19、叶わぬ恋の相談会
翌日の放課後。
学園の日当たりの良い裏庭の丸テーブルで、コンスタンテはレイチェルとマリアを前に、『芋揚げ・特製梅塩味』を貪っていた。女子会につき、ダナは立ち入り禁止である。
白いティーカップには烏龍茶。
コンスタンテは二杯目のお茶を口に運びながら言った。
「つまりですわね、知り合いのお話ですの」
「それを言うのは三度目ですわね。早く本題に入りなさいませ」
レイチェルが口を尖らせる。
「知り合いなのですね」
マリアが頷く。もっともレイチェルは、『知り合いの話』という前置きをまったく信じていないが。
「その知り合いが、とある精霊を保護しているのです」
「精霊を保護? 精霊と出会うのは天然の真珠を見つけるより難しいと言われていますのに」
レイチェルが驚いたように目を見開く。
「あら、それなら私は一角獣を見たことがありますわ」
マリアがさも当然のように言った。
コンスタンテが目を丸くする隣で、レイチェルが勢いよく身を乗り出す。
「一角獣!? まあ、冗談でしょうマリア。あれは空を見上げてお星様の声を聞くような『ぼんやりした女の子』の前にしか現れない伝説の魔獣ですわよ?」
「まあ、そうなのですか? 私が庭のハーブ園で、のんびりミントを摘んでいましたら、ど真ん中で眠っていましたの」
マリアが至って大真面目に返し、二人は呆れたように笑った。
コンスタンテは、もしかして精霊なんて本当に何処にでもいるのでは、と錯覚しそうになる。
コンスタンテは居住まいを正し、
「それで、ですね」
少しだけ声を落とした。
「その精霊は普段、この世界にすっかり馴染んで人間として暮らしているのですけれど……でも、その子には当然、本来帰るべき世界がありますわよね?」
問いかけに、マリアがこてんと首を傾げる。
「そうですわね。精霊には精霊の世界がありますものね? そう考えると、元の世界に返してあげるべきですね」
「それが、帰す方法がなかなか難しいのです。しかも、その子を保護している方は……本当は、帰ってほしくないと思っていますの」
コンスタンテはついに本音を漏らした。
マリアが今度は反対に首を傾げる。
「その方は、その精霊が帰ってしまったら寂しいのですか?」
「ええ、とても」
「では、大切なお友達なのですね?」
「もちろん、大切ですわ」
即座に答えたコンスタンテに対し、そこまで静かに耳を傾けていたレイチェルが、バサリと扇を開いた。
「その保護者の方は、精霊が元の世界へ帰って幸せになるとしても、それでも帰ってほしくないと思うのかしら?」
「…………」
コンスタンテは言葉に詰まった。
ダナが神竜国へ帰れば、本来の家族や仲間と再会できるはずだ。それなのに、自分は。
「……たぶん、帰ってほしくないですわ」
小さく、絞り出すように答えた。
レイチェルは扇で口元を隠しながら、ふふ、と笑う。
「それでしたら、その方はその精霊に特別な感情を抱いているのでしょう」
「特別な感情?」
「恋とか」
「こい……?」
コンスタンテは目を泳がせた。
すると今度はマリアが、長い睫毛を伏せて尋ねる。
「そもそも、その精霊さんは帰りたいとおっしゃっているの?」
「いえ……、覚えていないそうですの。元の世界のことも、ご自分の家族のことも」
「まあ、お可哀想に……」
マリアが同情で眉をひそめる。
「それで、あなたの知り合いは悩んでいるのですね」
「ええ」
コンスタンテは胸の内でそっと反芻する。
(もちろん、ダナには幸せになってほしい。それなのに、彼に会えなくなると思うだけで、どうしてこんなにも胸が苦しくなるのかしら)
マリアが不意に
「歌劇でしたら、幕が開いて五分で恋に落ちておりますのに」
といい、コンスタンテは苦笑する。
