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断層世界のパラノイア  作者: くるい
第二章 胎動の戦編
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二十二話 守る者・守られる者

「ありゃ……?」


 現在時刻は七時半。ランニングに筋トレを終え、風呂から上がった辺りで家のインターホンが鳴らされたので、何かと思って出てみると、


「おはようございます」


 ルリさんだった。おかしいな、早すぎる。


「お、おはよう」


 いや何、可笑しいというか、妙だった。いつもは八時きっかりに迎えに来てくれるルリさんが、今日は三十分も早いのだ。


 こんなことは初めてだった。まさか、と思い当たる節を僕は探る――そう、つい昨日のこと。夜だ。

 結局、一発で《インビジブル・スレッド》は習得できなかった。その時のルリさんの冷ややかな目線と、「言ったでしょう?」の言葉がとても心に響いたのは、これから先一生忘れないだろう。大言壮語を吐いといてなんだけど、心が折れるかと思った。

 ルリさんはやる前から分かり切っていたらしく。散々言葉責めしてくれちゃった後には、一回の練習につき一度だけルリさんが手伝うという確約を半ば強制的にされたので……。

 つまり、朝練なんじゃないか。

 練習の回数を増やしたってやつだ。朝と夜の計二回。いや、でもそんなこと事前に説明してくれてもよくはないだろうか。いくら僕でも、そこまで強情ではない。


 ……今だから柔軟に思考できるってやつなのかな。いやいや、今じゃなくても流石に拒否りはしないだろう。僕の失態が関係してるのだから。


「すみません、律樹さん。今日私は少し用事があるので、先に学校へ行っててくれませんか?」

「……えっ」


 全然違った、僕の思い過ごしだったのか。しかし、ルリさんに用事か。……何だろう?


「もしよければ、僕もその用事とやらを手伝うよ。学校も強制で行かなければいけないわけじゃないし」

「いえ、人の手を借りる用事ではありませんよ」


 何かおかしいな。ルリさんは万年暇人だから用事があるなんておかしい! と言うつもりはないが。


「そっか。でも急用なの?」

「ええ」

「了解。じゃあ今日は先行ってるね」

「はい。すみません」


 僕は扉を閉めて、三秒数えて再度扉を開けた。


「……」


 そこは、もぬけの殻。ルリさんはどこにもいない。ただの徒歩では、三秒で廊下を曲がって視界から消えるには不十分だ。

 つまり、普通にただの用事を済ませたいのなら、わざわざ“瞬間移動”する理由はどこにもない。


 何かがあったのだ。

 考えろ。用事ってのはなんだ。

 食べようとしていた朝御飯の予定を中止にして、僕はカッターシャツ姿で靴を履いて外に出る。ブレザーは要らん。

 まず。ルリさんは、僕と一緒には居られない用事だった。だが今まで僕が彼女の傍を離れなければならなかった状況ってのは、入浴と着替えと睡眠時くらいなもんだ。

 今から女友達とランジェリーショッピングしてきまーす、だなんてお茶目は絶対にない。というか店自体存在しないだろ……って真面目に考えろ、そんなもん急用じゃない、あったとしても学校終わってから行けばいいんだ。

 考えられるのは、一つ。近頃、メリーさんの気配を感じたと聞いている。彼女が来たのだとしたら、僕を引き剥がす理由には十分だ。


 ルリさんは、また一人で無茶するつもりなのだ。


「……ッチ」


 奥歯を噛み絞める。畜生、ルリさんめ。もし今の推測が当たってたら、殴るぞマジで。

 じゃあ、僕を学校に向かわせようとした理由はなんだ。

 安全だからか?

 グリーフとの話も関係あるのか? メリーさんを倒すまでは、という身の安全に関しての話だ。奴らとの利害が一致すれば、助力を請うのも可能性の一つ、か。僕は信じていないが、ルリさんはある程度信用しているみたいだし。


「……ふぅ」


 信じてなるものか。決めた、今日は学校には行かない。あっくん達には次の日にでも「忙しかった」と言っとこう。

 さて、居なくなられる前にルリさんをとっちめればよかった。どっちにしろはぐらかされたか……?


