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痴漢冤罪で人生を壊された男は、異世界で《証明者》となり、嘘で人々を支配する聖女を断罪する  作者: 月瀬 リュカ


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第6話 聖女の加護の証

 村の姿が背後の丘に隠れるころ、道の横を流れる川の音が少しずつ大きくなってきた。


 交易町ラトルへ続く道は、思っていたより歩きやすかった。森の中とは違い、人や馬車が通るために踏み固められている。ところどころに車輪の跡が残り、道端には小さな草花が揺れていた。


 俺の隣では、クララが小さな鞄を胸に抱えて歩いている。


 長旅の荷物ではない。


 薬を買いに町へ行き、用が済めば村へ戻る。そのための最低限の荷物だった。


「疲れてないか?」


 俺が聞くと、クララは慌てたように首を横に振った。


「大丈夫です。ラトルまでは何度か行ったことがありますから」


「そうか」


「はい。川沿いに進んで、古い石橋を渡ります。そこから少し歩けば、町の外壁が見えてきます」


 クララはそう言ってから、少しだけ表情を曇らせた。


「弟の薬も、ラトルの薬師さんなら扱っているはずです」


「薬の名前は分かっているんだよな」


「はい。薬師のお婆さんに書いてもらいました」


 クララは鞄の中から、小さく折りたたまれた紙を取り出した。そこには、この世界の文字で何かが書かれている。


 不思議なことに、俺にはその意味が分かった。


 文字そのものを読めるというより、頭の中へ意味が流れ込んでくる感覚だった。


 ペンダントの翻訳機能。


 便利ではある。


 だが、便利すぎて気味が悪くもある。


 美琴が落としたはずのペンダント。俺に《証明者》という職業を与え、ミコトの居場所を示し、言葉まで分かるようにしている。


 なぜ、そんなことができるのか。


 なぜ、美琴の持ち物だったものが、俺を助けるように動いているのか。


 まだ分からないことが多すぎる。


「レンさん?」


 クララに呼ばれ、俺は顔を上げた。


「どうかしましたか?」


「いや。少し考え事をしていただけだ」


「聖女様のことですか?」


 その言葉に、胸の奥がわずかに強張った。


 クララはすぐに「あっ」と小さく声を漏らす。


「すみません。聞かない方がよかったですよね」


「いや、いい」


 俺は川沿いの道を見ながら答えた。


「ただ、俺はまだこの国のことをよく知らない。聖女ミコトがどれだけ信じられているのかもな」


「かなり信じられていると思います。ラトルでも、聖女様の話を聞かない日はないって聞きました」


「そんなにか」


「はい。病を治したとか、呪いを祓ったとか、魔物の瘴気を消したとか……」


 クララの声には、疑いよりも戸惑いがあった。


 聖女ミコトは信じられている。


 それが、この世界では当たり前なのだろう。


「レンさんは、聖女様を疑っているんですか?」


 クララが遠慮がちに聞いてきた。


 俺はすぐには答えなかった。


 疑っている。


 それは間違いない。


 だが、クララに全部を話すことはできない。俺が別の世界から来たことも、美琴に人生を壊されたことも、まだ話せない。


「俺は、誰か一人の言葉だけで物事を決めたくないだけだ」


 そう答えると、クララは少し考え込むように目を伏せた。


「昨日の私みたいに、ですか?」


「ああ」


 俺は短く頷いた。


「誰かが罪人だと言った。だから罪人だ。そんな決め方は間違っている」


「……はい」


 クララは小さく返事をした。


 しばらく、川の音だけが続いた。


 道はゆるやかに曲がり、やがて前方に古い石橋が見えてきた。石橋の手前には、小さな祠がある。木製の屋根がついた簡素なもので、その柱にはいくつかの薄い木札のようなものが結ばれていた。


