第3話 360年後の世界
油の焦げた臭いと、鉄錆の匂いが鼻腔を突く。
薄暗い作業小屋の中には、不揃いな歯車やひしゃげた金属板、用途の知れないパイプの山が無造作に積まれていた。何らかの設備を稼働させるための微かな蒸気の漏れる音が、絶えず室内に響いている。
部屋の中央、ドラム缶を代用したかのような簡素なテーブルを挟んで、三人の影が向かい合っていた。
煤にまみれた作業着を纏うブロンド髪の少女、その名をギルベリアという。
その横で、赤毛のおさげを揺らしながら、恐る恐る来客の様子を窺っている町娘、ギルベリアがリンネと呼んだ少女。
そして、漆黒のローブと帽子で身を包む、自称天才魔女シルヴィアの三名である。
「――なるほど。とうとうボクの身体にもガタが来て幻覚でも見えだしたのかと疑ったが、その魔力の波長、そして何よりその無駄に自信たっぷりな態度は、紛れもなくシルヴィア本人のものだね」
ギルベリアは、油に汚れた手で自身の顎を撫でながら、淡々とした口調で口を開いた。その声には再会の感動や驚愕よりも、目の前にある「異常な事象」に対する純粋な理知的関心が勝っているように聞こえた。
「しかし、興味深いね。ボクのような身体ならいざしれず。君は生身のまま老化を、生物としての寿命を乗り越えたように見える。どんな手を使ったんだい?」
ギルベリアの冷静な問いかけに対し、シルヴィアはふふんっと得意げに鼻を鳴らし、ふんぞり返った。
「よくぞ聞いてくれたのだわ! 私がただ漫然と森に引きこもっていたわけじゃないってこと、あなたなら分かるでしょ?」
「ああ。君のことだ、どうせまた常軌を逸した研究に没頭していたのだろう?」
「ええ。これは私の研究成果の一つ。肉体の再生はもう完璧にオートで回せるようになったから、細胞は常に最良の状態で再生され続ける。そして、魔法を使った時に発生するエーテルの流出、ロスを最小限にして体外に排出されないようにするの! 更に研究でわかったことなんだけど、人体は常にエーテルを生成しているわけじゃなくて、一気に生成するタイミングが存在する、つまり規則性があるのだわ! だから、再生魔法の応用でその生成するタイミングを持続させる、要するに活性状態を維持すればエーテル切れとも無縁、魔法を常時回し続けられるようになる……つまり、私は事実上の不老不死を完成させたのだわ!」
まるで決壊したダムの如く、止まることのない言葉の波が二人を襲う。
方や何を言っているのか全く理解できていない様子の町娘と、冷静な反応でうんうんと頷き、シルヴィアの語りを反芻するギルベリア。
「エーテルのロスレスか。エーテル資源が潤沢だったあの時代には考え至らなかったことだったね。全く、ボク達にも同じような考えがあったら……いや、あっても無駄だったか」
「ふふん、天才だもの! まあ、この不老の術式自体は、研究を始めてから十年そこらでサクッと完成したのだけれど。そこからさらに本命の研究を進めてたら百年くらい? で、久々に外をでてみたらこの有り様! びっくりしちゃったのだわ!」
未知の世界で既知の知り合いに出会ったからか、楽しそうに自分の成果を自慢げに語るシルヴィアに対し、ギルベリアの表情は微塵も崩れなかった。ただ、その精巧な人形のような瞳が、静かにシルヴィアを射抜く。
「シルヴィア。君は、自分がどれくらいの期間、あの森の奥に引きこもっていたと思っているんだい?」
「え? だから、体感で百年ちょっとくらいだって……」
「360年だよ。それに暦も変わっている」
淡々と告げられた数字に、シルヴィアは瞬きを繰り返した。
「……さんびゃく。そ、そんなに経ってるの?」
「ボクが計算を間違えるはずがないだろう。君が表舞台から姿を消して、それだけの時間が過ぎた。そして――その時間の間に、世界は完全に変わってしまったんだ」
ギルベリアは傍らに置いてあった布で手の汚れを拭き取りながら、重々しい、しかしどこか諦観の混じった声で語り始めた。
「今から210年前だ。”終世”の魔女カスラナと名乗る魔女が、世界中からエーテルを消失させた」
「……は? エーテルを消失させたですって!? 大気にも、物質にも、生物にだって流れてるエーテルをどうやって……!?」
