第八十七話 約束の年
第八十七話 約束の年
明治九年、正月。 元旦は吉原の妓女にとって数少ない休みとなる。
「ほら、出来たぞ~」 片山が鍋を運んでくる。 この日は妓女たちを労う為、若い衆の片山だけでは手が足りない。 そこに禿の六人も手伝いに入っていた。
「少し運んだら、お前たちも雑煮を食べな」 片山が梅乃と小夜に言うと、
「でも、潤さんだけじゃ大変でしょ。 私もやるから」
梅乃は数日の台所の勉強をしていた為、どこでも器用に仕事をこなしていく。
「梅乃姐さん、凄いですね……」 新しい禿の一花が言うと、
「そ そうでしょ。 台所だけじゃなく、遣り手も出来るんだから……」
説明しながらドヤ顔するのが古峰である。
「小夜姐さんは、どんな仕事を……?」 一花が訊くと、小夜は不機嫌そうな顔をしてしまう。
「どーせ、何もできませんよ」 顔を背ける小夜が子供みたいな顔になると、
「さ 小夜お姉ちゃんは真面目で禿たちの班長をしているんだから、立派なんだよ」 古峰は気遣いの達人である。 小夜の機嫌を損ねないように話していった。
「出来たよー 食べよう」 梅乃が雑煮を運んでくる。
そして食べようとすると、 「梅乃― お餅~」 妓女からのお呼びが掛かってしまう。
「先に食べてね」 梅乃は台所に向かっていく。
毎年、正月になると雑煮が振る舞われる。 妓女たちは威勢良く食べると、毎年ながら顎の付近が赤くなってしまう。
餅を伸ばしながら食べるので、伸びた餅が顎に当たってしまい火傷のようになってしまう。
「まったく…… がっつくから……」 勝来は妓女を見て呟く。 そんな凜とした姿勢の勝来も、顎が赤くなっていた。
梅乃は台所に向かって、何かを探していると
「梅乃、何を探しているんだい?」 気になって台所に来たのは文衛門だ。
「父様…… 明けましておめでとうございます」 梅乃が新年の挨拶をすると、 「おめでとう。 それで、何を探しているんだい?」
「はい。 今年は勝来姐さんが十八歳になり、私達も十五歳になりますので縁起の良いものを考えておりました」
「何か作るのかい?」
「はい。 私程度では、簡単な物しか出来ませんが……」
そう言って、梅乃は材料の確認を始める。
『トントン……』
梅乃は雑煮の汁の具材を足していた。 現代では普通の光景なのだが、妓女に料理をする習慣がない。 朝食である少しの食材を出されるだけであり、これは片山が作っている。 後は、客の宴席で食事を貰うだけだ。 売れない妓女は食事も貰えない過酷な環境とも言える。
(こんな時くらい栄養を摂らないとね……)
梅乃は誘拐され、玲の屋敷で手伝いをして料理を習っていたのだ。 逆に勉強できる環境になり、結果は良かったのだろう。
「ごちそうさまでした……」 妓女たちは両手を合わせて感謝をしていた。
梅乃は片付けを済ますと出掛ける準備を始める。
「う 梅乃ちゃん、どこ行くの?」 古峰が振り返ると
「これから鳳仙楼。 新年の挨拶をしないとね……」
(律儀だ…… だから梅乃ちゃんは人気者なんだな……) 古峰が微笑む。
「お婆~ これから鳳仙楼に向かうけど、何かある?」 梅乃は采の部屋の前で訊いていると
「梅乃、ちょっと……」 采が呼ぶ。
「失礼しんす…… えっ?」 梅乃の目が開くと、目の前には豪華絢爛な衣装の采が立っていた。
「少し前のヤツだけどね、久しぶりに着てみたよ」 采が照れ臭そうにすると、
「いえ…… 凄い服だけど、これを着て何処に?」
「香梅楼だよ。 アイツ、仮にも華族の妾だろ? しっかりした服で対抗してやろうと思ってな……」 采がケラケラと笑いながら言うと、
(そんな所で競ったりするんだ…… 年寄りの見栄とは恐ろしい……) などと、いけない言葉を漏らしそうになるが我慢した梅乃であった。
そして、梅乃が用意を済ませると
「さて、誰にしようかな……」
その時、梅乃と目が合う禿がいた。
「二葉、一緒に行こう」 梅乃が手を前に差し出すと
「えっ? いいのですか?」 二葉は驚く。
「私のお供だよ。 行こう」 梅乃は二葉と鳳仙楼に向かっていった。
「あけましておめでとうございます」 梅乃と二葉は膝を付けて挨拶をすると、
「おめでとう…… 梅乃ちゃんは本当にお天道様のような子だね」 鳳仙楼の主は微笑んでいる。