 クララが足を止める。


「あれは……聖女の加護の証ですね」


「聖女の加護の証?」


「はい。聖女ミコト様の加護が宿ると信じられている証です。旅の安全や病除け、魔除けとして、祠や馬車に結ぶ人が増えているそうです」


 俺は祠に近づいた。


 手のひらほどの薄い木片。表面には、聖女ミコトの名と、神殿のものらしい聖印が焼きつけられている。上部には白い紐が通され、祠の柱に結びつけられていた。


 その一枚に、短い言葉が刻まれている。


 聖女ミコトの加護は、罪なき者を守り、罪ある者を裁く。


 俺はその文字を見つめた。


「罪ある者を裁く、か」


 声が低くなる。


 クララが不安そうに俺を見た。


「レンさん?」


「誰が、その罪を決めるんだ」


 口にした瞬間、胸の奥に嫌な熱が戻ってきた。


 罪なき者。


 罪ある者。


 言葉にするのは簡単だ。


 けれど、間違えれば人ひとりの人生が壊れる。


 俺はそれを知っている。


 クララは答えられなかった。


 その時、石橋の向こう側から怒鳴り声が聞こえた。


「だから、こいつが盗んだんだ!」


 俺とクララは顔を見合わせた。


 橋のたもとに、数人の旅人と一台の荷馬車が止まっている。馬車のそばでは、少年が地面に膝をつかされていた。


 年は十二、三歳くらいだろうか。痩せた身体に、荷運び用の粗末な服を着ている。顔は青ざめ、必死に首を振っていた。


「違う! 俺じゃない! そんなもの、勝手に入ってたんだ!」


「嘘をつけ!」


 少年を責めているのは、商人の部下らしい若い男だった。腰に短剣を下げ、上等とは言えないが村人よりは良い服を着ている。


 男は少年の荷袋を逆さに振った。


 中から、薄い木片が落ちる。


 それを見たクララが息を呑んだ。


「聖女の加護の証……」


 周囲の旅人たちがざわつく。


「祠のものを盗んだのか」


「罰当たりな」


「聖女様の加護を盗むなんて」


 少年は泣きそうな顔で叫ぶ。


「違う! 俺、盗んでない! 本当に知らないんだ!」


 その声を聞いた瞬間、俺の足は止まっていた。


 まただ。


 やっていないと叫ぶ声。


 誰にも届かない否定。


 周囲が先に答えを決めている空気。


 胸の奥が冷たくなる。


 クララが俺を見上げた。


「レンさん……」


「少し見てくる」


 俺はそう言って、人だかりへ近づいた。


 若い男がこちらを睨む。


「何だ、お前は」


「通りすがりだ。何があった?」


「このガキが、聖女の加護の証を盗んだんだ。祠の証を盗んで、自分の袋に隠してやがった」


 男は地面に落ちた木片を指差す。


「聖女様の加護を盗むなんて、罰当たりにもほどがある」


 周囲の視線が少年に集まる。


 少年は震えながら、必死に首を振った。


「俺じゃない。俺は、荷物を運んでただけで……」


「黙れ!」


 男が少年の肩を掴む。


 俺はその手を見た。


「待て」


 男の動きが止まる。


「その子が盗んだって、本当に証明できるのか?」


 男は不快そうに顔を歪めた。


「何を言っている。こいつの袋から出てきたんだぞ」


「袋から出てきたことと、盗んだことは同じじゃない」


「は?」


 男が眉を吊り上げる。


 俺は地面に落ちた聖女の加護の証を見る。


 手のひらほどの薄い木片。表面にはミコトの名と聖印がある。だが、祠に結ばれていたものとは少し違って見えた。


 綺麗すぎる。


 橋の手前の祠に結ばれていた証は、雨風にさらされて色が少し褪せていた。紐も薄く汚れている。


 だが、少年の袋から出てきた証は、木肌が白く、紐も新しい。


「クララ」


「はい」


「さっきの祠に結ばれていた証は、もっと古びていたよな」


 クララは証を見て、すぐに頷いた。


「はい。雨に濡れた跡もありました。でも、これは綺麗です」


 若い男が舌打ちした。


「たまたまだろう。こいつが綺麗なものを選んで盗んだんだ」