「事実として、ボクたちはそれを失ったんだよ。原因や手段については今もって不明だがね。……結果として、対策も対応もできる時間は無かった。世界中のあらゆる魔導技術はその機能を停止し、人類は……いや、この世界のあらゆるエーテル資源・技術を失った。……もちろん、魔法もね」
ギルベリアの言葉に、シルヴィアは息を呑んだ。
丘の上から見下ろした、黒煙を上げる鉄クズの王都だった場所。門番たちが持っていた、火薬で鉛玉を飛ばす粗悪な銃。そして、道中で感じた「空気が薄い」という違和感。
すべては、この世界からエーテルというエネルギーそのものが枯渇していたからなのだ。
「エーテルという完璧なエネルギー源を失った人類は、代わりに泥臭い石炭を燃やし、水を沸かし、その蒸気の圧力で機械を動かすという、極めて原始的な代替手段へと舵を切らざるを得なかった。それが現在、新基歴という時代さ」
ギルベリアは現在の技術体系、その説明をしながら適当な道具を一つ手にとって見せる。
それは銀時計であった。
エーテルに頼らないクラシカルな時計はこれまでも存在していた。しかし、それでも職人の手によって限りなく無駄なく、コンパクトに纏められたものであった。
それに比べてこの銀時計は無骨で、内部構造もひどく簡素であり、歯車と針が鳴るカチ、カチという音が、無情にもこの現実が本当のことであることを示している。
そして、何よりもそういった一つひとつの動作を行うギルベリアの動きがぎこちなく、身体を動かすたびに軋むような音が聞こえてくるのが、著しい技術後退を指し示していた。
「……終世の魔女の引き起こした大災厄のせいで、世界中でエネルギーを巡る凄惨な戦争が起きたよ。奇しくも前歴と同じ、新しい時代の始まりはいつだって争いから始まるのかもしれないね」
「そんな……」
「結果として、”魔女”という言葉は、世界を壊した恐ろしい存在として忌み嫌われるようになった。門番たちが君を見てパニックになったのも、君のその立派な装束が、彼らにとっては破滅の象徴にしか見えなかったからさ」
静かな作業小屋の中に、ギルベリアの言葉が静かに落ちていく。
シルヴィアはギリッと奥歯を噛み締めた。自分のいない間に世界が衰退していたこと以上に、彼女の胸を占めたのは激しい怒りだった。
天才としての誇り、そして何より、国に、人類文明そのものに身を捧げた”魔女”としての誇りが、その不条理な現実に泥を塗られたように感じたのだ。
「……あの、お話の途中でごめんなさい」
それまで沈黙を守っていたリンネが、恐る恐る手を挙げた。
シルヴィアが視線を向けると、リンネはビクッと肩を揺らしながらも、小さな声で尋ねてきた。
「ギルベリアさんが元々魔女様だってことは前にお話いただいて知ってましたけど……お母さんたちが語る魔女はもっとこう、化け物みたいな存在だって聞いてたんです。魔法という悪しき力で人々を苦しめてた……って」
その純粋な、悪意のない疑問に、シルヴィアは立ち上がり、両手でテーブルを叩いた。鈍い、ドラム缶が振動する音が部屋に響く。
「違うわ!! 私達はそんな存在なんかじゃない!!」
シルヴィアの剣幕に、リンネがヒッと息を呑む。怯えるその姿に、はっと冷静になったシルヴィアは一つ咳払いをして、リンネの目を真っ直ぐに見据えた。
「よく聞きなさい。魔女というのはね、かつて人間を支配していた魔神マクスマキナを討ち倒し、人類に世界を取り戻した『原初の魔女マリア』の偉業に由来するのよ。人には成し得ない偉業を成し遂げ、人類の歴史に多大な貢献を果たした大天才にだけ与えられる、最高に名誉ある称号なんだから!」
「人類に、貢献……」
「そうよ。この私が”再生”の魔女と呼ばれるのも、数え切れないほどたくさんの人を救ったからだわ。それを化け物扱いだなんて……その終世の魔女とやらのせいで、魔女の品位が地に落ちたなんて絶対に許せないのだわ! 大体! 魔女の二つ名は国から与えられるものなんだから、”終世”なんて二つ名は絶対自称なんだから! そんなの魔女とは言えないのだわ、名誉毀損なのだわ!!」
鼻息を荒くして捲し立てるように憤るシルヴィアを見て、ギルベリアは口元に微かな笑みを浮かべた。
