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断層世界のパラノイア  作者: くるい
第三章 失われた物語編
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三十話 決戦直前のこと

 日は落ちていた。


 グループの二階には、風変わりな面々が集まっている。リベルのように筋骨隆々な男。身長も低く武器も持っていない、顔も灰色のフードで隠れた者。弓と矢を持つ狩人。全身を銀の装甲で包み、巨大な盾を軽々持ち、背中に太い直剣を背負っている男。町では見掛けなかった雰囲気の連中が並び、そのどれもが真剣な顔つきだ。そこに僕達を合わせて計七人。


 はっきり言って、少なかった。もっと頭数がいるかと想像していたのだが、十人にも満たないとは。僕らが来なければ、リベルを含めて五人しかいなかったということになる。軍隊とは言わないが、数十人単位の人数は欲しかった。


 だから、リベルは苛立っていたんだな。

 多分、人数を揃えようと町を探し回って呼び掛けたりもしたんだろう。宿屋の人間や階下のグループメンバーにも声を掛けたのだろう。だが誰も来なかったのだ。得体の知れない化物に立ち向かえる者がそう易々と集まるはずはないが、余りにも来ないので業を煮やしていたのだ。


 その惨状に、リベルは眉根を寄せて黙りこくっていた。聞かなくても、何が言いたいのかは分かっている。


「リッキー、緊張しすぎ。リラックスして」


 横からアリシーに首筋を強く揉まれ、およそこの場に似つかわしくない呻き声を上げてしまう。

 その場の数名に睨まれたが、頭を下げることで視線を回避した。


「無理だよ。これから先、どうすればいいのか分からないんだ」


 小声でアリシーに言う。


「安心して。リッキーだって“雷を使える”んだから、きっと大丈夫。勝てるよ」

「……うん」


 彼女の励ましによって、僕は表情を強張らせた。


 ――それは、昼食を摂っていた時の話だ。


「リッキー。お前は何か戦力になりうる力は持っているのか?」


 サンドイッチとハンバーガーの中間みたいなパンを貪っていた僕は、彼の一言で完全硬直した。


「アリシーが暗殺、と言ったな。それならリッキーのは正面突破が可能な技術を身に付けていそうなもんだが……違うか?」


 全然違う。勝手な予想をされても困る、過大評価だ。密かに身を震わせる僕の隣で、アリシーはとんでもない発言をかました。


「リッキーは雷を放てるよ!」


 ……え? 雷?


「ほう、そりゃすげぇな」

「実戦で活躍できる威力があるし、リッキーが側に居るなら私は安心だよねー」

「お前がそこまで言うなら期待できるな。リッキー、頼りにしてるぞ」


 理解の追い付かないままに話が進み、リベルの分厚い手のひらが僕の肩をがっしり掴む。ああ、これは多大な信頼を受けている。ヤバイ。

 雷って、アレだよね。雨雲から地上に向けて落とされる“雷”のことだよね。

 いやいや。そんな、ご冗談を。普通に考えて人間に雷が操作できるわけないじゃないか。

 でも、アリシーがそんな嘘を吐くとは思えないし……。


 まさか、以前の僕はそんなことができてしまう“超能力者”だったとでも言うのか?

 ふざけてやがる。だとすれば、一体僕は何者なんだ。


 冷や汗が全身から吹き出て、額を伝い、頬を伝い、顎を伝い、だらりと流れていく。


 でも「実は記憶喪失なので使えません」とは言えなかった。理由は様々あるが、まず第一にそんなことを告げたら間違いなくリベルは絶望する。アリシーも動揺してしまう。じゃあ今までの僕は何だったのだと、彼女は考えるだろう。

 僕はアリシーを裏切ることになる。いや、隠している今もグレーゾーンに違いはないが……雷って、なんだよ。

 しかし、おいそれと同意し頷くのも駄目だ。そんなことをすれば間違いなく戦力の一つに数えられ、無惨な結果にやはり絶望される。

 リベルからはホラ吹き野郎認定され、アリシーは恐らく心配してくれる。が、次第に気付くだろう。

 リッキー。いや、リツキは無能なのだと。散々でかい口を叩いておきながら、いざという時に何もしないクズ野郎なのだと認識される未来が待っている。


「あ……その……?」


 開こうとした口は、言葉を見失って空気に溶けた。それから先は、喋ることができなかった。

 お陰で話はそのまま流れてしまい、今に至る。


 アリシーはガチガチに固まる僕に気を配ってくれるが、それが逆に心に響いて痛い。そりゃ身体も固まるさ、どうすりゃいいんだ。それでも凍竜には立ち向かうよ、逃げたりはしない。だが人間以上の働きはできないんだ。


