19 思いがけぬ再会
親衛隊が野営地を出発して二日、順調に北上していた親衛隊本隊は昼を前にしてその行軍速度を落としていた。
親衛隊は勿論の事、王家の者もそれに仕える者も、誰一人として強行軍に弱音など吐かなかったのだが、馬達はそうはいかなかったのである。
そんな異変に気付いた者達から報告を受け、隊長のゼノは少し早い昼食を取る事にして本隊を停止させたのだが、さすがに苦い表情のまま休息の指示を出す。
「馬にまで気が回っていなかった……僅かな休息で回復するものなのか……」
「もう半日も掛からないというのに……馬に回復薬を与えてみますか?」
「いや、その回復薬もそんなに数は無いのだろう? 万が一を考えると今ここで使う訳にはいかん……」
「そうですね……」
ゼノが馬の異変に気付いた者達とそんな会話を小声でする中、大半の者は馬を街道脇の木々に繋ぎ、干し肉を齧りながら思い思いに休み始めた。
そうして暫くした頃、隊列の後方から明るい雰囲気のざわめきが徐々に先頭に向けて伝播し始めた。
「えへへ、いい子だね! もう少しだから頑張ろうね?」
ざわめきが近づくにつれ、ゼノ達にもそれが馬達に声を掛けてスキンシップを図るアイスと、嬉しそうにアイスにじゃれつく馬達の姿に驚き、感嘆する隊員達の声だと分かった。
「アイスちゃん、まるで本当に馬達と話してるみたい……」
「本当に天使みたい……なんか輝いて見える……」
馬達と戯れるアイスを見て、ネラとアマンダが呆然と呟き、ゼノや周りの隊員達も暫しその光景に見惚れている。
実はこの時、アイスも馬達の不調に気付き、後方から一頭また一頭と声を掛けながら竜力で癒していたのであった。
その為、アイスは実際少し輝いているのだが、そんな事あるはずがないという先入観とキラキラとした日差しによって、その事実に気付く者は居なかった。
そんなアイスのファインプレイにより馬達は復調、馬達の異変に気付いていた者は首を傾げる事になるのだが、事情を知るゼノは協議で聞かされた、アイスが実は星巡竜だという事が本当だったのだ、と身震いするのであった。
その後、本隊は無事に北上を再開する事ができ、隊員達もほっこりした雰囲気からピリッとした雰囲気へと態度を改めていた。
だが、それが王家の馬車の手綱を巡って数名の隊員が言い争ったが為に、ゼノから大目玉を喰らったのが原因だというのは、誠に残念だったと言えるだろう。
ともあれ本隊に大幅な遅れが生じる事態は回避され、数時間後、本隊は無事に先行隊と合流を果たすのであった。
エンマイヤー領は王都と違い、王都との境以外には周囲に境界を示す柵などは無く、四方を小さな森で囲まれているだけであるが、北のホープ鉱山と南の街道へ出入りする箇所は森が伐採され、広く道が作られている。
南の街道から領内に入るとそこは木造や石造りの建物が並んでおり、商業施設が多数を占めるエリアとなっている。
その商業エリアの外側に向かうに従って住宅が増えていくのだが、更に外側と森に挟まれた部分は農耕地、北には鉱山と、マーベル王国の中で最もバランスの取れた領地なのであった。
そんな領内を管理、統括しているエンマイヤー公爵が住み、一部エルナダ軍に部屋を貸し与えているのがエンマイヤー邸という大きな洋館であり、広い敷地を背の高い石造りの塀で囲んだその様子は、町の人々に気軽には入り難い雰囲気を醸し出していた。
「やはりこれ以上の解析はここの設備では不可能ですね……本国ならば、何とかなるのですが……」
「そうか、仕方ないな……その後の動きは?」
そんなエンマイヤー邸の東の端に位置する二階の広間では、十名の将校が運び込まれた機材を前に作業をしており、一目で上官と分かる人物が部下から報告を受けている。
部下が手にしているのは、一昨日に各領地へと手配されたお世辞にも鮮明とは言えぬココアの写真であり、ここはソートン大将の部隊に籍を置く情報部に与えられた部屋であった。
「分かりません。やはり警戒してこのまま動かないのでは?」