「……ふ、はは。あぁ、本当に君はシルヴィアだ。360年経っても、その自信過剰で誇り高いところは全く変わっていないらしい」
「笑い事じゃないわよ、ギルベリア。あなただって”義骸”の魔女として国に認められたれっきとした魔女なのだわ。なのにその体、どう見てもあの頃より劣化してるわよ?」
シルヴィアは、ギルベリアの身体を改めて観察した。
かつての彼女の義骸は、エーテルで駆動する極めて精巧で、ともすれば生身の人体よりも美しく完璧なものだったはずだ。しかし、今のギルベリアの身体は、鉄のフレームとパイプが剥き出しになり、少し動くたびにギシギシと油の切れた歯車のような軋み音を立てている。
「まぁ、見ての通りさ。ボクの義骸はエーテルが無ければ動かせないからね、見てくれは悪いが……こんなものでも現代では最高峰の技術で作られていると自負しているよ。このサイズまで小型化して動かせる人は居ないはずさ」
ギルベリアは自嘲気味に自身の鉄の腕を叩いた。重く鈍い金属音が響く。
「……そうだ。一つお願いをしてもいいかな?」
「何かしら?」
「ボクが推測するに、終世の魔女が行った行為の一つに生物の持つエーテル生成器官の不活性化があると思うんだ。単純にエーテルを消失させる、あるいは移動させたとしても、生物は体内でエーテルを生成できる以上、時間はかかるがある程度の魔法なら使えるはずだ」
「魔法なんて使えません……私もお母さんも。他にも使ってる人なんて見たことも聞いたことも……」
魔法が使えるか、とギルベリアから視線を向けられるとリンネはふるふると首をふる。
「今の人類、いや生物のほぼ全てがエーテルの生成ができなくなっている。生成器官が失われてるわけじゃない、機能しなくなっているんだ。けれど君は、自らの魔法によって活性状態を維持している。だから現代で唯一、エーテルを新たに生成できる存在だ」
「そういうことになるわね」
「だからそのエーテルを分けてほしい。色々検証したいこともあるし、定期的に供給ができるのであればボクの身体を動かせるようになるからね」
そう言ってギルベリアは、作業着のポケットからいくつかの円筒を取り出した。
それは、このジャンクだらけの部屋には不釣り合いなほど洗練された、流線型の美しいフォルムを持っていた。旧時代の魔導技術で作られた、エーテルを貯蔵するためのカートリッジだ。
ギルベリアの言葉の真意を深く問うことはせず、シルヴィアは快く頷いた。
「いいわよ。再会を祝して、大サービスしてあげるのだわ!」
シルヴィアはカートリッジを受け取ると、手首を軽く返し、自身の体内で循環するエーテルの一部を円筒へと流し込んだ。
カートリッジを握り、力を込めるようにしてエーテルを注ぎ込む。七色に輝く光が、手のひらから溢れ、カートリッジに吸い込まれていくような光景に、リンネは目を輝かせていた。
「きれい……」
「自然に存在するエーテルは無色透明、あるいは大気に反応することで色づいた透き通るような水色だ。けれど生物が生成するエーテルは、個体によって様々な色を持つ。その中でも彼女の色は珍しい、極彩色に輝く虹色なのだから」
一本、二本と手渡されたカートリッジへエーテルを充填させていく様を眺めながら、リンネへと語りかける。
極彩色、その表現通り輝く魔力の光が最後のカートリッジを満たし終えると、シルヴィアはそれを差し出す。
「助かるよ。これなら――」
ギルベリアがカートリッジを受け取り、これからのことについて口を開こうとした、その瞬間だった。
ズズゥン……ッ!!
突如として、小屋全体を揺るがすような激しい地響きが起こった。
テーブルの上の工具が床に散らばり、リンネが短い悲鳴を上げてしゃがみ込む。
「な、なによ今の地震!?」
「いや……これは地震じゃない……短い地響きが断続的に続いている。この揺れ方は……何かが近づいてきている……?」
ギルベリアの理知的な瞳が、瞬時に険しい色を帯びた。
地響きの発生源は、町の外縁。地面の揺れる音よりも重く響く音が三人の耳に届いた。
それは旧時代。まだ神々が存在した時代より生きる獣。
終世の魔女によって厄災と化した獣の咆哮が、轟いた。
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