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断層世界のパラノイア  作者: くるい
第四章 クラスメイト捜索編
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三十八話 平和に潜むモノ①

 その日は、暗い雨雲に包まれていた。空一面を雲が覆い、乾いた大地に恵みの雨が降り注ぐ。だがその雨は、降り方としては異常な量であった。そんな悪天候に晒された大地はあっという間に沈み、水の氾濫がそこを満たす。


「じめっとする暑さは、ただただ不快なんじゃがのう」


 声の主は、地上数十メートルほどの中空にて。

 およそ生物が静謐(せいひつ)ではいられない豪雨の渦中で――。


 腰まで伸ばした漆黒の髪を揺らめかせ、深紅の衣服を身に纏わせた女が、優雅な佇まいで宙に浮遊していた。大地と同じく晒されるその身には雨の一滴も付着しておらず、また汗も掻いていない。だというのに額の水滴を拭うような動作をしてみせたその女は、閉じていた目をぱちりと開いた。

 紅蓮。見るだけで炎に包まれてしまいそうな赤の双眸が、遠くより飛来する“ソレ”を見やる。


「……妾を餌にする腹積もりか。随分と過ぎた獲物じゃのう――貴様では、妾を楽しませることすら叶わぬわ」


 その紅蓮が幾つにもぶれること数瞬。飛来した“ソレ”は、肢体をバラバラに破壊されて赤の花火と化した。それらは唸る水流に流され、あっという間にこの世から姿を消失させる。


「これで、もう二度目じゃな」


 雨には濡れず、しかし血に濡れそぼった右手ががしりと掴んだ“ソレ”の頭部は、生物と呼ぶには余りにも不自由な造形をしていた。

 病的なまでに白い、白磁の肌。突起や凹凸の一つもない、平らな頭部。その首から下はご立派にも赤い鮮血が滴り、腕から女の胴体に流れ伝っていく。

 これでどうして音が聞けようか。どうやって世界を見るつもりなのか。どのように息を吸うというのか。何をして物を食べようというのか。


「――下らぬ。人の形を象るのであれば、もう少しの勉強が必要じゃな」


 吐き捨て、紅蓮に身を包んだ女は片手の握力だけで“ソレ”の頭部を粉砕する。ばちゃりと砕けた後頭部から割れた頭蓋が飛び出し、血と脳脊が中身と共に白磁を汚す。


「なんだ。人間の脳味噌は、そこにあるではないか」


 破壊された頭部をも濁流の如き水に投げ捨てた薄赤色の唇が、横にひしゃげられた。

 そこに、雨雲から生み出された雷が、運悪く女を直撃した。遅れて鳴る豪雷の調べは天地を揺るがすが――。


「人の力に及ばず、のう。笑わせてくれる」


 白光の済んだそこには、無傷の肉体を忌々しげに睨む女が、そこに在った。



 ◇



「雨、酷いなぁ」


 窓枠にもたれ掛かりながら外を覗いていた僕は、あまりの豪雨に憂鬱になっていた。

 どうしてか、雨の日は慎重になるというか気持ちが落ち着くというか、気分が暗くなるきらいがある。ってか雨を経験したのは初めてのはずなんだが。

 とにかく、今日は外には出られないだろう。出ない方がいい、というのが正しいのだが。

 後ろを振り向けば、ベッドには仰向け大の字姿のウェインがぐーすか寝ている。丸椅子にはアリシーが座り、壁に背を預けてうとうとしている。


 ――シャインハートの研究施設に行った日から数えて、もう三日は経過していた。早いもので、もう戦いから五日か六日は経過しているのか。

 だが、あの日の光景は鮮明に覚えている。今思い出しても、辛い過去に変わりはない。


「アリシー、今日どうしようか?」


 明日まで続きそうな雨にげんなりしつつ、半分ほど眠りに落ちているアリシーに話を振った。

 昨日や一昨日は町の探索がてら、着回しする衣類や、干物などの長期保存が可能な食物を適当に買い、それらを入れる麻袋も三つ買ったりした。これは旅に出た際に、安定して食事にありつけるための事前準備だ。

