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断層世界のパラノイア  作者: くるい
第四章 クラスメイト捜索編
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四十話 警告と出発、すれ違い①

ニュースにも書きましたが、今週から2200からの更新になります。

「――律樹さん」


 女の声が聞こえた。とても懐かしい、とても愛おしい、彼女の声だ。


 だが、暗闇に包まれていて何も見えやしない。誰が語りかけてくるのかも、何故だか知らない。

 だのに、とても居心地が良かった。その声を聞くだけで、心が満たされていく。充足感がある。


「あ……」


 彼女の名前を呼ぼうとして、言葉がつっかえた。




 ――目を開けると、高い天井が映った。見慣れた宿の天井ではない。ここは……グループ、か?


「……何も起こっていない」


 事態を思い出し、慌てて両手を確認するが特に爛れた箇所は見当たらない。

 起き上がると、寝かされていた場所が長椅子であることが分かった。相変わらず雨は降り、湿った空気がグループ内を漂っている。


 見回せば、定位置に立つ受付嬢とアルベルト、メイスが談笑していて――そこにはもう一人、胸と腰部分だけを真っ赤な厚手の布だけで隠した、変な女が加わっていた。


「うん……いや、誰だ?」


 腰まで伸ばした黒髪は艶々しく輝き、横顔しか見えないが端整な顔立ちである、というのはありありと窺えるのだが。

 僕が原因不明の激痛で気を失っていた間、この豪雨の中で来客があったというのか? てかなんだあの格好、腹は丸見えだし、隠れているのは大事な部分と少しだけ。恥ずかしくはないのか。服も、ここでは見ない色をしている。


「あの」


 知らない人ではあるが、三人と談笑している仲なら警戒はいらんだろう。


 歩いて行くと、真っ先に赤い女が僕に気付いた。

 振り返った彼女の双眸は真紅に染まり、ぎらりと輝いている。獲物を狙う眼光でこちらを睨めつけた女は、言葉を放った。


「気が付いたようじゃのう。“初めまして”、妾は旅人じゃ」


 だらしなくひらひら右手を振ったその女は、憮然とした表情で笑った。

 ――嘲笑ったように、見えたのだが。コイツは一体何だ。


「あ……初めまして。この豪雨の中、よくここまで来られましたね」


 旅人、か。その格好からは全く想像が付かないのだけど、わざわざ自称するのだから疑う理由もないか。


「やっと起きたか」


 嘆息吐いたアルベルトが安心したように肩を撫で下ろし、メイスも同じように安堵している。


「ええ、もう大丈夫です」


 自身に起きた幾つかの不可解な現象、はとりあえず保留にして。


「……なんですか?」


 こちらを睨み続ける女を、睨み返した。

 僕が何をしたって言うんだ。


「ああ、妾のこの目付きは元々じゃから、気にしないでくれ」


 慌てて優しい表情を作った女は、ぎこちない笑みでそれを訂正した。

 直後に小さい溜め息。おい聞こえてんぞ。


「そういえば、カオナシはどうしたんですか?」


 それはスルーしておくとして、懸念を尋ねた。

 最後に僕が撃退に成功したとは言え、また襲ってくるとも限らない。


「妾がそやつを追い掛けていてな、今しがた止めを刺したところじゃ」


 僕の問いには、女が答えた。なるほど、カオナシを追っていてグループに辿り着いたのか。


「止めは刺したが、奴は死んではおらんぞ。また数ヶ月もすればどこかに姿を現すじゃろうな」

「どういうことですか?」

「なに、奴に肉体と言える肉体はないというだけのこと。貴様らの奴に対する認識は甘過ぎる、今度からはカオナシではなく“精神寄生体”とでも呼んで危機感を持っておくんじゃな」


 言い切った後、女はちょいちょいと手招きした。こっちにこいと言いたいのか。

 近寄ると、女は無遠慮に顔を近付けてきた。炯々とする瞳は、僕に恐怖と戦慄さえも植え付けかねないほどの力を放っている。


「ほう。貴様は、妾と相対しても怖じ気付かないか」

「僕より小さい人に迫られても、怖くもなんともないですよ」


 とは言っても、僕と殆ど変わらない背だ。ただなんとなく腹が立ったので、からかってみた。


「……貴様」


 すると、女はこめかみに青筋を這わせ、今までで一番強烈な眼力を送り付けてきた。眉間に縦皺も寄っている。これでは綺麗な顔が台無しだな。


「まあよい。貴様“記憶喪失”だと言うではないか」


 今度こそ嘲笑した赤目の女が、そんなことを口に出した。僕がメイスとアルベルトに目配せすると、彼らは一様にして目線を逸らした。別に咎めるつもりはないんだが、記憶喪失の話題なんてどこで言うタイミングがあったんだ。


