二十九話 夜の支配者
リッキーと愉快な仲間達に、むさい男が加わった。
二メートルはあろうかという巨体で地を歩き、通る者全てを外見のみで蹂躙する岩山のような男。豊潤な筋肉は浅黒い肌に包まれ、今か今かと撓んでいる。黒のタンクトップははち切れんばかりにぴっちり肌に張り付き、脱がなくても筋肉の形が丸見えだ。その癖細身のアリシーより弱いという事実を、通りかかる人の何人が思うのであろうか。
そして僕は、そんな二人よりも遥かに弱いのだった。
「……ああ」
下らない解説は、自らの絶望を持って只今終了した。
現在、グループの二階受付後方に設置された長椅子に、アリシーと僕は腰掛けている。僕の静かな嘆きに気付いた者は、アリシーも含めて一人としていない。不幸中の幸いというやつであろう。
では、もう一人はどうしているのか。
巨漢――名はリベリアル・ハウル。通称リベルは、二階の受付嬢と談笑を交えながら、僕らのことを話していた。そのために待機である。因みに捜索願は取り下げたので、手元には鉄硬貨一枚があった。結局誰も依頼は受けなかったらしい、悲しきや。
「にしても、夜の寒さの原因が“生物”による異常だとはなぁ」
何となく、僕は呟いた。これはグループに向かう道中、リベルが話してくれた依頼内容のことだ。
夜行性で、常に冷気を纏う怪物が町を遠距離から襲っている。『凍竜』と名付けられたそれは、ここ一ヶ月前から姿を現し、町周辺を夜な夜な凍らせていたみたいだった。
お陰で配布所からの物資が一ヶ月前から届き難くなり、食糧の価値が高騰。果ては先日の大災害による配布所の消滅で食糧難がいよいよ以て激しさを増し、町民を苦しめているということだった。
よって、現在町の治安は頗る悪い。
紛争が耐えず、町全体がピリピリするのは勿論のこと、冷気で駄目になる作物が続出。身体の弱い人々は寒さにやられて働けなくなり、酷い場合は死に至る。グループの監視の目がなければ、空き巣、置き引き、窃盗、強盗、殺人、それらが絶えない。僕らは今までよく大丈夫だったなと呟いたところ、ここグループの周辺である『ユールティリカ』と、農業地帯である『エスティリカ』はまだマシなのだそうだ。
後の『ローゼルティリカ』と『アルスティリカ』の辺りはグループの人員が足りず、見回りが薄い。それもあり、犯罪を未然に防げない、とのことだ。
防げない、ということは、そこには悪者がどんどん蔓延っていく。
で、グループも総出を上げて外へ食物を確保しに出たり町の拡大をしたいそうだが、治安と凍竜の影響でにっちもさっちもいかない、ということらしい。
グループの創設者であり、同時にそれを統括している『エステ』という人物が居ればなんとかしてくれるそうなのだが……凍竜出現以前に町から出て以来、まだ姿を現してはいないそうだ。
そして逆に捉えると、その人が居なければグループは十全に機能しない、ということでもある。士気は下がるばかりだ、そりゃ荒れもするだろうな。
如何ともしがたい状況。最終的には、“凍竜を何とかして止める”という無謀な結論に達し、作戦を始動。腕の立つ連中を集めて『凍竜討伐チーム』を結成した。
だから、その依頼にはアリシーが引き抜かれたわけだ。そりゃあ、そうだよな。あんな力を見せ付けられて黙っている方が可笑しいというものだ。
懸念はある。僕が戦力外なのは抜きにしても、アリシーのは殺人特化の技だ。人間相手では本領を発揮する暗殺術だが、得体の知れない化物に通用するかどうか。
本人ではないから、詳しいことは分からないけど。
「お前らの登録は終わったぞ」
ようやくリベルが戻ってきた。
「依頼の形式は階下と同じなんですか?」
「ほとんど変わらん。それで、もう『凍竜討伐』の依頼は受けてある。今日の夜、ここに全員集合だ」
仕事がお早いことで。ということは僕も参加するのだろう、足手まといにならなきゃいいけど。
「では、夜まで解散。と言いたいところだが――」
リベルは、僕らを睨み付けるように眺めた。頭から爪先まで、身体検査でも受けているような気分に囚われてしまう。
「こんな服装では凍竜に近付くのは愚か、夜も長時間は出歩けんな。今回は俺が見繕ってやるから、着いてこい」
僕の服を特に見つめ、彼は言い放った。
その通り、服の体裁すら為さないこの姿で夜に出歩くのは些か無理がある。服に関しては早くどうにかしようと思っていたので、丁度いい。
「買ってくれるんですか? ありがとうございます」
「やった! おっさん太っ腹ー」
「……あぁ。いつか金で返せよ、お前ら。それとおっさんって呼ぶんじゃねぇ、こっちは気にしてんだ!」
どっと二階のあちらこちらで笑いが発生した。主に受付嬢辺りから。あ、爆笑してる。
勿論、貰ったままでいようとは思わない。稼いだら返すさ。
アリシーが服と聞いて目を輝かせていたので、直ぐにでも向かってやることにした。
――服屋。
店内を物色した結果、同じような衣服がずらりと並んでいた。違いがあんまり分からない。ファッション性には一切富んでおらず、それにがっかりしたのかアリシーの瞳に先程の輝きはない。店頭に並んでいるのは、どれもこれも茶色や黒やらの分厚い防寒着ばかり。インナーも白、黒の二色のみ。
まあ、白は熱を弾き、黒は熱を吸収する。毛皮なんかは暖かい、それは分かるよ。昼間の熱気も凍竜の冷気も防げるからね、実用的だし利便性もあるし。
でもさ、もっと、こう。赤とか青とか黄色とか、紫とか緑とかさ。色とりどりな品物は置いてないもんかね。文句は言ってられないけど。
その中。リベルだけが真剣に服を手に取ったりフードを眺めたり、眉間に皺を寄せながらズボンと睨めっこしていた。どれもこれも似たり寄ったりなのに、そこまで真剣になれるのか。
「……フム、アリシーの嬢ちゃんに動きにくいのは駄目だ。だが、ただ軽装なだけだと寒さにやられる。クソッ……こいつも駄目だな」
ああ、真剣だ。
ぶつぶつ独り言を吐きながら考え込むリベルは放置することにして、アリシーへ目をやる。
彼女は衣服には目もくれず、小物類をつまらなそうに見ていた。女の子ってのは、やはり身なりに気を使うもんだな。僕は正直興味がない、リベルに任せればいいや。
「アリシー、欲しいのはあった?」
ネックレスやら指輪やらを眠たそうな目で見ていた彼女は、だるそうに首を回して僕と視線を交差させた。
「ううん。想像と違ったよ……がっかり」
ですよね。
因みに、小物や装飾品コーナーに置かれた品物は、どれも安かった。多分実用性がないからという理由であろうが、平均値段は木硬貨が五、六枚だ。僕の所持金でも平気で買える。
僕はその中から適当に漁り、掴んで持ち上げた。味気のないヘアバンドだった。これは紐か何かか? 伸縮はするが、結ぶならゴムの方がいいだろうに。
「こういうのアリシーにどうかな? 邪魔な時に髪とか結べるし」
値段は木硬貨二枚、やっすいなぁ。
段々、子供に全財産をあげたのは軽率だったかもしれないと後悔してきた。小遣いにしては多過ぎた。
「うーん……要らないかな」
後ろ髪を人差し指で弄っていたアリシーは、片眉を上げて数秒悩んではいたが――断った。髪の毛は肩にかかる程度の長さだし、まだ必要ないと判断したのだろう。
「それより、私はアレが気になるかな」
彼女は、店頭に飾ってあった、“それ”を指差した。
……あれは、服屋には似つかわしくないな。装飾品として飾るには、ちょっと趣味が悪い。
壁に掛けられてぶら下がっていたそれは、短剣だった。弓なりに曲がった刃は妖しく光り、綺麗に磨がれているのか艶々している。飾りはなく、柄と刃だけのあっさりとした造りだ。
ヘアバンドよりも短剣に目が行くってのは、複雑な気分になるな。これから戦いに行くのだし、仕方のないことかもしれないけど。
「あれは売り物じゃないと思うよ」
「うん、知ってる。でもアレ、かなり手入れされてて状態がいいんだよね。どうしてここにあるんだろ」
そこで、アリシーの熱烈な視線に気付いた店員が僕らを呼んだ。
「このナイフが気になるのかい?」
売り物の白インナーを着た、ひょろひょろと細っこい男性。掠れた高い声から、何となく痛々しさを感じる。
「はい。ちょっと見とれてました」
結構気に入ってたのか。でも、ここ服屋だよアリシー。
「コイツにかい? そりゃ物好きも居るもんですなぁ、欲しいなら売ってあげますよ?」
「え、いいんですか?」
軽く驚いた彼女、そう言われた瞬間から、物欲しそうな瞳を短剣に注いでいる。
「いいですともいいですとも。このナイフだって、前に変な奴から『店のローブと交換してくれ』ってせがまれて仕方なく換えてやったもんで、しかし使い道が無くて困ってたんですよ。私にこんな刃物は扱えないし、買ってくれるというなら願ったり叶ったりですぜ」
チラチラこちらを見ながら商売を始めた店員に、僕は舌を巻いた。
そういう人が現れるのを待って飾ってたんだなこの人。流石は商売人。ああ、だから僕を横目で見るな、分かった、買うから。買うつもりだったから目を細めて見るな。
「いくらですか?」
とはいっても、値段によってはそもそもが買えない。ま、“要らない物”らしいし、足りなかったら値引きさせてやろう。
「そうですなぁ、じゃあ鉄一枚ってのはどうです?」
あらま、ピッタリ。コイツ、もしや僕の重心の僅かなズレから金銭がどこに何枚あるのか確認してたんじゃ――今のは冗談。流石に冗句だよ。
「いいですね。ではそれで買いましょう」
懐から鉄硬貨を取り出し、店員の手に渡す。「確かに」と呟いた彼は、僕に短剣を渡した。
あっさり全財産を失ったが、いいだろう。元々なかったはずの金だし、悪い買い物でもないからな。しかも食費の八分の一だし。
「鞘は有りませんから、取り扱いにはご注意を払って下さいね」
微笑を浮かべ、店員は言った。それが買った後に言う台詞かと思ったが、隣で嬉しそうにしているアリシーの横顔を見ると、そんなことを言う気にはならなかった。
慎重に刃の腹を掴み、柄の方を差し出してアリシーに渡してやる。ちょっと刃に触れたら切れそうだ、それほどまでに鋭い。
「ありがとう、リッキー」
天使のような微笑みを浮かべた彼女は、それを大事そうに受け取った。手に持つナイフさえなければ、素直に喜べるんだけど……。
そこで、両手に大量の衣服を抱えたリベルが後ろからぬうっと現れた。
「これ、全部くれるか?」
「……え、ええ! こちらへどうぞ!」
目を見開いた店員は、急いでカウンターに移動する。とてつもなく喜んでるな、きっと一度の買い物であれだけ買い込む客はいないのだろう。
「怖くない?」
唐突に、アリシーがそんなことを口にした。リベルの方を眺めていた僕は、その言葉がどういう“意味”を持たせて発された物なのか、思案する。
うん。
「凍竜ってやつは、目の前にいるわけでもないのに町を凍らせてしまうような化け物だからね。そりゃ怖いよ、でも大丈夫。きっと、倒せるよ」
見当違いの返事をして、彼女の頭にぽんと手を乗せた。そうだ、アリシーが言いたかったのはそんなことではない。“武器を持った私が怖くはないのか”と。そう言いたいのだ。
ああ、これっぽっちも怖くないね。だってアリシーは、僕を殺そうとはしないだろ。
だが。そう彼女に伝えても、あまり意味が無いような気がする。言葉一つで払拭できる悩みじゃない。だから、言わないことにした。
「そっか」
寂しげに言ったアリシーは、手慣れた様子で短剣を懐にしまう。僕は彼女の頭を優しく撫で、最後に軽く叩いた。
「終わったぞ」
買い物を済ませたリベルが戻って来たので、お礼を言って一緒に店を出た。
外は、夜の寒さが嘘だったかのように暑い。室内はそれほどまでではないが、これでは体調を崩す人も多かろう。異常気象と何ら変わりない。
とりあえず宿に戻った僕らは、リベルから衣服を受け取って部屋に戻っていた。
僕は、リベルが何を買って来てくれたのかを扉の外で確かめている最中だ。
アリシーは部屋の中で服を着替えている。だから、ここで突っ立っているわけなのだが。
「……買い過ぎじゃないかな、これ」
白、黒二種の薄い生地のインナーに単色の黒パンツ。柔らかい白生地のニット帽、上着、更に上から着るなめし革のコート、黒生地を固い皮で覆い耐久力を付加したズボン。
これをアリシーにもか。同じ物ではないけど、確実に同じ量はあったぞ。いくらするのか教えてはくれなかったが、それ相応は掛かっているに違いない。
「終わったよー」
コンコンと、内側から二度ノックされたので、扉を開ける。
「……おおっ?」
そこには、インナーとズボンだけを着たアリシーが居た。制服姿とは全く違う印象を受ける。
「え、どしたの」
「いや、雰囲気変わったから驚いただけだよ」
身体のラインが良く見えてしまい黒のインナーに、僕とは違って柔らかで動きやすそうな細いズボン。夜はこの上に上着を着込むのか。
「リベルのおっさん、アリシーの服はしっかり選んでくれたみたいだね」
「うん。あんまり期待はしなかったけど、そこそこいいかも」
彼女の俊敏な動きを殺してしまうような服は着させられない、というのを念頭に置いて選んだからこそのこれなのだろう。似合ってもいるし、リベルのセンスも悪くはないな。
「あ、風呂入ってたのね」
彼女の髪が肌に張り付いてしっとりと濡れていたので、そうだと分かった。
「うん。朝も入ったけど、あんまり綺麗にならなかった気がしたからさ。夜は入れないし」
そういや今朝の支度の時にも少しは身体を洗ったが、あまり長風呂はしなかったな。水しか出ないこともあったからなのだが、そうだな。昼間は暑いし、丁度いいな。
「そうだね。僕も入っとこうかな」
「うん! さっぱりするよ。じゃ、私はちょっとリベルにお礼してくるね」
「了解。鍵は開けとくよ」
「はーい」
そう言うと、彼女は受付の方まで歩いて行った。いつの間にか「おっさん」は止めたんだな。僕も、リベルさんとでも呼ぼうかな。
……あの人何歳なんだろう。
そんな年齢ではないとか言っていた覚えがあるが……人は見かけでは分からないからな。三十近そうな顔だけど。
風呂、入るか。このシャツとかズボンもさっさと捨てたいし、一先ずはさっばりしてこよう。
◇
風呂から上がり、冷えた身体を備え付けのタオルで拭う。ごわごわしていて到底気持ちの良い感触とは言えない代物だが、ずぶ濡れで上がるよりかは幾分もいい。
やはり水しか出ないだけあって、長時間も浴びると冷える。お湯は出ないのだろうか、電気は流れていないのだろうか。
でも、照明は上に付いているからな……どうなんだろ。まあ、出ないものは出ないってことか。今度リベルに提案してみよう。
服を着替え、邪魔な制服の残骸は一応折り畳んで部屋の隅に置く。アリシーに倣い、衣類はインナーとズボンだけ着用した。インナーの色は白にしておいたが、理由は特にない。
「意外と歩きやすいな……」
防具さながらの頑強さを放っていたズボンだが、行動に支障はなかった。関節部分には気を使っているのか。ともあれ、これで浮浪者らしさは全くなくなった。風呂に入る際に外していた銀のペンダントもかけ、一息吐く。
「僕は、何してんだろう」
分からない。記憶がないのだから、それは当たり前だ。
ただ、少し。ペンダントを首に付け直した時、胸の内が非常に痛くなって。ぽっかりと穴が空いてしまった気がして。
何かが足りない。そう、思わされた。けれど、その“何か”を僕は知らない。
「このペンダントが記憶の手がかりになるのだとしたら……」
正直、迷っている。確かに僕は、過去を捨てた。別に思い出さなくてもいいと思っている。
しかし、それは半分と少しだけだ。残りの僕は、記憶を思い出さなければならないと奥底で叫んでいる。
思い出したいのではなく、必ず思い出さなければという強い心が、暴れている。アリシーのこともある。
「しばらくは、かけといたままにしてやるか」
ならば。もしも記憶が戻らなくって、もうそんなものが必要にならなくなった時が来たら。
これは捨てよう。
ペンダントを握り締め、深呼吸した。
「さ、僕もリベルさんのとこにお礼でも言いに行こうかな」
アリシーはまだ帰ってこない。風呂に入ると伝えたから気を使っているのかもしれないな。入れない、なんてことないように鍵開けとくくらいだし、そこまで気にする必要はないのにな。