「やるだけは、やってみる」


 だからそういった曖昧な返事しかできず、僕は真一文字に口を結んだ。


「さて、少ねぇがこれで全員だな」


 底冷えした冷淡な声が、リベルの口から放たれる。静まっていた二階にはそれがよく響き、同時に、彼が胸の奥に怒りを湛えているのがありありと窺えた。

 ……言い出せるわけがない。


「ああ少ないねぇ、少なすぎる。もうちっと骨のある奴らはいなかったんで?」


 全身装甲の男がリベルの前に出た。彼も不満の気を全開にしている。


「居なかったな。その証拠がこれだ」

「そりゃそうかぁ。んで、俺達に白羽の矢が立ったわけだ?」

「そうだ。こんだけ住民こしらえても、戦う意思のある奴はこれしかいない。どいつもこいつも自分が可愛いんだよ、皆して誰かがやってくれると思ってやがるんだ」


 リベルが不満を吐露すると、全身装甲の男は「知ってるさ」と頷いて下がった。闘志は消えていない、少数でもやる気のようだ。

 僕は、どうするんだ。雷が本当に撃てれば話は変わるが、そんなことはできない。或いは記憶と共に眠っている可能性は考えられるが、その力を今直ぐに引き出せるかってことだ。

 希望的観測はしてはいけない。ここまで来て、黙っているのはやっぱり一番駄目なんだ。


「勝てばいい」


 灰色のフードを被った奴が、中性的な声で素っ気なく洩らした。感情の一部もなく、目的の遂行のみをインプットされたロボットのようだ。あの時のアリシーとは似ているようで違う、気味の悪い空気。


「あたりめぇだ、負けたら死ぬと思え」

「例え他が全滅したところで、私は勝つ」


 性別が判断できないが、この人は男か、女なのか。どっちでもいいか。


「それでいい。さて、わざわざ集まって貰ったのには理由がある。俺はお前ら全員の得意分野は知らんから、教えてくれ。それを元に凍竜の対策とフォーメーションを練……」

「ハウル、お前いつからそんなに偉くなった?」


 筋肉達磨の大男が横槍を飛ばしたことにより、リベルの話は中断された。こいつはリベルに似てるな、何となく。


「一人でこなせる任務じゃない。だから、誰かが指揮しなければいけないんだ。んなことはとっくに分かってんだろうが」

「筋肉しか取り柄のねぇお前が指揮だと? 笑わせるんじゃねえぜ『エステの糞』が」


 それはリベルと似たり寄ったりのコイツが吐ける台詞かよ。


「じゃあテメェが指揮できんのか? 『エステの飼い犬』が」


 リベルは負けじと同じような暴言で返す。悪口に使われてるけど、エステってのはグループの一番偉い人だよな。

 険悪な空気が流れ出した頃、アリシーがその流れを断ち切った。


「私が得意なのは暗殺。化物に通用するか試したことはないけど、人間の形さえしていれば一撃で葬れるよ。よろしく」


 ぬるり、と耳に届いたその言葉。それには、お前らなら簡単に殺せるぞという意味が強く込められていた。次に話が遮られようものなら誰かの首が飛ぶ、そんなイメージが浮かぶ。


