↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
14/15

エピローグ:「僕」のいた場所 「母」のいる場所

これにて完結です。

赤ちゃんが生まれてから十ヶ月。

息子—ジュリアンも順調に、少しづつ大きくなってきています。

僕もつい先日15歳となりました。

ある夜、僕は小さな我が子を抱いたまま眠りにつきました。

隣には穏やかな寝息を立てるヘンリー様。いつもの、幸せな夜でした。


ふと、目が覚めると、全く違う景色でした。

天蓋も、石造りの壁も、暖炉もありません。

鼻をくすぐったのは、湿ったアスファルトと夜風の匂い。


「……え?」


見上げれば街灯と電柱。

見渡すと、コンクリートのビルが並んでいました。

かつて僕が暮らしていた、日本の街並みでした。


公園のベンチで横になっているようでした。

ベンチの上でゆっくりと起き上がります。


腕の中には、我が子が変わらず眠っていました。

(ここは、僕の暮らしていた街だ……)

少し様変わりしましたが、以前住んでいた街に来ているようでした。



僕は記憶を辿るように、昔住んでいた古びたアパートの前まで歩いてきました。

以前、僕が家族と住んでいた部屋に明かりがついていました。

表札は、今は入っていません。

家族が住んでいるのか、それとも別のだれかが住んでいるのかわかりません。


ゆっくりと、震える指でインターホンを押します。


扉が開いたとき、僕は前世で最も大切な人の一人に再び会うことができたのです。


記憶よりも少し痩せているでしょうか。

そして少しだけ老けた、けれど間違いなく、僕の「母」でした。


「……あら? ごめんなさいね。どちらさま?」


その声を聞いた瞬間、僕は涙が止まりませんでした。

母は生きていました。

僕がいなくなった後も、ちゃんと生きていたのです。


僕は、言葉にできません。

俯いて泣いてしまったのです。


「あら……、何かあったのかしら。」

母は怪訝な顔をしながらも、少し心配そうに言いました。

「あの、あの……」

僕は次の言葉がなかなか出ません。

何から話せばいいのか、今の自分のこと。今の「母」のこと。

伝えたいこと。知りたいこと。たくさんあります。


もしかしたら夢かもしれない。

そもそも、今生きる世界、前生きた世界。

どうやって移動したんだろう。

でも、夢であっても。僕は再び「母」と会えることができたのです。


「ここじゃあ、冷えるだろうし……。落ち着くまで、少し上がってもいいわよ」

母はそんな混乱している僕に優しい言葉をかけてくれたのでした。


部屋の中で母と二人、リビングで向かい合って座っています。

母がお茶を入れてくれました。

僕はまだ、息子を抱いたままでした。


少し落ち着いてきて。周囲を見る余裕もでてきて。

部屋の中を見まわしてみると、どうも今は母一人で暮らしているようでした。


以前住んでいた頃、三人には手狭だった2LDKでした。

僕が使っていた部屋は、今では物置になっているようでした。

そして、最も変わっているのは明らかに父の趣味ではないであろう、女性的な色使いをした家具やインテリアが並んでいました。

……おそらく二人は離婚したのか、それとも父は亡くなったのか……。

ただ、聞いてみないとわからないことです。


やはり、夢と片付けるには部屋の変化が克明で、そうして五感もやっぱり十分に働いているようです。


「……あの、もしかしたらバカらしいと思うかもしれませんが。」

僕は意を決して話しました。


前世のこと、死んだこと、別の世界で生まれ変わってエリザベスとして生きていること。

愛する夫がいて、この子が僕の子どもであること。


母は最初、困惑した顔をしていました。けれど最後まで聞いてくれました。

そして、ふっと苦笑して言いました。

「そうねぇ。あなたが言ったことも、妄想って言うにはしっかりとしてる。

不思議なこともあるんだね。なんだか初めて会った気がしないもの」


そうして、母に今の状況を聞いてみました。

僕が死んだ後、父と母はやはり離婚してしまったみたいです。

もともと、僕がいることで繋がっているだけだったような二人。

詳細は語ってくれませんでしたが、「いろいろあったのよ」と笑う母の顔は、寂しげでしたが、どこか自由そうでした。


そうして、ひと段落して母はふと首を傾げました。

「ねえ、あなた今何歳?」

「今は十五歳です」

母が固まりました。

「……こっちの世界だと、十五歳って中学生くらいなんだけど」

「あ」

しまった。

貴族社会の感覚で話していました。


「えっと……旦那さんおいくつ?」

「ええっと、……三十一歳です」


短くない沈黙が流れました。


母は何とも言えない顔をしていました。

どうやら転生や魔法よりも、十四歳の母親という事実の方が衝撃だったみたいです。

「で、でも大丈夫です! ヘンリー様は誠実な方ですし、愛されています!」

僕が必死に弁明すると、

母は「……それは良かったわ」と、困ったように、けれど優しく笑ってくれました。


お茶を飲みながら、僕は尋ねました。

「お母さんは……僕がいなくなって、寂しくなかったんですか」


母は静かに、けれど素直に答えました。

「寂しかったわよ。あなたがいなくなった時はね、何もかも終わった気がした。

母親なのに子どもがいない。妻なのに夫もいない。

