森を泳ぐ
今回は森での探索となります。
草原で受注した四つの指定クエストをすべて終えたウィンダは、アステリアへ戻ってきた。
城壁を越え、そのまま冒険者ギルドの前へ降り立つ。
以前より大きくなったウェストポーチを腰に提げたまま扉を開くと、真っ直ぐ受付へ向かった。
「報告」
「はい。クエストの達成報告ですね」
受付職員がギルドカードを受け取り、内容を確認する。
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『一角ウサギ討伐 20/20』
『ウルフ討伐 13/10』
『回復草採取 30/30』
『導き虫採取 5/5』
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「すべて達成されていますね。お疲れ様でした」
職員が処理を行うと、四つのクエストに順番に『達成』の文字が表示された。
『アステリア周辺草原指定クエストをすべて達成しました』
『Gランク昇格条件の一部を満たしました』
ウィンダは表示をじっと眺める。
「次、森」
「もう東の森へ向かわれるんですか?」
「うん」
迷いなく頷くウィンダに、職員は少しだけ驚いた様子を見せた。
「でしたら、倉庫に預けている回復用品を持っていった方がいいですよ。草原よりも東の森の方が、出現するモンスターは強くなりますから」
「分かった。ポーション」
「はい」
ウィンダは倉庫へ向かい、以前預けた低級ポーション三本を受け取った。
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『冒険者の大型ウェストポーチ』
『低級ポーション ×3』
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次にクエストボードへ移動する。
昨日とは違い、もう迷わない。
Gランク用の東の森指定クエストを確認する。
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『ビッグラットを30体討伐する』
『ホーネットを10体討伐する』
『レッサーバグを20体討伐する』
『静め草を30本採取する』
『硬いクルミを20個採取する』
『マジックマッシュを20個採取する』
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Fランクへの昇格に必要なのは、このうち四つの達成。
その後、森の主であるツインハンドグリズリーを討伐する。
ウィンダは六枚の依頼書を順番に見た。
「全部、受ける」
一つを選ぶ理由もない。
見つけたものから集めてしまえばいい。
『東の森指定クエストを受注しました』
準備を終えたウィンダは、ギルドを出る。
外へ出た瞬間、大きく翼を広げた。
「森」
向かう場所は、昨日から気になっていた東。
ウィンダは石畳を蹴り、青空へ飛び上がった。
◇
アステリア東門から続く街道を追うように飛んでいくと、やがて眼下の草原が途切れた。
代わりに広がるのは、深い緑。
東の森だった。
大小さまざまな木々が隙間なく生え、その枝葉が重なることで、地面の大部分が隠れている。
ウィンダは森の上空をゆっくりと旋回した。
「見えない」
《鷹の目》を使っても、見えるのは葉と枝ばかりだった。
草原では上空から一角ウサギもウルフも簡単に発見できた。
回復草も、一度形を覚えてしまえば見つけられた。
だが、森では違う。
厚い木々の葉が屋根のように広がり、その下に何がいるのか分からない。
ウィンダは少し不満そうに頬を膨らませた。
それでも森の上を飛びながら周囲を探していると、一部だけ周囲より大きく伸びた木が目に入った。
「大きい」
ほかの木より頭一つ高い。
ウィンダは興味を引かれ、その木へ近づいた。
太い枝が四方へ伸び、枝先には大量の緑色の葉。
そして、その葉の間に丸い物がいくつも実っている。
ウィンダは近くの枝へ鳥脚で降り立った。