「いや……スパイバグの発見は公爵が城からこちらに戻った夜だ。という事は、敵は城が現在手薄だという事に気付いている可能性が高い。ならば、その情報を国王側に流せば、その混乱に乗じて動けると考えるのではないか?」
安易な部下の発言に、その場を統括するフルト少佐は自身の推測を聞かせた。
彼らが警戒しているのは、あくまでもスパイの存在であった。
「仮にそうだとして、王都周辺で活動するスパイが行方も知れぬ国王側に情報をどうやって流すのです?」
「ノイマン騎士団が居るじゃないか。彼らの一部はリーブラの町に残っているのだろう? そこならばスパイ自身が行き来するのも然程難しくはないだろう」
更に疑問を呈する部下に、フルト少佐はやけにあっさりと答えた。
彼は、人質を取られているノイマン騎士団が敬愛する王家の捜索に乗り気ではない事くらい分かっていた。
そればかりか、もしかしたら既に接触して対策を練っているかも知れない、と考えていたのである。
この時の彼らの会話は、エンマイヤー邸で発見されたココアをスパイバグだと断定し、そこからスパイの活動範囲を推定してのものであった。
よってココア発見時であれば彼らの推測はまるで見当違いだったのであるが、現在のリュウは彼らの推論を裏付けるかの様に、奇しくも王城の近くまでやって来ているのであった。
「なるほど……それで少佐、実際に国王が城を奪還しに来た場合、我々は如何に動くのですか?」
納得した様に頷いた部下が、次いで未だに決定されない自分達の方針について尋ねると、他の部下達も気になっていたのだろう、それまで作業をしていた手を止めてフルト少佐に不安そうな視線を投げかけた。
「それは未だ分からん……が、お前達もある程度の想定はしているのだろう? ならば、どう転んでも即応できる準備をしておけ」
部下達の反応にフルト少佐は小さく首を横に振ったものの、部下達を見渡して多くは語らず、心構えのみさせるに留めた。
それはフルト少佐が日頃から部下達を信頼している証でもあり、部下達もそれ以上の事を尋ねる事無く作業に戻る。
そんな部下達にフルト少佐は小さく頷くと、自身でも想定される事態を改めて思い起こす。
再度交渉する手間を考えればこのまま公爵側に、というのが軍内部での大半の意見であったが、国民の不満が有る訳でも無いのにクーデターを強行した公爵は今後果たして国を纏められるのか、という懸念が有るのも事実であった。
だがこれらは、マーベル王国内でエルナダ軍が確固たる立場を築く為のものでしかなく、ソートン大将がそれで満足するとはフルト少佐には思えなかった。
そこで考えられるのが、一先ずは公爵に国を任せ、国民の不満の高まりと共に舞台から退場してもらう案と、国王派と公爵派が争い、疲弊したところを一気に封じ込めて国を奪ってしまう方法である。
ソートン大将がこの世界を征服したいというのは本心だろう、とフルト少佐は常日頃の大将の発言から思ってはいたが、同時に豪胆に見える大将が実は周囲を良く見ている事も知っていた。
そうでなければ、実力のみでは精々大佐止まりの熾烈な出世争いを勝ち抜き、大将にまで上り詰める事は出来ないからである。
大将の性格を考えるならば、国民の反発を招く様な真似は避けるだろう、そう思うフルト少佐であったが、このウィリデステラという惑星に来てからは、その文明の低さを軽視しているのか、クーデターに一役買ったり、部隊の四分の三を南へ派遣したりと、大将の行動はいささか性急である様に思えるのだった。
「ま、どう転んだとしても我々のやる事は変わらんか……」
フルト少佐は小さくそう呟くと、自身の腰掛ける椅子に深く体を預けた。
ソートン大将の思惑も、マーベル王国の行く末も、フルト少佐個人にとっては別にどうでも良い事であった。
彼はただ、自身に与えられた任務を完遂し、自分を慕って付いて来た部下達を無事に本国へと返してやりたい、そう願っているだけなのであった。
