14、大司祭を呼ぶ方法
マリスが去っていく背中を見送りながら、ダナは少しだけ表情を和らげた。
「……意外でした」
ダナがコンスタンテに声をかける。
「なぁに?」
「マリス様が、素直に力を貸してくださるとは」
コンスタンテは空になった紙袋をくるくると丸めながら頷いた。
「今の話、全部聞いてた?」
「いえ、最後の方だけ聞こえました」
「そう。ならいいの」
魅了を解かれた後、言い訳も釈明もせず、ただ「力になろう」と言い切ったのは、それなりに男らしかったことにコンスタンテも同意した。
が、
わずか三日後。
「お嬢様」
コンスタンテがフレーバー実験のために焦がしバターを作っていると、エイミーが静かに一枚の紙を差し出した。
「魔方陣の審査が、また止まっているようです」
コンスタンテがバター鍋の火を止めた。
「……なぜ?」
「マリス様が審査促進の書状を出してくださったのですが、その翌日に取り下げが出ています」
コンスタンテが眉をひそめた。
「取り下げ? マリス様ご自身が?」
「はい。間違いなく署名はマリス様のようです」
コンスタンテはしばらく考え込み、
翌日、学園でマリスを探す。
廊下の角を曲がったところで、コンスタンテは足を止めた。
少し先の窓辺に、マリスとカナが並んで立っている。マリスの手首に、うっすらとピンクの糸。
(……またか)
コンスタンテは無言で踵を返す。
教室から手提げ袋に入れた、塩多めの芋揚げを一袋持ってきて、マリスが一人になった隙に差し出した。
「マリス様、試食をお願いしたいのですが」
「……なぜ君はいつも芋を持ち歩いているんだ」
「新作焦がしバター香るざく切り芋揚げ」
「いただこう」
パリパリパリパリパリリ。
マリスの目が、再び焦点を取り戻す。手首のピンクの糸が、消えた。
「……コンスタンテ」
「はい」
「少しニガい」
「焦がしすぎたわ……」
コンスタンテは盛大に溜め息をついた。
「審査促進の書状、再度お願いできますか」
「……わかった」
さらに四日後。
エイミーが書類を持ってコンスタンテの部屋に入ってきた。その顔が、すでに全てを物語っている。
「お嬢様」
「うん」
「マリス様からの審査促進の書状が、下げ――」
「よくわかりました」
「三回目ですね」
エイミーは書類をテーブルに置き、深々と溜め息をつく。
「だめだこりゃ……です」
コンスタンテもエイミーの言葉に同意する。三回。さすがに三回は、多い。
魅了の糸は、おまじないだとレイチェルは言っていた。おまじない程度の魅了だから、たとえかかったとしてもほんの少し愛想が良くなる程度で普通は、相手の言いなりになったりすることはない。
(……つまり)
コンスタンテは静かに結論を出した。
(マリス様は、もともとカナのことが、少し、お好きなのだ)
魅了がかかり言いなりになったりするのは、心のどこかに隙がある時だという。三回続けてかかるというのも、もはや魔法のせいだけではない。
(それなら……そっとしておくべきね)
コンスタンテは紅茶を一口飲んだ。
婚約は家同士の取り決めだ。マリスの心がどこにあろうと、今の自分にはあまり関係のない話である。
「エイミー、魔方陣は自力でなんとかする方向で考えましょう」
「……はい」
「それより、大司祭様へのフレーバー、もうすぐ完成よ」
「バターを焦がす火加減は、強火で三分です」
「大司祭様の舌を買収するなら、二種類は必要よね。次は昆布出汁減塩フレーバーを開発するわ。ダナに昆布を調達させましょう」
「わかりました」
エイミーは即答した。
(昆布って何でしょう。いえ、それより“減塩”って言いました?大司祭様の健康を考えておられるのね。優しい……………………のか?)