宿の入り口まで行くと、何やら騒がしい様子だった。
「は、離せ! 馬鹿共っ!」
何やら穏やかではないことが起きているな。
よく響く叫び声に違和感を覚えた僕は、目を細める。リベルが邪魔でよく見えない。隣には知らん人達が数名仁王立ちで構えていて、逆隣にはアリシーが。
「何やってるんです……か……? あ」
アリシーの傍まで寄って、ようやく違和感の正体に気付いた。
リベルに片手で掴まれ、持ち上げられているそれ。闇夜に紛れる真っ黒な様相、フード。タートルネックは付けてなかった。しかしこれで気付けない奴はいない。
「何をしているのかな?」
昨夜の子供だった。
その彼はリベルに摘ままれて持ち上げられている。抵抗はしているが、手足をばたつかせて悲鳴を上げているだけだ。
「あっ、昨日の……助けてくれよ! 頼む!」
僕を見るなり抵抗を止めた子供は、懇願を始めた。現状が詳しく掴めないが、なんとなく分かるぞ。
リベルが怒り、アリシーやその他が手を出さない状況。子供に非があるとしか思えない。
「リベルさん。この子供は何をしたんですか?」
「このガキはアリシーのナイフを盗った」
「……ああ、なるほど」
簡単だった。
あのアリシーからどうやったら刃物をひったくれるのか謎な部分はあったが、事実は事実だ。彼女の表情を見るに、嘘でも何でもないだろう。
無理だと悟るなり涙を流し、上擦った言葉で謝罪を開始した子供に僕は呆れる。
「今更泣いても許さないよ? 僕の知人だと知ってそんな暴挙に出たんだから」
「ち、ちがっ……なんで……オレ、助け……ヒッグ、助けてくれよ……」
言葉にすらなっていないな。
「昨日忠告しなかったかな? 確かに“物を盗るな”とは言わなかったけどさ、物ってのは価値があるんだ。つまり、物は金と同じ。人の金だし、当然の如く盗ってはいけない。それが分からないわけじゃないだろ?」
「もう、いい……」
それだけを吐き捨て、だんまりを決め込んだ子供に溜め息一つ。悪いことをしたのはコイツなのだ、開き直りは一番よくない。
「リベルさん、ナイフは?」
「既にアリシーに渡してある」
「そうですか。では、この子供は治安を乱す悪者の一員みたいですし、引っ捕らえましょうか」
僕の意見により、隣に居た総勢三名の男性に取り押さえられ、子供は宿の奥に連行されていく。
「え、こっちに連れていくんですか?」
「宿の地下には牢があるからな」
この宿って地下にそんな場所があったのか。確かに、リベルや子供を連行していった男達がわんさか居る場所を牢にされたら、脱出も困難だろうな。よっぽど自分に自信がない限りは脱出する気にもならないかも。
一歩道を間違えれば僕らもそうなっていたわけか。町入り数日で牢屋行きとか、流石に笑えないな。
「ねぇ、リッキー」
「ん?」
アリシーが不安げに呼ぶので、すぐに彼女の顔を覗いた。不安、というか気がかりな感じだ。ナイフに傷でも付いたのか。
「お金はどうするの?」
「金?」
そういや、もう飯にありつけるだけの金は残っちゃいない。そうだった、お腹が空いても金がなければ満たせない。リベルに頼り続けるのも悪いし、どうしよう。
「あの子供にお金渡して……あっ」
そこで言い詰まったアリシー。もじもじしている彼女に、僕は引っ掛かりを感じた。
……なんで、子供にお金を渡したことを知ってるんだろう。
ちらりとリベルを見る。彼は苦笑していた。これは何か僕の知らない“裏”を知ってる顔だぞ。まあいい、聞けば分かる。
「アリシー、僕はまだその話はしてないんだけど。見てたの?」
「み、見てたと言うか……」
くぐもる声は、非常に申し訳なさそうだ。あれ? ひょっとして、リベルもそこに居たのではなかろうか。では、どうしてあの場で合流せずに宿へ帰ったんだ。
「リッキー。俺が説明してやってもいいが、どうする?」
苦笑から一変、真剣な面持ちをしたリベルが僕に問う。その口調はあれか、アリシーから直接聞け、と遠回しに言っているのか?