 そんな彼女のただならぬ殺気に当てられ、まずリベルが黙った。その態度を感じ取った大男も、舌打ちを一つ鳴らしてリベルから離れた。僕は元より動けない。

 一瞬で他人の動きを制した自己紹介。リベルに言われた通りにしただけなのだが、これによって誰もがアリシーに続かざるを得ない状況に入った。


 てか。

 この協調性の欠片も感じられない面子で凍竜に挑もうと言うのか? 標的を見たことがないから何とも言えないが、これじゃ戦えもしないんじゃないのか。


「見ての通り、得意なのは弓の扱いだ。後ろからサポートしつつ、状況確認と指示を飛ばす。短い間だがよろしく頼んだ」


 今まで口を挟んではこなかった弓使いが、ここぞとアリシーに続いた。それが引き金になったのだろう、各々の自己紹介が始まる。


「私は念動力を戦闘で使う」

「俺は正面から殴り合うことしかできん。やるのは壁役だ」

「同じく壁役だ。基本的に敵の目はこちらで引き付ける」

「んー、そうだなぁ。俺も最前線に出て、盾で防ぎつつ一撃必殺を狙ってくかな」


 各々が自身の得意分野や、するべき行動を示していく。名前や年齢なんてのは誰もしなかったし、必要もなかったのだろう。中には知り合いも居るようだし。

 ピリピリと刺々しかった空気はその内に変わっていった。リベルと喧嘩相手も無駄口を叩かないし、他の人達も全員が意識を変えている。気持ちが統一しているかどうかは別にしろ、『凍竜』を討伐しに足を運んだというのが事実だ。誰も遊びで来てはいない。

 これから死人が出る可能性すらある。しかもグループメンバーのごく僅かしか集まってはくれない状況下で、こうも冷静でいられる彼ら。戦えるのかなどと疑問に思った僕は、浅はかだ。

 彼らは一人でも戦う、そういう目をしている。


 いつの間にか僕に視線が集まっていたのに気付き、ゆっくりと考察している暇などないのだと悟った。

 アリシーに一瞥をくれると、微笑み返してくれた。彼女は、僕に信頼を寄せてくれている。

 その笑みで理解した。そして、認識を改めなければならない。そうだ、彼女は現在の僕に信頼を寄せてなどいないのだ。過去の僕があったからこそ、こうしてアリシーは傍に居てくれる。

 いつかは話さなければならないと、常々思ってはいたが――。


 最初のアレは、幸運だったのだ。都合良く彼女の名前を知ることができて、彼女が自分から色々喋ってくれたのは大分助かった。都合良く仕事にありつけて、こうしてここまで来れたのも奇跡に近い。

 数日間、よく頑張った方だ。だけどそれも終わり。夢はおしまい。そろそろ目を覚まして、現実と向き合う時が訪れた。


「……リベルさん」


 仕事をしに集まった面々を見渡し、奥歯を噛み締める。良くも悪くもこの人達の顔付きに決断させられた。これ以上嘘を吐いて迷惑を掛けるくらいなら、今ここで暴露する。

 アリシーには嫌われるかもしれない。でもいいんだ、このまま順調に事が運んでいてもいつかは立ち塞がる問題だったのだ。

 リベルには悪いことをしたが、ここまで黙っていた僕が悪い。戦いの士気は下がるだろうが、ここで言わないでどこで言うんだ。この機会を逃せば凍竜との戦いで甚大な被害が発生する。最悪のタイミングで、秘密がバレる。