「ん、災厄の臭いだ」


 空を見上げる。

 学校の真反対から。微かに、大切で儚くて愛おしいルリさんの匂いがやってきた。舐めるなよ、これでも伊達に一ヶ月“お姫様”の下に居たんじゃないぞ。

 災厄まで使うってのは、戦う前兆だ。

 ああ決めた、殴る、絶対にぶん殴ってやる。おいこらどこいったルリさん、僕は怒ったぞ。


「今すぐ行くから、頼むから無茶しないでくれ」


 決意を固めて、拳を握る。

 視線の遥か向こう――空で、大気が黒紫色に裂けた。



 ◇



 空。歪む空間を飲み込むようにして、紫がかった力の波が暴れていた。


「洋助。気付きましたか」

「……あんなのが、敵か」

「そうですよ」


 時刻は七時半を少し経過した頃。学校にはまだ、生徒は登校していない。


「来ました」


 狂喜を内包させた破壊のブレスが、学校を目標に放たれた。それを察知したグリーフは身構える。

 威力はグリーフの全力を凌ぐ程。苦虫を噛み潰したグリーフは、二人を覆うように結界を張った。

 間髪入れずに。

 それまで立っていた床が、壁が、柱が、鈍い光に侵入されて塵も残さず消失していく。


「……く……はぁ。この、威力」


 グリーフは、疲労で息切れをしつつ結界を解除する。

 一通り静まった静寂の中。そこには、凄惨な光景が一面に広がっていた。ここに学校があったとは到底考え付かない赤茶けた荒野。そう、エクサルが遠くから撃ち放ったただ一度の閃光が、大地の上に建つ全てを無に帰したのだ。



「まっさか先手入れられるとはなぁ――で、テメェがグリーフ、と……もう一人は誰だ? あ?」



 そこに。一人の男が悠々とやってきた。交戦の意と圧倒的な殺意を振り撒いて、その男は二人の眼前で立ち止まる。


「はっ、律樹はいねぇな」


 通常の肉体負荷では到底手に入らないであろう、鍛え抜かれた筋肉。戦慄を思わせる修羅の眼差し、金髪のオールバックが凶悪さ拍車を掛けるが、アヤクスィダント校の制服が違和感を生み出す。


「貴方は誰ですか?」


 グリーフが眉をひそめると、男はただ笑った。高揚した気分と溢れんばかりの喜びを隠そうともしない、その姿には竹内洋助も表情を歪める。


「――あぁ、わりぃ。今久し振りに、全力でな。気分が良いんだよ。あぁ、俺は誰か、だったか? 名前は覚えなくていい。俺がこれからお前をぶっ倒すって事実だけを、頭に入れとけや」


 その啖呵を耳にした竹内洋助が、吠えた。


「てめぇ……! “アウレルキッド・メリー”、“エクサル”のクラスメイトだな?」

「知ってんのか? 物好きもいるんだな」


 上半身のシャツを脱ぎ捨てた竹内洋助は、右腕を男に伸ばした。露になったその右腕――肘関節部分が、機械化している。皮と、肉と、骨があるべき場所には、青色に輝く宝石が嵌まっている。


「グリーフ、俺にも殺らせろ」

「分かりました」


 グリーフの周囲に悲哀のオーラが展開される。

 男はただ、笑っていた。



 ◇



 僕が向かっている目標地点の遥か空から、一閃の紫色が地に解き放たれた。


「あっ、あの方向は……?」


 学校――と、気付いた時にはもう遅い。僕があれほど巨大だと驚愕していた学校が、広大な面積を所持していた校舎が、綺麗さっぱり吹き飛んだ。だと言うのに、瓦礫の破片がどこにも飛び散ったりしていない。あれだけの規模なら、僕にまで被害が及んでも不思議ではないのに。


「学校……行ってたらやばかったかも」


 破片も飛ばない強力なビーム砲。恐らく、龍のブレス。時間的に生徒や教師陣はほとんど居なかっただろうが、学校に運悪く登校してしまった人物は、確実に死ぬ。

 ルリさんの予測は、外れたのか。それとも、僕が学校に行っていればああはならなかったのか。

 もう遅いか……。あっくん、セラさん、アリシー、キルトナ。せめてあの四人は無事でいてくれ。


 災厄を嗅ぎ付けながら高速で走る肉体は、あんまり持ってくれそうにない。

 迅雷の害力『サインダ』。僕は今、あっくんが使う「代償機能」の要領で、微弱な電流を脚に纏って身体能力を底上げしている。だから速く走れる――試したことはなかったが、やればできるもんだ。原理はとっても簡単、神経伝達を雷の速度で動かしているだけだ。感電しない身体をフル活用した応用技、だと思う。

