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蒼風平原

 翌日。


 朝の検診を終え、ソラはさっそく『アルカディア・クロニクル』にログインした。


 昨日と同じ、アステリアの広場からのスタートだ。


 巨大な転移クリスタルの前に淡い光が集まり、その中からウィンダの姿が現れる。


「……来た」


 白い翼を軽く広げる。


 翼の先。


 鳥脚。


 風に揺れる空色の髪。


 昨日までと変わらない、自分の身体。


 ウィンダは翼を一度だけ大きく動かした。


 ばさり、と羽毛が空気を押す。


 その感触を確かめると、すぐに周囲を見回した。


 アステリア。


 もう何度も見た町。


 中央広場から伸びる大通り。


 高い城壁。


 そして、そのさらに向こう。


 昨日、Fランクへ昇格したことで、行ける場所が増えた。


「……どこ行こう」


 西へ行けば、進行クエストで示された王都グランディアがある。


 けれど。


 ウィンダの視線は、やがて東へ向いた。


「……森」


 東の森。


 何度も飛んだ場所。


 そして、その先。


 昨日までは進むことのできなかった場所。


「向こう、行ってない」


 なら。


 まずは、そこへ行ってみよう。


 理由は、それだけだった。


「東」


 行き先を決めたウィンダは、それ以上迷わない。


 鳥脚に力を込める。


 石畳を蹴った。


 ばさっ!


 大きく開いた翼が風を掴み、一気に身体を持ち上げる。


 中央広場を離れ。


 建物の屋根を越え。


 ウィンダは東へ向かって飛び出した。


     ◇


 アステリアの東門を越える。


 眼下には、見慣れた草原が広がっていた。


 一角ウサギ。


 ウルフ。


 それらと戦う冒険者たち。


 けれど今日は、そのどれにも興味を示さない。


 街道の上を飛び。


 草原を越え。


 やがて前方に、濃い緑が広がってくる。


 東の森だ。


 ウィンダはそのまま高度を保ち、森の上へ出た。


 白い翼を広げ。


 木々の遥か上。


 朝の光を受けた身体が、森の緑へ大きな影を落とす。


 羽ばたくたび。


 その影もまた、木々の上を滑るように進んでいった。


「……速い」


 昨日までは、この森の中を飛んでいた。


 太い幹を避け。


 枝の隙間を抜け。


 木々の間を流れる風を探しながら進んだ。


 けれど。


 もうその必要はない。


 東の森を攻略し。


 Fランクになった今なら。


 森そのものを飛び越えて、その先へ行ける。


 視界いっぱいに広がる緑の絨毯。


 その上を。


 ウィンダは気持ちよさそうに飛んでいく。


 障害物はない。


 翼を思い切り広げられる。


 風も好きなだけ掴める。


「ふふ」


 ほんの小さく、笑みがこぼれた。


 そのまま東へ。


 やがて。


 木々の間に、一か所だけ大きく開けた場所が見えてきた。


 昨日、ツインハンズグリズリーと戦った広場だ。


 ウィンダはその上空を通り過ぎながら、ちらりと下を見る。


 そして、すぐに顔を上げた。


 見ているのは、その先。


 昨日までは進めなかった場所。


 まだ一度も見たことのない世界。


 森の向こうから吹いてくる風が、ウィンダの髪と羽を揺らした。


「どんなところかな」


 翼を大きく羽ばたかせる。


 速度が上がる。


 森の端が、どんどん近づいてくる。


 その向こうに何があるのか。


 まだ分からない。


 だからこそ。


 早く見てみたかった。


「行こう」


 そして――。


 森が途切れた、その瞬間だった。


 ゴォッ!