「祠に綺麗な証はあったのか?」


「……」


 男は一瞬、言葉を詰まらせた。


 視界の端に文字が浮かぶ。


《矛盾看破》発動

発言内容に不自然な停滞を確認。


 俺は祠へ戻り、柱に結ばれた証を確認した。


 結ばれている証は三枚。どれも雨風で少し汚れている。柱の下には、古い紐の切れ端があったが、色はくすみ、切り口も乾いていた。


 少なくとも、ついさっき切れたものではない。


「鑑定」


 小さく呟くと、視界に文字が浮かぶ。


名称:聖女の加護の証

状態:経年劣化

特徴:雨風による変色あり

備考:祠に結ばれてから時間が経過している


 俺は少年の袋から出てきた証にも触れた。


名称:聖女の加護の証

状態:新品に近い

特徴:木粉と油分の付着あり

備考:祠に長期間さらされた形跡なし


 違う。


 これは祠から盗まれたものではない。


 俺は立ち上がった。


「これは祠の証じゃない」


 周囲がざわめいた。


 若い男が声を荒げる。


「何を根拠に!」


「祠の証は雨風で色が変わっていた。紐も汚れている。でも、少年の袋から出てきた証は新品に近い。木粉もついている。祠に長く結ばれていたものじゃない」


「そんなの、見た目だけだろ!」


「見た目だけじゃない」


 俺は祠の柱を指差した。


「祠には、最近外された跡がない。古い紐の切れ端はあるが、切り口は乾いている。今日盗まれたものじゃない」


 旅人たちの空気が変わり始めた。


 少年が顔を上げる。


 まだ不安そうだが、ほんの少しだけ希望が戻っている。


 俺は少年に近づいた。


「名前は?」


「トマ……」


「トマ。その袋は、ずっと自分で持っていたのか?」


 トマは首を横に振った。


「さっき、川で水を汲みに行かされた。その間、袋は馬車の横に置いてた」


「誰でも触れた?」


「うん……」


 若い男が慌てて口を挟む。


「そんなの、言い逃れだ!」


「まだ聞いている途中だ」


 俺は男を見る。


「あなたの名前は?」


「……ロウだ」


「ロウ。トマが水を汲みに行っている間、君はどこにいた?」


「馬車のそばだ。それがどうした」


「トマの袋に触れる場所にいたんだな」


「俺が入れたと言いたいのか!」


 ロウの声が大きくなる。


 その反応に、周囲が少し引いた。


 俺は彼の手元を見た。


 爪の間に、白い木粉のようなものが残っている。


 さらに、馬車の荷台には壊れた木箱があった。中には、同じような聖女の加護の証が何枚か積まれている。布で包まれていたが、端が破れ、中身が見えていた。


「その木箱は?」


 俺が聞くと、ロウの顔が強張った。


「売り物だ。ラトルで神具商に卸す予定の品だ」


「聖女の加護の証を?」


「そうだ。最近はよく売れるんだよ。旅人も商人も、皆欲しがる」


 俺は荷台へ近づいた。


 木箱の角が割れている。中の証が何枚か散らばり、一枚は地面に落ちて泥をかぶっていた。


 そして、箱を固定していた縄は緩んでいた。


「鑑定」


名称:荷箱

状態:破損

原因:固定不足による落下

備考:最近、乱暴に積み直された形跡あり


 視界に文字が続く。


《証拠記録》発動

証拠一:祠の証は経年劣化

証拠二:発見された証は新品に近い

証拠三:トマの袋は一時的に放置されていた

証拠四:ロウの手に木粉の付着

証拠五:馬車の荷箱に同種の証を確認

証拠六:荷箱の破損と固定不足を確認


 俺はロウを見た。


「この証は、祠から盗まれたものじゃない。馬車の荷箱に入っていた売り物だ」


「違う!」


 ロウが叫ぶ。


「なら、どうしてトマの袋に入っていた?」


「それを聞きたいのは俺の方だ」


 俺は一歩近づいた。


「トマが水を汲みに行っている間、袋は馬車の横にあった。君は馬車のそばにいた。そして君の手には木粉がついている。馬車には同じ証が入った木箱があり、その箱は壊れている」


