第八十八話 予感
第八十八話 予感
「こんにちは……」 小夜が話しかけると
「こんにちは……」 女性は笑顔で返してくれる。
走って追いかける梅乃と古峰が到着すると……
「ま まさか玲さん……」 梅乃が驚く。 古峰の目が厳しくなると
「梅乃ちゃん、久しぶりね」 玲はニコッと微笑む。
「あ あの…… また梅乃お姉ちゃんに何か?」 古峰が前に出て、背中で梅乃を隠すと
「そんなに心配しなくて大丈夫よ。 もう知っているでしょ? 香梅楼のこと」 玲が言うと、梅乃は頷く。
「母の仕事だからね…… 様子を見にきただけ。 じゃね」 玲は微笑んでから香梅楼に向かっていった。
「あれ? 玲って人、梅乃を誘拐した……」 小夜が遅れながら驚いていると、
(多感な割に鈍いのよね……) 古峰は苦笑いになる。
玲が香梅楼に到着すると、「玲……」 洋蘭が早足で近づいてくる。
「母様、さっき梅乃ちゃんに会ったわよ」
「……」 洋蘭は下を向く。
(買えなかったのね……) 玲は雰囲気で察してしまった。
「お父様は、先ほど九州に向かっていきました」 玲が報告をすると、洋蘭は落ち込んでしまう。 これは平八郎の行動が屋敷全体に影響する問題だと分かってしまったからだ。
「お前は……」 洋蘭が話しだすと、 「わかりません…… どうするかは今後、決めます……」 そう言って、玲は吉原を出て行った。
「あの……」 奥から定彦が出てくる。 定彦は香梅楼の若い衆として働いていた。
「ああぁぁ……」 洋蘭が言葉にならない様子を見ると
「また大きな問題か……」 定彦は理解できてしまった。
数日後、吉原に変化が訪れる。 四郎兵衛会所の者が三原屋やってきて、「芸娼妓解放令が発令されてから五年が経つことから、大幅に緩和することになった」 と、言い出してきた。
「確かに時間が経ちましたけど…… それで緩和とは?」
そう聞くのは文衛門である。 いきなりの方針転換に驚いていると
「今後は妓女も大門を自由に通れるようになった。 我々は、顔の確認と記録はするが見世に連れ戻すことが出来なくなったんだ……」
四郎兵衛会所の者が申し訳なさそうに話している。 これは吉原の妓楼が組合のような形で四郎兵衛会所や岡引きに金を出していたからだ。 受け取っているものの、取り締まりが緩くなってしまうことに申し訳なく感じてしまう。
時代の変化が大きくやってきたのである。
『ヒョコ』 そこに梅乃が顔を出すと、
「おっ、梅乃か。 大きくなったな」 四郎兵衛会所の者は梅乃の顔見知りである。 以前に詫びで食事をした会所の者だった。
「おじさん、そんなに変わってしまうのだと足抜けが増えるんじゃ……」
梅乃は吉原全体が変わっていくことを心配していると
「足抜けだけの問題じゃなくなるんだ……」 会所の者の声が小さくなる。
「それは、どういうことだい?」 文衛門が不思議そうな顔をすると
「女の出入りが自由になってしまうと、誰が妓女で誰が客だか判断できないんだ……」
会所の者が言うには、『妓女が自由の出入り出来るということは、他の地域の遊郭の女性も出入りできると言うこと。 それにより吉原という特別だったブランドが下がってしまう』ということだった。
江戸時代中期、吉原は幕府公認の妓楼街だった。 値段も高く、華やかな世界である吉原は栄えていったが一般向けのものではなかった。
すると、小さな妓楼街が出来て遊女だけではなく芸子までもが多くなってきていく。 銭湯などの二階、格安で営みが出来る湯女などが多くなってしまい吉原から苦情が出たほどだ。
幕府の公認である吉原の意見を聞かなくてはいけない為、取り締まりを強化していく。 結局、湯女は隠れながらの営業で大正時代まで存在したという。
そんな自由に出入りできるようになっていく吉原の価値は低下していくことになり、妓楼主は頭を痛めていくことになる。
(そうなると、変な人が増えたりしないかな……) 梅乃は心配になっていた。
そして午後、文衛門が妓女の前で報告をすると
「それじゃ、外に出られるってこと?」 妓女たちは歓喜に沸く。
采は頭を抱えていた。
「みなさん、落ち着いてください」 ここで勝来が声をあげると、妓女たちの視線が向けられる。
「自由と勝手は違います。 私は吉原から出る気にもなりませんし、大見世 三原屋の妓女だということは忘れないようにしてください」
勝来が言うと、梅乃や禿たちが拍手をする。 文衛門はホッとした表情になっていくが
「外に買い物に出てみようか……」 こういう妓女が出てしまうのも無理もない。
(外で変な事が起きなければいいけど……)
梅乃の頭には嫌な予感がしてならなかった。
その数日後、梅乃の予感が的中する。
