九十六話 懸ける想い
砕かれた障壁は数十を越えた頃、ラプス――鈴峰律樹の肉体に僅かな変化が訪れていた。
「あ、ああ、うう――」
動きが鈍っているでもない。力が暴走しているでもない。
まるで、彼が自身の心の中で戦っているかのような、不自然さ。
それがラプスからは感じられた。
エルリアが張り続ける障壁を破壊しようとはしているが、一瞬動きが止まったり、灰色の渦が時折歪に波立つなど関係のない動作が度々現れている。
お陰で新たな障壁を張るまでの時間を稼ぐことが可能となっていた。
依然として厳しい状況なのは変わることはないが、
「――ああああああああああああああああああ」
その肉体に決定的な異変が起きたのは、ようやく新しい術式を描いて展開させた刹那だった。
灰色へと変色した腕に真紅の亀裂が走り、辺りを浸食する灰色の湖も同様に赤く明滅を始めた。
その色と威圧は、まるでレイジのように。
「《インヒビター》」
張ったばかりの障壁に亀裂が入った。
半透明の壁がびきりと割れ、突破しようと消滅がなだれ込む。
長い戦いの末、頼もしい戦力であった【ローンギング】と【デスパイア】も主が場に居ず力の供給源を失っているため、無理はさせないようエルリアが後退させている。
そのため、ラプスの攻撃は全て一人で捌かねばならないというのに。
「持って下さい……!」
エルリアの蓄え続けていた力をごっそりと削り、亀裂を覆い隠すようにして新たな障壁が消滅の行く手を阻んだ。
そこに、武器の形を模した赤色が叩き込まれた。武器であればなんでもいいかのように、槍、剣、矢、それらてんでバラバラの形をした“憤怒”の力が次々に精製され、エルリアとラプスを断っている壁へと無慈悲に突き刺さる。
武器の中には、ウェインの剣を模した短剣も存在していた。
――彼の記憶の中にある全てを、ラプスは現実へと投影しているのだろう。しかし戦法など存在せず、子供が駄々をこねるような出鱈目さでありったけの力が放出されていく。
が、その力はエルリアの数倍にも及ぶ――。
単なる駄々でも、そうなると一方的な暴虐に等しい。
ぴしり、と新たな障壁にも亀裂が走る。更なる障壁を生み出そうと術式を練る時間はもうない。
障壁は完全に瓦解した。無惨に壊され形を失った災厄が白銀の光となって消え、続く憤怒がエルリアを貫こうと舞い踊る。
創造され放たれるそれらは、横殴りの雨のようにエルリアへと降り注いだ。
「――く」
防御は間に合わない。簡易で張り巡らせた結界はいとも容易く破壊され、エルリアの全身を様々な形の憤怒が貫き破裂する。
これが人間の形状を形造った力の固まりでなければ、肉の欠片も現世へ留まることを許されてはいないだろう。
全身が砕け、ぼろぼろの身体で宙へと退避していたエルリアは、その傷を高速で癒して元通りにしていく。
無くなった箇所は新しく構成すればいい――エルリアも、最早人間ではない。禁忌そのものと化した、事象の存在だ。
そう、強がっていられるのも時間の問題だった。
「律樹さんがまだ頑張っているというのに、私が諦めてどうするのですか――」
エルリアの展開させた自己増殖の禁術は、単に災厄を増大させるものだ。本格的な活動には程遠い現状、準備も時間も足りない今、徐々にではあるもののラプスの力に押され始めていた。
一体どこからその力を生み出しているのか――ラプスから溢れる力は、時を重ねるに連れて凶悪に膨らんでいる。その差はエルリアの力を凌ぐほどに高密度で。
力の使い方を一歩間違えれば、一撃で星そのものを破壊してしまいかねない量の消滅が、大地を空気を浸食していく。
既に一人ではラプスを抑えきれないほど、その力は強大になっていた。
それだけではない。先程は憤怒だけを生み出していたその消滅は青色へ、紫色へ、それぞれの力へと変出し始めていて。
