四十四話 終わりの歪みは始まりと共に
視界を覆い尽くした灰色の世界は、一瞬にして全てを破壊の色に包む――。
「っ!」
穿たれた最初の一線は身を躱すことで軌道から外し、僕は右に跳ねた。
アリシー直伝のスピードを駆使して、無作為無差別にぶちまけられた弾幕を避けるべく地を蹴る。
正確に僕を狙っていない分、下手に避けると逆に当たりかねない。
「しねしねしねしねしねしねしね」
呪詛のように響く無感情な言葉に呼応し、禍々しい力の塊は無尽蔵に暴れる。
避けても避けても際限なく発射される光線が、ギリギリで避ける僕の肌をじりじりと焼いていく。
軽装で良かった。荷を持ってないのが幸いだった。もしもしっかりと厚着をして旅の格好でもしていようものなら、最初の一撃で落とされていた。
――しかし。
避け続ける内、余裕が出てきた僕は敵の戦力を計っていた。
当たらなければどうということはない。全弾を外しているはずの敵は余裕そうに微笑を湛えて攻撃を続けているが、それだけだ。
外した光線は地に衝突して小爆発を起こすのみ。最初に見た奇妙な一撃が不思議だが、例え使われても避けられないことはない。
なのだが――続く光線をステップで避けた僕は、歯噛みした。
攻勢の手段がないのだ。僕がアリシーから教わったのは無駄な動きを削減する技術のみで、弾幕を退けるものは何一つとしてない。
彼女から言わせれば、本来では「見付かったら負け」だ。人を殺す作業に派手な戦闘力は必要ではない。先手必勝、一撃必殺。彼女の不意討ちで首を落とされない敵は存在しなかった。
だが、この敵はそういう類いの相手ではない。攻撃は避けられるがこの場から逃げられるような隙を見せてはいないし、肝心の攻撃する隙はもっとない。
無理に攻撃に転じようとすれば必ず反撃に遭う。
敵の力に際限があれば、限界が見えさえすればまた違うのだが……どう見たってそういう風には見えないな。
「……しんでくれない」
ぴたりと光線の射出を止めたそれは、今にも崩れそうな自らの指をもう片方の手で押さえる。
「黙って殺される敵が、どこにいるんだろうね」
「……」
返事はない。淀んだ瞳を真正面からぶつけてきた相手は、その手に紅蓮を纏わせ告げた。
「しなないなら、私のことを教えて?」
おいおい、それはどういう理屈だ。
死なないということは私を知っている、私を知っているということは死なない……ってことか?
いくらなんでも暴論過ぎるだろ。
「だから知らないと――」
いや、待て。
敵が攻撃の手を止めている。それは即ち僕の良い返答を待ち望んでいるってことだ。
つまり、僕が知らないと答えてしまえばまた攻撃が開始される。なら今がチャンスだ。
「ねぇ、君は何も覚えてないのか?」
話が辛うじて通じれば、或いは戦いをしなくても避けられるかもしれない。
灰色の彼女と正面から向かい合った僕は、攻撃の意思を止める。それを見てか、彼女が発していた黒灰の鬼気と紅蓮の熱は霧散し消滅していった。
「なにも、知らない」
彼女はそう言い、子供のように首をふるふると左右に振った。
通じた。そのただ一つの事実が、僕を希望へ導く。
「……そう、か」
彼女は僕と同じく記憶を失っている――それは確実だ。そして僕とは違って、彼女はその記憶を欲しているのだ。
では何故記憶が消えるに至ったのか。
恐らくは。
「君は……ここで、何かと戦っていたりした?」
リセルの言っていたことを思い出しながら、僕は言葉を紡ぐ。
何が起ころうと不思議ではないのがこの世界の常識だ。だから彼女がどのようにして今生存しているのかは分からないが、“何かがあってこうなった”のは確かなのだろう。
それが竜との戦いによるものであれば、まずは彼女の持つ戦闘力にも頷ける。とすると、彼女は戦いに負けたに違いない。
ボロボロにされ、肉体や記憶を崩壊寸前まで破壊されていたとすれば。
「――あ、う――戦い? わたしが?」
「そう。例えば“竜”とか」
竜という言葉に明らかに反応を示した彼女。骨ばった手が髪の毛を毟り、途端に苦しそうに呻き出した。
「あ、ああ――あああ、あああ――あああああ――」
うわ。
僕も頭痛に悩まされている間、ああいう風になっているのかと思うと少し気が引けた。
あれをずっとアリシーに見られていたのか。そりゃあ、心配しないわけないよな。
「戦った、戦った。わたし、戦った」
しどろもどろな言葉でぽつぽつと喋り出した彼女は、両手を握り締めて確かめるように拳を震わせる。
