第九十話 死神と呼ばれて
第九十話 死神と呼ばれて
明治九年 二月。 寒い吉原に涙の雨が降る。
「寒いから濡れないように」 菖蒲が妓女たちを見送ると
「はい。 いってまいります」 妓女たちは静かに見世を出る。
前日、長岡屋では花魁の喜久陽が亡くなった。 襲名の道中、足を捻挫して梅乃が確認すると梅毒が出てきた。 そのまま床に臥せっていたが、回復することなく他界してしまったのだ。
普通の妓女なら葬儀はしない。 若い衆や主が大八車に乗せて浄閑寺へ投げ捨てていくのだが、喜久陽は一日といえど花魁である。 長岡屋で葬儀が行われたが、坊主を呼ばずに献花だけで済ませた。
「この度は……」 妓女は頭を下げ、三原屋が用意した切り花を置いていく。
「すまないね…… 采さんによろしく言っておくれ」 長岡屋の遣り手が頭を下げると
「お伝えします」 妓女は三原屋に引き返していった。
「次は私たちと一緒に……」 菖蒲と勝来が声を掛けると、禿六人が一緒に向かう。
「梅乃……」 勝来が声を漏らす。 梅乃の表情は暗かった。
(また梅乃ちゃんが責任を感じて……) 古峰がチラッと見て察してしまう。
梅乃が喜久陽の梅毒を見つけた時には手遅れだった。 しかし、梅乃は責任を感じてしまっていたのだ。
(また救えませんでした……)
長岡屋に入ると、泣いている妓女は誰もいない。 ここは吉原であり、亡くなる妓女が多い。 毎年、何人もの妓女が亡くなっている場所であり、慣れてしまっているのだ。
梅乃が献花し、手を合わせると
「姐さん、すみません…… 助けられなくて……」 涙を流し、謝っている。
(梅乃……)
全員が梅乃を囲むようにして三原屋に戻る。 これには理由があった。
「ただいま戻りました……」 菖蒲が声を出すと、岡田が急いで玄関までやってくる。
「梅乃、大丈夫か?」
これは梅乃が泣くと、過呼吸が起きてしまうからだ。 鳳仙楼で絢が自死した際にも過呼吸を起こしていた。
「はい……」 梅乃は肩を落とし、台所に入っていった。
「梅乃、休んでいいんだぞ」 片山が声を掛けるも、梅乃は料理を始めていく。
「ふぅ……」 それを見ていた采が大きく息を吐く。
翌日、三原屋に長岡屋の主がやってくると
「昨日はありがとうございました。 それで、梅乃ちゃんは大丈夫でしたか?」
「梅乃? あぁ……気落ちしていたけど、献花で何かあったのかい?」 采がキョトンとすると
「なんだか、一人だけ泣いていて みんなに囲まれていたから気になって……」
主人の説明を聞いた采は、大部屋に目を向ける。
そこには無表情になった梅乃が掃除をしていた。
「う 梅乃ちゃん、そこ さっきやったよ……」 古峰が声を掛けるも、梅乃は呆然として畳を拭いている。
「あの娘は感情が豊かでね…… 道中に介抱した時から責任を感じてしまったのさ。 あの感情は人としては良いが、妓女としては失格だね」
采はキセルに火をつけ、天井に煙を吐いていく。
すると、 「ごめんください……」 またも三原屋の玄関から声がする。
「はーい」 古峰が玄関に向かうと、そこには喜久乃が立っていた。
「き 喜久乃花魁……」
「久しぶりだね。 采さんは居るかい?」 そう言って、喜久乃は中に入っていく。
「なんだい? 喜久乃か?」 長岡屋の主が驚いていると
「父様…… どうして?」 喜久乃も驚いている。
「そりゃ、献花のお礼をしに来たんだよ。 お前は?」
「そりゃ、お礼と梅乃が…… って、梅乃はどこ?」 喜久乃がキョロキョロすると、大部屋で拭き掃除をしているのを見つける。
「おーい、梅乃~」 喜久乃が声を掛けるも、梅乃は返事もしなかった。
「なんだ? 聞こえないのか? おーい」 喜久乃が再度、声を掛けると古峰が両手を広げる。
「なんだい? どうしたんだい?」 喜久乃が目を丸くすると、
「お お姉ちゃんは今……」 古峰が途中まで話すと左右に首を振る。 “今は話しかけるな……” の合図である。
(どうしちまったんだい?) 喜久乃は不思議そうにしていた。
その後、喜久乃は小夜と古峰を連れ出して茶屋に行く。 そして二人から梅乃の事を聞くと
「それで、梅乃が責任を感じているのかい?」
そして、成長につれて梅乃の役割を話していく。
梅乃は三原屋で禿、遣り手、台所と三つの持ち場があること。 そして鳳仙楼にも通っていることを話すと
「そりゃ無理だよ。 采さんは何を考えているんだい?」
長年、花魁を続けてきた喜久乃でも驚くほどの役割だった。
「アイツ、花魁になるんじゃないのかい?」
「それが、私に花魁になれと言って……」 小夜が肩を落とすと、喜久乃は複雑な表情を浮かべる。
午後、岡田が梅乃に声を掛ける。
「これから往診に行くぞ。 お婆には話してある」 「わかりました」
こうして二人が往診に行くと
「痛い― 離せ―」 大騒ぎしている妓女がいる。