翼の爪で、一つ摘み取る。
『硬いクルミを採取しました』
「クルミ」
クエストの対象だった。
周囲を見れば、同じ実が枝のあちこちに生っている。
一つ。
二つ。
三つ。
ウィンダは枝から枝へ移動しながら、次々にクルミを摘み取っていった。
本来、この依頼では成熟して地面へ落ちた硬いクルミを森の中から探し、一つずつ拾い集めることになる。
広い森の中を歩き、落ち葉に紛れた実を探す。
初心者にとっては地味ながら時間のかかる採取依頼だった。
だが、空から木の上へ直接近づけるウィンダには関係ない。
まだ落ちていない実を、枝から直接採ればいい。
『硬いクルミ ×10』
『硬いクルミ ×15』
『硬いクルミ ×20』
『クエスト目標を達成しました』
「終わった」
東の森へ入ってから、それほど時間は経っていない。
六つある森の指定クエストのうち、一つがもう終わった。
「あと三つ」
ウィンダは嬉しそうに翼を広げた。
この調子なら、すぐに終わる。
――そう思っていた。
◇
それからしばらくして。
「……飛べない」
ウィンダは森の中で、完全に行き詰まっていた。
地面には苔や落ち葉が積もり、頭上には幾重にも重なった枝葉。
左右を見れば、太い幹が何本も立ち並んでいる。
ウィンダは翼を少し広げる。
右の翼が木の幹へ触れた。
反対側を広げようとすると、今度は枝に羽先が引っかかる。
「狭い」
ハーピーであるウィンダは、翼を完全に広げれば翼長が三メートルを超える。
広い空であれば、それは大きな風を掴むための立派な翼だった。
しかし、木々が密集する森では、その大きさが邪魔になった。
少し強く羽ばたくだけで枝へ当たる。
無理に速度を上げれば幹へ激突する。
実際、何度か飛ぼうとして――。
「痛い」
ゴンッ、と肩から木へぶつかった。
ウィンダは地面へ降り、ぶつけた場所を翼の爪で撫でる。
もう一度飛ぶ。
今度は大きな木を避けるため、身体を右へ傾ける。
その先に別の枝。
慌てて左へ。
今度は羽先が蔓へ引っかかった。
「……むぅ」
ウィンダは不満そうに翼をばたつかせた。
草原では、あれほど自由だった。
上へ行きたければ上へ。
右へ行きたければ右へ。
速度を上げたければ翼を羽ばたかせればいい。
なのに、この森では自分の翼を満足に広げることすらできない。
試しに木々より上へ出てみる。
森を覆う緑の海の上へ飛び出した瞬間、翼は自由になった。
「飛べる」
気持ちよく羽ばたける。
どこへでも行ける。
だが、眼下を見る。
見えるのは木の葉。
木の葉。
木の葉。
「……見えない」
モンスターも。
静め草も。
マジックマッシュも。
何一つ見つけられない。
飛べばクエストが進まない。
クエストを進めるために森へ入れば飛べない。
ウィンダは森の入口まで戻ると、地面へ座り込んだ。
「どうしよう」
膝を抱え、目の前の森を見る。
歩けばいい。
普通のプレイヤーなら、そうする。
森の中を歩きながらモンスターを探し、採取アイテムを集める。
けれど。
「飛びたい」
ウィンダにとって、それでは意味がなかった。
強くなりたいわけではない。
効率よくレベルを上げたいわけでもない。
森の主を倒したいのも、その先にある場所へ行きたいから。
もっと遠くまで飛びたいからだ。
その途中で「飛ぶのを諦めて歩く」という選択は、ウィンダにはなかなか受け入れられなかった。
翼を小さく畳む。
広げる。
また畳む。
「小さくできない」
翼そのものを小さくすることはできない。
なら、どうする。
ウィンダは森を睨むように見つめながら、首を傾け続けた。
そのときだった。
草原から、少し強い風が吹いた。
ウィンダの髪と羽が揺れる。
地面に落ちていた乾いた草が、風に巻き上げられた。
一本の細い草が、ウィンダの前を横切り、そのまま森の中へ飛んでいく。
ウィンダは何となく、その草を目で追った。
草は風に運ばれ、木々の間へ入っていく。
その先には太い幹があった。
「ぶつかる」
そう思った。
だが。
幹へ衝突する直前、草の動きがふわりと変わった。