 それだけは避けたい。つまるところ、ここで打ち明ける以外の選択肢はなかったということだ。


 どこか神妙な面持ちで、彼は口を開いた。


「何だ?」

「僕に、雷を操る能力なんてのはありません」


 そう告げた瞬間、リベルは眉をひそめた。怒っているとかではないが、どこか考えている表情だ。


「どうして今更、それを言うんだ?」

「……話せなかったからです。話す勇気が湧かなくて」


 がっかりした感情さえ見られど、リベルは激昂も呆れることもしなかった。だが彼はアリシーの方へ首を回したので、僕も釣られて彼女を見た。

 視線が合う。アリシーは僕を凝視しながら、固まっていた。


「リッキー?」

「アリシー、ごめん。あの時の秘密は、これに関係していることなんだ」


 いつか話すと言った、昨夜の出来事。まさか今日話すことになろうとは、当時の僕は思うまい。


「もしかして、大災害のショックで……使えないの?」


 悪いことでもしてしまったかのような、震えた声。

 あ、そう捉えられたか。それでも辻褄は合うね。寧ろ、そっちの考えが普通なのか。

 では“そうすればいいのでは”と悪い考えが頭を過るが、それも一時的な対処でしかない。却下だ。

 首を横に振る。じゃあ、と続きを言おうとしたアリシーの言葉の上に、僕の言葉を重ねた。


「ごめん。この町に来る以前の記憶が、無いんだ」


 告げる。

 それから、どれだけ時間が経ったのだろうか。


「――え?」


 とても長い間隔が空いて。アリシーのすっぽ抜けた声が、掠れて聞こえた。


「ごめん。ずっと言えなかった」


 全員の意識が僕に集まっている。特に、リベルが驚きと困惑の瞳で見ていたのが横目でも分かった。

 終わったな。これで僕は、もう討伐にも参加できないだろう。一般人だらけの集まりならいざ知らず、豪傑ばかりの輪の中だ。入っても有用性があるかどうか。


「嘘? ――でも、全然……なんで」


 どうしてだろうね。まあ、昔の僕と今の僕に、大した差はなかったみたいだけど。


「最初。アリシーに呼び掛けられた時は、戸惑ったよ。どうしていいのか分からなくて、結局黙ったままにしてしまった」


 最初から打ち明けていたら、どうなっていただろう。やっぱり、傍にアリシーはいなかったのだろうか。


「おい、リッキー」


 リベルの声だ。


「はい」


 解雇のお知らせか。まあなんでもいいさ。

 さて。これから先はどう生きていこう。彼女と同じ関係が続けられないのは明白だし、ずっとそう思っていたから言えなかったんだ。

 グループで仕事をしながら、ちまちま稼ぐのも生き方としてはアリかもしれないな。町の外には何があるのか分かったものではないし、生きていくにはまず働かなければいけない。

 生きる意味はないが、ただのたれ死ぬのは嫌だしな。


「お前の事情は分かった。それで、依頼はどうするんだ?」


 どう、とは何だ。今更何もできないのは、リベルなら理解くらいは可能なはずだ。何を選べと。


「依頼が続行可能であれば、行きますけどね」


 凍竜は、記憶喪失であろうがなかろうが、目の前で牙を剥いてくる敵には変わりがない。この人達で倒せなければ町が崩壊するのは目に見えているし、行かない理由はない。倒せば報酬は入るし、やるだけはやる。


「そうか。口振りからして、てっきり逃げ出したいのかと思っていたぞ」

「逃げませんよ」


 ああ、それもそうだな。リベルからすれば、僕みたいな非力な人間は全て町の中に引き込もって他人任せにしていると考えているんだ。そもそもが、志願してくるとは思っちゃいなかったんだな。


「ならいい。では、お前はひとまずアリシーと二人で話し合え。その間に俺達で戦術を考えておく」


 気を利かせたのか、彼はそんなことを言った。


「どうした? 早いとこ話しておけよ」


 立ち止まったまま黙っていると、リベルにけしかけられる。背中を押されるがまま、強制的にアリシーのすぐ傍まで移動させられた。


「……ねぇ」


 ぽつりと抜け出たアリシーの声。彼女は放心している。そこまで、ショックなことだったのか。だったんだよな。


「ほんとに、何も覚えてないんだよね?」

「うん」


 思い詰めた様子のアリシーの姿は、罪悪感を沸き上がらせる。ずっと黙っていたからこうなったのだ。


「じゃあ……“ここ”がどういう世界なのかも、分からないんだね」


 世界? そりゃあ、知らないけどさ。どこか含みのある言い方だ。


「……納得はできたよ。ここに来てからのリツキはどこか違ったし、突然『リッキー』にしようとか言い出したりするし。大災害以前の話は一切自分からは話してくれなかったし」


 あ、やっぱり違和感はあったのか。そりゃそうだよな……あれはあからさまに不自然だったし。ただ、だからといって、この人記憶喪失かも、だなんて答えには行き着かないよな。他人から言われでもしない限りは。


「でも。今のリッキーは、とても近くに感じられる」


 アリシーの暖かい手の平が、そっと頬を撫でた。


「まるで以前の僕が、遠い存在だったみたいな言い方だね」

「遠かった、のかもね。あの頃のリッキーは、とても遠いところで戦っていたよ」

「戦ってたって?」

「そんな感じがしただけ。でも、今はそうじゃないんだね。もう君はリツキじゃなくて、リッキーなんだよね」


 アリシーは、自分に言い聞かせるように呟いて。その手の平が、頬を抜けて首の後ろを這う。アリシーの頭が僕の首元にあるのに気付き、ようやく抱き締められていたということが確認できた。


