風の中の祠
午前中。
ウィンダは昼食の時間になるまで、蒼風平原の空を思う存分飛び回った。
そして一度ログアウトし、昼食を食べ、午後の勉強を終えてから。
ソラは再び『アルカディア・クロニクル』へログインした。
◇
淡い光が消える。
ウィンダが降り立ったのは、アステリア中央広場の巨大クリスタルの前だった。
「……行こう」
ログインして早々、迷う様子はない。
石畳を蹴り。
白い翼を大きく広げる。
そのまま建物の屋根より高く舞い上がると、ウィンダは東へ向かって飛び出した。
目指すのは、午前中に見つけたばかりの場所。
蒼風平原。
広くて。
風がたくさんあって。
好きなだけ翼を広げられる。
すっかり気に入ってしまった場所だった。
アステリアの東に広がる草原を越え。
東の森へ。
今度も森の中へ降りることなく、その上空を飛び越えていく。
そして森の端を越えた途端。
平原から吹き込んできた強い風が、ウィンダの翼を大きく揺らした。
「ふふ」
午前中とは違い、もう驚かない。
むしろ翼をいっぱいに広げ、その風を正面から受け止める。
風が羽根を押し。
身体がふわりと持ち上がった。
そのまま流れに乗る。
眼下には、青々とした草原。
無数の草が風を受け、巨大な波のように揺れている。
その間に点在する、背の高い石柱。
そこへ風が当たり。
分かれ。
曲がり。
また別の風とぶつかっていく。
「んー……♪」
しばらくすると、また小さな鼻歌が漏れ始めた。
ウィンダ自身は気にしていない。
大きく翼を広げ。
上昇気流へ乗って高く昇る。
風から抜ければ滑空へ移り。
今度は石柱の横を通り抜ける。
ぶつかった風によって身体が横へ流されると、それに逆らわず身を任せた。
くるり。
身体が半回転する。
「ふふっ」
楽しい。
午前中に散々飛んだというのに。
まだ飽きる気配はなかった。
ウィンダは行き先も決めず、風に乗って蒼風平原の奥へ奥へと飛んでいく。
そのときだった。
「……?」
かなり高いところを飛んでいたウィンダが、不意に下を見た。
視界の端に。
何か妙なものが見えた気がした。
「……あれ?」
翼を傾ける。
大きく旋回し、今来た場所へ戻る。
《鷹の目》を使って眼下を見渡した。
一面の草原。
風を受け、青々とした草が同じ方向へ大きく揺れている。
その中に。
「……広場?」
一か所だけ。
明らかに様子の違う場所があった。
草原の中に、ぽっかりと円を描くような空間がある。
自然にできたものには見えない。
しかも。
ウィンダは翼を広げたまま、じっとそこを見る。
「……揺れてない?」
周囲では、強い風に草がなびいている。
それなのに。
その円形の場所だけ、草の揺れが妙に小さい。
まるで。
そこだけ風から取り残されているようだった。
「……変」
気になる。
そう思った瞬間。
もうウィンダは高度を落としていた。
風を切りながら、一気に円形の場所へ近づいていく。
近づくにつれて、上空からでは分からなかったものも見えてきた。
円形に広がった草地。
その縁には、半分ほど地面へ埋まった古い石がいくつも並んでいる。
ただの岩ではない。
人の手で加工されたものだった。
ところどころ崩れているが。
それらは円を描くように配置されている。
「石……」
さらに高度を下げる。
そして。
円形の広場の中央。
「……あ」
そこに。
一つの小さな建物があった。
祠。
そう呼ぶのが一番近い。
大人が数人入ればいっぱいになってしまいそうなほど小さな、古びた石造りの祠だった。
長い年月を風雨に晒されていたのだろう。
屋根の一部は欠け。
石壁には蔦が這い。
正面へ続いていたであろう石畳も、大半が草に覆われている。
周囲に人の姿はない。
モンスターも見えない。
ただ。
草原の真ん中に。
その古い祠だけが、ぽつんと残されていた。
「……なんだろう」
ウィンダは祠の上を一周する。
どこから見ても古い。
でも。
完全に崩れているわけではない。
正面にはちゃんと入口が残っている。
その上には何かの紋様が刻まれていた。
長い年月で削れ。
何を表しているのかまでは分からない。
「……」
ウィンダの目が、入口へ向く。
気になる。
ものすごく気になる。
ゆっくりと高度を下げた。
ばさっ。
ばさっ。
最後に翼で風を押し。
円形の広場へ降り立つ。
鳥脚が草の上へ触れる。
「……?」
着地した直後。
ウィンダは顔を上げた。
静かだった。
さっきまで。
蒼風平原では、どこにいても風の音が聞こえていた。
草が擦れ合う音。
羽根の間を抜ける音。
石柱へぶつかる風の音。
けれど。
ここでは、それがほとんど聞こえない。
「風がない?」
翼を少し広げてみる。
わずかな空気の流れは感じる。
それでも。
円形の広場の外を吹き抜けている風とは、明らかに違っていた。
ウィンダは周囲を見回す。
そして。
中央にある祠へ向かって歩き始めた。
草を踏み。
埋もれた石畳の上へ。
一歩。
また一歩。
古びた祠が近づいてくる。
入口の上に刻まれた紋様も、少しずつ見えるようになる。
