは自室の姿見の前で、薄衣の寝巻きに包まれた全身をじっと見つめていた。
おもむろに、自身の横腹を親指と人差し指でつまんでみる。
「……」
沈黙。
さらにもう一度、今度は少し深くつまみ直した。
「――計画通り」
感情を削ぎ落としたその呟きに、傍らで見守っていた侍女のエイミーはたまらず心配の声を上げた。
「毎日お菓子を二人前も平らげて、お腹周りを育てるのが『計画』なのですか?」
「計画通りというのは違いましたわね。思ったよりもスピードが遅いです。まだ、お夕食後のタルトと芋揚げが足りないのかしら……」
コンスタンテの瞳は、至って真剣だ。
すべては卒業式と同時に行われる大礼拝に仕掛ける、大博打のため。作戦を成功させるには、どうしても目標とするウエストの「厚み」が必要なのだ。
エイミーとて、その理屈も必要性も頭では理解している。だが、一人の令嬢の侍女としては、主のこの計画に少々、いや、大いに賛成しかねた。
「お嬢様。……その、お腹が、プニっとしております」
「……そうね」
「プニっと」
「聞こえてますわよ」
コンスタンテは鏡に映る自分の頬に手を添えた。以前より、丸みを帯びた輪郭。
「わたくし」
ぽつり、と寂しげな呟きが落ちる。
「昔から、太る才能だけはありませんでしたの」
「存じております。どれだけお食べになっても、いつもすっきりされていて、社交界の令嬢方から羨望の的でしたのに」
「それが、こんな形であだになる日が来るなんて思いもしませんでしたわ」
コンスタンテは恨めしそうに振り返る。
「エイミー、明日からはお夕食の量を、もっと増やしてちょうだい」
「お断りします」
「ひどいっ」
そんな主の姿をしばらく見つめていたエイミーは、諦めたように小さく息を吐いた。
「……ですが、ダナを彼の家族のもとへ無事に返すためには、どうしても必要なことなのですね」
「ええ」
コンスタンテは再び鏡に向き直る。
高貴な令嬢として、決して褒められる変化ではない。それでも――。
「後悔は、微塵もしておりませんわ」
ふっと満足げに微笑んだ。しかし、エイミーは主のそんな健気さが、少しだけ歯痒かった。だから、わざと意地悪な質問を投げかけてみる。
「お嬢様」
「なんですの?」
「本当は……少しくらいは、男性に綺麗に見られたい、とは思われませんの?」
一瞬の静寂の後、コンスタンテの耳たぶが、みるみるうちに鮮やかな朱に染まった。
「や、やっぱり……体表面積の広い女は、その、男性からは嫌がられますわよね……っ!?」
「誰かにそう思われるのが嫌なんですか?」
「……っ、いいえ! やっぱりこれで良いのですわ! ダナのご家族が味わってきた、これまでの辛さに比べたら、体重の数キロやウエストの数センチ増など、大したことありませんもの!」
自分に言い聞かせるような横顔を、エイミーは愛おしさと切なさが混ざった目で見つめる。
(婚約者でもない、いずれ別れることが決まっているダナのために、そこまで懸命になるなんて)
本当に優しい人だ。
普通の令嬢なら、爪の先ほども考えないだろう。他人のために進んで体重を増やすなど。
(まあ、あの朴念仁の少年が、本当にお嬢様をどう思っているのか、一度しっかり問い詰める必要があるわね。もしもろくでもない答えが返ってきたら――じゃがいも一万個、不眠不休で剥かせてやるわ)
◇
翌日の午後。
柔らかな日差しが差し込む屋敷の厨房で、ダナは真剣な眼差しでパチパチと音を立てる鍋を見つめていた。
最近、彼が熱心に研究している「香草芋揚げ」である。
「どうしても、芋を入れた瞬間に油の温度が下がってしまうな。これでは、お嬢様が求める『パリリ』とした軽快な食感にならない……」
腕を組み、独りごちるダナ。そこへ、
「ダナ」
聞き慣れた声が響き、彼は振り返った。厨房の入り口に、エイミーが立っている。
「エイミーさん?」
「聞きたいことがあるんだけど?」
その瞳は、どこかダナの品定めをするように細められていた。
「何でしょうか」
エイミーは念のために周囲を見回し、他の料理人や使用人がいないことを確認してから、一歩ダナに近づいた。
「ねえ。最近のお嬢様、少し食べ過ぎだと思わない?」
「そうですね。以前に比べて、明らかに食事の量が増えています」
あっさりと認めたダナに、エイミーは思わず噴き出した。
「やっぱり、気がついていたのね」