「え、ちょ」

「だったら私は嬉しいよ。私を認めてくれたリッキーは、リツキよりも好きになれる」


 二人きりで言うのも恥ずかしい台詞を放ったアリシー。それにとくんと心臓が跳ね、全身が硬直する。


「――照れてるの?」

「い、いや」


 顔面が沸騰しそうな程熱くなったのを気恥ずかしく思い、アリシーを引き剥がす。僕の両手に押さえ付けられるアリシーの表情は、和らいでいた。

 何故だ。幻滅しないのか、どうしてだ。素直にその言葉を受け取れなかった僕は、なるべく冷静に問う。


「僕は……アリシーのことを今まで全く知らなかったのに、知った風に過ごしていたんだぞ。幻滅したり、怒ったり、しないのか?」

「しないよ。それがどうしたの?」


 真面目な顔で言われると、言葉に詰まる。それがも何も、僕はずっと騙していたんだぞ。何も知らない癖に、知った風に過ごしていたんだぞ。


「僕は、アリシーに無責任なことをいっぱい言ったんだよ。赤の他人の僕は、アリシーのことを全く知らないのにも関わらずに」

「じゃあ、今までの言葉は全部嘘なの?」

「……いや、嘘じゃないけど」


 半ば呆れてしまった様子の彼女は、眉根を寄せてこちらを覗き込む。


「ねえ、リッキーって自分のこと考えないよね。多分それはリツキの時もそうだったんだろうけど……。君は、記憶がないんだって言ったよね。なら知らなくないよ、他人でもない。だから私が怒るわけないじゃん。それに、そっちから見たら私はただの他人なのに、ここまで良くしてくれた人間をどうしたら嫌悪できるの?」


 緑色の瞳が悲しそうに訴えていた。彼女の心のどこかにある想いが苦しそうに叫んでいた。そういう風に、思ってはくれるのか。どうなんだろう、僕には分からない。


「それなら、嬉しいよ。ごめん、まだ混乱しているのかもしれない。僕が一緒に居て安心できるのはアリシーだけで、それで、必死だったんだ」

「知ってるよ。ねえ、少しだけ私の話、聞いてくれる?」


 僕からすれば、打ち明けた瞬間に全てが終わるものだとばかり思っていた。依頼も終わりで、アリシーからは見捨てられて。

 でも実際そんなことはなかった。リベルは僕に選ばせてくれて、ここまで気を遣ってもくれる。アリシーは離れるどころか近づいてくる。


「――私は、全ての人から忌み嫌われる存在だった」


 返答をする前に、彼女は話を始めた。だから、僕はアリシーを拘束していた両手を離して、そのまま聞くことにした。



 アリシーの家族は、父、母、兄、アリシーの四人構成だった。


 父は暗殺業を生業とする殺し屋だった。

 母も殺し屋だった。

 兄も同じだった。


 そのため、アリシーが物心ついた時には、目の前に死体があったという。それも誰かが殺したものではなく、自分が殺したものだった。


 当時のアリシーには、人を殺すことが何でもないことだった。だから息をするように人を殺すし、玩具で遊ぶ感覚で人を死に追いやるので、殺気もなく殺人においては達人だった。そう教育したのは両親だったが、今でも自分の犯した間違いを悔やんでいる。

 四つ上の兄は、家族の中でも人の心を持った殺し屋だった。アリシーとは違い、どんなに頼まれても自分が納得の行く程の悪人でなければ絶対に殺すことはないし、そんな悪人でも殺した後は必ず涙を流す。悲しそうに嗚咽を漏らして、しばらく物想いに耽るのだ。


 そんな彼に、当時八歳だったアリシーは尋ねた。どうして毎回のように泣くんだと。人を殺すのがそんなに悲しいことなのかと。

 兄は、悲壮な顔つきをして言った。「人を殺すのは普通のことじゃない。生まれてから人の死を眺め続けたアリシーにはそれが分からないんだろうけど、人を殺すというのはとても悲しいことなんだ」そう言っていた。

 アリシーにはそれが本当に分からなくて、首を傾げて兄を変人だと思っていた。何故なら、父も母もそんなことは一言も告げないし、常に無表情だから。人は、玩具よりも価値が低いものだった。


 アリシー達は社会から目を付けられないため、表では普通の人を演じていた。なのでアリシーは小学生を演じていたが、周りとの違いに着いていくのは難しい。人形だらけの学校で、人形達は無駄な勉強をして無駄に遊んでいる。どうせ殺される運命にあるのに、どうして必死に勉強しているのか理解ができなかった。

 ある日、アリシーに遊びの誘いがきた。普段からそういった類のお誘いは撥ね退けていたのでそうそう来ないはずなのだが、ソレは違った。その同級生の女の子は、それからというものの何度も何度もアリシーを遊びに誘った。相変わらずアリシーはその誘いを断り続けたが、同じく彼女も誘い続けた。

