第八十五話 仕掛けられた罠
第八十五話 仕掛けられた罠
夜見世が始まる頃、梅乃は菖蒲に付いて引き手茶屋に向かっていた。
(小夜……)
小夜は、梅乃と喜八郎が会っていたことを知ってから戻ってこなかった。
「どこ行ったんだい? あの馬鹿娘は……」 采が怒っていると
「す すみません…… わ 私、探してきます……」 古峰もアタフタしていた。
「いらっしゃいませ」 梅乃が付いた菖蒲と客が三原屋にやってくる。
「お二階へどうぞ」 梅乃は客の羽織を持ち、二階へ案内する。
「小夜は?」 菖蒲が小声で古峰に訊くと、
「まだ……」 古峰は暗い表情で首を振る。
「ふぅ……」 菖蒲は息を落とし、二階へ上がっていった。
「お お婆、行ってきます」 古峰は走って小夜を探しに出て行く。
この日、三原屋の客入りが悪く、いつもより寂しい雰囲気だった。
古峰は仲の町を走りキョロキョロとする。
そして中見世が多くある場所、角町に来ると賑やかな雰囲気だ。
古峰は人が賑わっている見世を覗くと
「花菱楼……」
古峰は勢いの差を知ってしまう。 人の輪の中には小町が番傘を持って舞っている。
そして、人の輪の外には小夜が立っており、花菱楼を睨んでいた。
(小夜ちゃん……)
小夜が古峰に気づくと
“ダッ―” 小夜は走り出してしまった。
「さ 小夜ちゃん―」 古峰も走って追いかける。
小夜は建物の隙間を縫うように細かく曲がり、古峰が見失うように走ると
「あれ? 消えた……」 古峰は立ち尽くしてしまった。
しばらくして古峰が三原屋に戻る。
「小夜はどうした?」 采が息を切らしている古峰に訊くと、
「お お婆…… ゼィ ゼィ……」
「ほら、水飲みな」 采がコップに水を入れると
「ありがとうございます…… 小夜ちゃん、花菱楼を睨んでいて、気づいたら逃げられちゃいました……」 古峰が話すと
(なんだ、必死になると吃音が無くなるのか……) などと、余計な事に関心を持ってしまう。
「お婆、どうしよう……」 古峰が涙ぐむと、采は我に返る。
「仕方ない。 そっとしておきな……」 采は遣り手の席でキセルを吸い出す。
そして時間が経ち、深夜になっても小夜は帰ってこなかった。
(こんな時間…… もうすぐ梅乃ちゃんも戻ってくる。 話そう……)
夜の十時、今までは八時までだったが十四歳になり十時までが仕事になっていた。 そして梅乃が戻ってくると
「お おかえり、梅乃ちゃん。 小夜ちゃんなんだけど……」 古峰が話すと
「行ってくる」 梅乃が玄関に向かう。
「ま 待って、私も……」 古峰が声を荒げると
「うるさいよ! 仕事しているんだよ」 妓女から怒られてしまう。
「すみません、姐さん……」 梅乃は謝り、外に出ていった。
妓楼から外に出ると、アチコチから宴会の声や音が響いている。
梅乃は耳を澄まし、賑やかな見世を確かめている。
「ど どうしたの?」 古峰が訊くと、
「小夜の性格…… 小夜は真面目で大人しい性格だから、こんな時は賑やかな方へ足が向くはず……」
梅乃は賑やかな声がする方を確認し、足を進めていく。
仲の町を抜け、そして耳を澄ます。
「コッチかな……」 梅乃が歩いていく方向は花菱楼だった。
(地獄耳とは よく言ったもんだ……) 古峰は梅乃の聴力に肝を冷やす。
「そして、中央には行かないから外れを……って、いた!」
梅乃の読み通り、小夜は花菱楼の人だかりの外れに立っていた。
「帰ろう……」 梅乃が小夜の肩に手を置くと
「梅乃……」 小夜は驚いた瞬間、手を振り払い
「何で来たの?」 小夜が梅乃を睨む。
「そりゃ、小夜が帰ってこないから……」
小夜は少し黙ったまま下を向き 「そうやって二人で私を馬鹿にしているんでしょ?」 そう言って、涙を溜めた目で二人を睨んだ。
「小夜……」 梅乃は困った顔をしている。 小夜の嫉妬に火を点けたのは喜八郎だ。 面会の説明をしても嫉妬の火に油を注ぐだけだと梅乃は判断していた。
「小夜お姉ちゃん、帰りましょう……」 古峰が手を差し出すと
“パチンッ―” 小夜は手をはたき落とす。
梅乃たちは先に戻り、明け方近くに小夜が帰ってきたという。
“パチンッ―” 朝早くに采が叩く音が響く。
「お前、何やってんだい― 何かあったらどうするんだい?」
小夜は頬を叩かれ赤くしていた。
小夜は涙を浮かべ正座をしている。 梅乃や妓女たちも唾を飲み込んだ。
すると、 「お婆…… 私、花菱楼に行きたい……」 涙を流しながら小夜が言出す。
「何を馬鹿なこと言ってるんだい? どうなっちまったんだ?」 采は怒り心頭になり、叩こうとすると
「お婆、やめて……」 梅乃が止めに入る。
「梅乃……」 采が上げた手をおろすと
「すみません お婆…… 小夜の想いを叶えてください……」 梅乃が土下座をしてお願いをする。
「どうなっているんだ? お前まで……」
(梅乃……) 小夜がチラッと梅乃を見る。
頭を下げた梅乃は横目で古峰を見ると、古峰は察したように外に出て行く。
それを追うように千が走り出して行った。
梅乃が立ち上がり、小夜を見下すような位置で話す。
「小夜…… これまでありがとう…… 二人で育った三原屋を見捨てるんでしょ? 双子のように過ごしたことも捨てて出て行くんだね。 元気でね」
梅乃はアッサリというか、どこか冷たい言葉を小夜に投げかける。
「ちょっと梅乃……」 この言葉に反応したのが菖蒲だ。
騒動を知り、落ち着かない表情で下に来ていた。
「姐さん、ちょっと出掛けてきます……」 勝来が二階から降りてくると、そのまま外に出て行った。
三原屋の空気は悪く、ただ沈黙が流れていく。
梅乃は台所に行き、夜見世の仕込みを手伝う。 片山はキョロキョロしながら様子を伺っていた。
「なぁ梅乃…… この状況でマズイんじゃないか?」 小さな声で話しかけるが、梅乃は反応しない。 それどころか
「潤さん、鳳仙花魁との生活はどうですか?」
梅乃がニカッと笑う。 これには片山も言葉が出なくなっていた。
(そろそろかな……)
梅乃が思った頃、小夜は荷物をまとめる。 妓女たちは戸惑うばかりだ。
吉原には足抜けや心中が多い。 有名なのが『曾根崎心中』であろう。 これは大阪で起きた実話を基に描いた名作浄瑠璃である。
男は醤油屋で働く『徳兵衛』は、天満屋の遊女で働く『お初』と周囲も認める恋人同士であった。 徳兵衛が無実の罪で恥をかかされ、主人からも信頼を失う。 さらには望まぬ結婚を迫られた徳兵衛は絶望し、死んで潔白を証明することを決意する。
それを知ったお初は、徳兵衛との愛を貫くため、共に死ぬことを選び、二人は夜陰に紛れて曾根崎の天神の森へと向かう。
小夜も好いた男の為、十四年育った三原屋を出ようとしていたのだ。
古峰と千が花菱楼に到着する。 二人は顔を合わせて入ろうと決意すると
そこに 「待った!」 勝来の声がする。
「誰?」 千は走ってくる人を見つめるが、顔の認識が出来ない為に戸惑っていると
「か 勝来姐さん……」 古峰が言ったおかげで理解する。
「まだ、お前達では早い! 一緒に……」
そうして三人は花菱楼に向かうと
「どうも……」 出てきたのは喜八郎である。
「あの…… 三原屋の勝来でありんすが…… 小夜の件でお話がありんす」
「話し? 小夜ちゃんのこと?」 喜八郎はポカンとしている。
「小夜は荷物をまとめて花菱楼に来ようとしています。 なにとぞ、断っておくんなんし……」 勝来が頭を下げると、古峰と千も頭を下げる。
「あの…… なんで小夜ちゃんが?」 喜八郎が訊くと
「そりゃ、貴方を好いているからでしょう? それとも……」
「私が誘ったのは梅乃ちゃんですよ! 名前も知れているし、有名人じゃないですか」
「……はい?」 勝来はポカンとする。
「まぁ、いいでしょう…… 小夜ちゃんも花菱楼で引き取りますよ。 禿もいなかったし…… 小夜ちゃんの場合は、彼女から来たということで見世の年季証文は無いですよね?」
喜八郎は、あっけらかんと話している。
「貴様…… 吉原を舐めるんじゃないよ!」 怒りに震えた勝来が声を絞り出すと、
「なんだい? そんなに怒ること? これから花菱楼は高みを目指すんだ。 邪魔しないでおくれよ……」
“パサッ……”
それを聞いた小夜が荷物を落とす。
「小夜ちゃんじゃないか! よく来てくれたね。 君だけかい?」 喜八郎はキョロキョロして梅乃を探しているようだ。
(こんな人だったの……) 小夜は大粒の涙を流す。
その時、梅乃がやってくる。
「梅乃ちゃん、待っていたよ…… 小夜ちゃんも来てくれるみたいでさ」
喜八郎がニコニコしていると
「小夜…… こんな男でいいの? それでも行くの?」 梅乃が小夜に厳しめな口調で話す。
「あはは…… 行く訳ないじゃん。 こうやってコイツの本性を暴こうとしたのよ! 敵を欺くには、まず味方からでしょ!」
小夜は涙を流しながら笑う。 その姿は痛痛しいものだった。
「小夜……」 梅乃は安堵からか、声を漏らすしか出来なかった。
その後、梅乃が力を発揮する。
「野菊姐さん、聞いてください……」
梅乃は千堂屋、川本屋で花菱楼の話をすると噂は一瞬で広まっていく。
そこには『梅乃を強引に引き抜きにかかった妓楼』『小夜を色仕掛けで引き抜こうとした妓楼』ということだ。
吉原では『三原屋の梅乃』というのが有名である。 それを強引に引き抜こうとする悪事には敵意の目で見られてしまう。
大見世を敵に回すと怖いということを知った花菱楼であった。