それは紛れもなく、狂喜と悲哀。
レイジだけではなく、エクサルとグリーフの持つ力まで再現するとは――。
「死んで、死んで死んで死んで死んで死んで死んで死んで死んで――」
障壁など張る猶予は残されていなかった。レイジがエルリアに向けて放つ乱撃乱打の嵐を回避し、こちらが滅ぼされないように立ち回るので精一杯。
ラプスが目の前の敵を消し去ることに夢中なのが幸いではあるが――。放たれる力の塊は、一撃が即死級の破壊兵器なのだ。
穿たれた大地が弾けて爆散し地形が変貌してゆく中、白銀の主はぎりぎりのところを躱して避け続ける。
禁忌そのものであるエルリアと言えど、消滅の直撃を貰うわけにはいかなかった。
一度力を行使するだけで大量の代償を支払わなければならない代わり、強力な力を手にすることができるのが――禁術が禁術と呼ばれていた所以なのだ。
今はその時代自体が消滅してしまっているが、負の遺産は未だ此処にて健在している。
エルリアは特異な形へとシフトしているからこそその代償から免れているが、鈴峰律樹は違う。
その力を考えなしに放っているラプスの身体は――放出すれば放出するほど、禁忌の力に蝕まれているということだった。
「その身体は私と違って、生身なのですよ。そんな無茶をして」
――身体が平常を保てるはずがない。
だから、エルリアは自分が傷付くこと以上に彼に力を使わせてはならなかった。なのに止めることが叶わないならば、後は最善を尽くし、願うだけ。
皆が来てくれることを。彼が耐えてくれることを。
乱れ飛んでくる禁忌の数々を避けつつ、エルリアは出来うる限りの全力で持ってラプスを止めようと災厄を行使する。
如何に特異な存在でも、これだけの力を短期間に失えば――命、いや存在に関わる大事だ。
それでも、エルリアは全力を出し続ける。
例えこの戦いで自分が消滅する結果に陥ったとしても、悔いなどどこにもありはしない。
彼はそれ以上の苦しみを味わいながら生きてきて、今も味わっている。
ならばこの程度の苦しみなど、何のことはないから。
「そこまでです」
――エルリアの前を、一匹の龍が抜き去った。その姿は青く、悲哀を含んだブレスを吐いて消滅とぶつかり相殺する。
ふわりと空中から地上へ降り立つのは、紛れもなくグリーフであった。その隣ではグリーフに抱えられていた憐華が、エルリアを見て笑う。
満身創痍ではあったが、意識はしっかりしているようだった。
「……助かりました。グリーフさん」
「驚きました。まさかあなたが、お二人と仲直りをしてしまうとは……夢にも描きませんでしたよ。おめでとうございます」
「……律樹さんの、お陰です」
「そうだろうと思います。あなたの言葉に耳を貸すような者は、いないでしょう」
グリーフはこれ以上戦うなとでも言いたげな顔付きで、エルリアの前に立つ。
――この状態を見抜いたのだろうか。
災厄の使い過ぎで、自分自身の存在が消えてしまいそうなことを。
しかし、エルリアは止まらない。
時間が立てば、この力も元通りになる。
今だけは無茶をしなければならない時だ。
ここでやらなければ、全てが終わってしまう。
ただ見ているわけにはいかない。
「止めはしませんよ?」
「はい。私のことは私が一番理解しています。間違っても消えてしまうような馬鹿な真似はしません」
「あなたが消えてしまったら、彼は本当の意味で終わりを迎えます。そのことは忘れないようにして欲しいものですね」
「……ええ、私は、消えたくないですから。消えません」
グリーフが生んでくれた隙を使って、災厄を展開していく。
「消えたくないのならば、下がっていれば済むでしょう」
「ですけど、グリーフ一人でラプスは抑えられませんよ」