「ねぇ、戦った、わたし、戦ったよ」
「……」
戦意も完全に失せてしまった。何度も何度も同じ言葉を復唱していた彼女を尻目に、どうするかを考える。
向こうに戦う意思がないのであれば、こちらも戦う必要はなくなった。
「じゃあ、私は、私は――わたし、は……あれ? 私は?」
段々と目に生気を取り戻していた彼女は、しかし頻りに疑問を唱えていた。
「……教えて、私はどうなったの?」
痩せこけた灰色の身体から絞り出される、か細い声。見た目だけで、それが過去に起きたことの凄絶さを物語っている。
最早彼女が人と呼べる成りをしていないことに、彼女は気付いているのだろうか。
「ああ、いや……君は……」
詰まった言葉は先を口にすることができないまま固まってしまう。
元々先はなかった。僕はこれ以上を知らないのだから。言えることは一つしかなかった。
「君は、こうして生きている。今はそれだけでいいんじゃないのか」
苦し紛れの言い訳は、ようやく捻り出せた唯一の逃れの言葉だった。
「……そっ、かぁ」
周りに漂う力も失せ、覇気の欠片も残していない少女の遺した呟きが、僕の心を抉る。
からからに渇いた声。 こうなる前であれば、美しいだろう確かな面影。
痛々しさとどうしようもない悲しみが、敵意を失ったことによって一気に押し寄せてきた。
「教えては、くれないの?」
一拍置いて、喋った彼女の口端が異様に広がった。その頬まで引き裂かれた口元に、僕は得体の知れない不安を募らせる。
「い、いや……僕もそれ以上のことは、知らないんだ」
「じゃあ、その言葉に責任は持っているの? 生きていればいいだなんて私は言った? 本当に知らないの? 嘘は吐いていないの? 隠していることはないの?」
裂けた口が、大きく開かれた。骨と皮だけの身体がギチギチと固い摩擦音を鳴らして僕ににじり寄ってくる。
マズイな。
言い訳はもう意味を持ちそうにない。いくら偽善を並べ立てても、それは逆効果にしかならない。
だったら。
咄嗟に逃げる準備を整え、いつ攻撃が来ても回避できるように彼女を見据えた僕は、告げる。
「ごめん……でも、僕は本当に、それ以上は何も知らない」
もう、ありのままを話すしかなかった。
だが。突然に理知性の増した彼女は、恐ろしい顔を張り付けたまま矢継ぎ早に僕を責め立てる。
「それじゃああなたは今私にどうしろと言うの、ただ生きていろと言いたいの? 教えて」
その物言いに、僕はとうとう我慢が効かなくなった。
「……なあ、僕を何だと思ってるんだ。僕だって、通り過ぎただけなんだぞ。なのに突然現れて攻撃されて、今度はなんだよ。僕は何でも知ってるわけじゃないんだぞ!」
今までは相手が激昂しないよう言葉を選んでいたが、今度は違う。思ったことを、全てそのまま叩き付ける。
コイツは一体何が言いたいんだ。何をしたいんだ。
リセルの言っていた二ヶ月ほど前の戦いで、コイツが記憶を失っていたのは理解した。だが、それじゃ僕に攻撃してきた理由が見付からない。
通り過ぎる人全てを攻撃対象としていたのなら、昼間三人で来たときに強襲すればよかったはずだ。それなら返り討ちにして殺してやった、それで終わりだった。
――だが、コイツは僕が一人で来たときに現れやがった。そうして八つ当たりをするように攻撃を仕掛けてきて、挙げ句は僕に助けを求めるのか。
意味が分からない、僕だって記憶はないんだ。だけど、それで八つ当たりをしようだなんて思ったことは一度もない。もしもアリシーにそうしていたのなら、僕はとっくに僕を殺している。
さて、コイツはどう返事を返してくれるのか。
言い返すならそれでいい、また八つ当たりをしてくるならそれでもいい、その時は最初のように逃げる隙を探していつか逃げ出してやるだけだ。
が。
「通り過ぎた? 私はあなたを知っているよ。あなたは“鈴峰律樹”。ただ通り過ぎただけの人ではないのを、私は知っているよ」
――全く予想もしていなかった返答が、彼女から浴びせられる。
その名前に驚愕した僕を見て、彼女は再び口を開いた。
「気付かれないと思ったの? 分かったら早く、教えて。全部」
どうしてコイツが――僕の名を知っている。
そこからの思考は早かった。
「僕は鈴峰律樹じゃない。“リッキー”だ」
真っ向から否定し叩き伏せ、鈴峰律樹がどういう人物だったのかを今更ながらに推察する。
なるほど。そうか。