「五分? オーバーチュア(序曲)もありませんわね……」
「恋は、突然目の前に現れるらしいですわ」
恋愛小説の受け売りのようなその言葉に、コンスタンテはそっと目を閉じた。
脳裏に次々と浮かぶのは――
畑で泥だらけになりながらじゃがいもを掘る少年。
新作の芋揚げを渋々味見する少年。
呆れた顔。
困った顔。
時折見せる、柔らかい笑顔。
そして。
『家族は、いるのかなと思うことはあります』
彼が静かに呟いた、あの言葉。
コンスタンテはゆっくりと目を開き――完全に自覚してしまった。
これが、初恋というものなのだと。
しかし、自覚したと同時に、頭から冷や水を浴びせられたような心地になる。
自分にはマリスという婚約者がいる。家同士が決めた未来があり、ブラート伯爵家の令嬢としてそれを違えることは決して許されない。この胸に芽生えた痛みは、絶対に育ててはいけないのだ。
深く息を吸い込み、コンスタンテはその感情を心の奥底へと押し込めた。そして、いつものすました令嬢の仮面を被り直す。
「……では、その精霊には、一刻も早く元の世界へ帰っていただかないといけませんわね」
コンスタンテは唇をきつく噛み締め、言葉を強引に紡ぎ直した。
「え?」
マリアが不思議そうに瞬いた。
「保護している方には親の決めた婚約者がいますの。余計な情が深くなる前に、一刻も早く離れるべきですわ。お互いのためにも。それに、精霊にだって待っているご家族がいるのですから」
マリアは潤んだ瞳でコンスタンテを見つめる。
「でも、少しお気の毒ですわ。大切に思う方と離れなくてはいけないなんて」
彼女の頭の中では、可哀想な精霊と優しい保護者の切ない別れの物語が構築されている。
一方、レイチェルは静かに扇を閉じ、冷めた烏龍茶を一口すすりながら、全てを察したような視線をコンスタンテに送った。
(これってやはり、あの黒髪の従者のことですわね)
レイチェルは以前から、あの従者の人間離れした美貌と、どこか現実味のない佇まいに不思議な違和感を覚えていた。それゆえに『精霊』の話を聞いた瞬間、パズルのピースが綺麗に噛み合った気がした。
どうやら芋揚げ好きの友人は、マリスという婚約者がありながら、身近にいる正体不明の少年に心を奪われてしまったようだ。
伯爵令嬢としての重い義務と、自覚したばかりの初恋の狭間で、この友人は今、その恋を自らの手で握りつぶそうとしている――レイチェルはそう見抜く。
レイチェルは自分と同じ令嬢としての責務を負うコンスタンテに小さく微笑むと、あえて雰囲気を崩すように口を開いた。
「帰る方法を探すのはよろしいですけれど。その精霊自身は、保護者の方をどう思っていらっしゃるのか、ぜひとも伺いたいところですわね」
「精霊が、どう思っているか……」
コンスタンテが呟く。
レイチェルがティーカップをソーサーに置いた。
「コンスタンテ、その『知り合いのお話』に、あなたまで振り回されてはいけませんわよ。囚われすぎて、大味な芋揚げしか作れなくなっては元も子もないでしょう?」
レイチェルがそう言って皿に残っていた最後の一枚を口に放り込んだ。
「レイチェル……。私の芋揚げは確かにまだ未完成ですけれど、味は最高品質ですわ」
コンスタンテは自嘲気味に、けれど少しだけ救われたように微笑むと、テーブルの上の空になった皿に視線を落とす。
たとえ寂しくても、ブラート伯爵家の令嬢として、正しい道を選ばなくてはならない。
「このお話はここまでにいたしましょう。ここからは『パセリ+ビネガー風味』! お二人ともどんどん召し上がって意見を言ってくださいませ!」
コンスタンテは手荷物から取り出した、新たな芋揚げを皿にたっぷりと注ぎ足し、自らも一枚を口に運んだ。
それは思ったよりも酸っぱく、そして少しだけ、しょっぱかった。