「そうですが、それがどうかしたのでしょうか」

「――滑稽じゃな」

「……は?」


 あっけらかんとした物言いの女に、僕は怒りをたぎらせた。その気持ちに逆らわずに拳を繰り出したが、平然とした面持ちを崩さないまま同じ方の右手の平で押さえ込まれ、威力を殺された。


「次、妾に拳を向けてみろ。命はないと思え」


 女とは思えない握力が、固く握られた拳を圧砕する。


「……い、でっ……!」


 無理矢理引き剥がして拳に目をやると、そこが腫れていた。


「先に喧嘩を売ったのは貴女なんですがね」


 破壊された拳を押さえ、女を睨む。骨が折れたかどうかは定かでないが、激痛が走っている。


「ならばここで死ぬか? 弱いのは貴様じゃ、悔しいならば妾を殺してみせい」

「すまない、それ以上は止めてくれないか」


 アルベルトが止めに入り、女は白けた様子で僕を見下ろす。


「で、どうするんじゃ?」

「……やめておきます」


 再び殴り掛かることも考えたが、決して頭の良い考え方じゃない。引き下がった僕は、女を睨むだけに留めた。


「それで、僕が“記憶喪失”でどうかしたんですか?」

「ふむ、そうじゃのう。妾がここに来たのはカオナシを消すためと、もう一つ。貴様――鈴峰律樹に助言をするためじゃ。しかし、当の貴様は一切の過去を覚えてないではないか。これでは何も言えまい」

「ちょっと待った」


 制止を掛けた僕は、女をまじまじと見つめる。

 “鈴峰律樹”だと? その名前を知っているのは、アリシーだけだ。もしや、僕は過去にこの女と関わりがあったりするのか。


「待ったも何もあるか。貴様はもう鈴峰律樹ではない、じゃったら妾が何を言うこともないな。最早、憎むべき相手でも、ない」


 含みのある言葉。険しく細められた双眸は、僕を見ながらも僕ではない何者かを見つめていた。


「じゃあ、いいです。僕はもう過去には縛られません」


 僕は今を生きると決めた。その台詞に気になる点は幾つかあるが、言わないのであれば聞き出す意味はない。


「そうか。それがいい。それでいいならな。貴様は今の方が幸せだ、じゃから、何も知らないままここで寿命を終えて朽ち果ててしまえ」


 ばっと切り捨て、女はアルベルト達へ視線を戻す。


「それでじゃな、先程の話なんじゃが――」


 僕が入る前の雑談を始めやがった。目的は両方とも達成した癖に、グループから去る気はないらしいな。普通帰るだろ。

 胸糞悪い台詞を吐かれて何も感じない僕ではない。相手も僕に良いイメージはないらしく、だったらこちらから関わる必要性は見当たらない。僕はこいつが嫌いだ。


 痛みを発する右手を庇い、帰ろうと思ったが豪雨で帰れないため、仕方なく長椅子へと向かった。

 頭の隅に、違和感を覚えつつ。




 明くる日の朝。布団から抜け出た僕は、まず第一に拳の激痛で跳ね上がった。


「あの女……くっそ……」


 右手は乱雑に包帯が巻かれているが、一応動けないように固定はされてある。が、ふとした拍子に体重を掛けてしまえば痛みが発生するのだ。

 因みに今日も雨は降っている。昨日ほどではないが、小雨と表現するのは些か難しいであろう。

 昨日も結局雨は止まず、一人でずぶ濡れになりながら宿まで帰った。傘はどこにも売ってないみたいで、雨の日は本当に外出できないな。


 さて、この雨は自然現象で片付けていいものなのか。判断材料がないので考えようもないが、凍竜の手前安心はできない。

 カオナシに関しては、あの女が、撃退したらしくしばらくは来ないようだが――一応、警戒はしておいて損はないな。


「洗濯でもしようかなぁ」


 嫌な目覚め方をしてしまったので意識は完全に覚醒してしまった。今更二度寝はできないし、昨日ずぶ濡れになった服やアリシーとウェインの服も洗濯せねばなるまい。洗濯機や柔軟剤などこの宿には置いていないので、全て手揉み水洗いなのだが……やらないよりはマシである。