「少佐! 街道を結構な数の騎馬が北上しています!」
突然、部下の一人が静寂を破った。
「何号カメラの映像だ?」
「七号です」
フルト少佐が部下の下へ向かいながら尋ねると、その部下は目の前のずらりと並んだモニターの一つを凝視しながら答えた。
王家が城を脱出し、領主の身柄と引き換えにノイマン騎士団に捜索を命じた時から、情報部は捜索が順調に進むかどうかを訝しんでいた。
その為、数が少ないながらも独自に小型カメラを街道の所々に仕掛けていたのである。
そしてこのカメラは動体検知式であり、常時稼働はしているものの動体を認識していなければ通信は行われないタイプであった。
それ故、通信中ならともかく、そうでなければ発見は金属探知か目に頼るしかなく、ミルクやココアも探す気でなければ、いや、探す気であっても発見は困難という厄介な代物なのであった。
因みに、エンマイヤー邸でココアの姿を捉えたのも同様のカメラである。
「この鎧……間違いない、親衛隊だな。現在使えるビークルは?」
「こちらには小型が一台、中型は現在……鉱山です」
ズームされた映像を見て確信するフルト少佐の問いに、別の部下が即答する。
「……よし。では、アラドはガリーとリグを連れて鉱山から一個分隊を借りろ。中型ビークルで王城へ向かい、途中でリグと一個分隊を、王城でガリーを降ろしたら駐屯指揮官のセルジ大尉に事情を説明して一個分隊を借り受け、四号カメラ付近で警戒線を張れ。ガリーはセルジ大尉から一個分隊を借りて王都を、リグは公爵領の西側を、それぞれ分隊を指揮して不審な通信波を探し出せ」
「「「はっ」」」
僅かな時間で考えを纏めたフルト少佐は小さく頷くとてきぱきと部下に指示を飛ばし、部下達の小気味良い返事に再び頷いて再度口を開く。
「いいか、国王派と公爵派の争いに我々情報部は介入せず、スパイ捜索に全力を挙げる。アラドに警戒線を張らせるのは情報部も今は争いに注力していると敵に思わせる為だ。よって、発見困難なスパイバグよりもスパイの特定、及び拘束を最優先とする。スパイの拘束についてはお前達の裁量に任せる。以上だ、直ちに行動を開始せよ」
フルト少佐の落ち着いた説明に、部下達も動じる事無く聞き入っている。
そして発せられた命令に、部下達は引き締まった表情でそれぞれの役割を全うすべく動き出すのだった。
「漸く動きが有ったけど、ただの交代かなぁ……」
エンマイヤー邸から小型ビークルが北へと走り去って行くのを、ココアが呟きながら見つめている。
彼女は一晩かけてエンマイヤー邸の内外に油を撒いたり、金属類をくすねてはお手製の発火装置を仕掛けて回り、少し離れた民家の屋根でじっと合図を待っていたのだ。
ココアはエンマイヤー公爵がエンマイヤー騎士団を王城守備隊に二百名、王都騎士団に六百名を混成させた以外には、公爵領での通常警備に当てている事と、王都の警備を残る王都騎士団とフォレスト騎士団の半数に任せている事を確認していた。
それだけに捕らえた人質の守りは厳重ではあったが、何よりエルナダ軍の力を当てにしているのは明白であった。
そしてそれは、エンマイヤー騎士団からの損失を極力減らそうという魂胆までココアには透けて見えていた。
そんな訳で、エンマイヤー邸以外には騎士団の詰所や騎士達のよく集まる所に発火装置を仕掛けているココアなのであった。
ココアは小型ビークルが見えなくなると、いちいち対処する程の事ではなく、何か動きが有ってからでも十分対処できるだろう、とコロンと屋根に寝転がる。
「さて、いよいよ逆転劇の始まりね……バッテリーの残りは心許ないけど、敵の足止めくらいなら問題無い……うふふ、ご主人様と一分の……はっ!? むしろヘロヘロになるまで頑張った方が、ご主人様を一晩独占できるとか!? うふ、それいい!」
身勝手な妄想に両手でその身を抱きしめ身悶えしつつコロコロ転がるココア。
まったくもって相変わらずのココアだが、これでもなるべくバッテリーを温存させる為に自重しているのである。