「……これ」
ウィンダがさらに近づいた。
その瞬間だった。
ポン。
「?」
聞き慣れたシステム音。
視界の中央へ、新しいウィンドウが現れる。
---
『特殊地点を発見しました』
『サブクエストが発生しました』
---
「サブクエスト?」
続いて。
もう一枚。
新しい表示が開いた。
---
『サブクエスト』
『風の止まる祠』
『蒼風平原の奥地で、忘れ去られた古い祠を発見した。』
『祠を調べ、ここに残されたものを確認せよ。』
---
「……」
ウィンダはメッセージを見る。
それから。
目の前にある古びた祠を見る。
もう一度メッセージ。
そしてまた祠。
「調べる」
迷いはなかった。
何があるのか分からない。
誰が作ったのかも分からない。
どうしてここだけ風が弱いのかも分からない。
だから。
知りたい。
◇
まずは、祠の周りを調べてみる。
「……古い」
近くで見ると、それがよく分かる。
石造りの壁はあちこちが黒ずみ、細かな亀裂が走っている。
壁際には背の高い草が伸び、蔦は屋根の近くまで絡みついていた。
祠の周囲に敷かれていたらしい石畳も、ほとんどが土と草の下に埋まっている。
ウィンダは祠の横へ回った。
「何もない」
そのまま裏側へ。
「……こっちも」
小さな祠なので、一周するのにそれほど時間はかからない。
けれど。
特に変わったものは見つからなかった。
壁を覗き。
草の間を見て。
半分埋まっている石を、翼の先の爪でつついてみる。
「……ん?」
しばらくそうして調べていると。
入口の近くで、ウィンダは足を止めた。
背の高い草の間から。
何か四角いものが少しだけ覗いている。
「石?」
近づいてみる。
地面から突き出しているのは、ただの石ではなかった。
平らに加工された石碑だ。
だが。
長い間放置されていたらしく、そのほとんどが草や土に覆われている。
ウィンダはその前へしゃがみ込んだ。
「……見えない」
翼の先にある四本の爪を使い、石碑を覆っている草を掻き分けていく。
絡みついた蔦を外し。
表面に積もった土を払う。
ぱらぱらと乾いた土が落ちていった。
すると。
少しずつ。
石碑に刻まれていた文字が姿を現した。
「……?」
まだ汚れている。
さらに土を払い。
最後に残っていた草を退ける。
ようやく。
文字を読むことができた。
---
『風神フィルネを祀りし祠』
『風の恵みに感謝し――』
---
その先は。
石碑そのものが欠けていて、読むことができなかった。
「風神……」
ウィンダが小さく呟く。
「フィルネ」
聞いたことのない名前だった。
けれど。
風神。
その言葉には、少しだけ興味を惹かれた。
ウィンダは石碑を見る。
それから。
古びた祠を見る。
「風の神様」
ここは。
風神フィルネを祀るために作られた祠。
それだけは分かった。
立ち上がり。
改めて祠の正面へ戻る。
入口の上に刻まれている、削れかけた紋様。
あれも。
風に関係する何かなのかもしれない。
「中」
まだ調べていない。
ウィンダは入口へ向かった。
祠には扉がなかった。
最初からなかったのか。
それとも。
長い年月の間に壊れてしまったのか。
ぽっかりと開いた入口の先には、薄暗い内部が見えている。
「……」
少しだけ身体を前へ傾け、中を覗く。
動くものはいない。
《危険感知》にも反応はなかった。
「入ろう」
一歩。
祠の中へ足を踏み入れる。
外から見た通り、中は狭かった。
そして。
「……汚い」
思わず、そんな言葉が出た。
床を作っている石は、すっかり苔に覆われている。
壁にも緑色の苔が広がり。
割れた石の隙間からは、細い草まで生えていた。
天井の一部が欠けているため。
そこから入り込んだらしい土や枯れ葉も、床のあちこちへ積もっている。
祠というより。
長い間、誰からも忘れられていた廃墟に近かった。
ウィンダは奥を見る。
正面には、小さな石造りの祭壇らしきものが残っていた。
だが。
そこにも何本もの蔦が絡まり。
表面には厚く埃が積もっている。
「……」
ウィンダは祭壇へ近づいた。
翼の先で、絡みついた蔦を一つ持ち上げてみる。
その瞬間。
ポン。
「?」
再び。
システム音が鳴った。
目の前へクエストウィンドウが現れる。
---
『サブクエスト《風の止まる祠》が更新されました』
---
表示が切り替わる。
---
『サブクエスト』
『風の止まる祠』
『この場所は、かつて風神フィルネを祀っていた祠であることが判明した。』
『しかし長い年月により荒れ果て、祠は本来の姿を失っている。』
### 『祠を綺麗にせよ』
『祠とその周囲を清掃し、風神を祀る場所として整えよう。』
---
「……掃除」
ウィンダは表示された文字を見る。
それから。
苔むした床。
生い茂った草。
積もった枯れ葉。
蔦だらけの祭壇。
外には、草に埋もれていた石碑もある。
「……」
もう一度。
クエストを見る。
「いっぱい」
やることは。
どうやら、かなりありそうだった。