 ついでに、要らないと言い張るアルベルトにも銀硬貨一枚を返したが、まだ自分の財産だけでも銀硬貨六枚とその他がわんさか入っている。アリシーは使っていないだろうから、金硬貨一枚か銀硬貨九枚は持っていそうだ。はっきり言って、使い道がない。

 金策を巡らせ入った金も一日で消滅するあの日が懐かしく思えるほど――は置いておくとして。


 今日はどうしようかと昨日から考えていたらこれだ。外にも出られやしない。幸い、保存食は買ってあるからわざわざ辛い思いをしてまで飯を食べに出掛ける必要はないのだが、なんだかな。一日を無駄にしている気がする。

 じめじめとした室内で一日中だらだらしているのは、ウェインだけで充分だ。


「……うーん……にどね」


 辛うじて小さい返事が聞こえたが、いつの間にかベッドに移動したアリシーはそこで横になっていた。あぁ、寝惚けてるな。

 寝かせといてやろう。


「アルベルトさんのところでも行くか」


 彼の仕事も昨日で一区切りし、今はカウンターの修復に勤しんでいるはずだ。暇だし、それを手伝うのも悪くはない。

 僕は一つ欠伸をし、睡眠中の二人に毛布を掛け直してから部屋を後にした。


「おはようございます、アルベルトさん」


 受付まで足を運ぶと、疲労した表情のアルベルトが頬杖を付いていた。目の下に立派な隈を作っているし、その疲労には寝不足も原因に含まれていそうだ。


「いつもながら、お前は朝が早いな」

「ええ。大した運動もしていないので、疲れていないんじゃないですかね」


「……嫌味か?」


 不機嫌そうに言われたので、違いますよと軽く訂正しておいた。運動と言えば、室内で筋トレをするのもありかなと考えながら、僕は会話を進める。


「今日、雨ですね」

「雨っつうか、ありゃ異常だ。今度は“水竜”とかいう奴でも降臨したんじゃねぇだろうな」

「それは全くもって笑えない冗談ですね」

「ああ、全然笑えんな」


 アルベルトは無表情で言い放ち、小さく息を吐く。凍竜の次は、水竜が町を水没させに参上ってか。そんな化け物が本当に存在するかは別にしても、笑えない事態には陥りそうだ。そうではないことを祈るけど。


「ところで何の用だ? 金貸してくれっつうんなら拳をくれてやるぞ。返却はしなくていい」

「今のは冗談ですよね? まあ特に用という用はありませんよ、単純に暇だっただけです。暇ついでに損壊したカウンターの修理でも手伝いましょうか?」

「いや、今はそんな気にはなれんからいい。また今度にしてくれ」


 アルベルトは、組み直した腕の中に顔を埋めてしまった。人が折角修理を手伝ってやろうというのに、気が変わっても知らないからな。


 さてどうしようかと今日の予定を考えていたところで、宿の扉が乱暴に開かれた。そのため、横薙ぎの風と雨が扉近辺を水浸しにする。


「アルベルトさん!」


 入ってきたのは、そこそこ筋肉質で体格の良い男だ。それが、物凄い焦りを形相に張り付かせて叫んでいた。


「……何があった?」


 ゆっくりと顔を上げ、目付きの鋭くなったアルベルトがそう返すと、一気に剣呑な空気が空間を包む。男は顔を青くして、答えた。


「“カオナシ”が現れました!」




 グループ上階。

 男から報告を受け、僕らは雨の中グループへと急いで足を運んだ次第だった。

 ずぶ濡れの服を、なるべく肌に張り付かないよう指で摘まみ上げながら、僕はアルベルトに尋ねる。


「カオナシってのは、なんですか?」

「敵だ」


 アルベルトは即答し、神妙な面持ちで僕へと顔を向ける。

 ――人形(ひとがた)ののっぺらぼう、カオナシ。白装束に文字通り顔がない、そんな生物。ということらしい。

 豪雨との関連性はないとも明言していたから、そちらも気を付けておかなければいけないようだが。


 現在、上階にはバルム・メイスが直剣を携えて突っ立っている。他には誰も集まっておらず、一階も二階も受付嬢のみという有り様だった。

 まあ、あの豪雨では仕方ない。寧ろ、受付嬢が通常通りに勤務していること自体が不思議なのだ。


「どうしたもんかねぇ。奴が来るとなると、エステさんがいないと厳しいんじゃないか」


 メイスは閑散としたグループ内を見渡し、苦い表情をした。


「前にも相手したみたいな言い方ですが、凍竜よりヤバイ相手なんですか?」


 その重々しい雰囲気に、全身から嫌な汗が発生する。前にも聞いた、エステという強い人が居なければ勝てない相手。そんなのに襲われたら、ひとたまりもないのではなかろうか。