この地を知っていたのは、僕もこの戦いに参加していたからなんだな。
――であれば、僕が人間の身に余る力を身に付けていた件については理解できた。今は使えないが。
この地を本能的に知っていたのは、僕もここで戦ったからに相違ない。コイツが僕を知っていたのは、同じく戦いに参加したからか。
ならば出会った時に都合良くも知っていたというのは、本能的に、か? まあ、どうでもいい。ある程度納得が行ったんだからな。
過去の僕を知っている人物がコイツなら、そうとしか考え付かないんだ。残念なことに。
つまり、僕は最初からそういう人物だったってわけだ。そして、戦いに破れた。アリシーに助けられた。
すんなりとその事実が呑み込めた。
では。
「僕も君と同じだよ。戦いに負け、身をボロボロにぶっ壊され――君と同じように、記憶がない」
ぽかんとしていた彼女に、そう告げた。
「……ああ。そう、なんだ。そうなんだ。そうなんだ」
意気消沈したのか、その場にへたり込んだ彼女は全てのやる気を失ったように地に視線を落とす。
「逆に君は僕のことを知っていたみたいだけど、たった今思い出したの? そうでないのなら、さっきの行動の意図は何? 僕と君は敵同士だったのかな?」
向こうが知っているのとは違い、未だに僕はコイツを思い出せないのだが……。
絶対に知っていたはずだ。そうならないのは、この頭がポンコツだからか。
「知らなかったよ。でも今は知ってる。それだけ」
「へぇ、そうなんだ」
いずれにせよ、終わりだ。全部。
戦いは二ヶ月前に終わった。今からするべきことは、ない。
「僕は未だに何も思い出せてはいないけど――その事実はだけは分かったよ。情報としてね」
「……そうなんだ」
僕の話を聞いていたのか、聞いていなかったのか。彼女はぽつりと呟き、ゆっくりと顔を上げた。
「でも、丁度良かった。だったら私に協力して。私も全てを、思い出してはいないから」
「いいや。僕は今を生きるよ。わざわざ過去を探すのは、もう御免だ。もう、十分に分かったから」
もしかすると、僕は彼女の戦友だったのかもしれないが。
それがどうしたというんだ。
自らの過去を漁ったところで、何かが変わるわけでも何を得られるわけでもないだろ。
そして多分。記憶を取り戻したとしても、虚しいだけだ。戦いは二ヶ月も前に終わっているのだから。
ならば最優先にするべきことは、自分を掘り返すことではない。アリシーの友達を捜索することだ。
自分を探すのは、全てが終わって一段落着いてからでいい。
「それは、残念だね。とっても――とっても、残念」
彼女はどこか遠くを見つめ、寂しげに囁いた。僕に聞こえるかどうかすら危うい、言葉。
――身に迫った危機を感じ、僕は身構える。
黒灰の鬼気が、彼女から溢れ出した。身体を伝い、地を伝い。死が、空気を汚染していく。
周りで弾ける紅蓮が剣呑な輝きを見せ、地を這う深蒼が彼女に異質なまでの静謐さをもたらす。
やっぱり、戦うのか。
それらに毒々しい紫が現れた頃。僕は彼女に睥睨の視線を突き付けた。
かつての知り合い。それに準ずる何か。知ったことか。
自分の思い通りにならなければ排除する。そのような端的思考の持ち主と、仲良くするつもりは毛頭ない。
「――それじゃあ、しかたないね」
しかし。
彼女がその言葉を放った瞬間、手を伸ばした灰色の皮膚がぼろりと崩れ落ちる。
にやり、と。彼女が歪な笑みをその顔に刻むと。
次の瞬間、そこには何もかもが存在していなかった。
「……は」
先程まで居た彼女の面影も。漂わせていた力の数々も。最初からなかったかのように、荒野だけが広がっていた。
――白銀が無数に舞い、頬を撫でては消えてゆく。
「……なんなんだよ、一体」
そこに居るのは僕ただ一人。他に生物は存在しない。
では先のやり取りはなんだったのか。戦いはなんだったのか。
「本当に幽霊か何かじゃないだろうな……」
まるで今の出来事の最初から最後までが、自分の妄想のようだった。
馬鹿馬鹿しい。自嘲気味に笑うと、今度こそ踵を返す。
「帰ろう」
アリシーもリセルさんも、もう戻っているかな。心配されてなきゃいいんだけど。
ちくりと、胸に刺す痛みを覚えた。一度だけ振り返り、やはりそこに何もいないのを確認して前に向き直る。
もし彼女が故人だったのなら、心の中で弔おう。
静かに黙祷し、僕は先を往く。
――そこには。災厄の色香だけが、静かに佇んでいた。




