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痴漢冤罪で人生を壊された男は、異世界で《証明者》となり、嘘で人々を支配する聖女を断罪する  作者: 月瀬 リュカ


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第44話 知っていた聖女



 ミコトは、まだ白い顔を保っていた。


 ユーデル元測定官の所見。


 外部聖具鑑定士イーリスの鑑定結果。


 白環のペンダントに残された、被疑対象の魂痕。


 そのすべてが机の上に置かれている。


 それでも、ミコトは崩れない。


「私は、怖かっただけです」


 彼女はそう言った。


 その声は震えていなかった。


 静かで、柔らかくて、聞く者によっては痛ましい告白に聞こえるだろう。


 異界で一人。


 知らない場所で、知らない男に近づかれた。


 怖くなって声を上げた。


 周囲が守ってくれた。


 その結果、聖性が強まった。


 そう言われれば、知らない者は思うかもしれない。


 仕方なかったのではないか、と。


 恐怖そのものは罪ではない。


 俺も、それは分かっている。


 怖いと思うことは罪じゃない。


 だが、怖かったという言葉で、誰かの人生を壊した事実は消えない。


 まして、その仕組みを知った後も、同じ構造を使い続けたなら。


 それはもう、事故ではない。


「怖かっただけ」


 俺は、その言葉を繰り返した。


 ミコトは静かに俺を見ている。


「ええ」


「なら、確認する」


 俺は机の上の記録を指で押さえた。


「異界修行から帰還した後、お前は自分の力の危険性を知らされていなかったのか」


 ミコトは、すぐには答えなかった。


 沈黙。


 短いが、確かな沈黙。


「……詳しい説明は受けていません」


 刃が鳴った。


 鋭く。


 会議室の空気が張り詰める。


 クララが息を呑む。


 マーヤの視線がミコトへ向く。


 エルハルト監査官は、記録水晶の反応を確認した。


「聖女様。正確にお答えください」


 ミコトは目を伏せた。


「当時、いくつかの注意は受けました」


「注意?」


 俺は言った。


「それは、自分の力が誰かへの疑いを聖性に変える可能性がある、という注意か」


 ミコトは答えない。


 俺は続けた。


「ユーデル元測定官は記録を残していた。『他者の疑いを聖性燃料とする危険あり』と」


 ミコトの表情は変わらない。


「その説明を、本人であるお前が受けていないとは考えにくい」


「私は、聖女としての振る舞いについて指導を受けました」


「言い換えるな」


 刃が、低く震えた。


 ミコトの瞳が、ほんの少しだけ揺れた。


「お前は、自分の力の危険性を知っていたのか」


 沈黙。


 今度は長かった。


 ミコトは、ゆっくりと息を吐く。


「……そういう可能性があるとは、聞きました」


 刃は鳴らなかった。


 認めた。


 会議室の空気が、重く沈む。


 クララが小さく呟いた。


「知っていたんだ……」


 マーヤは唇を噛んでいる。


 バルトは腕を組んだまま、冷たい目でミコトを見ていた。


 エルハルトは目を閉じた。


 彼にとっても、重い答えだったはずだ。


 ミコトは静かに続けた。


「ですが、可能性です。私が望んだものではありません」


「望んだかどうかは、まだ聞いていない」


 俺は言った。


「知っていたかどうかを聞いた」


 ミコトは黙った。


 その沈黙が、答えだった。


 エルハルトが書記に命じる。


「聖女候補時代の加護制御訓練記録を確認します」


 ミコトの視線が、初めてはっきりと動いた。


「加護制御訓練記録まで必要ですか」


「必要です」


 エルハルトは即答した。


「聖女様が《白き信仰》の性質と危険性について、いつ、どの程度説明を受けたのか確認します」


「古い訓練記録です。残っていないかもしれません」


 刃が鳴った。


 ミコトはすