第八十三話 隠し球
第八十三話 隠し球
「ただいま戻りました……」 梅乃と岡田が往診から戻ってくる。
明治政府からも医者の派遣はあるが、依頼してから時間が掛かってしまう為に三原屋の岡田に依頼する見世が多い。
その度に三原屋を仲介するので、采は中抜きをしているのである。
「まぁ、妓女で稼げなくなってくるから医者で頑張ってもらわないとね……」
采は現金を数え、そこから岡田に給料を支払っていく。
秋が近づく頃、夏バテや気温の変化で体調を崩す人が多い。
「た~んまり稼いできな」 采はニコニコしながら岡田に給料を渡す。
「どうも……」 岡田は頭を下げていた。
決して給料が高い訳ではないが衣食住が確保できている分、岡田は満足していた。
「これもあるしな……」
これとは、赤岩から受け継いだ蘭学の医術書と治療に使う道具である。 医術に幅が広がり、岡田は満足していた。
「梅乃、この後は予定あるのか?」 岡田が医術書を見せると
「どうでしょうか…… 誰かの宴席に入るとは聞いていませんが……」
梅乃は立ち上がり、采のもとへ向かう。
「お婆、今日は誰かに付く?」
「そうだね…… 特に考えてなかったが、どうした?」
「岡田先生が、この後の予定を聞いてこいと言うから……」
そして梅乃が戻ってくると、
「特にないそうです。 先生の用事を優先しろと言っていました」
「そうか…… これを作ってみたんだが……」
岡田が風呂敷から紙を数枚出してくると
「これは何です?」
「これは腑を書いたものだ。 腹を切ってみると、こういうふうに腑が中に入っている。 これは中心になる胃だ……」
それから岡田の講義が始まる。 胃腸や子宮など、吉原の妓女が調子を落としやすい所を説明していく。
「いつか、お前には堕胎も勉強してもらいたいんだ……」
「えっ? 本気ですか? でも、どうして私に……?」
梅乃は不思議だった。 どうして医者でもない妓女候補の禿に教えたかだ。
「まさか先生……」 梅乃の身体が震えると
「俺は健康だ!」 岡田は梅乃の考えを見透かしたように答える。
「よかった……」
梅乃は、赤岩が病気で亡くなってから心配になっていた。 これ以上、師を亡くしたくなかったのだろう。
十四歳の梅乃には、友人や師が亡くなったことに心の負荷が大きかった。
「でも、どうしてです?」
「これからの時代、たくさんの医者が必要な時代になる。 二人で吉原に居ると、俺も安心だしな……」 そう言って、笑う岡田の様子を梅乃は見ていた。
医術の勉強を再開した梅乃は
「お婆、身体の悪い所はない? お腹が痛いとか……」
「んっ? 大丈夫だが、どうしたんだい?」 采は目を丸くする。
「ずっと元気でいて欲しいからさ…… これを問診って言うんだって」
梅乃の言葉で、采の動きが止まる。
「お前……」 采も良い年齢であり、優しい言葉が染みたようだ。
それからの梅乃は往診や見世の雑務と大忙しになってしまう。
「梅乃……」
「洋蘭姐さん……」 香梅楼の前を通ると、洋蘭が笑顔で話しかけてくる。
「忙しいのかい?」 しばらく姿を見なかったせいか、洋蘭は梅乃を心配していた。
「はい。 なかなか顔を見せられなくて すみません……」 梅乃が頭を下げると
「あんれ? この前の……」 通りかかった女性が梅乃に話しかける。
(あれ? 誰だ?) 梅乃は黙ったまま頭を下げると
「分からなかったかい? 小町よ」
話しかけてきたのは花菱楼の小町だった。 梅乃は花魁姿の小町と見比べていると、小町は少し困った顔をする。
(そんなに違ったかしら……)
「誰かに似ている……」 梅乃がポロッと呟くと
「誰か…… この世界だから、誰かにって言われれば……」 困った様子の小町は手を振り、九朗助稲荷の方へ向かって行った。
「梅乃……」 洋蘭が顔を覗き込むと、
「あの人は花菱楼の小町さんと言って、まだ新造なのかな……? 宣伝の為に花魁姿で仲の町を歩いている人なのです」
梅乃が説明すると、「まさか……」 洋蘭は驚いた顔をしていた。
その後、梅乃は洋蘭に話を聞き三原屋に戻ってくる。
「お婆…… あのさ」 梅乃が洋蘭に聞いたことを話すと
「ほう…… まだ やっている見世があったか……」 采の顔がほころぶ。
それは妓女になる前、花魁候補は宣伝の為に着飾って歩かせた。 宴席や張り部屋にも入らない、ただ歩かせて客引きをする見世の「隠し球」である。 だが、多くの見世は早くに働かせて稼ぎを優先させてしまっていた。
「前に玉芳も使ったんだよ。 アイツ、度胸だけはあったから菖蒲と二人で歩かせたものさ……」 采が懐かしそうに話し出すと
(玉芳花魁は何でもやっていたんだな……) 梅乃は改めて『母の偉大さ』を確認していた。
「じゃ、小夜もいけるね♪」 梅乃はご機嫌で話すと、
「お前は花魁に興味がないのかい?」
「うん…… あまり稼ぎとかじゃなくてさ、三原屋に居られるなら医者でも遣り手でもいい…… なんなら若い衆の仕事でもいいんだ」
そう言って、梅乃はニカッと笑う。
(コイツ、色んな興味を持つクセに、欲がないから不思議なんだよな……)
采が梅乃を不思議そうに見ていると
「お婆だって、いつまでも健康でいれる訳じゃないから傍に居たいじゃない」
梅乃は、ずっと三原屋に居たいと思っている。 同時に親孝行ではあるが、梅乃自身の希望を叶えてあげたいという采の親心が複雑な気持ちを誘ってしまう。
采は、深く呼吸をして
「お前は親の心配をしていないで自分の心配をしろ! いつも危なっかしいことをしてないで!」
采の言葉が厳しくなる。 これは子の心に つい甘えてしまいそうになったからだ。
文衛門も『あの娘たちには立派になって、幸せを掴んでほしい』と言っていた。 これは拾ったとは言え、育てた親として心から願っていたものである。
梅乃は追い払われるように采の部屋から出て行くと
「なんだ? 余計なこと言ったかな……」 不思議そうな顔をして、梅乃は二階に行った。
「勝来姐さん、失礼しんす」 梅乃が襖を開ける。
「あぁ、梅乃…… ちょっと頼みたいことがあるんだ……」
「はい…… なんでしょう?」
「私を玉芳花魁に負けないような花魁にしてくれないか?」
「……はい?」 梅乃がポカンとすると、 “ゴツンッ―” 勝来からゲンコツが落ちてくる。
「いたた……」 梅乃が頭を押さえると、
「「はい?」じゃないんだよ。 何が足りていないのかを助言してくれたり、誰よりも凄い花魁にしてくれって言っているんだよ」
「言っている意味は分かりますが、私は花魁じゃないし、妓女にもなっていないのに……」
梅乃が困った顔すると
「お前は、まだ自分の才能に気づいていないんだな……」
勝来が ため息をつく。
「私の?」 梅乃は自信の胸に指をさす。
「と とにかく、そういうことだ…… よろしく頼む」 勝来は菖蒲の部屋に向かってしまった。
(私の才能……?)
困った梅乃は、古峰に相談する。
「古峰…… 私の才能って何?」
「う 梅乃ちゃんの才能……」 古峰が色々と考えていると、陰にいた小夜が聞き耳を立てている。 二人は小夜の存在に気づいていない。
(それは、私も不思議だった。 ただ明るいだけでは名前を知ってもらえない…… でも、吉原の人のほとんどが梅乃の名前は知っている。 どんな秘密があるんだろう……) 小夜が息を飲むと
「う 梅乃ちゃんは、見世の壺を割ったり障子を破いたりするのが凄いと思う…… 普通なら気をつけるのに、全然、気にしないで破いたり壊したり……」
古峰の言葉で梅乃は言葉に詰まり、小夜はズッコケていた。
(確かにそうだけどね……)
古峰は、それ以上の言葉を言わなかった。 “気遣いの子 ” である古峰は梅乃の凄さを知る者である。
(あえて持ち上げる必要はない。 このままの梅乃ちゃんだから良いんだ……)
梅乃は分からないまま終わらせられた気分になり、仲の町を歩きだす。
(なんだろう、才能って……)
「確か、梅乃ちゃん……だったわよね?」
振り向くと、小町が近寄ってきた。
「こんにちは」 元気に挨拶をすると、
「梅乃ちゃんは妓女になるんでしょ? 私に助言を貰えないだろうか……」
ここでも言われてしまう。 梅乃が困った顔をすると
「私、もう十七歳になるんだけど…… まだ妓女にさせてもらえないんだ…… 足りないことが多いんだろうね。 こうして歩くのが仕事って言われてさ……」
梅乃は、これを聞いて分かった。
「姐さん、玉芳花魁って知っています? 数年前、吉原で花魁をやっていたのですが……」
しかし、小町は知らなかったようだ。
(段々と薄れていくんだな…… これも時代なんだ……)
段々と玉芳や鳳仙、喜久乃の三姫を知らない世代の妓女も増えていく。 そこには寂しさと、時代の流れを感じ取ってしまう梅乃。
それから梅乃は小町との距離を縮めていく。
見世が大事に育てている二人は、お互いに隠し球とは知らずに交わった瞬間でもあった。




