5.
水城は鉢植えのジャスミンを持って、宝石店Liebeのビル上階にある架奏恭一郎の部屋をおとずれた。
広大な城のような自宅はあるのだが、ここ50年ばかり反抗期の香紀がプチ家出をしてLiebeで寝泊まりするので、水城が心配になって一緒にLiebeに泊まり込んだところ、恭一郎までついてきてしまった。
なんのために香紀がプチ家出したのか、本末転倒である。
窓をひらくと、天頂に弓張り月があった。鉄のフラワーバルコニーに鉢を置く。甘いにおいが室内にも流れ込んでくる。
窓はビルの裏側に面しており、銀座といえども目の前のビルは窓に明かりもなくひっそりと暗く、すこしはなれて有楽町の街並みがぼうっと輝いているだけだ。
恭一郎はつかいこまれた紫檀のつくえに頬杖をついたまま、じっと視線だけで水城を追っている。
ひじょうに何かをいいたがっている視線に耐えきれず、水城は先回りして口を開いた。
「今回は問題がなかったはずですよ、上手くいったじゃないですか。だって当人が亡くなってから外したのですから。
誰も不幸にはなっていません」
「わたしは、香紀には人間にかかわってもらいたくないんです。
良いことでも、悪いことでも、手を出さずにただひたすら見守るべきです。
それがどれだけ大事なことか、水城さん、あなただって知っているはずです」
水城が黙りこむと、それにしても香紀はどこであんな石を手に入れたのかしら、と恭一郎が不思議そうにいった。
「買ってきたそうです、デパートで。最近はひとりでも行けるようになって、デパ地下の限定お菓子とか、並んで買ってきてくれるんですよ」
香紀の成長を得意げに告げると、恭一郎はひたいに手をあててくらりとよろめいた。ほっそりとした首を折り曲げて、さめざめとこれ見よがしに嘆いて見せる。
「デパ地下……、お菓子……、そんなことまでするようになったなんて。
だいたいあの子はお小遣いだってあげてないのに。
店のお金を使いこんだのなら、横領ですよ」
「横領って、そんな。子どものオヤツ代くらいで大げさな。だいたい香紀がオーナーじゃないですか」
「オーナーでも、少額でも、会社のお金を私用につかったら横領です」
「じゃあ、いいですよ。
わたしが個人的に補てんしておきますから。それならばいいでしょう」
「水城さんは香紀には甘すぎる」
「架奏さんが過保護すぎるんです」
たがいにむっとなって睨みあっていると、夜風が甘い匂いを運んできた。
恭一郎がふっと表情をゆるめて、視線を窓の外へ流す。
「あなたは香りの強い植物が好きですね」
「架奏さんが好きですから」
架奏恭一郎が香りの強い植物が好きだから、自分も好きなのだ、という意味で水城は言ったつもりだったが、恭一郎は美しい貌を朱にそめて、思春期の少女のようにたじろいだ。
そんなあけすけな反応に、水城自身の心臓が痛くなるほどに、脈動する。
知るものには神とも悪魔とも言われ、恐れられている存在なのに、水城の前では無防備な感情をみせる。
水城はひざまずき、ひたいを恭一郎の足につけた。
「ずっとお側にいますから」
そう誓う水城の髪を、闇のような優しい手がやわらかに撫でた。