 かくして。僕は早朝から風呂場に向かい、今現在全員分の衣類を洗っている。洗い場が風呂場しかないのもどうかと思うが、不満を言っても現実は変わらないので享受する以外に道はない。

 暑い季節でよかったよ、今が冬であれば手がかじかみまくりの切れまくりでさぞ痛かったろう。

 しかも片手は使えないから、片手のみで洗うしかない。正直言って苦行に他ならなかった。


 ……だが、片腕しかないアリシーに比べれば、どうってことはない。僕の傷はいずれ治るが、彼女の傷は一生治ることはないのだから。

 微々たることではあるが、アリシーの苦悩を少しでも分かってやるには、片手で生活を行うしかない。

 などと考えながら、まずは自分の服をばしゃばしゃ洗っていると――。


 がたりと不安を煽る音が背後から聞こえ、胡乱げに後ろへ目をやると、おぼつかない足取りでアリシーがこちらへ来ていた。


「ふぁ」


 噂をすればなんとやらというやつだろうか。


「アリシー?」

「……? りっきー? おふろ」


 彼女は完全に寝惚けていた。

 そのまま、なに喰わぬ顔で服を脱ぎ始める。服の端をつまみ、片手なのに器用に剥いていく。黒のインナーが捲れ、胸まで露出しようかというところまで差し掛かった辺りで――。


 僕は我に返った。


「ちょっ、ちょ! アリシー! 僕がいるから脱ぐの待って!」

「ぬぐのー」


 一部の言葉だけを復唱したアリシーは、止めていた手を再び動かした。


「違う! そうじゃなくて、ちょっと待って!」


 とにかく頑張ってアリシーの動きを止め、色々話して説得する僕。ようやく手を離した彼女にほっとしつつ、背後の洗濯物へと振り返る。


 正直見たい気持ちはあった、これは男だから仕方ない。

 でも、アリシーは寝惚けているだけで、ちゃんと目覚めた時には寝惚けていた部分は全く覚えていないそうなのだ。

 そんなの罪悪感しか生まれない。いやいや合意の上だったら良いのかと言えばそうではないけれど、違うんだよ。そうじゃなくて。

 洗濯物を片して立ち上がると、またもやアリシーは服を脱ごうとしていた。


「話聞いて!?」


 まだ洗いかけの服は絞ってもないのでびしょびしょに濡れていたが、僕はそれらを抱えて風呂場から飛び出した。




 一段落付いた。とりあえず濡らしてしまった服は簡易物干し竿的な棒に刺して干し、残りは彼女が風呂から上がった後にやることにする。

 ならば先に朝ご飯をどうするか考えよう。


 保存食の確認をしていた僕は、出掛けようかこれで済ませようか迷っていた。

 とりあえず、干し肉は比較的安価で一つ鉄硬貨一枚にも満たなく、結構な量を購入している。干し野菜に関しては何故か肉よりも高価だったのもあり、肉ほどは買っていないが、やはり量はある。

