20、誰にも怪しまれない方法を
コンスタンテはふたたび、侍女のエイミーを伴って王都の魔法研究院にいる賢者ロザリオの元を訪れた。扉を開けるなり、彼女は激しくまくしたてる。
「ロザリオお従兄様、私なりに水晶の中の魔法陣の映像を解析してみたのですけれど……結論から申し上げますと、完全にお手上げですわ!」
コンスタンテは持参した紙束を机に叩きつけた。そこには、びっしりと魔法陣の計算式と作成計画が書き殴られている。
紫の髪を一つに束ねたロザリオは、机の上の紙束と、コンスタンテの目の下に浮かぶ薄い隈を交互に見つめた。
「だから……挨拶くらいしなさいと言っているだろう」
「お従兄様、ご機嫌よう。それでですね」
「数ヶ月前の『発狂する』という俺の警告が、君を少しは慎重にさせるかと思ったのだけど。どうやら逆効果だったね。より一層火がついてしまったようだ」
「慎重になった結果ですわ! 強引に記憶の蓋をこじ開ければ発狂する。ならば、ダナには秘密で、何も知らせず『本来の世界へ送還する準備』をするしかないでしょう? ちゃんと手順を踏めば、ダナを苦しませずに記憶を戻せますのよね?」
すがるようなコンスタンテの言葉に、ロザリオは苦笑混じりの短い息を吐いた。彼は机の上の紙束を脇に退けると、背後の書架からひときわ古びた、分厚い革装丁の書物を取り出す。
「結論から言うと、戻るよ。ただし、それには前にも言った通り、『正しい手順』と『舞台装置』が絶対条件だ」
ロザリオは分厚い書物を机に広げ、複雑に描かれた古い魔法陣のページを指し示した。
「強引に脳内の記憶をこじ開けようとするから精神が崩壊するんだ。そうではなく、本人が持っている『本来の記憶の記録』を、外側から呼び覚ませばいい。……そのために必要なのが、この『魔法陣』と、大聖堂の『水鏡』だ」
ロザリオはモノクルを調整しながら、真剣な眼差しをコンスタンテに向ける。
「手順はこうだ。まず、魔法陣を水鏡に映す。それから送り返したい対象者を思い浮かべて、力のある魔法師が全霊で祈る」
「力のある魔法師……?」
コンスタンテが数度瞬いた。
「ああ。高位魔法師でも可能だが、成功率を考えるなら、最も適しているのは『聖女』だろうね。この儀式で重要なのは、誰を呼び覚ましたいのか、その存在をどれほど強く思い描けるか、相手を思う『気持ち』が鍵になるんだ」
ロザリオが水鏡の図面を指先でなぞる。
「なんだか、恋愛小説みたいなお話ですね」
エイミーが感心したように呟いた。
「実際、聖女の奇跡というものはそういうものだよ」
ロザリオは軽く肩をすくめる。
「もちろん、儀式を安定させるための魔力も必要だ。この儀式を行うなら、沢山の参拝者から流れ込む微量の魔力を利用できる大礼拝の日が望ましいだろうね」
そういって意味深な視線をコンスタンテへと戻した。
「おとぎ話ついでに教えてあげよう。そもそもその『水鏡』はね、かつて記憶を失くしてこちら側に迷い込んだ『竜』が、元の世界へ帰る際に贈ってくれたものなんだ。自分と同じ迷い子がいたら、どうか帰してあげてほしい、とね。
当時の魔法師は、その竜の願いを叶えるためにあらゆる術式を編み込み、この『魔法陣』を完成させた。いわば、迷える竜のための帰路の案内図さ。だからこそ、起動にはそれなりの器を持った魔法師が必要になるんだけどね」
ロザリオはそこで言葉を区切り、ふっと視線を落とした。
「……儀式が成功すれば、ここでお別れになる。コンスタンテ、君はそのお気に入りの子がいなくなっても、それで良いのかい?」
背後のエイミーが、ハッとして息を呑む。しかし、コンスタンテの瞳に迷いはなかった。
「もちろんですわ。初めて会った時、ダナはお父様の声だけは覚えていましたもの。きっと、向こうの世界でご家族が心配されていますわ」
ロザリオは静かに本を閉じると、愛おしそうにコンスタンテの頭を撫でた。
「そうか。君にそれだけの覚悟があるのなら、俺の得意分野だ。魔法の力、存分に見せてあげよう」
ロザリオがコンスタンテの持っていた水晶に指先を触れ、自分の魔力を流す。
すると、薄暗い研究室の空間に、水晶の中の魔法陣の映像が淡く発光し、白い光の粒子が立体的な映像を三人の目の前に結んだ。
「まあ……」
エイミーが、思わず感嘆の声を漏らす。
さらに光の粒子は、水晶の中の魔法陣から言葉を読み解くように、黎明期を描いた美しい歴史物語を宙に映し出した。
中心には、巨大で美しい竜が翼を広げている。その周囲を、見たこともない複雑な幾何学模様が、まるで生きているかのようにするすると帯をなして流れていく。それは圧倒的な密度の情報だった。
「これが魔法陣に『神竜の文字』で刻まれている、世界の始まりの物語だ。子供の頃、一度くらいは聞いたことがあるだろう?」
ロザリオが静かに告げる。
「序章で描かれているのは、世界の始まりと神竜ヴァートの誕生。つまりこの魔法陣は、神竜の歴史と人間界との繋がりそのものを記しているのさ。……だが、これほどの規模を書き写して持ち歩いてみろ。大司祭に見つかれば即座に没収、下手をすれば魔法陣の複製罪で、そのまま異端審問にかけられるぞ」
コンスタンテは息を呑み、きらめく竜と神竜文字の映像を見つめた。
世界の始まりを語る光の物語。
その圧倒的な情報量に、一瞬だけ言葉を失う。
そして次の瞬間。
彼女の頭脳が猛スピードで解決策を弾き出した。
(魔法陣の複製ではなく、だれにも怪しまれず、検閲をすべてすり抜け、大礼拝のその日に、大聖堂の真ん中へ持ち込む方法……)
「ロザリオお従兄様。この神竜の歴史物語…… つまり重要なのは文字そのものではなく、そこに記録された内容なのですわね?」
「……え?」
ロザリオの動きがピタリと止まった。
エイミーは、
「お嬢様?」
と、また何か厄介事を引き起こすに違いないと嫌な予感を覚えつつコンスタンテを呼ぶ。
「ロザリオお従兄様はおっしゃいましたわ。これは『物語』だと。物語ならいろんな手段で表現する事が出来ますわね」
コンスタンテはロザリオを真っ直ぐに見据えた。
「どんなに頭の硬い司祭たちが検閲しようとも、『まあ、素晴らしい芸術ですね!』で押し通せる方法を思いつきましたわ。まあ、少し根回しが必要ですが……」
ロザリオはしばらく唖然とコンスタンテを見つめていたが、やがてモノクルの位置を直すと、ククク、と肩を震わせて笑い出した。
「何を思いついたのかは分からないけれど、君のことだ。きっと突拍子もないアイデアなんだろうな。まあ、俺も魔導研究の観点から全面的に協力する。司祭達にぐうの音も出ない『芸術作品』を完成させよう」
「感謝しますわ、お従兄様」
コンスタンテは、空間に浮かぶ竜の姿の向こうに、ダナの面影を重ねるように見つめた。
(待っていなさい、ダナ。私が芋を食べさせてしまったせいで、あなたが本来の世界に帰る機会を奪ってしまったなら、責任を取りますわ。
たとえ、その先で貴方と会えなくなるとしても。
貴方を絶対ご家族の元へ帰してみせますわ)




