第六話:「僕」という秘密(R-15)
(直接的な描写は)ないです。
あの夜、唇を重ねてからというもの、僕とヘンリー様の距離は、精神的にも驚くほど近づいたと感じました。
言葉にしなくても、視線だけで相手の気持ちが分かり、ふとした瞬間に触れ合う指先が心地いい。
もう、僕の中にあった「正解」への強迫観念は、ほとんど消えていました。
ただ、目の前にいるこの人を大切にしたい。その純粋な願いだけが、僕のすべてになっていたのです。
そして、僕たちが結婚してちょうど一年という記念日がやってきました。
静かな夜。暖炉の火がパチパチと音を立て、部屋の中には穏やかな時間が流れていました。
僕たちは寄り添いながら、この一年を振り返っていました。
けれど、僕の胸の奥には、ずっと消えない小さな棘のような不安が刺さっていました。
(……いつか、話さなければならない)
僕は、彼にひとつだけ、決定的な嘘をついていました。
彼が僕のすべてを受け入れてくれたからこそ、僕は、僕のすべてを彼にさらけ出したい。
もし、これで彼が僕を嫌ったとしたら。けれど、それでも構わない。
嘘をついたまま愛されるよりも、真実を告げて拒絶されるほうが、僕にとっては救いになる気がしたのです。
「ヘンリー様。……あの、僕から、お話ししたいことがあるんです」
「僕は、この世界で生まれる前、別の世界で生きていました」
口にしてみると、自分でもひどく突拍子もなく、現実味のない話に聞こえました。
ヘンリー様は何も言いませんでした。ただ、急かすことなく、続きを待ってくれていました。
「そこには、この世界にはないものが、たくさんありました。
魔法はありませんでしたが、鉄でできた乗り物が走り、遠くにいる人とも話すことができました。
僕は、その世界の日本という国で暮らしていました」
いったん言葉を切り、息を整えます。
「そして、僕は、エリザベスではありませんでした」
ヘンリー様の表情が、わずかに変わりました。
「公爵家の娘でもありません。貴族ですらありません。どこにでもいる、十四歳の子どもでした」
「十四歳……」
「はい。そして、その頃の僕は、男の子だったんです」
とうとう言ってしまいました。
胸の奥に隠し続けてきた秘密が、言葉となって僕とヘンリー様の間に横たわります。
けれど、ここで止めてはいけません。
「僕は、あまり男らしい子どもではありませんでした。
本を読むことや、料理や家事のような、静かなことが好きでした。
争うことは苦手で、人前では自分の意見をうまく言えなくて、誰かに強く言われると、すぐに黙ってしまうような子でした」
それは、生まれ変わってからも変わらなかった僕の一部です。
「前世の父は、そんな僕を理解できませんでした。
男なら強くなれ、もっとたくましくなれと、何度も言われました。
父なりに僕のことを心配していたのかもしれません。
でも、当時の僕には、今の自分では駄目だと言われているようにしか思えなかったんです」
父の低い声が、記憶の奥でよみがえります。
「母は優しい人でした。でも、父に逆らうことはできませんでした。
僕を庇ってくれることもありましたが、最後にはいつも、父の言うことを聞きなさいと言いました」
ヘンリー様は、ただ静かに聞いていました。
慰めることも、否定することもせず、僕が自分の言葉で過去を語り終えるのを待ってくれていました。
「だから僕は、ずっと考えていました。強く振る舞うことが男らしさなら、そうできない僕は、男として間違っているのだろうか。自分の気持ちを抑えて誰かに従うことが女らしさなら、それにもなれない僕は、いったい何なのだろうか、と」
僕は、自分の膝の上へ視線を落としました。
「その答えを見つけられないまま、僕は事故で死にました。
そして次に目を覚ましたときには、この世界で、生まれたばかりの女の子になっていました」
「……それが、エリーが、エリザベスとしての君の始まりだったんだね」
「はい」
自分の名前を聞いて、胸が小さく震えました。
「最初は、何が起きたのか分かりませんでした。僕は男の子だったはずなのに、周りの人たちは僕をお嬢様と呼び、エリーという名前で、女の子として大切にしてくれました」
母様の腕の温かさ。
鏡の中で少しずつ成長していった、金色の髪の少女。