「疲れ切ったあなたがいようがいまいが、さほど影響はありませんよ」
さて、とグリーフは憐華を降ろした。多少ふらついてはいるものの、その足取りは確かにエルリアの元へと向かう。
「憐華さん」
「エルリアさん、私の中へ。これはレイジの意見と私の意志です。嫌だとかじゃなくて、従えと言っていましたので強制です。私の中に入って、少し休んで下さい」
「……でも、相応の負担が掛かりますよ」
疲弊したエルリアが憐華と同化すれば、その分の負担が憐華にも反映されてしまう。
しかし、憐華は首を横に振ってエルリアの言葉を拒絶した。
「駄目です。言う通りにしてくれないと、レイジが協力してくれません」
「……分かりました。ならそうします」
本当にレイジが関わっていたのか、はたまた憐華の独断か。
エルリアは憐華の目を見て、頷いた。
彼女も、死力を尽くすつもりなのだ。
ならば自分だけが背負うわけにもいかない。
「私だって、その程度で倒れるくらい柔じゃないんです。さあ、早く」
グリーフとその龍アスピレイがラプスとの交戦に入り、エルリアは憐華と同化を果たす。
そこに参上するは、赤色の姫。
――レイジ。
彼女は竹内洋助とエステを連れ、デスパイアの横へと着地する。
「ほれ、貴様らはそこでじっとしていろ。悪いが戦いに参加されても足手まといじゃからな――妾とそこのグリーフとで、事態を収束させてやろう。どうせそろそろ、本命も来る」
自分一人だけが一方的に話し、デスパイアをけしかけてラプスの元へ向かわせる。
先程のラプスよりも強大になっている。
ここにレイジが加わろうとも、戦力は拮抗しないであろう。
無論、利はあちらへ働いている。
「なぁ、お前」
「貴様と語り合う暇は無いぞ、男。貴様が語りたい相手は後に帰ってくるエクサルにあるじゃろう。そっちと話せ」
「……それもそうだな。引き留めて済まない」
「気にするでない。今日の妾は少し機嫌が良い、お陰で命が一つ助かったと思って妾に感謝しろ」
「ああ、そうする」
どこまでも尊大な口調で告げ、レイジは大量の憤怒を露わにした。
「――笑わせてくれる。妾の力を真似ようとは、身の程を分からせてやらねばいかんな」
そこには心の底からの嘲弄で満たされていた。
そうしてラプスへと襲い掛かるレイジへ一瞥をくれ、竹内は静かに溜め息を吐く。
「俺たちは結局、力にはなれないみたいだよ」
「そうでもねぇよ。ただ、今回はその役目がいらねぇってだけだろ。先生さんよ」
「……ああ、そういやそうだった。覚えていたのか?」
「思い出したんだよ」
「なら忘れていい。俺はもう先生じゃない」
「そうか」
エステは痛む身体を揉みほぐし、彼女達の戦場へ目をやる。
あの場所にエステや竹内が割り込んだところで、本当に迷惑なのは誰から見ても明白だ。
「――ったくよ」
以前鈴峰律樹と戦った時、エステはグリーフとも拳を交えている。
しかし、あれはどこかに手心があったのだろう。
実力を見せながらも、エステを殺してしまわないようにという配慮だったのか。
最近では鈴峰律樹にも負けてしまい、最後には庇われてしまった汚名もある。
「俺もそろそろ、潮時かねぇ」
薬による強化も、ここまで肉体の損傷が激しくては役には立ってくれやしない。
何時の日までかは自分は強いのだと思っていたが、近頃は桁外れの者共と関わり過ぎたお陰で、自分が小さく見えてしまった。
きっとこの世界は、そういう者ばかりが集まっていたんだろう。
律樹も例外ではなかった――それだけのことだ。
「にしてもすげぇな、勢ぞろいだぜ。しかも場所まで一緒と来たもんだ」
「そうだな。あの時も俺は見ていただけだったが」
「俺も同じようなもんだがな」
そして二人と同じ立ち位置の存在である鈴峰律樹は、最前線で暴れている。
