九十五話 邂逅
「――この視線」
レイジは大地へ降り立ち、辺りへ視線を張り巡らせる。
鬱蒼とした森林内部だ。
転移術式そのものが消滅してしまったこの世界では、新しく入ってくる人の可能性は限りなくゼロに近い。
それこそ、来られるのはレイジのような特異な存在か、似た種の化け物のみだ。
「しかし、この禍々しいものはなんじゃ……?」
災厄でもなく、消滅でもない。
が、どこに居てもその奇妙な視線がこちらを突いてくる。
まるで、大切なモノでも見つけたかのような――同時に、何かを憎んでいるような――複雑な感情が織り混ざって説明の付けられない、そういう類の視線。
異質な力などは感じられず、さほどの驚異はないみたいだが。
「まぁ、よい」
単純に、地形がそうさせる類のものの可能性がある。
原因が不明な以上、詮索は時間の無駄であることに変わりはない。
「この辺りじゃったな……いや、もう少し先に行ったところで倒れているのか。それとも、既に意識を取り戻しているのか」
災厄の障気に包まれたこの世界では、誰かの気配を探ることすらも難しくなっている。
この森のどこかに渓谷があり、その先は――。
「ふむ。エルリアめ……面倒を掛けさせる」
レイジは目を閉じ、静かに息を吐いて眉間に皺を寄せる。
「妾がこのようなことを、するとはな」
どうるすことも叶わない。見守ることさえ許されない。
ただ、願うことだけが、残されたこと。
何を願う?
全てが無事に終わること?
そうではない。
そんなことは、何も望んではいなかった。
今やただ、一つ。
無事で居てくれることが、望みだった。
「頭が……痛いです」
「大丈夫? 私には、何も感じられない」
「その方がいいですよ。こんなもの、知らない方がいいです」
アリシーは願う。
もう叶わない望みだとしても。
「――ここに居たんだ。捜す手間、省けたよ」
「……? どうして、ここに」
港町グリーフ。
唐突にその姿を眩ましてしまった律樹達を、追い掛けることはできなかった。
グリーフが造り出した空間にリセルはいたが、アリシーはそこにはいない。
だがリセルから言伝で聞かされていたアリシーは、事の詳細を十分に理解していた。
だから、ここに――。
「何をしに、来たの?」
敵に回ったというエクサルがこの部屋に現れるのは、あまりにもおかしかった。
確かにエクサルほどの人物であれば、扉を開けずとも侵入してくることは容易であろう。しかし、現在エクサルは律樹達と交戦しているはずなのだ。
ここに現れた以上、その状況が終わったことは明白だった。
となると、エクサルはどのような目的でここへ足を運び、アリシーとリセルの元へ現れたのか。
「一度会ってるから面識はあるよね。私はエクサルだよ、二人に協力して欲しいの」
「協力?」
アリシーはエクサルの方を向き、明らかな敵意の篭もった眼光を突き刺した。
「どの面を下げて何を言いに来たのか知らないけど――私の前に出て来たんだから、生きて帰れるとは思わないで」
鞘から綺麗に研がれていた刃を抜き、その切っ先をエクサルに向ける。
彼がどうして旅を続けているのかは理解していた。
それは、彼もアリシーのように自分の意志で人を捜していたから。同時に、その人の命を狙うエクサルと、レイジを止めるためだ。
そうさせた原因の一人が、そこにいるのだ。
激情を止める必要がどこにある。
彼はもういない。
この人達に敗れ、命を落としたのだ。
そうでなければエクサルはここに姿を現すことはない。
柄を、強く握る。そのまま潰してしまいそうなほどに握り締めた。
「あなた達のせいで、律樹は!」
「勘違いしないで、別に死んでないよ」
「ふざ――」
「殺してないし、殺せない。私は彼を元に戻すために、こっちに来たの。そっちのあなたなら分かるかな?」
アリシーに向けられた刃などはどうでもいいのか、エクサルはその横で俯いている女性を見つめる。
桃色の髪、横から出た長い耳。
彼女は何もかもを知っていたような寂しげな表情で、顔を上げる。
「……とうとう、ですか」
「その言い方だと、事前に全部分かっていたみたいだけど」
鈴峰律樹は、自分の中に潜んでいた禁忌に浸食されて、呑み込まれてしまったのだ。
「彼を助けられるのはあなただけだよ。アヤクスィダントを眠りから解放した、禁忌に触れることのできる、あなただけ」