「いえ…… 今日は新年の顔見せでして、この子が新しい禿の二葉です」
梅乃は吉原の人に禿を売り込んでいく。
「禿を売り込むなんて、凄いわね……」 横から信濃が会話に入ってくる。
「はい。 三原屋は続きますから…… 勉強の為に連れてきました」 梅乃が微笑むと
「それもいいけど、お前と小夜は今年から新造だろ? そんなことしている暇なんかないんじゃ……」
「そうですけど花魁には勝来姐さんがいますし、その後には小夜が控えています。 そうすれば、安泰です」 梅乃がニカッと笑う。
(この子、本当に欲がないのね……)
最後に梅乃は鳳仙楼の台所へ行き、静かに手を合わせる。
(絢…… 私達は十五歳になるよ)
この光景に主人は涙を浮ばせていた。
挨拶を済ませた梅乃たちは、二人で仲の町を歩く。 梅乃はお姉ちゃんとして二葉の手を握っていた。
「あの、梅乃姐さん…… どうして台所で手を合わせたのです?」
「同じ歳の禿がいて、亡くなってしまったの…… これからって時にね……」
二葉が訊くと、梅乃は寂しそうな表情を浮かべた。
「さて、散歩もしたし帰ろうか」
梅乃が手を引いて三原屋に戻ろうとするとき
「梅乃ちゃん…… 帰ろう」 後ろから声がしてくる。 梅乃が慌てて振り向くと、そこには誰もいなかった。
「二葉、何か声がしなかった?」 梅乃が訊くと、二葉はキョトンとした顔をして 「いいえ、何も……」 首を振っていた。
翌日、一月二日から営業が始まる。 どの見世も元旦は休みであり、営業しているといえば夜鷹くらいである。
夜鷹の金額は安い。そば一杯ほどの値段である。 その為、休みは無くてギリギリの生活をしている。
妓楼にも入れず、寝屋を持たない夜鷹は吉原の片隅でひっそりと生活をしている。
「姐さん、これ……」
二葉が驚く。 梅乃と買い物に出掛けていると夜鷹が睨んでいた。
「二葉、あまり見ないこと」 梅乃が注意すると、二葉は前だけを見る。
あまりジロジロと見ていると文句を言ってくる者もいるからだ。
(元は妓女だし、プライドだけは高いからな……)
そして買い物に来ると、
「明けましておめでとうございます」 梅乃が千堂屋で声を出す。 まだ午前中であり、客も少ない。
「明けましておめでとう。 梅乃ちゃん……って、そこの禿は?」
対応したのは野菊である。 野菊は新しい禿に初対面だった。
「野菊姐さん、おめでとうございます。 先日に三原屋の禿となった二葉です」
梅乃が紹介すると、二葉は頭を下げる。
(姐さん……?) 二葉が不思議そうな顔をすると、
「野菊姐さんは、以前に三原屋で修行をしていたんだよ」 梅乃が説明する。
「三原屋の縁は、それだけじゃないのよ…… 私の母親も三原屋の妓女だったのよ」 野菊が微笑むと、梅乃が驚く。
「すみません…… 知りませんでした」 梅乃が頭を下げる。
「いいのよ! 昔のことで、私だって知らなかったんだし」
それを聞いて梅乃はソワソワしだす。
買い物を済ませた梅乃は、荷物を二葉に運ばせていく。
「よし、出来たね」 梅乃が二葉の頭を撫でると、周りの妓女は視線を逸らす。
(どうした?) 梅乃がポカンとしていると、
「あっはは」 采は豪快に笑っている。
「お婆…… どうしたの?」
「お前の禿への態度を見て、自分たちが恥ずかしくなんたんじゃないかい? いつも禿たちに八つ当たりなどをしていた自分の行動を恥じたのさ……」
(なるほど……)
「それとさ…… 野菊姐さんのお母さんなんだけど……」
梅乃は、千堂屋で聞いた事を話し出すと
「あぁ、千扇かい? まだ三原屋が中見世だった頃、玉芳が子供の時に中級妓女だったんだよ……」
「それで、玉芳が大きくなって……って、あれ?」
采が懐かしそうに昔話をしていると梅乃は消え、聞いていた二葉は居眠りをしていた。
(まったくもって年寄りの話は長い……)
梅乃は長話から脱出し、仲の町で小夜と古峰に合流していた。
「大丈夫なの? 二葉だけ置いて」
「仕方ない…… 誰か身代わりは必要だったからね」 梅乃がケラケラと笑っていると
「あっ― あの女性」 小夜は走り出す。
「あの人……?」 梅乃と古峰が顔を見合わせ、女性を見ると
「まさか……?」
女性を見て、走りだす梅乃と小夜であった。