状況や立場が違えど、やってることは変わりない。
こっちは観戦者で蚊帳の外だ。
「さて……感傷に浸る時間なんざねぇよな」
「そうだな」
背後からやってくるエクサルの気配を感じ、二人はそれぞれ気合いを入れる。エステは関節を伸ばして身体を解し、竹内は右の肘から悲哀を現出させる。
「弱った姫様守るくらいなら、蚊帳の外でもできんだろ」
二人は足並みを揃え、エルリアと同化した憐華の元へと歩を進める。
その背はただの外野などではない、気迫を有していた。
「ホラ、あれ。灰色の力には二人にも見覚えあるでしょ? どうにかできる?」
エクサルの言葉に返答を詰まらせ、リセルは険しい顔をしたままゆっっくりと言う。
「……私の声が、届くかは分かりません」
「そう。届かなかったら終わりだね」
「努力は、します」
「うん。頼んだよ」
――アリシーとリセルはエクサルの元、鈴峰律樹が戦っている場所まで案内されていた。
どうやらエクサル達三人が、最後らしい。
グリーフの方はそれなりにすんなりと話が進んだに違いない。
当然と言えば当然の話なのだが。
「――律樹――」
アリシーはラプスに支配された鈴峰律樹を見やり、ただ願っていた。アリシーはこの面子の中で、唯一何もできないただの女の子だ。
暗殺術に長けてはいても、この場でそれが発揮される機会はない。第一その技術が通用しそうな相手は、どこにも居やしなかった。
だから、願うだけ。
本当は寄り添いたいけれど――それは、彼が望まないから駄目だ。
「リセル。私が居るからって遠慮しなくていいよ。律樹に干渉出来そうな隙、ある?」
「……隠しても仕方ないですよね。アリシーさん……残念ですけど、ほとんどありません」
「……うん、そっか。覚悟は前からしてたもんね」
「すみません」
「謝らないで。リセルが悪いんじゃないよ」
――誰も悪くなんてない。
強いて言うなら、巡り合わせが悪すぎただけ。
「どうすればいい? あなたに従うよ」
エクサルは戦いを見つめながら、平坦な声色で告げる。
事前に説明は受けていた。
アヤクスィダント――エルリアと和解をしたこと。助けてくれと頼まれたこと。リセルが鈴峰律樹を助ける鍵になることも。
即ち、今回の要はリセルにある。
どのようにして鈴峰律樹へと干渉をするのか――そうした条件を満たすために動くのが、エクサルのやるべきことだ。
鈴峰律樹を殺してはならない以上、そうするのが最善策。
それ以前に――誰も彼を殺そうなどとは考えてはいないのだが。
「無理を承知で言いますよ?」
「うん。どうぞ」
「律樹さんに触れられる距離まで近付く必要があります。彼の動きを、完璧に止めて下さい」
「分かった」
これ以上ないまでの無理な頼みをしたリセルに対し、エクサルは一言だけ返して狂喜を解放した。遠くでその動きを停止させていたローンギングも同調するように立ち上がり、エクサルの所まで飛んでくる。
「出来るのですか……?」
「あなたは一個、勘違いをしてるよ」
鈴峰律樹を止める。簡単なことではない。
けどエクサルは簡単なことでも成し遂げるような気軽さで分かったと言ったのだ。
「やるの」
エクサルが言葉を発したのはそれで最後だった。ローンギングの背に乗り、エクサルもレイジとグリーフのところへ向かう。
そこに躊躇はなく、迷いもない。
やると言ったら、やる。
嘘は言わないのが――エクサルという存在だ。
「リセル、私に掴まってて。いつチャンスが来るか分からないから、私がいつでも律樹のとこに行けるようにするからさ」
「はい。任せました、アリシーさん」
できないかもしれないということは分かっている。けれど、この場に来たのだ。
やるしかない。
あの三人の姫を相手に暴れ回っている鈴峰律樹へ視線を映し、強く堅く、二人は頷いた。