「助けられる保証などありませんよ。私がいくら呼び掛けても、その声が届かない時だってあります」
リセルとアリシーは、鈴峰律樹が居ないところで度々話し合っていた。日が経つにつれて変化していく彼のことを、彼だけには知られないように。
もっとも、自分にだけ何かを隠していることについては気付いていたみたいだが。
その上で、試行錯誤を繰り返し、どうすることもできなかった。
幾度彼の内部に干渉したが、彼の中の禁忌は反応を示さなかった。それを尽くしてきて、現状が変化することはなかったのだ。
彼の肉体の症状が悪化することはあれど、治ることはなく。
そうして二人に見守られながら、彼はぎりぎりのところで彼自身を通していた。
その状態さえ続けられないほどになってしまった場合、二人は覚悟を決めていた。
彼も言っていたことだ。
『自分が害種などになってしまったら』
――迷わず始末してしまっていいと。
「ねぇ、教えてよ。あなたは律樹やエルリアさんを殺そうとしていたんでしょ? なのにどうして助けようとしているの? 私にはあなたが何考えてるのか全然、分からない」
「私も分からない。だけどもう戦おうとなんて思ってないよ。一つだけ分かるのは、彼――鈴峰律樹を取り戻さないと、世界が終わるってこと」
「え……?」
「今、その彼をアヤクスィダントが止めていて、アヤクスィダントが私に頼んできたんだよ。リセルを連れてきてってさ」
「どういうこと、それ」
エクサルはアリシーの構えている刃をがしりと掴んで、自身に向けさせる。刃を握る手に、傷は少しも付いていない。
「それをこれから説明するんだよ」
アリシーが刃を抜こうと力を入れるが、エクサルの手からはぴくりとも動かない。
どころか、その刃は徐々にエクサルの方へと進んでゆく。
アリシーが本気の力を入れて、引っ張っているというのに。
「――その前に」
エクサルは無表情のまま、その刃を自身の胸の中央に突き刺した。アリシーの顔が驚愕に染まり、思わず剣を握る手を離してしまう。
傷から大量の血液が流れる。それはエクサルの衣服を汚し、床を赤色で染めていく。
エクサルはまるで何事もなかったかのように、口を開いた。
「私は私のやり方しかできないけど。ごめんなさい、彼を、いっぱい傷付けた」
と。
言って、ウェインの剣をアリシーに手渡した。
エクサルは生きている。
概念として流れ出る血。
動いている心臓。
渦巻く感情。
例え所詮はそのように造られた概念なのだとしても、あれば、それでいい。
そこに居たのは、倒れ伏す憐華を介抱しているグリーフだった。
他に来ていた二名の姿は見えないが、目的の方はこちら。発見できただけ重畳だ。
「ふぅむ、まだそこに居たか……こちらへ来て、正解じゃったの」
見たところグリーフの体力は概ね回復しているようだが、憐華の方が危険な状態に晒されているようだった。
生身の肉体で災厄などを行使していれば、そうなるのは必然。鈴峰律樹のような異常な精神力を持っていない憐華が力を振り回し、あまつさえレイジやエクサルとの正面衝突を何度も行えば、当然の結果ではあった。
「グリーフよ」
「レイジ……あなたが何故、こちらに戻ってきたのでしょう」
「さてな。そこの女は無事に命を繋げているみたいじゃが――手を貸してやろうか?」
「いえ、要りません。それよりも、どのような風の吹き回しなのですか? 私には未だ、災厄の臭いが辺りを包んでいるように思われるのですが……戦いの方は」
憐華を悲哀による加護で包み、その手から離して大地へ寝かせた。憐華の意識は深いところに堕ちている様子ではあるものの、グリーフの言う通りレイジが力を貸す必要もなさそうだ。
「はん、残念じゃが戦いは幕引きとなった。妾がエルリアに手を出すことは、もうないじゃろうよ」
「そうですか。この濃い災厄のお陰で、皆さんがどうなったのかが分からず仕舞だったのものですから。ですが、それを私に報告しに来る意味とは――」
「ああ、貴様に前置きは要らぬようじゃのう。――律樹が、ラプスに取り込まれておる」
「……ああ、そういうことですか」
間隔すらも空けず、グリーフはそう頷いた。
レイジは懐から抜いた青色の玉をグリーフに投げて寄越す。
「エルリアが貴様にも助力を講うておる。そいつは返してやろう、元々貴様の所有物じゃからな」