「いえ、そういうことでしたらアリシーに問いますよ」
「そうか、そうしろ」
返事をすると、彼は満足そうな表情を浮かべて自分で破砕したカウンターに戻っていった。
歯切れが悪いな。
「アリシー、昨夜は何をしてたの?」
しばらく目を泳がせていた彼女だったが、最後には僕を見据えて一呼吸。えっ、そんなに言い辛いことしてたの。
「――実はね」
彼女は、夜に部屋から飛び出した後のことを事細かに説明してくれた。
昨夜のこと。
アリシーは僕から逃げた後、宿から出ようとしたところを当然のようにリベルに発見される。
この時はまだリベルに嫌悪感しか抱いていなかったアリシーだったが、外出を必死に止めてくる彼に渋々事情を説明すると「手伝ってやろう」と言われた。
それで僕が入口に着いた時、リベルに言われるがままカウンターの壁に隠れて待機。そんなことを一向知らない僕はリベルと言葉を交わし、リベルの策略によってアリシー捜索に駆り出されることとなる。
その時抱いていたアリシーの不安は、端的に言ってしまえば「僕が怖がっていないか」だ。それについて下したリベルの提案は、アリシーを捜す僕の姿の監視というわけだった。
つまり。そこで僕がアリシー捜索をサボったりとか、リベルに任せっきりだったりとか、色々とだらけていた場合は、その“本心”が全て本人に筒抜けになるというえげつない方法。
僕が単独でアリシー捜索に出ている中、リベルは宿に戻ってその内容をアリシーに報告。なし崩し的にその考えに乗ってしまったアリシーは、何も知らずに捜索する僕の背後にずっといたわけだ。勿論、彼女の安全のためにリベルも同行していた。
僕がグループに依頼を出したことも、子供と関わっていたことも全部筒抜け。あの子供がアリシーを発見した、ということを僕に伝えた時は冷や汗をかいたが、結局僕がアリシーに気付くことはなかった。
時間にすれば数時間。それだけの間を僕に張り付くことで費やし、ようやく満足したアリシーを連れ帰ったという結末だった。
お陰でリベルとの険悪な関係はほどけたみたいだが。
因みに、その後の取り決めでは「僕には秘密にする」というので落ち着いたみたいだ。アリシーが墓穴を掘ったけど。
「――なるほどねぇ」
うんうん頷いた僕は、アリシーをじいっと凝視した。視線が怖かったのか、彼女は目線を下に逸らす。
昨日はそういう裏があってのことだったんだな。通りで帰った後もぎくしゃくしなかったし、今朝はリベルとも平気で会話してたわけだ。
良かったよ。リベルには、感謝してもし切れないな。
「ごめんね……?」
「いいや、アリシーが謝ることはしてないよ」
本当に謝らなければいけないのは僕だ。少しでも彼女を不安にさせるような行動を取ってしまったのは、自分だ。
こうして誤解が解けたのは嬉しいが、次はないようにしなければいけない。
「ごめん。もう、アリシーを不安にさせないから」
「――うん」
より決意を固めて、僕は拳を握り締めた。
そうだ。全てをまっさらにしようじゃないか。記憶喪失とかも全部受け止めて、それでも白紙に戻して素直になろう。もう意地になって、何も考えずに“自分”を捨てはしない。でも、今の僕が“過去の僕”と一緒じゃないということは、確かなのだ。
だからこその、白。
僕はアリシーのことが“好きだ”。今までそれが分からなかったけど、過去を全て取り払ったら自然とそう思うことができた。だから、今はそれだけでいい。そのために、奔走しよう。
知らない過去を含めてアリシーを見るのは、止めだ。そんなことばっかりしてるから余計に空回りする。今できる最善のことを、当然のようにするだけでいい。
僕は最初にこう思ったじゃないか。“彼女を失いたくない”って。それでいい。
少なくとも今は、色んな考えを張り巡らせたところで良い結果に繋がるとは思えない。まずは、目の前のことからコツコツと、だ。
「子供のことはもういいよ。どうせあげちゃった金だし、全部使ってるか、若しくはどこかに隠してるよ。そんな労力を消費するだけの大金でもないし」
「うーん、そうかもね」
口をつんと尖らせた彼女だったが、最終的には諦めたようだった。
「二人で稼いだ金なのに、勝手に使っちゃってごめん」
「いいよ、そんなの気にしなくて」
「おいお前ら、腹は減ってねぇのか?」
話も終わりを迎えたところで、リベルからお声が掛かった。これはもしかして、もしかするんじゃないのか。
どうしよう。そこまで頼っていいものか。
「いや、僕はそんなに」
「減った!」
……だよね。そこで素直に乗っかるのがアリシーだよね。
「腹を空かせたままでは十分には戦えんからな。飯時だ、俺が持ってやろう」
予想通りの言葉を放ったリベル。ここは、甘えるか。凍竜討伐の報酬が出たら返そう。報酬金額は伝えられていないが、町を脅かす悪魔の始末だ。返して余りある報酬にはなるに違いない。
「ありがとうございます、リベルさん」
「お前は減ってないんじゃないのか?」
「うっ……いや、まあ、減ってきました。ご馳走になります」
「それでいい」
時間は着実に過ぎてゆく。確実に、危険は迫っている。
すぐそこに。