エイミーは静かに考えるのをやめた。お嬢様から芋と塩、そして暴走を切り離すのは無理な話なのだから。
◇
午後のサロン。
レイチェルとマリアは優雅にカップを傾け、紅茶の香りを楽しむ。
その向かいで、コンスタンテが深刻そうに口を開いた。
「お二人に、少し助けていただきたい事がございますの」
レイチェルの目が細くなる。
「『助けて』とは、いささか物騒ですわね?」
「ええ。少し……困っておりますわ」
その一言に、マリアが顔を上げた。
「何をお困りなの……?」
「大司祭様に、どうしてもお願いしたい件がありまして」
コンスタンテは淡々と続ける。
「正式に面会を申し込んだのですが、返事すらいただけませんでしたの」
レイチェルが口元に、うっすらと笑みを浮かべる。
「カナ様の妨害ね」
「さあ、私にはわかりませんが」
コンスタンテはわずかに肩をすくめた。
「でも正面からの道が塞がれてしまったので、別の道で突破したいのですわ」
そう言ったコンスタンテを見てレイチェルがカップを置く。
「それが、先ほどの『助けて』に繋がるのですね?どんなお考えなの?」
コンスタンテが答える。
「中央大聖堂のチャリティーバザーに、出店して、大司祭様を『引きずり出す』のです」
「……まあ」
レイチェルとマリアが驚いたように目を見開いた。
マリアは目を丸くした。
「そ、そんなこと……できるのですか?」
「はい」
レイチェルがくすりと笑う。
「コンスタンテ、貴女の考えがわかりましたわ」
「“武器”は私が準備いたします」
そして、二人を順に見る。
「お二人も、大司教様とお話ししたいことがあるでしょう?」
マリアが顎に指を当てる。
「……コンスタンテはなんでもお見通しね」
「優秀な諜報員をお持ちで羨ましいこと」
コンスタンテは二人が承諾したことを確認してようやく笑う。
「芳醇なバターの香りと抗えない深い味わい、これで攻めるのですわ」
◇
学園の家庭科実習室は、侯爵家のレイチェルが権力を行使して貸し切っているので、午後はポテト開発倶楽部(主にコンスタンテ、ダナ、レイチェル、マリア)が自由に出入りする。
その日、放課後に残っているのは、コンスタンテとマリアの二人だけ。ちなみにダナは、昆布の買い出しのために隣町までお使いに行かされていた。
コンスタンテは、あらかじめ水に沈めておいた昆布を火にかけ、澄んだ出汁をとる。さらにそれを煮詰め艶を持ち始めたら、平皿へ薄く広げ、じっくりと水分を飛ばして、結晶をつくる。その結晶を砕けば、淡い琥珀色の粉末となり、揚げたてのポテトに、少しの塩とともに振りかける。
コンスタンテは出来た芋揚げを一枚、口に運び、満足げに目を細めた。
「塩気は少ないのに、驚くほど美味しいですわ」
マリアも一枚つまんで口に含み、深く感じ入るように静かに頷く。
「……昆布味なんて初めて食べましたが、不思議なほど心が満たされます」
そう言うと、マリアは机の上に置いていた小さな包みを差し出した。
「それと、コンスタンテ様。お誕生日おめでとうございます」
「……え?」
コンスタンテが少し考えてから頷いた。
「そうでしたわ。わたくしの誕生日、今日でしたわね。すっかり忘れていました」
「忘れていたのですか……」
マリアは少し呆れたように笑った。
包みの中には、手作りの刺繍入りハンカチが入っていて四つ葉のクローバーが丁寧に縫い込まれている。
「大したものではありませんが……」
「そんなことありませんわ!」
コンスタンテは思わず身を乗り出した。
「嬉しいですわ。それに……」
彼女は皿の上に残った芋揚げを見つめる。
「この『昆布だし旨味強調芋揚げ』も、本日の誕生日プレゼントということにいたします」
「自分で作ったものですよね?」
「十六歳の誕生日に新しい味が完成する機会など、そうありませんもの」
コンスタンテは上機嫌で芋揚げを一枚摘まんだ。
「今日は実に良い日ですわ」
皿の上に盛られた『昆布だし旨味強調芋揚げ』は、その後あっという間になくなっていった。
そして翌週。彼女たちは完成した『焦がしバター香るざく切り芋揚げ』と、件の『昆布だし旨味強調芋揚げ』を携え、中央大聖堂バザーへと乗り込んだ。