「前世では男らしくないと言われた僕の性格が、この世界では淑やかで、令嬢らしいと褒められました。最初は、それが嬉しかったんです。
ようやく、自分のままで認めてもらえたような気がしました」
「でも、同時に怖くもなったんです」
「怖い?」
「今度は、理想の令嬢でいなければならないと思ってしまったからです」
僕は小さく頷きました。
「淑女の作法には正解がありました。
そのとおりに振る舞えば、誰からも否定されません。
だから僕は、礼儀正しく、控えめで、誰にも迷惑をかけないエリーになろうとしました」
けれど、それは本当に僕が選んだ姿だったのでしょうか。
「男らしくなれと言われるのが苦しかったはずなのに、今度は自分から理想の令嬢という役割の中へ逃げ込んでいたんです。そうしていれば、誰にも本当の僕を見られずに済みましたから」
そこまで話して、ようやく僕はヘンリー様の顔を見ました。
「あなたと出会ったときも、僕はこの仮面を被っていました」
「仮面……」
「はい。あなたに見せていた僕が、全部嘘だったわけではありません。
本が好きなことも、静かな時間が好きなことも、あなたと話すのが楽しかったことも、本当です」
それだけは、誤解されたくありませんでした。
「でも、どうしても言えなかった。あなたが大切にしてくれているエリーの中に、前世で男の子だった僕がいると知ったら、すべてが壊れてしまう気がしたんです」
声が震え始めました。
「僕自身にも、まだ分からないんです」
「何がだい?」
「僕が何者なのか、です」
男だった僕。
女の子として育ったエリー。
公爵家の娘。
そして今、ここでヘンリー様と向き合っている僕。
「男だったことは、嘘ではありません。でも、エリーとして過ごしてきた時間も嘘ではありません。母様に抱きしめられて嬉しかったことも、エレノアと一緒に淑女教育を受けたことも、あなたと過ごしたこの一年も、全部、僕の人生なんです」
目の奥が熱くなりました。
「だから、昔の自分を捨てて、最初から女の子だったことにはできません。
でも、今の僕を偽物だとも思いたくありません」
僕は震える手を胸元へ添えました。
「男だった僕も、エリーとして生きてきた僕も、どちらもここにいるんです」
暖炉の薪が、小さくはぜました。
「それを知らないままのあなたに大切にされることが、だんだん怖くなりました。
あなたが好きだと言ってくれる僕が、本当のことを隠して作った、都合のよいエリーなのではないかと思ってしまったんです」
「だから、今日話そうと思ったのかい?」
「……はい」
僕は、どうにか声を絞り出しました。
「あなたに受け入れてほしいから話すのではありません。受け入れてもらえるという自信もありません」
それでも、もう隠したくありませんでした。
「ただ、あなたに本当の僕を知らせないまま、大切にされたくなかったんです」
僕は両手を固く握りしめました。
「これが全部僕です。男の子だったことも、女の子として育ったことも、役割に怯えてきたことも、あなたのそばにいたいと思っていることも」
そして、最後に残った言葉を口にしました。
「僕は、エリザベス・アン・ランカスターです。今は、あなたの妻、エリザベス・デイヴィッドです。
でも同時に、別の世界で生きていた、名前も顔も失ってしまった少年でもあります」
すべてを話し終えると、部屋には暖炉の音だけが残りました。
僕は、絶望的な沈黙が訪れるのを待っていました。
呆れられるか、軽蔑されるか、あるいは「正気か」と笑われるか。
けれど、僕の耳に届いたのは、そんな拒絶の声ではありませんでした。
「……ふふ。やっぱり、そうだったんだ」
拍子抜けするほどに、穏やかな、納得しきったような呟きでした。
僕は、あまりの反応に、目を丸くして彼を見つめました。
「え……? えっ、どうしてですか?」
「いや、君があまりに物分かりがいいと思っていたからね。
時々、子供とは思えないほど深い視点で物事を見ているし、何より僕の孤独を、まるで自分のことのように理解してくれる。だから、君は僕の知らない何かを抱えているのだろうとは思っていたんだ」
ヘンリー様は、いたずらっぽく笑って、僕の頬を優しく撫でました。
「じゃあ、精神的には僕と同い年ぐらい、ということかな」
「い、いいえ! そういうことじゃなくて!
僕、男だったんですよ!?