「別に強くはないが、カオナシは人間を乗っ取るんだよ」

「乗っ取る……?」

「どういう方法かは知らないが、カオナシは人の姿形を真似する奇術を持っている。そうして真似された人物は、必ず昏睡状態に陥り――そして一生、起きることはない」


 アルベルトが険しい顔で答え、僕は顔をしかめる。確かにどうやっているのか全く検討も付かない行動をしてくる相手だ。

 だから凍竜戦のような構成で挑んだりすれば、必ず仲間の誰かが乗っ取られてしまうだろう。それを防げる強者が一人で戦った方がいい、というわけか。


「そのエステさんと連絡は取れないんですか?」

「取れたら苦労はしない。あの人がいない今、カオナシと戦えるのは俺と……そこのバルム・メイスくらいだな」


 アルベルトはそう言ってから、僕の肩を軽く叩いた。彼の顔に張り付けられた不敵な笑みには、複雑な感情が渦巻いているのが見て取れる。

 ――死ぬ気だ。咄嗟に、そんな考えが僕の頭の中に浮かぶ。


「……勝算は?」


 だから、聞かずにはいられなかった。二度も仲間を失うのを見過ごすのは、嫌だから。

 聞いたとして、どうするんだって話だけど。


「五分五分ってところだな」


 半分、か。口調からして嘘では無さそうだが、つまり五分五分で殺されるということに他ならない。

 ――ランサーなら或いは、だが。その前に、一応聞いておこう。


「僕が付いて行ったら、邪魔になりますか?」


「どうだろうな。過去に“カオナシ”の乗っ取りに抵抗した人物は何人か居た。お前の気概があればカオナシのそれを防ぐことは可能かもしれん。が、そんな可能性に懸ける意味はないな」


 アルベルトはさらりと告げ、視線を入口にやった。


「カオナシは一度戦った人間を執拗に襲う傾向がある。お前は戦わなくていいから、俺達がカオナシと戦うということをアリシード・ソニアやアグリル・エスペランサーに伝えてくれ。状況によっては、町から逃げてもいい」

「……それは――」


 今回町に来る相手というのは、アリシーやランサーまでもが逃げた方がいい、というような化け物なのか?

 またも訪れた自身の無力さの結果に、拳を強く握る。また、何もできないのか。


「アルベルトさん達を見殺しにはできないですよ」


 カオナシとやらがどんなに恐ろしい敵なのか、僕は知らない。だが、ここでこの二人を置いてグループを後にしたら、きっと後悔する気がしてならない。


「俺達が殺される、みたいな言い方だな」

「残り半分は負けるかもしれない。自分でそう言ってました」


 だったら、僕はどうすればいい。カオナシと戦うだけの力は、僕に――。


 カオナシ?


「……ぐ」


 一度は聞いたような、会ったような、戦ったような――訳の分からない思考が脳内を支配した瞬間。酷い頭痛が発生して、僕は激痛に耐えられずに後頭部を押さえた。

 この痛みは、なんだ。


「お、おい。どうした?」


 それがあまりにも突然だったからか、アルベルトが心配げに声をかけてくれるが、返事を返す余裕がない。


「……が、ぁ……!」


 脳裏に映った、何者かの映像。顔が何もないのに、口元だけは歪に笑っている。それが、僕に語りかけてくるのだ。


 “殺ス”。


「リッキー!」


 そこまで記憶が辿り付いたところで、アルベルトに意識を引き戻された。


「逃げろ! 今すぐにだ!」


 だが、僕の異変に声を掛けてくれたわけではなさそうだった。その鬼気迫る叫びに、僕は視線を前に戻すことしかできなかった。


 そこには。


「おひさしぶり。おひさしぶり」


 先程頭の中に映ったそれと同じ。顔のない奇妙な“何者”かが、僕の眼前で“笑って”いた。

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