「姐さん、落ち着いて! ゆっくり息を吐きましょう」 梅乃が妓女に言うが、痛がって暴れようとしている。
「これじゃ治療が出来ん! 梅乃、しっかり押さえろ」 岡田が声を出すと、
「はい。 姐さん、これから痛みも引きますから大人しく……」
そう梅乃が言った矢先である。 妓女は声も出さず、力強かった手足が静かに伸びていく。
(やっと大人しくなったか……) 梅乃が安心すると
「おい、大丈夫か?」 岡田が声を掛ける。
「はい。大丈夫ですが」 梅乃が答えると、岡田は梅乃を横にどかす。
「えっ?」 梅乃が振り返ると、岡田は妓女を抱えて息を確かめていた。
「なんてことだ……」 岡田が首を振っていると
「まさか、私……?」 梅乃の顔が蒼白になっていく。
「あれは病気だったんだ。 だからお前が気にしなくても……」 岡田が言いかけている途中、梅乃はフラフラと歩いて出ていってしまった。
「ふぅ……」 岡田が采に報告をすると、深いため息をついている。
梅乃は九朗助稲荷に行き、手を合わせていた。
「梅乃ちゃん……」 そこで声を掛けてきたのは玲である。
「玲さん……」
それから二人が話し込んでいくと 「それで、悩んでいるの?」玲がため息をつく。 「はい。 こんなにも私が触れると死んでいくものなのかと……」
梅乃の表情は暗かった。
「そんな顔しないで。 私のお父様は元気よ」 玲は微笑むが、梅乃の表情は晴れなかった。
その後、梅乃の話が噂となってしまう。
「あの娘が触ると死んでいくんだって……」 「あそこに頼むのは止めよう」
そんな心の無い噂が広まっていた。
「梅乃…… そんな噂、気にしなくていいからね」 そう言い残し、小夜は静かに外へ出て行く。
それからも梅乃の噂話は吉原で広まっていく。 それは『死神』とまで言われるようになっていたのだ。
梅乃自身も噂を耳にし、塞ぎ込んでしまうようになっていくと
(私たちが守らないと……) ここで小夜が気を吐く。
「さ 小夜ちゃん…… 梅乃ちゃんは『小さなお天道様』なんだよ。 こんなところで……」
古峰はオロオロするばかりだ。 気遣いの子でも吉原中で噂になってしまえば何も出来なかった。
それから小夜は、噂を聞けば逆に文句を言い返していく。 今までに無い行動力だった。
「……」 梅乃は部屋に閉じこもり、膝を抱えていると
「梅乃、診察に行こう」 岡田が部屋に迎えにきても表情は暗く
「先生、すみません…… 私は行けません……」 この繰り返しになってしまう。
「ふぅ……」 采は報告を聞くが、何も対処が出来ずに肩を落とすばかりだ。
同時に三原屋にまで悪い噂が流れてしまう。
午後になり、梅乃が采の部屋に呼ばれる。 新しい禿の三人がオドオドしながら見守っていると
「お婆、梅乃です。 失礼しんす」
「梅乃、どうしたんだい? らしくない顔してさ」 采が笑顔で梅乃を見つめると
「お婆、ごめんなさい…… 私が医術に興味を持ったせいで……」
梅乃が涙を流して謝っている。
「怒られても何しても勉強を辞めなかったのは医術が好きだからだろ? だったら良いんじゃなかい? もっと勉強したらいいよ」 采が笑顔で梅乃の頬を撫でると
「でも、三原屋に悪い噂が出ているし、私がいると迷惑じゃ……」
「馬鹿を言ってるんじゃないよ! お前と小夜は三原屋の娘なんだよ! しっかりしろ!」
采が怒鳴ると、梅乃は肩を震わせ涙を流した。
「それに、ここを出ようとして何処に行こうってんだい?」 采は梅乃の心を理解していた。
「わかりません…… ただ、迷惑にならない場所に行けば良いと思っていました……」
梅乃が頭を下げ、立ち上がると
「ご免! 岡田ですが……」
「入んな」 采は小さい声で合図をする。
岡田が部屋に入り、采に頭を下げる。
「どうしたんだい?」 采がキョトンとすると
「お婆…… 良かったら、梅乃に医師の資格を取らせてはどうでしょう?」
「なんだって……?」 これには采が大声を出して驚くと
「もちろん簡単ではないのですが、梅乃は赤岩先生の頃から二年ほど医術の勉強をしています。 二年ほど前、『医制』が交付されています。 開業医なら試験を受けられますが……」
明治七年(一八七四年)に政府は『医制』を公布する。 医師免許の取得方法として医科大学や専門学校を卒業することか、開業試験に合格する方法が併存していた。 この制度は大正時代まで残っていたのだ。
「もちろん梅乃に大学は年齢で無理ですから、開業試験ならと思ったのです」
夢物語のような話だが、岡田の目は真剣だった。
開業医の試験を受けられるのは、医師のもとで一年半以上の修行を行った者に受験資格が与えられたものだった。
「それは……」 采は突然の事で思考が追いついていない。 そこに文衛門が部屋に入ってくると
「そうか…… どうだ、梅乃…… 受けてみるか?」
「ちょっと、お前さん……」 采も驚き、慌てている。
梅乃は呆然と立ち尽くすだけだった。