 心底会得してよかったよ。ルリさんやらメリーさんやらグリーフやら、ああいう規格外の力を知っていると素直に喜べないけど。

 唯一後悔したのは、僕がまだルリさんから伝授されている技を打てないことだ。一撃必殺という触れ込みの《インビジブル・スレッド》。ゼロ距離で本気のそれをかませば、絶大なダメージを負わせられる。


「着いた――……ふっ!」


 足を止める暇はない。

 目的地から、跳躍。真上を見据えれば、こちらに落ちてくる者が何かは即座に理解できた。

 ルリさんに、メリーさんに、【ローンギング】。落下しながら戦っている。なんとまあ、高等技術なこと。

 予想済みだ。僕の鼻は馬鹿じゃあなかったらしい。


「よし」


 バチりと、軽快で聞き心地の良い音が右手から鳴る。

 持てる電気生成量の半分は使うつもりで討て。でなければ、蚊が止まる程の痒さも与えられない。


「ハァアッッ!」


 右手に溜めた電気を、メリーさん目掛けて撃ち放った。人に当てたら洒落にならない技ではあるが、さて攻撃は通るのか。

 一人間の僕が放ったとはいえ、雷は雷だ。驚異的なスピードを持ってして、天高く電撃は跳ねていく。

 だが。もう、僕が視認できる距離まで標的は落ちているというのに――。


「……気付かれた」


 僕へと視線をずらしたメリーさんは、歪に、ニヤリと、口端を吊り上げた。

 ルリさんは、僕がやってきたことに目を見開いている。

 駄目だな、と悟ったのも束の間。

 直撃寸前まで空を自由に喰い散らかしていた雷は、紫色の“狂喜”に阻まれていとも容易く消された。


 そして。


「あはっ」


 数十メートル空中を跳躍中の僕と、彼女らがすれ違う。重なり合った最中、そんな、無邪気な笑い声が耳の中まで一杯に満たした。

 マズイ。雷を身に纏おうと動くよりも素早く、メリーさんの踵が腕に直撃した。


「――ガ、ッ!」


 ばっきり折られた。破壊された右の腕は、一撃で骨が粉砕されている。……こりゃあ電気で補強も意味を為さないだろうな。

 彼女らは華麗に着地。僕は一足遅れて地に激突。電気を纏っていたお陰で衝突による重傷は避けた。磁場を利用した反発作用。特に意図はしなかったが、纏うだけで十分な防具の効果は発揮した。