「うわっ!」


 正面から突然、強い風がウィンダの身体へ吹きつけた。


 大きく広げていた翼が煽られ、身体がふわりと押し戻される。


 思わず目を閉じる。


 風が空色の髪を乱し。


 白い羽毛の間を勢いよく抜けていった。


「……」


 少しして。


 ウィンダはゆっくりと目を開ける。


「……わぁ」


 そこに広がっていたのは。


 見渡す限りの、青々とした草原だった。


 背の高い草が強い風を受け。


 ざあっ、と大きな波のように揺れている。


 右へ。


 左へ。


 風が吹くたび、広大な草原そのものがうねるように動いていた。


 そして、その中には。


 地面から突き出すような、背の高い石柱が何本も点在していた。


 吹き抜ける風が石柱へぶつかり。


 左右へ分かれ。


 別の場所では渦を作り。


 また別の場所では、空へ向かって吹き上がっている。


 森の中とはまったく違う風。


 遮る木々はない。


 どこまでも広い空と。


 どこまでも続く草原。


 ウィンダは、しばらくその景色を見つめていた。


「すごい」


 ぽつりと零れた声。


 けれど。


 その目は、もう輝いていた。


 どこまで続いているんだろう。


 あの石柱の向こうには何があるんだろう。


 この風に乗ったら、どこまで飛べるんだろう。


 知りたい。


 飛びたい。


 胸の奥から湧き上がる気持ちを、抑えることはできなかった。


「行く!」


 ウィンダは翼を大きく広げる。


 吹きつけてくる風を正面から受け止め。


 次の瞬間。


 その風へ飛び込むように、広大な草原の空へ飛び出していった。


     ◇


 邪魔するもののない、広い空。


 ウィンダはその中を、気持ちよさそうに飛んでいた。


 上空にも絶えず心地よい風が吹いている。


 大きく翼を広げれば。


 風が羽の一枚一枚を撫でるように流れ、そのまま身体を前へ運んでくれる。


「……気持ちいい」


 無理に羽ばたかなくてもいい。


 風を掴み。


 その流れに身体を預ける。


 それだけで。


 ウィンダは草原の空を滑るように進んでいった。


 眼下には、どこまでも続く青々とした平原。


 風が吹くたびに草が大きく揺れ、地面そのものが波打っているように見える。


 その中にはモンスターたちの姿もあった。


 草原を走る獣。


 群れを作って移動する角の生えた草食獣。


 長い草の中へ身を隠し、獲物を狙うもの。


 けれど。


 ウィンダは見向きもしなかった。


 今は戦いたくない。


 素材もいらない。


 クエストだって受けていない。


 それよりも。


「もっと」


 翼を傾ける。


 上へ向かって吹き上がる風を見つけ、その中へ飛び込んだ。


 ふわっ。


「わっ」


 身体が一気に持ち上げられる。


 羽ばたいていないのに、高度がぐんぐん上がっていく。


 面白い。


 ウィンダはそのまま風に運ばれ、さらに高く昇った。


 そして。


 上昇する風から抜けると、今度は翼を畳む。


 身体が落ちる。


 草原が一気に近づいてくる。


 けれど。


 怖くない。


 むしろ。


「ふふっ」


 楽しい。


 地面へ近づく直前。


 翼を開く。


 風を掴む。


 ぎゅんっ、と身体の向きを変えた。


 草原すれすれを高速で飛び抜ける。


 長い草の穂先が、ウィンダの足元を流れていった。


 その先には。


 一本の巨大な石柱。


「……あれ」


 ウィンダは真っ直ぐ石柱へ向かう。


 近づくにつれて。


 石柱へ当たった風が左右へ大きく分かれているのが分かった。


 ウィンダは右へ身体を傾ける。


 すると。


「わぁっ」


 風に押され、身体が大きく横へ流された。


 自分で曲がったのではない。


 石柱によって向きを変えた風に、そのまま身体を運ばれたのだ。


 面白くなったウィンダは、次の石柱を探す。


「あっち」


 今度は違う角度から近づく。


 風が当たり。


 流れが変わる。


 そこへ翼を合わせる。


 ふわり。


 ぐるり。


 身体が弧を描くように石柱の周りを回った。


「ふふ」


 次。


 また次。


 石柱を見つけるたび。


 違う角度から風へ飛び込んでみる。


 上へ弾き上げられたり。


 横へ大きく流されたり。


 石柱の裏側にできた渦へ入り、そのまま身体をくるりと回転させたり。


 森では。


 木々の間を抜けるために風を読んだ。


 けれど。


 ここでは違う。


 風そのものが、遊び相手だった。


「んー……♪」


 いつの間にか。


 ウィンダは小さく鼻歌を歌っていた。


 本人は歌っていることにすら気づいていない。


 上昇する風に乗り。


 高く。


 そこから滑空し。


 低く。


 風に流され。


 時には逆らい。


 石柱の間を縫い。


 草原の上を駆け抜ける。


 飛び方を変えるたびに。


 見える景色も変わった。


 高い場所から見れば。


 草原は果ての見えない緑の海。


 低く飛べば。


 草の匂いと、風の音が近くなる。


 石柱の横を掠めれば。


 その先にまた新しい風の流れが見つかった。


 気づけば。


 ウィンダは、どこへ向かっていたのかさえ忘れていた。


 王都のことも。


 進行クエストのことも。


 新しい町のことも。


 今はどうでもいい。


 ただ飛ぶ。


 楽しいから飛ぶ。


 それだけだった。


「……ここ、好き」


 ぽつりと呟く。


 広い。


 風がたくさんある。


 翼を好きなだけ広げられる。


 いろいろな飛び方を試せる。


 そして何より。


 どこを見ても。


 空が広い。


 ウィンダは満足そうに目を細めた。


 アステリアの空も好きだった。


 東の森を飛ぶのも楽しかった。


 けれど。


 ここは、それとはまた違う。


 何も邪魔するものがない。


 ただ。


 空と風がある。


「また来よう」


 そう決めた。


 別にクエストがあるわけでもない。


 珍しいアイテムを見つけたわけでもない。


 強いモンスターがいるからでもない。


 ただ。


 飛んでいて楽しいから。


 それだけの理由で。


 蒼風平原は、この日から。


 ウィンダのお気に入りの場所の一つになった。


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