中身は、完全な、男だったんです!」
僕が慌てて強調すると、彼は少しだけ目を瞬かせました。
けれど、その表情に嫌悪も拒絶もありませんでした。
「驚いてはいるよ。でも、君が君であることに、何か変わりがあるのかい?」
「……え?」
「男として生きていた君も、エリーとして生きてきた君も、どちらも君なのだろう?」
彼は、まるで当たり前のことを確かめるように続けました。
「なら、僕が大切に思っている君が、突然いなくなるわけではないじゃないか」
……僕の思考が、真っ白に塗りつぶされました。
男だったことも、エリーとして育ってきたことも、彼はどちらか一方を選ばせようとはしませんでした。
そのすべてをひっくるめて、僕は僕なのだと。
僕自身がまだ完全には信じられなかったことを、彼はあまりにも当然のように受け入れてくれたのです。
今の僕は、目の前のこの人を愛している。
そして彼も、今ここにいる僕を愛してくれている。
僕をこの世界へ根づかせていたのは、「妻」という与えられた役割ではありませんでした。
僕がこの人と生きることを選び、この人もまた僕と生きることを選んでくれた。
その選択の積み重ねが、僕を彼の妻にしていたのです。
「妻」とは、僕を閉じ込める役割ではありません。
僕たちが自ら選び取った関係に与えられた、ひとつの名前だったのです。
その事実こそが、彼にとっての答えなのだと、僕はようやく分かりました。
「……本当に、ひどい人です」
僕は、思わず笑ってしまいました。
同時に、心の中にあった最後の檻が、音を立てて崩れ去りました。
僕は、僕のままでいい。
男だったことも、女の子になったことも、すべてを抱えたまま、この人の隣にいればいい。
僕たちは、もう一度、深く見つめ合いました。
そこには、もう何の隠し事も、不安もありませんでした。
夜の静寂の中、僕たちは、ゆっくりと、けれど抗えない引力に導かれるように、重なり合いました。
**********
翌朝。
カーテンの隙間から差し込む柔らかな陽光で、僕は目を覚ましました。
起き上がろうとした瞬間、腰のあたりに鈍い痛みを感じて、僕は小さく声を漏らしました。
(……それにしても、昨晩は凄かったです)
ふと、昨夜のことを思い出します。
前世は男だったので、その、男にはどういったものがついているのかは知っています。
今世でも、淑女教育の座学で色々と教わってきました。貴族の淑女は、意外にも耳年増なのです。
けれど、おぼろげな記憶の中にある「十四歳の自分」のそれと、目の前の「成人男性」のそれは、明らかに色も形も、そして圧倒的なサイズ感も違っていました。
あまりの衝撃に、僕は言葉を失い、ただ絶句してしまいました。
僕の反応に、ヘンリー様はひどく狼狽し、「……ごめん、やっぱり今日は、やめておこうか」と、僕を気遣って身を引こうとしました。
けれど、僕は、なぜか彼に拒絶されたくなくて、震える声を絞り出しました。
「……い、いいえ。少し、びっくりしただけです。……大丈夫、です」
けれど、内心はパニック状態でした。
座学で教わった通りに、彼を受け入れたい。
そうは思うけれど、実際に自分の身体に入ってくるという想像をした瞬間、本能的な恐怖が襲いかかりました。
絶対に入らない。無理だ。入るはずがない。
そう確信していた僕は、身体を強張らせてしまいました。
そんな僕を、ヘンリー様は決して急かしませんでした。
彼は、僕が心地よく受け入れられるまで、何度も、何度も、丁寧に僕を解きほぐしてくれました。
指先で、唇で、そして優しい言葉で。僕の緊張が、甘い熱に溶けていくまで、じっくりと時間をかけてリードしてくれたのです。
それでも、いよいよその時が来たとき、僕は耐えきれず、叫んでしまいました。
「死んじゃう! 死んじゃうぅ!!」
と淑女にあるまじきおぞましいほどの絶叫を上げてしまいました。
そんな時も、彼は決して焦らず、僕が馴染むまでじっくりと時間をかけてくれました。
今思うと、本当に壊れ物に触れるかのように、終始スローペースでいたしてくれたのだと思います。
やがて、恐怖だったはずの圧迫感が、いつしか、得も言われぬ快感へと変わっていきました。
身体の芯まで満たされる感覚。今まで知らなかった、熱い、溶けるような快楽。
次第に慣れていき、自分でも信じられないような嬌声を上げてしまう僕に、激しい羞恥心が込み上げました。
けれど、その恥ずかしさが、さらに僕を興奮させ、彼に求めたいという欲求を加速させていく。
……でも、僕をここまで優先してくれた彼は、実は全然気持ちよくなっていないんじゃないか?そんな心配すら浮かぶほど、彼は献身的に僕を愛してくれました。
僕は今、十三歳。身長は百六十センチほどあり、実は平均より少し高い方です。前世の小さかった自分を超えていました。
それでも、百八十センチを超える彼の大きな体にすっぽりと収まってしまう。
その圧倒的な包容力に、僕は心地よく溺れていました。
彼とただ一緒にいるだけでも幸せだと思っていましたが、こうして心も体もひとつに重なることが、僕にとって一番の幸せなのだと、確信した夜でした。
「……エリー? 大丈夫かい。どこか痛むかな」
隣で、心配そうに僕の顔を覗き込むヘンリー様。
その瞳には、昨夜よりもさらに深い、甘い愛情が宿っていました。
「大丈夫です……。ちょっとだけ、びっくりしただけですから」
僕は、恥ずかしさで顔を赤くしながら、彼に寄り添いました。
腰は少し痛いけれど、心は、今までになく満たされていました。
男らしさ。女らしさ。
そんなものは、もうどうでもいい。
僕はただ、僕として、この愛しい人と一緒に生きていきたい。
僕の、本当の意味での新しい人生が、ここから始まっていくのだと感じました。
こーれ、R-15にしてますけど大丈夫なんですかね