 立ち上がる。あらら、たった数秒で僕の肉体はボロボロだ。右腕は何度オシャカにしてるんだろうね、すげぇ痛い。電気で痛覚遮断したいけど、感電しないし。

 辺りを見渡す。


 それまで盛んに行われていた戦闘は、嘘のように止まっていた。【ローンギング】は低空で留まっているだけだが、ルリさんもメリーさんも僕に釘付けかな。


「律樹さ……」

「ルリさん。またですか? 貴女がそういうことをするから、僕も無茶をするんです」


 今度ばかりは許さん。戦闘が止まっている今がチャンスだ、言いたいことは言ってやる。

 敢えて、敬語でね。


「とはいえ、今は言い合いをしている場合ではありませんね。後でこっぴどく叱りますんで、覚悟していてください」


 本気でルリさんを睨んでから、視線はメリーさんに注ぐことにした。余所見をしていて殺されました、じゃ恥晒しもいいとこだ。


「うふ。うふふふっ、あはははっ! 律樹君……戦えるようになったんだぁ」

「ええ、残念ですが今度の僕はハッタリ少年ではありません。殺そうとするつもりで、やはり殺すつもりでやりますよ。メリーさん」


 正に、“狂喜”。この現状の中で実に愉快そうに笑う彼女は、狂っていた。

 ルリさん風に、“はっきり言いましょう”。はっきり心に刻もう。僕は彼女に勝てない。天変地異でも起きない限りは、手も足も口も出せないね。


「今日は予想外のことが沢山あって、とても愉しいよ。うん? ところでそれはどうやって身に付けたのかな?」

「人生は予想外だらけの人生ですからね。え、僕の使う雷ですか? これも誠に残念ながら企業秘密ですね。少しばかりここで話の腰を折らせていただきます、戦場でこのようなことを訊くのは場違いかもしれませんが――右腕、よかったら前のように治してはくれませんかね? 今すぐに泣いて叫びたいくらいに痛いんで」


 ぶっちゃけ会話で軽口を叩く余裕は毛ほどしか余っちゃいない。脂汗は吹き出るし、血は流れるし。

 珍しくルリさんは黙っていた。僕の出現に思うところがあるのかどうなのかは知らんが。

 いつも通り可愛らしい反応なんだけどね、だけど今日はちと怒りメーターが満タン振り切ってるから、冷たく当たっちゃったらごめんよルリさん。

 さてと。残りの電気全てを一撃に圧縮してメリーさんにぶつけても勝てないと分かった今。過去に、メリーさんと寮で戦った時と大差ないってのは悲しいな。


「治せないこともないけど、律樹君は今の私に近寄れるの? 一歩間違えて肢体をバラバラにしちゃうかもよ」

「それはそれで一興ですね。つまりお願いは却下、と」

「ううん、いいよ? おいで」


 おいおい、どこのご時世に戯言を本気で捉える奴がいるんだい。とんだ酔狂だ。逆に悪質だね。


「冗談ですよね? 僕も冗談です、敵に情け――」

「じょ、う、だ、ん、は、い、わ、な、い、よ。律樹君」


 背筋が硬直した。身構えたはずなのに、固まってしまっては意味がないだろう。思考を再開させた頃には、メリーさんは僕の視線の先数センチにいた。

 次元が、違う。僕は手のひらで遊ばれていただけに過ぎないのだ。わざとらしく、一音一音を読み聞かせするようにしっかり発音した彼女は、僕の腕を掴んだ。


「いつまでも来ないから、私から出向いちゃった。あはっ」


 殺される。

 と、覚悟したその時だった。


「……え、腕、治っ……」


 本当に知らぬ間に、粉砕骨折していた腕が元通りになってしまっていた。本来なら、切断もやむを得ない大怪我だ。


「治して欲しいんじゃなかったの?」


 右腕を掴んでいた幼き彼女の左手は、ぱっと僕を離す。


「そ、それはそうなんですけど……」

「うふふ。ふふ。ふふふ。で、私が治癒した五体満足な身体で、私を蹂躙するの?」


 ペースは完全にメリーさんだ。意表を突かれ過ぎて、全く付いていけない。


「うん、うん。殺すつもりで殺すらしいし――やり合うんだよね。り・つ・き・く・ん。掛かっておいで」


 僕の両隣を白銀が通過した。

 メリーさんは期待するようにして僕の肩に手を置いた後、後ろへ退避。

 白銀の色はルリさんだ。そして通過した粉塵は、メリーさんを捉え切れずに空振りする。



「すみません。少しだけ逃げます」



 視界が、移動した。いっぱいに映されていたメリーさんの幼姿から一転、薄暗く埃っぽい廃墟を視認する。

 ――瞬間移動、したのね。


 その事実を受け入れた瞬間、その場にへたり込んだ。

 好きなように遊ばれていた。ルリさんがいなければ、あのまま少しずついたぶられて敢えなく死んでいたのは自明の理。


「すみません……律樹さん」


 ぽつりと、涙声が聞こえてきた。突然僕に謝ってくる人物なんて、一人しかいない。


「いや、いいよ。戦って分かった、僕はただ邪魔なだけだ」


 しかし、もう怒ろうとは思わなかった。あれだけぶっちぎっていた怒りは、彼女の狂気に当てられて畏縮してしまっている。冷静になれば、僕が置いてかれた理由は一つしかないのだ。