 それからだろうか。人生が、少しずつ正常な方に狂い出していたのは。


 一度、その子と遊ぶことになった。そこまで誘うならと一度許可しただけだったが、それからアリシーの世界が変わっていったのだ。

 その子に触れていく内に、段々とある感情が生み出されていく。


 人は、とても温かい生物だ。一人一人がそれぞれ違う考え方や価値観を持っていて、その人だけの物語がある。その人にも大切な者が居て、その人にも同じく物語がある。


 そうして。

 今まで殺してきた人達が「アリシー」と同じ生物なのだと、そこで初めて理解した。それからも彼女は人を殺していたが、次第に殺害した人の人生について考えるようになっていく。今までは殺して終わりだったのが、物想いに耽る時間が増えていった。そして、最終的にはどうして私は人を殺すのだろうという疑問が芽生えてきていた。


 殺しは、全て親からの命令で行われている。その親は、誰かから依頼されて動いている。その誰かも人間なのに、どうして人間の依頼で人間を殺しているんだろう、と。もっと言えば、親も人間なのに、どうして人間を殺しているんだろう、と。疑問は次々に浮かんでいく。


 いつものように女の子と遊んでいた彼女は、いつの間にかその女の子が好きになっていった。でも好きという気持ちが何なのかは、彼女にも分からない。ただ、このように考えることが度々あった。


「この女の子が死んだら、私は悲しむ。この子の親や、友達も悲しむ。私が殺してきた人達にも、そういったことがあるのではないのだろうか」


 アリシーは、それから少しずつ兄と話すようになっていった。当時彼女は十歳だったが、兄が今の自分と似た考えを持つことに気付いていたのだ。兄は思った通りに様々なことを教えてくれ、最後にはアリシーを認めてくれた。

 そこで初めて、彼女は嬉しいという感情を知った。兄に自分の考えていることが認められて、嬉しかったのだ。だがその感情を知ってしまった十歳の女の子は、間違いを犯す。


 それを知った次の日。いつも遊んでいた女の子に、自分のことを話してしまったのだ。アリシーとしては自分の考えを知って欲しいというただ一つの想いだったが、彼女の壮絶な過去を聞いた女の子は違った。アリシーの当たり前の日常は、ただの女の子である小学生には、ただただ異端で気持ちの悪い、恐ろしい話だった。


 そうして不用意に漏らした情報は女の子から子供達の間に広まっていく。その真実には尾ひれが付き、更にその噂には尾ひれが付き、アリシーを学校内で苦しめた。

 小学校で流行ったアリシーのあだ名は『しにがみ』。出会ったら殺される。目が合ったら殺される。今までで数千人を地獄に送った。などという噂から生み出されたあだ名だったが、小学生ではその噂のくだらなさを理解するには難しく、それは更に酷く捻じ曲げられ、アリシーに近づく者は女の子を含めて殆ど誰も居なくなった。


 先生達は噂を信じるはずがなく、アリシーが本当に人を殺していることなど知りもしなかったので、注意するだけに留まっていたが。

 アリシーは、一旦開いた心がぐちゃぐちゃに掻き乱されて荒んでいた。人間は、こういう生き物なのだと憤る。あの女の子はアリシーを気持ち悪いと言って近づかなくなってしまい、それでも親の命令で学校に通っていると度々悪ガキが絡んでくる始末。


「殺してみろよしにがみ!」

「どうした! よわっちいなあ!」


 そんなことを吐かれて殴られたこともあったが、子供の戯れなど何も感じなかった。気が付けば、全ての人間は殺していいのだと思うようになっていった。何故なら、自分を害するから。それならば、殺してしまっても文句は言えないだろう。ただ、親の命が出ないから生かしておく。それだけのことでしかない。


 全ての人間から追いやられた先、彼女がすがりついたのが兄だった。兄だけはアリシーに優しく、学校でのことを話すと慰めてくれた。

 そうした結果、必然的に生きる意味が兄と一緒に居ることだけになってしまい、それに依存していた彼女。が、そのような仮初めの幸せは、そう長くは続かない。

 ――事件は、しばらくして起こった。


 兄が殺人に失敗した。そして、人間共に吊るし上げられて死んだという。両親がアリシーに告げた言葉だった。アリシーはそこで初めて泣いた。大切な人を失ったことに、悲しみを覚えた。兄はもうどこにもいない。自らの足でも確認したが、彼は首から下がない状態で串刺しにされて死んでいた。どうしようもない事実だった。