木に当たった風が左右へ分かれ、その流れに乗った草も横へ運ばれる。
幹を避ける。
次の枝へ近づけば、また風向きが変わる。
草は上へ舞い上がった。
枝を越える。
下降する。
別の幹を避ける。
まるで自分で木々の隙間を選んでいるかのように、草は一度も木へぶつからず、森の奥へ流されていった。
ウィンダの青い瞳が、その動きを追う。
「……風」
立ち上がる。
森へ吹き込んでいる風を見る。
もちろん、風そのものは目には見えない。
しかし、葉が揺れていた。
一つの葉が動き、その隣の葉が遅れて揺れる。
枝が傾く。
落ち葉が舞う。
風は木々へぶつかるたびに消えるのではない。
分かれている。
曲がっている。
枝や幹の間を通り抜けながら、森の奥へ流れ続けている。
今までのウィンダは、自分の翼で無理やり風を作って飛ぼうとしていた。
大きく翼を広げ。
力強く羽ばたき。
自分の行きたい方向へ身体を押し進める。
広い空では、それでよかった。
でも。
「風に、乗る?」
自分から飛ぼうとしなければいい。
すでにある風に、運んでもらえばいい。
大きく翼を広げる必要もない。
風を受けられるだけの面積があればいい。
「できるかも」
先ほどまで垂れていた翼が、少し持ち上がった。
◇
ウィンダは森の入口へ立った。
目を閉じる。
頬に風が当たる。
髪が動く。
翼の羽毛が、一枚ずつ揺れていく。
風が来る。
ウィンダは地面を蹴った。
同時に両腕を完全には広げず、身体の左右へ少しだけ伸ばす。
翼が風を捕まえた。
「おっ」
身体が前へ運ばれる。
羽ばたいていない。
なのに進んでいる。
すぐ前に木の幹が迫る。
いつもなら慌てて翼を広げ、無理に方向を変えていた。
今回は違う。
ウィンダは力を抜いた。
風を感じる。
正面から来た風が、木の幹へぶつかる。
右と左へ分かれる。
「こっち」
右の翼の角度をほんの少し変えた。
身体が風に引っ張られる。
ウィンダは幹のすぐ横を滑るように通り抜けた。
「できた」
次の木。
今度は枝が横へ伸びている。
風は枝の下へ流れていた。
ウィンダは身体を伏せる。
翼を身体へ寄せ、枝の下を潜り抜ける。
その先に太い幹。
避けきれない。
ウィンダは鳥の脚を前へ出した。
鉤爪が幹を掴む。
勢いを殺さず、脚を軸に身体をくるりと回転させる。
そのまま木を強く蹴った。
《軽業》の補正が働く。
身体が斜め前へ飛び出した。
「おお」
風を掴む。
滑る。
木を蹴る。
また風へ乗る。
今までとはまったく違う。
自分の翼で空気を押して進むのではない。
森の中を流れる風を探し、その流れへ身体を預ける。
木を避けるのではなく、木によって曲げられた風についていく。
速く飛ぼうとしない。
無理に曲がろうとしない。
風が上へ行くなら、自分も上へ。
下へ抜けるなら、身体を落とす。
右へ曲がるなら右へ。
枝へ近づいたら鳥脚で掴む。
身体を振り子のように振り、その勢いで次の風へ飛び移る。
木の幹を蹴る。
枝へ着地する。
すぐにまた飛び出す。
まるで森全体が、巨大な立体遊具になったようだった。
「楽しい」
ウィンダの顔に笑みが広がった。
速度を上げる。
目の前に木。
怖くない。
風がどちらへ逃げているかを見る。
葉の揺れ。
頬を撫でる空気。
羽毛の根元へ伝わる僅かな圧力。
右。
身体を傾ける。
すり抜ける。
次は左。
翼をほんの少し開く。
風が身体を運ぶ。
低い枝。
鳥脚で掴む。
回転。
蹴る。
加速。
「もっと」
クエストのことは、もう頭から消えていた。
そんなものは今、どうでもよかった。
新しい飛び方を見つけた。
ただそれだけで、ウィンダにとっては十分だった。
木々の隙間を縫う。
枝を越える。
幹を蹴る。
風を捕まえる。
身体から余計な力を抜けば抜くほど、動きは滑らかになっていく。
森の中を「飛ぶ」のではない。
ウィンダには、まるで風の中を泳いでいるように感じられた。
『ギギッ!』
突然、横の木から大きなネズミ型のモンスターが飛びかかってきた。
視界の端に名前が表示される。
『ビッグラット』
クエストの討伐対象。