役割だけなくなっちゃった感じだったかな」


その言葉は、僕の胸に深く突き刺さりました。

母親としての役割。妻としての役割。

母も僕と同じでした。


僕もまた、役割という檻の中で、自分を消して生きてきたからです。

母は続けました。


「でもね。母親じゃなくなったからって、人じゃなくなるわけじゃないのよ。

私は私だったから」


その言葉は、僕にとって最高の答えでした。

「役割って大事なの。でも、役割がなくなっても、人は残るのよ」


そのとき、我が子が目を覚ましました。

「あらあら……抱いてみてもいい?」

「大丈夫です」

母が抱き上げると、赤ちゃんは嬉しそうに母の指を握りました。

母はふいに、ぽろぽろと涙をこぼしました。


「ごめんね。血なんて繋がってないのに、なんだか孫みたい」


「……母さん」

「ごめんなさい。僕は確かに十四歳で死んじゃいました。

でも、今こうして母さんに息子を抱いてもらって」

「本当に」

うれしいです。


僕は続きの言葉を言おうとして言えませんでした。

息子を抱いた母に抱きしめられたからです。


「ありがとうね。どうしてかわからないけど。もう一度会えて本当に、本当によかったわ」

母は笑いながら、泣いていました。僕も笑いながら、泣いていました。


何も言わずに、親子二人、いや息子も含めて三人で同じ時間を過ごしていました。


「……ごめんね。もしかしたらこれが夢かもしれない。

夢なら目が覚めると忘れちゃうかも。でもやっぱり覚えておきたいな。」

母は僕に息子を返しながら、苦笑してそう呟きました。


「そういえば、見てもらいたいものがあるの」

立ち上がろうとした母が、ふと、身体に痛みを堪えるような仕草を見せました。

僕は迷わず、母の手を取り、そっと魔力を流しました。

淡い光が宿る、回復魔法。

長年積み重なった疲れと痛みを、ほんの一部だけ洗い流します。


「……あれ? 身体が軽い」

驚いた顔で僕を見る母に、僕は笑いました。

「魔法です」

「じゃあ本当に異世界なのね。

本当に信じるのは半分くらいだけど……

十四歳であなたが自分の赤ちゃんを抱いてる説明が、それ以外につかないもの」


母は、本当に楽しそうに笑いました。

もう、誰かの「妻」や「母」という役割だけで生きているのではなく、一人の人間として、穏やかに笑っている。

その笑顔はどこか自由でした。


二人して見つめあいながら、苦笑しました。

世界が、周囲が、窓の外から白く滲み始めてきたのです。

「あれ?」

「やっぱり、夢だったみたいね」


おそらく別れの時間が近づいてきたのでしょう。


「そうそう」

母は引き出しから小さな箱を取り出しました。


「これ。昔、あなたが作ったものだったわね」

中には、猫の絵が描かれた古い栞が入っていました。

確かに昔、僕が作った記憶があります。母にあげたものです。

母は、それをずっと持っていたようでした。


「あなたに、返したいの」


母は最後に、赤ちゃんの頭を撫で、そして僕の頭を撫でてくれました。

あの日、僕を庇おうとしてくれた、あの優しい手で。


「これからも旦那さんとその子、お幸せにね」

――。


それは遠い記憶、朧気になった、前世の僕の名前でした。


「母さん!」

ありがとう。


その言葉を最後に、世界は白く溶けていきました。


目が覚めると、僕はいつものベッドの上にいました。

隣にはヘンリー様。腕の中には我が子。

「やっぱり夢……?」

そう呟いて起きようとします。手の中になにか残っている感覚がありました。


手を開くと、そこには、猫の絵が描かれた古い栞が、確かに握られていたのです。

「……」


僕は、何も言わずにそれを胸に抱きしめました。

窓の外には、新しい朝の光が、優しく降り注いでいました。


***************


リビングのソファーで横になっていた私は、ふと目が覚めました。

昨日は寝室に戻らず、ソファーで寝てしまったようです。


私は眠気眼のまま、さっきまで見ていた夢を思い出そうとしていました。


金色の髪をした、とても愛らしい女の子が来ていた気がします。

死んだ息子だと言う、不思議な女の子。

彼女は赤ちゃんを抱いていました。

色々と喋ってくれましたが、まだ記憶が鮮明なうちに書き留めてみようかと机に近づきました。


机の上には、なぜか二つの茶碗がありました。

昨日の夢の中の女の子と自分、その席に置いてありました。

そして、不思議なことに、ずっと悩まされていた肩と腰の痛みが、先ほど起き上がったときに全く感じませんでした。

まるで魔法にかかったみたいです。


ふと、引き出しを開けてみます。

ありません。

ずっと、手元に置いていた、あの子からもらった栞が無くなっていたのでした。


(……ありがとう)


私は一人、心の中で呟きました。

もう一度、あの子に会える日は来ないかもしれない。

けれど、あの子が幸せに、自分らしく生きていることだけは、確かに伝わってきました。


私は、窓の外に広がる穏やかな景色を眺め、ふふっと小さく笑った。

不思議な夢だった。けれど、とても心が温かかった。


私の人生も、これからもっと自由になれる気がしました。

読了ありがとうございました!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。