 なので、別段外に出掛けてまで食べに行く必要はない。晴れてから買い直せばいいのだ。

 うん、そうしようかな。


 ウェインは全身が隠れるほどに布団を被っており、そうそう起きる気配を見せない。

 今朝分の量を三人分作り、後は麻袋に仕舞い込む。ま、こんなもんか。

 空きの袋にそれらを包み、落ちないようにくるんで立ち上がる。


 激痛が、頭を襲った。


「が……ぁ……あ……!」


 麻袋を落としてしまい、僕は壊れたようにとにかく髪の毛を掻きむしる。

 なんだよ、昨日からなんだってんだ。畜生、カオナシと戦った後からだ。時折、こうして錯乱しそうな強烈な頭痛が脳を掻き回してくる。


 耐えられない痛みでは、決してない。

 なのだが、脳天を握り潰されるように刺激され続けるのは、中々に苦痛だ。


「……っぐ」


 奥歯を噛み締め、いずれ引いてくれることを信じて激痛に耐える。

 間隔が長すぎる。そろそろ引いてもいいはずだ。

 が、予想を裏切って痛みは止まらず、症状は酷くなるばかり。


 お次は、訳も分からない映像が頭に飛び込んできた。視界には見たこともない様々な光景が混ざり合い、一瞬だけの映像達が通り過ぎていく。

 不明瞭なそれらは僕が認識するよりも早く消え、意味のないものとして消滅していった。


 ぴとっ。


 そんな悪夢のような状態は、背中に何かが触れると同時に霧散した。痛みと吐き気から解放された僕は、嗚咽を洩らして床に這いつくばる。


「大丈夫だよ、落ち着いて」


 不快な余韻を潰してくれる声が、後ろから囁かれた。安心感を思い出す、優しい、優しい、声。


「アリシー……」


 いつの間に彼女は風呂から上がっていたのか。それよりも……どれだけ長い時間、僕はこうして。


「落ち着いた?」

「うん」


 深呼吸をし、荒げていた息を元に戻す。全身は脂汗が張り付いていた。――さっきのは、果たしてなんだったのか。


「……あ、え?」


 うずくまっていた僕の首筋にアリシーの手が這い、柔らかい何かが背中に当たった。ほんのり湿ったそれが僕を包み、彼女の息遣いが聴覚を刺激し、甘い匂いが鼻腔を支配する。

 抱き締められたと気付いたのは、数秒後のこと。異様にリアルで暖かい肌の質感に疑問を覚えた瞬間、僕の頬は真っ赤に染まった。


「あ、ああ、あ、あの……もももももしかしてですね……アリシー、さん」

「うん。服、着てないよ」


 びくんと身体が跳ねた僕を、アリシーはからかうような口調で呟いた。耳元で囁かれた言葉は、淫靡な吐息と共に体内に侵入する。


「だって、寝惚けてて着替えもタオルも忘れちゃったんだもん」

「い、いやいやいやいやそれは分かったけど、なんで抱き着いて」


 言いかけた言葉は、抱き着いたままの彼女に倒されたことで中断させられた。


 今、僕は床に横に倒れた状態でアリシーに抱かれています。勿論後ろからなので彼女の裸は拝むことはできません。これは一体どういうことなのでしょう。思考が追い付きません。


「あ、あのですね、せめて脱いだ服を着てくだされば……」


 なんだよこの口調、テンパり過ぎだろ。いや当然なんだけど!?


「お風呂入る前に着てた服を着るの? それに、身体も拭かないで服なんて着られないよ」


 僕の変な口調のせいか、アリシーはクスリと笑って耳元に唇を当ててきた。


「リッキー、見たかったら見てもいいんだよ」


 ほとんど掠れて放たれたその声には、色々とマズイ物が内包されていた。


「あ、いや、その、そ、そうだよウェインもいるんだから、早く、服着ないと」

「居なかったらいいんだ?」

「そ、そうじゃなくて」


 思考も身体も色々と固まってしまった僕に、なにが言えようか。再びクスリと笑った彼女は、少し寂しそうに言う。


「じゃあ、目瞑ってて。その間に身体を拭いて着替えるからさ」


 そして、


「ああ。瞑りたくなかったら、そのままでいいからね」


 信じられない台詞を残して、僕の身体から暖かくて柔らかい肌が離れた。だが、残る色香と湿った感触だけは離れず、しっかりと暗闇と目を縫い付けた僕は、衣擦れの音をバックにただ静止していた。

 そうだよ、開けとくわけないだろ。臆病者と呼ばれても意気地無しと呼ばれてもなんでもいいけど、僕にそんな勇気はない。


「もう大丈夫だよ」


 固く閉じていた目を開くと、いつもの格好をしたアリシーが居た。髪はまだしっとりと濡れていて、頭にはタオルを被せている。


「服、濡らしちゃってごめんね」

「あ、いや、気にしなくていいよ」


 平然と会話を続けるアリシーに対し、僕は目を逸らしてしまった。全身が熱い。どうしてアリシーは普通なんだ。


「ねぇ。辛かったら、ちゃんと言ってね」


 アリシーは真剣な眼差しで僕を射抜く。ああ……そうか、さっきまでの僕は頭を掻きむしって暴れていたんだ。唸ったりもしただろう。心配にならないわけがない。

 それで、気付いた彼女はそのまま傍に寄り添ってくれたのか。


「今は、大丈夫だよ」


 頭痛のことだとすれば、思い当たる節はある。でも対処法はない。


「苦しみ方が尋常じゃなかったんだけど、本当に大丈夫なの?」

「うん、最近現れる症状なんだ。でも、今はなんともない」

「……そっ、か」


「ご飯にでもしようか。今朝分の食料は出しといたから」


 またいずれ、この痛みは何の前触れさえもなく起こるのだろう。


 だが、今の僕にはどうしようもないことだった。

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