しかし。
ウィンダは身体をほんの少し捻った。
ビッグラットの爪が目の前を通り過ぎる。
そのまま風へ乗り、何事もなかったように先へ進む。
「邪魔」
ビッグラットは慌てて追いかけようとしたが、木から木へ滑るように飛んでいくウィンダには追いつけない。
少し先では、巨大な蜂が羽音を響かせながら飛び出してきた。
『ホーネット』
一匹。
二匹。
三匹。
ウィンダへ向かってくる。
今度は空を飛ぶモンスターだった。
だが、ウィンダは戦おうとしなかった。
木と木の間にある細い隙間へ身体を滑り込ませる。
ホーネットも追ってくる。
ウィンダは目の前の枝を片脚で掴んだ。
身体を横へ振る。
遠心力を利用して方向転換。
そのまま枝を蹴る。
ウィンダだけが鋭角に進行方向を変えた。
後ろのホーネットは曲がりきれず、木の幹へ次々と衝突した。
『ブブッ!?』
ウィンダは振り返らない。
前だけを見る。
「もっと速く」
風が木へ当たる。
分かれる。
合流する。
上昇する。
下降する。
何度も飛ぶうち、少しずつその流れが読めるようになっていく。
葉が揺れるよりも早く。
枝がしなる前に。
羽毛へ触れた空気だけで、次に身体を向ける場所が何となく分かる。
右。
上。
左。
下降。
幹を蹴る。
加速。
翼を畳む。
枝の間を抜ける。
再び翼を少し開く。
風を掴む。
ウィンダは笑っていた。
空を飛んでいるときとは、また違う。
何もない大空を自由に飛ぶ楽しさ。
障害物だらけの森の中を、風を読みながら駆け抜ける楽しさ。
どちらも同じ「飛ぶ」なのに、まったく違う。
「森も、楽しい」
いつしかウィンダは、森が飛びにくい場所だとは思わなくなっていた。
大きな翼を広げられないなら、広げなければいい。
自分で風を起こせないなら、すでにある風を使えばいい。
足も使う。
木も使う。
枝も使う。
森そのものを利用して飛べばいい。
気づけば、先ほどまで何度も木へ衝突していた姿が嘘のように、ウィンダは木々の間を滑らかに抜けていた。
まだ完璧ではない。
ときどき羽先が葉を散らす。
風を読み間違えて枝へ脚をぶつけることもある。
それでも、そのたびに修正する。
次はもっと小さく身体を動かす。
次はもっと早く風を読む。
そうしてウィンダは、自分でも気づかないうちに、
風の読み方。
翼を最小限だけ使う滑空。
《軽業》を組み合わせた立体的な移動。
木々を蹴り、掴み、飛び移る動き。
それらを少しずつ自分のものにしていった。
そして。
「…………」
かなりの時間が経ってから、ウィンダは太い枝の上へ着地した。
息を整えながら周囲を見る。
知らない場所だった。
森の入口も見えない。
どれだけ奥まで来たのかも分からない。
そこでようやく、ウィンダは何かを思い出した。
視界の端に残ったクエスト一覧を見る。
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『硬いクルミ採取 20/20』
『ビッグラット討伐 0/30』
『ホーネット討伐 0/10』
『レッサーバグ討伐 0/20』
『静め草採取 0/30』
『マジックマッシュ採取 0/20』
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ウィンダはしばらく無言で表示を見つめた。
「……忘れてた」
森でのクエストは、一つしか終わっていなかった。
けれど。
ウィンダは枝の上から、木々の間を流れていく風を見るように目を細める。
先ほどまでとは違う。
今なら、この森の中でも飛べる。
ウィンダの口元が、再び小さく上がった。
「今度は、探す」
翼を少しだけ開く。
ちょうどそのとき、森の奥から風が吹いてきた。
ウィンダは迷わず枝を蹴った。
今度こそクエストを進めるために。
けれど、その表情は――。
やはり、冒険よりも飛ぶことそのものを楽しんでいる少女の笑顔だった。
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