 呆気なく死んだ彼に同情する者などいない。物を投げつける人が居れば、罵詈雑言を浴びせる者もいる。両親のように後始末に奔走する人間もいた。

 アリシーはその姿を見て、理解した。これが人間という生物なのだと。


 彼女が愛する者は一人もいなくなってしまった。元々一人しかいなかったが、兄との死別によってここに生きている理由もない。


 自分は確かに人だった。兄も人だった。両親も人だった。あの女の子も人だった。先生も人だった。悪ガキも人だった。

 兄を殺した奴らも人だったのだろうし、アリシー達が無機質に殺してきた人間達もまた人だった。そうだ。人間であるということは、そういうことなのだ。


 アリシーは、兄を殺した人を憎みはしなかった。何故なら兄は、大量の人間を殺してきたから。ならば仕返しに殺されても文句は言えない。親の命でやっていたことだが、そこまで察してくれとは当然の如く思わない。

 アリシーは、それから一切の殺しを止めた。だから両親の隙を見計らって逃げ、遠く遠く、誰も自分を知らないところへ行こうと決意し、実行する。


 気が付けば、遠いこの場所にいた。なんとなく、そこにある学校に入ってみた。誰も自分のことをしにがみ呼ばわりして忌避する連中などいなくて、普通に友達ができた。今まで殺し屋のことは伏せていたが、皆それぞれ異端なり素晴らしい力を持っていたり、そうでなくともその人並み外れた部分をとやかく言う者など一人も居なかった。

 そんな学校で出会ったのが、鈴峰律樹だったのだ。


 ――そこで一息吐いたアリシーは、昔の話を終えた。


「そこでも私は、人殺しの技術を口にも行動にも出さなかったよ。嫌われない保証はなかったからさ」


 淡々と話してくれた内容は、重すぎる中身であった。だが、そこまで壮絶な過去をどうして僕に。とはもう思わなかった。彼女は慕ってくれているんだな。僕を、かつての兄のように。


「でも、リッキーには見せちゃった。そんなリッキーは記憶喪失で私のことなど知らない人だったのに、私を認めてくれた」


 彼女の瞳から涙が溢れ、零れる。それまで感情を抑えて発されていた言葉は堰を切ったようにどっと流れて悲しみを帯び、聞き取りにくくなっていった。


「だから……離れようとしなくて、いいよ」


 まだ僕は離れるだなんて一言も言ってない。が、そう気付かれたのは、僕の態度が分かりやすかったからなのか。まあ、どうでもいい。アリシーがそう言ってくれるなら、喜んでずっと傍にいてやる。


「それとも、やっぱり私と……関わりたくない?」


 今にも泣き出しそうに発した彼女を、もう一度強く抱き寄せることで、答えた。

 そして、言葉でもちゃんと伝えてやる。


「いいや。アリシーの話を聞いたところで、僕の気持ちは変わらない」


 しかし。どうして彼女があんな場面で力を見せたのか。それだけ深い重りを抱えていたというのなら、リベル相手に軽々しく使ったりはしないよな。あの時点では、僕をそこまで信頼していたわけでもないだろうし。

 ただ。彼女にどんな心境の変化があったのかは分からないが……これが良いきっかけとなってくれるのなら、嬉しいけどね。


「あのよぉ。お熱いところ悪いんだが、作戦はとうの昔にもう組んだぜ。区切りがいいみたいなんで、さっさと聞いて欲しいんだが……」

「……あっ。は、はい」


 横から、全身装甲の男がぬうっと顔を出したのにびくついた僕は、恥ずかしさの余りに慌ててアリシーから離れる。何を今更、もう遅い。この男は愚か、抱擁シーンはその他四名にしっかり納められていた。恥ずかしいのなんのその。見るな。


「大胆だね」


 頬を赤らめさせたアリシーは、軽く笑って余計な一言を付け足した。いや、待って、なんでこんなに恥ずかしいの。

 ってよく考えたらここグループの施設内だった。全く知らない人にも生温い視線を送られているのがよく分かる。頼むあっち行け。受付嬢が面白いものを見るように笑っている。あの人リベルの時にも笑ってたよなコノヤロウ。


「すみません。もう大丈夫です」


 こほんと咳き込み、全身装甲に頭を下げる。

 暇そうに仁王立ちで腕を組んでいたリベルは、そんな僕の姿を見てか苦笑した。


「んじゃあ、確認も兼ねて言うぞ」


 ハゲ頭を引っ掻きながら、彼は対凍竜戦の説明を開始した。

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