「気づかない方が不自然です」
ダナは真顔で、心底から心配そうに眉根を寄せた。
「昼食後と夕食後に必ずお菓子を召し上がり、その後にさらに、僕の作った芋揚げを召し上がっていますから」
「芋揚げに関しては、前から食べ過ぎだった気もするけれど?」
「それでも、以前は召し上がる時間を厳格に守っておられました」
ダナはふう、と息をつく。
「……何か、強いストレスでも抱えていらっしゃるのでしょうか」
「まあ、ストレスと言えばストレスね」
エイミーは小さく頷く。コンスタンテが背負っている計画の重圧を思えば、間違いではない。
「でもね、それが原因で食べているわけじゃないのよ」
「なら、一体なぜ……?」
「さあねぇ」
エイミーは思わせぶりに肩をすくめた。
パチパチと油の爆ぜる音だけが、二人の間に流れる。
やがて、エイミーは何気なさを装った口調で、核心の問いを投げかけた。
「ねえ、ダナ。貴方はさ……ふくよかな女性って、嫌いかしら?」
「嫌い、とは?」
あまりに唐突な質問に、ダナはぱちくりと目を瞬かせた。
「だから、例えばの話よ。今よりももっとお嬢様が太ってしまわれたとして、貴方はお嬢様に幻滅したりする?」
ダナは数秒、真面目に考え込んだ。そして、本気でどう答えるべきか困り果てたような顔になる。
「何故、幻滅などする必要があるのですか? 体型が変わろうとも、コンスタンテお嬢様が『お嬢様』であることに変わりはありません」
「……」
「それに、僕はむしろ、お嬢様はもっとお召し上がりになるべきだと思っています。……芋揚げ以外を、ですが」
「そこ?」
「お嬢様は、お忙しくなるとすぐに食事を抜いて、芋揚げだけで済ませようとされますから。健康が心配です」
エイミーはまた、噴き出しそうになって口を手で押さえた。この少年の視点は、どこまでも愚直で、そしてお嬢様の身体の心配ばかりだ。
「じゃあ、もっとよ? すごく、すごーく太ってしまったら? 言葉は悪いけれど、いわゆる『デブ』になってしまわれたら?」
「デブ……」
ダナはその言葉を一度反芻し、それから窓の外へ視線を向けた。
よく晴れた庭園の向こう。コンスタンテが、庭師や使用人たちと何事かを楽しげに談笑している姿が見える。いつもと変わらない、周囲をパッと明るくするような、ひだまりの微笑み。
ダナが静かに口を開いた。
「確かに、食べ過ぎて健康を害されるのは困ります。ですが、体調に問題がないのであれば、お嬢様には好きなものをたくさん食べて、いつもそうやって笑っていてほしいです」
「ダナ……」
「ですから、たとえお嬢様がマッコウクジラのようなお姿になられたとしても」
「……その例えを年頃の女性に使うのは本当にやめなさい」
「では、冬眠前のクマさんのような……」
「ちっとも改善されてないわよ」
エイミーのツッコミを浴びながらも、ダナの目元は優しく和んでいた。
「お嬢様には、領民を想う温かい心があります。困っている人がいれば、我が身を省みずに手を差し伸べる強さがあります。そんなお嬢様なら、たとえどんな体型になられようとも、僕はお嬢様を『世界で一番美しい方』だと思います」
少年は、照れる様子もなく、当然のことのようにそう言って微笑んだ。
エイミーは、彼の独特すぎる動物の例えには複雑な思いを抱きつつも、言葉の裏にある「絶対的な肯定」に、それ以上何も言えなくなってしまった。
やがて、降参したように小さく息を吐く。
(……どうやら、この子も『無自覚』のようね)
お嬢様がどれだけ着飾ろうが、どれだけ痩せようが、あるいは太ろうが。
この少年はお嬢様の外見ではなく、その「心根」を、魂の形をそのまま愛しているのだ。
エイミーは、呆れ半分、愛おしさ半分の苦笑を漏らした。
「……本当に、あんたが貴族ならよかったのにね」
ダナは不思議そうに首を傾げる。
「何がですか?」
「ああいうお方はね」
「?」
「贅沢な暮らしや、きらびやかなドレスがなくても、隣に信頼できる人がいれば、それだけで笑って生きていけるお方なのよ」
ダナは言葉を不思議そうに、黙って聞いている。
「だからこそ、困るのよね」
じゃあね、と告げてエイミーは厨房を後にした。
きっとお嬢様は知らない。
自分がどれだけ「表面積」を気に病んでいようとも、この少年には、そんな心配などまるで必要ないのだということに。