「――ッ!? ……う、嘘でしょ!? なんで……」
そんなココアの目がある光景を捉え、ココアはピタリと止まって呟いた。
そしてキョロキョロと辺りを見回して安全を確認すると、屋根から目標に向け飛び立つのであった。
エンマイヤー邸から少し南西に離れた民家が立ち並ぶとある一角は、他の所と違って人通りが無く、閑散としていた。
そんな場所を小さな二人の人影がキョロキョロしながら歩いている。
やがてその二人は何やら相談を始めると、少し薄暗い路地裏へと恐る恐る足を踏み入れた。
「こらっ! 何してるの!」
もうすぐ裏通り、という辺りで突然叫ばれ、二人はビクンっと跳ね上がった。
そして恐る恐る振り返るのは、ぬいぐるみを抱えたミリィとリックであった。
「コ、ココアちゃん!」
「ほんとに居た!」
目を真ん丸にして驚く二人の前に、ふわふわとココアが滞空していた。
「ほんとに居た、じゃないでしょう!? こんな所で何やってるの!? それに路地裏なんて入っちゃダメ! 危ないで――」
「ココアちゃん、無事で良かった――」
「だってココアが捕まっちゃうって――」
「ずっと心配して――」
「だから俺達、探しに――」
「待って、待って! 静かに! いっぺんに話さないで! 落ち着いて!」
二人を叱るココアを遮って、心配するミリィと言い訳するリック。
興奮して話す二人にココアは慌てて一先ず落ち着かせ、彼らから話を聞く。
それによると、懸賞金を掛けられたココアが捕まらない様に、二人はリックの父親に頼んで賞金目当ての連中と共にココアを探す為にやって来たのであった。
本当は王都に行こうとしていた二人であったが、それは叶わず、仕方なく親の目を盗んで王都に向かって歩いていた、という事だったのだ。
まったく無謀な事ではあるが、ココアが運良く見付けた事で二人はその目的を果たし、歩き回った苦労も報われたのであった。
「そういう事なのね……二人共、気持ちはとっても嬉しいけど、ここはもうじき火事になったり、騎士が走り回ったり、とっても危なくなるの。ココアは飛べるから大丈夫だけど、二人は飛べないでしょ? だから、お父さんの所に戻って早くお家に帰らないとダメ! じゃないと、お父さんまで怪我しちゃうわよ?」
「うん……」
「けどさぁ……」
事情を理解したココアが優しく二人を諭すものの、ミリィもリックもココアと離れたくないのか歯切れが悪い。
「ほらほら、そんな顔しないの! ココアは二人の顔を見て凄く元気になったんだから! それに、今日の内にはココアもリーブラの町に帰るんだけどなぁ?」
「えっ!?」
「ほんとっ!?」
そんな二人にココアがこの後の予定を話すと、二人の表情が明るく弾けた。
「本当よ! なぁに? ココアの言う事って信じてくれないんだ?」
「う、ううん! 信じてる!」
「お、俺だって!」
「じゃあ、絶対行くからお家で待ってて! ね?」
「う、うん」
「分かったよ」
そしてちょっとズルいセリフで二人の行動を縛ってしまうと、二人を路地から連れ出した。
「二人共、ここからお父さんの所まで戻れる?」
「うん!」
「大丈夫だよ、真っ直ぐ来ただけだから」
来た道を戻るミリィの肩に座るココアに問われ、素直に答える二人。
「そう、良かった。気を付けて帰ってね、嬉しかった。ありがとう!」
「私も会えて良かった! またね、ココアちゃん!」
「家で待ってるからな~!」
そしてミリィの肩からふわりと浮き上がるココアが微笑んで別れを告げると、二人も笑顔で手を振りながら、仲良く手を繋いで帰って行った。
ココアは暫くそのまま手を振っていたが、人の気配を察すると民家の屋根へと飛び上がり、そのまま屋根伝いに元の待機場所まで戻るのだった。
「あー、びっくりした……とんだサプライズだったわね……」
そう言って元の位置にふわりと降り立つココア。
やや非難めいた言葉とは裏腹に、その表情は嬉しさに満ち溢れていた。