 僕が、彼女と居ると足手まといだからに決まっている。居るだけで邪魔だから、居ない方がいいのだ。


「……律樹、さん」

「……何?」

「邪魔では、ありませんでした」


 心にも無いことは言うものじゃないな。お世辞を貰っても、全く嬉しくないよ。


「私は……約束を破ってしまいました」

「うん、破ったね」


 静寂。寝起きでまだ目が覚めてないんだ、ちょっと眠い。


「律樹さんが来てくれなければ、また一人で馬鹿みたいに傷を背負うところでした」

「それで?」


 彼女は、そこについては反省してくれていたのか。怒るつもりはもうないけど、謝ったりしてくれるなら、是非とも聞いてあげたい。

 ルリさんの位置は、僕の真後ろだ。背中で泣いている彼女を見たい気持ちはあるにはあるが、我慢しよう。


「律樹さんは……私のこと、嫌いですか?」

「……」


 あの時を、思い出した。

 カオナシにやられた日、記憶の中で“とある人”に出逢ったこと。同じような台詞を、吐いたこと。

 同じように、想ってくれているのだろうか。


「嫌いじゃないよ」


 答えると、背中にぴとりと彼女の手が触れた。そうか、嫌われたと勘違いしてたから肉体的接触は避けてくれていたのか。


「何があっても嫌いにならない、怒りはするけどね」

「そうなのですか……」


 いや、何があってもというのはないけどね。例えばルリさんが数十人の男をはべらせてたら僕は幻滅する。ないだろうけど。


「でも、ルリさんが瞬間移動で僕の部屋の前から消えた時は、またか、と落胆したよ」


 びくん、と背中に触れていた手が震えた。なにその反応、可愛らしい。


「でも。実際に戦ってみると、どうしてルリさんがそうしたんだろうってのが分かった」


 すかさずフォロー。何もルリさんの心を潰すつもりはない。


「……すみません。私は、律樹さんの気持ちを踏みにじってしまいました」

「僕のためにやってくれたことでしょ。寧ろ謝るのは、何も考えずに躍り出てきた僕の方だよ」

「……そ、それは、違います」


 今のはちょっとばかし卑怯だったかな。皮肉として捉えられたかも。


「次からは、ちゃんと理由を説明して欲しいってことだけは伝えておくよ。そしたら、僕も納得するからさ」

「……分かりました」


 彼女はそれ以上、近付いてはくれなかった。僕としては、何となく抱き締めて欲しかったりだなんて気持ちがあったけど……いやいや違う。もしかしてあれか、僕は今寂しいのかな。分からん。


「じゃあ、建設的な話をしよう。メリーさん……ああいや、エクサルを倒す作戦とか」


 振り向くと、何故かむっとしていたルリさんがいたが……なんでだろう。突っ込まないのが正解かな。

 ……まずは手始めに、ルリさんが単身で何をしたのか聞いてみることにする。

 すると、短時間の内に結構暴れていたという事実が判明した。


 ルリさんは、昨晩からエクサルが『クフェル・ランプゥト地域』上空で滞空しているのに気付いていたらしい。それが今朝になって、危険視しなければならないレベルで近付いてきたので、急いで僕に連絡をしに来たそうだ。

 エクサルは、気配をなるべく殺して近付いていた。だからルリさんも何かが起こりそうな予感を感じ取り、先手を取ろうとした。

 だがその前に僕をなんとかしなければならない。今から戦っていたのでは八時に迎えに行くのはまず無理だ、と考えた彼女は、瞬間移動で僕の部屋の前まで来て、わざわざ説明してから瞬間移動でエクサルへ接近。

 今回、その行為が裏目に出たわけだが、それは置いとこう。


 瞬間移動で空中に浮かぶエクサルの元へと足を運ぶと、そこには【ローンギング】の背に乗るエクサルと、もう一人男が居た。男は背が高く、筋骨隆々な肉体とオールバックの金髪が特徴的で、アヤクスィダントの学生服を着ていたという。