夕方になっても戻ってこない妓女が出てきて、
「お前たち、アイツは何処に行った?」 采が聞いても首を振る。
そして二日後、外に出ていった妓女が三原屋の戻ってくると、服はボロボロになり薄汚れて帰ってきたのである。
「お前、何があった?」 采が聞くと、妓女はポロポロと泣き出し
「犯されました……」
「どうして?」
「吉原の妓女と言うと、いきなり服を脱がされて……」
外の者は吉原の妓女と話すら出来ない者が多い。 そして、目の前に吉原の妓女が歩いていたからという理由で犯行に及んでしまった者がいたのだ。
(だから勝手に出ていくから……)
勝来の言うことを軽視した結果だろう。 三原屋ではこれを機に外に出ていく者が居なくなったのだが……
「なんだか妓女が戻ってこないんだ……」 そう言ってくる妓楼主が増えた。
同じように犯されたり、誘拐などが横行していく。 中には足抜けとして消えた妓女もいるが、外の妓楼からの勧誘で流されていく妓女も後を絶たない。
勝来の言うとおり、自由と勝手をはき違える妓女が多かったのだ。
文衛門が禿たちのもとに来ると
「お前たちも自由と勝手を間違えないようにな」 そう言って弱気な笑顔を見せる。
「まぁ 私と小夜の実家が三原屋ですから……」 梅乃がチラッと古峰を見る。 そこには思い詰めた表情の古峰が下を向いていた。
そして翌日、梅乃が買い物の帰りに大門を見ると女性の往来が増えたことに気づく。
(確かに、吉原の人なのか分かったものじゃないな……)
そう思っていると、大門を長いこと見つめている禿がいる。 梅乃が近づき
「古峰~」 と、声を掛ける。
「―っ!」 驚く古峰に、
「どうしたの?」 梅乃が古峰と大門を何度も見ると
「わ 私、外に出たい……」 古峰が涙を流す。
「古峰…… どうしたの? 三原屋が辛かった?」 梅乃はオロオロしていると
「な なんでもない。 帰ろう……」 古峰は黙って三原屋に戻っていく。
夜、部屋に戻った梅乃と小夜が古峰に話しかける。
「古峰…… 話してよ」 小夜が心配そうに聞くと、
「わ 私は足抜けなんかしない。 ただ、一度実家に帰って文句を言いたい…… 家が苦しかったなら、一言でも言ってくれれば私は自分から吉原に行ったの。 で でも女衒に金を抜かれてまでも売らないといけない状況を話してくれない事を文句が言いたいと思ったの。 だから、いつ出ていこうか考えていたの……」
古峰の話は、とても重かった。
「わ 私は三原屋が好き。 梅乃お姉ちゃんや小夜お姉ちゃんの妹になれて本当に嬉しかった。 だ だから両親には感謝するけど、腹も立つんだ……」
そして三人は泣いた。 苦楽を分かち合ってきた分、思いは一緒だった。
「私達は捨て子だったから、家も親の顔さえ知らないしね……」
これも残酷な話だが、諦めというものが先立っていて感情の表し方に困っていたが
「でも、私達も三原屋で良かったよ。 お婆だって、玉芳花魁だっていたしね」
梅乃がニカッと笑う。
襖の外では、勝来が涙を流して聞いていたのは誰も知らなかった。
数日後、夜中に古峰が起きる。
(まだ お姉ちゃんたちは酒宴か……) 古峰は来年までは八時までの仕事であり、梅乃たちは十時までが仕事になっていた。
古峰は布団から出て幼い禿たちの布団を掛け直す。
そして、(今から行くかな……) 意を決したように服を正して部屋を出て行く。
階段を降り、大部屋の前を静かに通る。 この時間は采も休んでいた。
そして玄関の戸を静かに開けると
(必ず戻ってきます……) 古峰は外に出ていった。
そして宴席に入っている梅乃が
「姐さん……」 菖蒲に耳打ちをすると、黙って頷く。
梅乃は階段を降りて、便所に向かっていた。
そして宴席に戻る手前、気なった梅乃が禿部屋を見ると
(やっぱり行ったか……)
静かに襖を閉めて宴席に戻っていく。
そして十時になり、「梅乃、部屋に戻りなさい」 菖蒲が言うと
「今日は、ありがとうございました」 梅乃は膝を付けて客に挨拶をしていた。
小夜も勝来の宴席から出てくる。
「小夜……」 浮かない表情の梅乃が声を掛けると
「梅乃、お疲れ…… って、どうしたの?」 小夜はポカンとして聞いてくる。
「それって……」 小夜の顔が青ざめ、声にならなくなってしまう。
「どうしよう……」 梅乃が困っていると、 「梅乃は追いかけて! 私はお婆に話して怒られてくる」
「わかった!」
「ただ、夜だから気をつけてね。 二人が帰ってこなくなったら私……」 小夜が涙を流すと
「必ず、古峰と帰ってくるから」 梅乃はニギニギをして古峰を追いかけていった。
(やっぱり、この予感……) 改めて、梅乃の予感は当たってしまうのであった。




