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ジャガイモ大好き伯爵令嬢は、黒い小間使いが神竜だと知っても揚げ油の温度が大事です  作者: 怒れる布団


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12、魅了より高級塩

「まあ、せっかくのケーキが、腐っているわ」


 マリアが残念そうに声を落とした。コンスタンテも少しばかり眉尻を下げる。


「腐っていては動物の餌にもできませんわね。不衛生ですし、捨ててしまいましょう」


 ダナが承知して頭を下げようとしたが、レイチェルがそれを制した。


「おかしいわ。これ……ダナ君、それを少しこちらへ」


 ダナに渡されたパウンドケーキをレイチェルが手袋越しに触れ、目を閉じて魔力を通わせる。すると、ケーキの表面を覆っていたピンクの糸が、まるで生き物のようにハート型になった。


「やはりね。これ、『魅了』の魔術が仕込まれていますわ」


「「「え?」」」


 コンスタンテとダナ、マリアの表情が一変する。


「まじない程度の効力だから、人を完全に虜にするほどではないけれど……。もし先程の聖女候補がわざと仕込んだのなら問題ね」


 中庭の空気が、しんと張り詰めた。


「このハート、魔力が弱い人には視認できないわ」


 そう言ってマリアが笑いを収め、ダナへ厳しい視線を向けて尋ねた。


「彼女、お礼を言いに来ただけにしては、妙に熱い視線でしたものね。ダナくん、あなた一体何をしたの?」


 ダナは困ったように眉を下げ、包み紙を畳みながら口を開いた。


「昨日、中庭の廊下で派手に転んでおられました。八回。それで散らばった教科書や荷物を拾ったり、起こしてあげたりしました。怪我がなくて何よりでしたが……」


 「ちょ、ちょっと待ちなさい」


 コンスタンテが、すかさずツッコミを入れた。


 「ダナ、中庭の廊下って、わずか数十メートルの直線のことよね? そこで八回? そんなんじゃあ、移動できていないでしょう?」


 「はい。コンスタンテ様。僕も最初は、彼女が何らかの重力魔法の攻撃でも受けているのかと警戒したのですが、よく考えると学内は魔法授業教室以外、結界が張られています。」


 淡々と語るダナの横顔に、マリアはハンカチを口元に当ててぷるぷると震えだした。


 「ふ、ふふ……八回って、それはもうわざと転びに行っているのよ、ダナくん。 ……完全に『狙われて』いますわね」


 「マリア様、滅相もない。彼女はただのドジっ子です。最後の一回にいたっては、宙を舞った教科書が綺麗に僕の頭の上にスタックしましたから」


 「ぶっ……ふっ、あはははは……!」


 マリアがとうとう声を上げて笑い出した。


 一方で、レイチェルは笑わずに、包み直されたパウンドケーキを睨みつけている。


 「ダナ君、あなた、彼女に何かおかしな術をかけられたりした自覚はない?」


 「いえ、特には。……あ」


 ダナが何かを思い出したように、ぽんと手を叩いた。


 「そういえば八回目の転倒の際、彼女が何か呟きながら僕の胸に飛び込んできたのです。その時ポケットに持っていた塩瓶が衝撃で吹っ飛び、蓋が開いて中の塩が彼女の頭に降り注ぎました」


 レイチェルが眉をひそめた。


「何か呟いていたですって? 彼女は何を言っていたの?」


「αληφάβτοギョοαληだったかと思います」


「よ、よく聞き取りましたわね。

 でもそれは伝説の大賢者ですら一生に一度しか使えなかった強力な古代魅了魔法の呪文ですわ……」


 レイチェルが美しい眉をひそめ、事態の深刻さに声を低くする。


「そうなんですね?僕は彼女に全く関心がありません。それより降り掛かった塩が目に入ったようで大変そうでした」


 しかし、主君であるコンスタンテの着眼点は、全く別のところにあった。


 「……ちょっと待ちなさい、ダナ」


 コンスタンテの声音から優雅さが消え、やや怒りを含んだ口調に変わる。ダナは「おや」と首を傾げた。


 「あなた、聖女候補の頭に、瓶入りの塩をぶっかけたの? あのお塩、なかなか手に入らない金の塩なのよ!? なんてことしてくれるの!」


 国家の危機だって招くかもしれない「魅了の魔法」よりも、失われた高級塩に怒る主人。


 そんなコンスタンテを前に、ダナは澄まし顔で頷いてみせた。


 「はい、コンスタンテ様。お嬢様が僕に『塩』という意味の家名を授けてくださったおかげで、僕はその悪意とも言うべき魅了から、見事に守られたというわけです」


 「……え?」


 「半年前、お嬢様は仰いましたよね。ソルティという家名は『邪気から守ってくれそう』だと。主の予言通り、塩はしっかりと邪気を祓ってくれました。さすがはお嬢様、先見の明がおありです」


 ニヤニヤ笑いながら美しいお辞儀を添えて、ダナはここぞとばかりに「塩枠」にされた半年前の恨みを鮮やかに返した。


 これにはコンスタンテも言葉を詰まらせ、ぐぬぬと唇を噛む。


 「……っ、わたくしのはただの思いつきよ! 揚げたての芋に免じて、家名の事は水に流しなさい!」


 「お嬢様が新しい家名を考えてくださるなら、いつでも水に流しますが?」


 「絶対にソルティのまま据え置きよ!」


 二人の息の合った主従の掛け合いに、とうとうレイチェルまでが諦めたようにため息を漏らし、マリアは「お腹が痛いですわ……!」と机に突っ伏して笑い転げている。


 不穏な聖女候補の影に包まれかけた放課後の中庭は、結局、いつも通りの香ばしい芋の匂いと、主従のしょっぱい応酬によって、賑やかに塗り替えられていく。


 (……危ないところでしたわ)


 心地よい笑い声の陰で、コンスタンテは胸の内でそっと息を吐いた。


 ダナがこともなげに口にした「古代魅了魔法の呪文」の聞き取り。その異常な聴覚にレイチェルたちが深い疑念を抱かなくてよかった、と彼女は心底安堵していた。

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