 ああ、ソイツはほぼ間違いなくエステだろうな。安堵と同時に疑問も沸き起こったが、今は無視しよう。

 ルリさんは、自分を見て嬉しそうに顔をひしゃげさせたエクサルに、まずは先手をぶち込んだ。魂を消費する強力無比な技。エクサルとも渡り合える、異能の力だ。

 妙な対応はされたものの、一撃目を直撃で受けたエクサルは龍から振り落とされ、落下した。と同時にエクサルは【ローンギング】に何かを命令し、龍のブレスを発射させる。

 すると男は「行ってくる」という言葉だけを残してブレス方向へ跳躍、空中で爆発を何度も起こして消えていった。


 ……完全に、エステだ。ムキムキマッチョマンで金髪だけならまだしも、爆発物まで用意していたとなれば一人しかいまい。となると、彼は学校に向かったのだろうが――何をしに行った? ブレスのお陰で学校は消失してるんだぞ。まあいい、今はエクサルだ。

 で、二人と一匹は落下しながら空中戦へと洒落込む。エクサルはルリさんと戦っているために迂闊に龍には乗れず、地面に落下。そこに僕が現れて電撃を放ってきたのだった。


「あー……なんというか。空中に出向いたの、ルリさん」

「ええ。仕掛けられるよりは、こちらから仕掛けた方がいいと判断しましたので」

「そうではあるけど」


 一歩間違えれば、無力化されていたんだぞ。龍もいるし、何よりエクサルはルリさんの奇襲には動じていなかったみたいだし。


「いざとなれば、もう一度瞬間移動を使って攻め手を増やす余裕はありました」

「そうなんだ。ちなみに聞きたいんだけど、瞬間移動を多用してエクサルと戦うのは無理なの?」

「無理ですね。あれは一度の使用でかなり災厄を消費するのですよ。移動用に使う分には支障はありませんが、戦闘となると心許ないです。私に残された地力は、そんなに役には立ってくれません」


 まぁ、だろうね。ルリさんは馬鹿ではない、使えるなら僕に言われるまでもなく戦闘には組み込むだろう。

 人体を一瞬で遠方まで転移させてしまうような物理法則完全無視の能力、そこまで軽々しく連発はできないのか。

 ならば僕に説明をした分の一回をエクサルとの戦闘に役立てて欲しいとは思ったが、今更だから言及はしない。


「あと何回なら支障なさそう?」

「これからエクサルとは戦うことになるので、一回ですね」


 ヤバイじゃん、それ。


「中々厳しいですね」

「そうでもありませんよ。もう逃げるつもりはありませんから」


 あっさりとそれを口にしたルリさんは、何故だか男らしかった。


「瞬間移動を組み込んだ戦いは想定してないから、大丈夫ってこと?」

「そんなところです」


 勇ましかった。ルリさん――アヤクスィダントが持つ災厄の力はそこまで消耗しているというのに。主力として使えるのは、そっちではなく魂を使う方なのか?


「ところでルリさん。僕はさっきの電撃に力の半分を費やしたんだけど、直撃したらエクサルにダメージは通るかな」


 結構今更な気もするが、彼女に「メリーさん」では通用しない。僕としては「エクサル」は慣れないが、そっちで行こう。


「分かりません。ですが、単純な力のぶつかり合いではエクサルには勝てないです」

「だよね」


 この前、エクサルは単純な力だけなら一番だと聞かされたばっかりじゃないのか。そんな相手に物力で物を言わせるだなんて馬鹿げてる。切羽詰まってて技の選択を誤ったか、何にせよ残り半分は節約しないと……出し惜しみして凌げる敵か? じゃあ逃げる? 駄目だ、僕も完璧にマークされてる。さっきの門答で「彼女が冗談を言わない」のだけは理解した。つまり、必ず戦いになる。僕が自分で言ったのだ、殺そうとするつもりで殺すと。


「それより、律樹さんはいつから電気を身に纏わせて数十メートルも飛んだり、衝撃を緩和させたりできたんですか?」

「え?」

「え、じゃないです」


 いつからだっけ。

 ……今朝からだよな。切羽詰まってて、怒ってて、なんだかできるような気がしてて、ってかできないわけがないというか、できてて当たり前みたいな感じで……。


「ええと、なんとなくやったら、気が付いたら使えてた。かな」

「そうですか、納得です」


 今の拙い説明で納得したんだ。僕なら絶対に信じない、冗談は口だけにしろって言う。


「気負わない方が上手くできるものですよ」

「なるほど」


 てことは何か、今までは気負い過ぎてて上手く行かなかったのか。思い返せば、サインダを習得した日も気負ってなかったような。


「電気を扱えるという時点で、電気が成せることなら律樹さんが成せることも自ずと増えているはずです」


 電気が成せることは僕にもできる、か……。

 今朝、脚の速度を上昇させたのも電気の元々の移動スピードが速かったから。電気と同じまでとは行かずとも、スピードを強化できるというのは実践済み。そうか、磁場も使えるなら、磁力も。大分幅が広がった、使いこなせるかは微妙だが……。まだ、まだ見付けていない使い道があるはずだ。