「だから何だ!」


「荷箱を壊したのは君じゃないのか」


 ロウの顔から血の気が引いた。


 周囲がざわめく。


「箱を固定し忘れた。落ちて壊れた。売り物の証も汚れた。怒られると思った君は、トマに罪を着せようとした」


「違う! こいつが悪いんだ! こいつが荷物を――」


「トマが荷物を壊した証拠はあるのか?」


「……」


「祠から証を盗んだ証拠は?」


「……」


「袋から出てきたことは、盗んだ証拠じゃない」


 俺は地面に落ちた証を拾い上げた。


「これは、入っていた証拠だ。誰かが入れた証拠でもある」


 ロウは何も言えなくなった。


 額に汗が浮かんでいる。


 俺はさらに言った。


「聖女の加護の証を使えば、周りは簡単に信じると思ったんだろ」


 ロウの肩が震えた。


「聖女様の名前を出せば、誰かを罪人にできる。そう思ったんだな」


 沈黙が落ちた。


 やがて、馬車の中から商人らしい男が降りてきた。腹の出た中年の男で、険しい顔をしている。


「ロウ。本当か」


「ち、違います、旦那様……俺は……」


「荷箱の固定は、お前に任せたはずだ」


 ロウは口を開いたが、言葉にならなかった。


 それが答えだった。


 商人は深く息を吐く。


「トマ」


 少年がびくりと肩を震わせる。


「疑って悪かった」


 トマは何も言えず、ただ何度も頷いた。


 周囲の旅人たちも、気まずそうに目を逸らした。


「罰当たりだなんて言って悪かったな」


「本当に盗んだと思って……」


 謝罪の声がいくつか聞こえた。


 だが、トマの表情は晴れなかった。


 当然だ。


 疑われた痛みは、謝られたからといってすぐに消えるものではない。


 俺はそれを知っている。


 胸元のペンダントが、淡く光った。


 視界に文字が浮かぶ。


《証明成立》

対象:トマ

判定:無罪

罪状:聖女の加護の証の窃盗

原因:他者による罪の転嫁


職業《証明者》に経験値が加算されます。

《証拠記録》の精度がわずかに上昇しました。


 表示はそこで終わらなかった。


《注意》

聖女ミコトの名を利用した罪の転嫁を確認。

追跡対象の影響範囲、拡大中。


 俺は息を呑んだ。


 影響範囲。


 つまり、ミコト本人がここにいなくても、その名前はもう人を動かしている。


 誰かを守るためではなく。


 誰かを疑わせるために。


「……本人がいなくても、もう嘘は広がっているのか」


 小さく呟く。


 クララが隣に来ていた。


「レンさん、今……何か見えていたんですか?」


 俺は一瞬だけ言葉に詰まった。


 ペンダントの表示は、俺にしか見えていないらしい。


 クララには話せないことが、また一つ増えた。


「いや。ただ、嫌なことを考えていただけだ」


 クララは少し不思議そうにしていたが、追及はしなかった。


 その代わり、トマの方を見た。


「また、同じでしたね」


「何がだ?」


「私の時と、少し似ていました。証拠が弱いのに、皆が先に犯人だって決めていました」


 クララの声は小さかった。


 だが、確かに怒りが混ざっていた。


「レンさんは、すぐに疑うんですね」


 その言葉に、俺は少しだけ黙った。


 疑う。


 そう見えるのかもしれない。


 だが、俺がしているのは多分、そうではない。


「疑うんじゃない」


 俺は言った。


「決めつけないだけだ」


 クララは目を見開いた。


「決めつけない……」


「誰かが犯人だと言われても、すぐには信じない。聖女の名前が出ても、すぐには信じない。証拠を見る。話を聞く。矛盾を探す。それだけだ」


 クララはしばらく黙っていた。


 やがて、ゆっくり頷く。


「私、それをしてほしかったんだと思います」


 その声は、少し震えていた。


「昨日、誰か一人でも、そうしてくれていたら……」


 俺は何も言えなかった。


 その気持ちは、痛いほど分かった。


 俺も、そうだったからだ。


 誰か一人でよかった。


 犯人だと決めつける前に、俺の話を聞いてほしかった。


 証拠を見てほしかった。


 俺が何を言っても、嘘だと決めつけないでほしかった。


「行こう」


 俺はそう言った。


「ラトルで薬を買わないとな」


「はい」


 クララは小さく頷いた。


 俺たちは石橋を渡った。


 下を流れる川は、夕方の光を受けてきらきらと揺れている。橋の向こうには、さっきまでより広い道が続いていた。


 しばらく歩くと、遠くに壁が見えてきた。


 木と石で作られた外壁。門の前に並ぶ荷馬車。行き交う商人や旅人。村とは比べものにならない数の人影。


 クララが少し息を弾ませながら言った。


「あれが、交易町ラトルです」


 俺は町を見つめた。


 薬がある。


 情報がある。


 そして、王都へ向かう道がある。


 だが、その前に分かったことがある。


 聖女ミコトの名前は、もうこの国のあちこちに広がっている。


 加護の証。


 祈り。


 信仰。


 そして、罪を決める言葉。


 美琴本人がいなくても、人はその名前を使って誰かを罪人にできる。


 なら、急がなければならない。


 嘘がこれ以上広がる前に。


 俺は胸元のペンダントに触れた。


 村を出て、ようやく最初の町が見えた。


 ここから先は、ただの道案内では済まない。


 聖女ミコトへ近づくための、本当の一歩が始まる。


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