「ありがとうございます。しかし、そう簡単に渡してしまってもいいのですか? 私が【アスピレイ】で攻撃する可能性も、ありえるはずですよ」
「しないじゃろう? 加えて言えば、そんなものをけしかけてきたところで妾は死なん」
ところで、とレイジは話を切った。無駄話をするつもりは全くないのだろう、グリーフもそれ以上は何も発することはなく【アスピレイ】たる核から龍を解放する。
どしりと大地に顕現したその龍は気持ちよさそうに唸るのみで、レイジの宣言通り何もしてはこない。
「他はどうした? 貴様の連れと、エクサルの連れがどこかでくたばっているはずじゃが」
「近場にいますよ。その内こちらに合流しに集まるとは思いますので、気長に待つつもりでしたから。私は彼女から目を離すわけにはいきませんし」
「ならば妾が探してきてやる。詳しい事情説明は後にしよう――そこらにおるじゃろう。すぐ戻る」
「助かります」
レイジは赤の粒子と化し、先程立っていた位置から消え去る。時間が惜しいのだろう。
「彼ならば、心配をする必要はないでしょう」
グリーフは特に焦る様子もなく、憐華の頬を撫でる。
彼ならば――。
他にはあって、自分にはないものがある。
自分以外はそれを手にすることが出来たようだったが、ついぞそれが自分に訪れることはなかった。
故に、それが何なのかを説明するには経験も、理解も、全てが足りない。
しかし“それ”自身を知っているのは、元々の本能からか。
レイジはとぼとぼと歩きつつ、珍しく余計な思考を挟んでいた。
「妾がそれを理解することは、今後もないじゃろうが」
それには少し、永く生き過ぎた。一度は人間として潤っていた感情も、永い時が過ぎれば風化していく。食べ頃の実が旬を過ぎて腐り落ちるように――自身は、とうの昔に腐っている。
「妾だけじゃったな」
最初から最後まで、奴らが当たり前のように行っている恋愛というものが、分からなかったのは。
レイジは過去へと記憶を遡らせつつ、フンと鼻で笑う。
「だからどうしたわけでもない――そうであるのならば、妾には必要ではなかっただけのことよ。いずれ機会が訪れれば、欲しもしよう」
傷だらけで地に伏すエステを発見し、レイジは意識を切り替える。
人などに手を貸そうと本気で思ったのは、何百年振りのことだろう。
他者に対して憤怒がもたらすモノ以外の感情を持ったのは、何度目か。
レイジは、変わる。
人と同じように、彼女もまた変わっていく。
彼女は確かに、生きているのだから。
無尽蔵に生み出される災厄は、ラプスを抑えることに成功していた。決してエルリアが優勢というわけでもないが、ラプスの放つ消滅の色香が障壁を打ち壊すこともない。
だが、それを操る術者の体力は無尽蔵ではない。
徐々にではあるが、エルリアの身体は悲鳴を上げ始めていた。
「――《ディスタブ》――」
エルリアが持つ災厄は、他の者のように感情から発生する能力ではない。彼女の始まりは、単純な禁術の重ね掛けだった。
かつて鈴峰律樹に教えた禁術もその一つ。
それは自らが持つ意志、即ち魂そのものを物理的な力に変換する魔法だった。
エルリアは【ルーイン】を顕現させた代償として死に、永遠に現世をさまよう呪いに囚われていたが――肝心の魂は、残っていたのだ。
それを使って力を増幅させた際に、呪われた存在が異質な能力へと変換されたもの――総称が“災厄”。この世の全ての災いを司る、エルリアが生み出してしまった禁忌の力だ。
けれど、力は力として立派に機能する。なんであろうと構わない。エルリアはその状態を維持するべく、禁忌を重ねに重ね力を増幅させ続けていた。
もう後には戻れない。
止まればそこで、破滅してしまうから。
「《インプット》」
エルリアの術式と言語の知識は、そのほとんどが憐華のものであった。
形にしたい能力を想像し、創造するための術式は魔法陣から。
能力と描いた術式に動きを与え、顕現させるための言語は英語から。
そのどちらを行使するのにも禁忌である災厄は必要不可欠。
故に、エルリアは禁術を使い続ける。
存在そのものが災禍と化した、魂を削って。
「《オーバーロード》」
一歩も引くことは許されず、殺すこともできず。
この世に災厄をもたらすだけの禁忌で、彼女は護ると決意した。大切な人を、この手で護る為に――。