「律樹さん。それだけできれば、エクサルとの戦いでも引けは取らないと思います。ですからもう一人で戦うとは言いません。身勝手なのは分かっています。……協力、してくれませんか?」


 何を今更、最初からそのつもりだ。

 彼女の手を取って、僕は答える。


「当然、手伝うよ。ここで逃げるのは男じゃない」


 白くて細くて美しい。儚くて脆くて芸術品のような腕。こんな、か弱い身体とボロボロの心で彼女は戦っているのだ。加勢しないでどうする。

 僕はルリさんを守る。それだけだ。


「ルリさん。一応だけど訊くよ。二人で戦ってエクサルに勝つ確率、どのくらい?」


 僕は今、あまりやりたくはない選択肢も視野に入れている。だが。この場を切り抜けるためなら、仕方ないだろう。


「分かりません。エクサルが奥の手を残しているかもしれませんし、確率で計算するのは難しいですね」


 へぇ、つまりはほとんど勝てないのと同じだ。勝つかもしれないが、エクサルの秘めた能力はあれだけじゃないかもしれない――加えて僕らは力の消耗が激しい、というのも視野に含めると。


「希望的観測は要らないよ。このまま二人で戦うのは得策?」

「含みがある言い方ですね。何か策が?」


 流石はルリさんだ。彼女は既に、僕のやろうとしていることは分かってる。というか、これしかないだろ。

 あんまり信用ならんが、エクサルの行動の理由を考えるなら――。


「グリーフに、共闘を頼むよ」


 どうして今朝、エクサルはブレスを学校へ放ったのか。普通はルリさんを狙うはずだ。それもせずに学校を狙ったのには、必ず理由がある。

 相手は三姫の内の一人、行動力の凄まじいエクサルだ。狙いを外したブレスがたまたま学校に当たる、そんなことは有り得ない。

 わざわざ狙ったのは、あそこに居座るグリーフを先に葬るためだろう? 先にグリーフから狙ったのは、アヤクスィダントと戦い始めてしまったらグリーフを潰す余裕がなくなるからだ。そして、直後にエステが学校に向かったのは、弱らせたグリーフの足止め兼始末だろう?

 どうしてエステがエクサルと手を組んでしまったのかは想像付かないが、それは相手も同じのはずだ。「あれほど嫌い嫌っていた私達が組んだのだから、アヤクスィダントとグリーフが手を組む可能性は高い」と、そう考えた。


 そう考えれば、エクサル、エステの行動に説明が付く。そして、何より好都合なのだ。エクサルに明確に敵対された以上、グリーフが僕ら側に付くのを断るとは考え難い。


「律樹さんは、グリーフを信用できるのですか?」

「少なくとも、ルリさんはグリーフをある程度信用してるんでしょ? なら僕も信じる。これが最善だと思う」


 ルリさんが使える瞬間移動はあと一回。なら、今使うのがベストだ。


「――分かりました」


 了承してくれたルリさんは、僕の手を強く握り返した。うん、良かった。ルリさんは、僕を信頼してくれている。


「問題は、グリーフがあの一撃で戦闘不能または死亡していないかだけど……」

「いえ、彼女は生きていますよ。悲哀を解き放って何者かと戦闘しているのでしょう、強い気配を学校から感じます」


 エステめ、グリーフ相手にどうやって戦ってやがるんだ。エステが彼女相手にどう戦いを続けているのか、検討もつかない。

 行けるならすぐに行くべきだ。懸念はあるが、逡巡の余地はない。


「分かった。行こう」

「はい」


 薄暗い部屋から一変、視界が切り替わった。

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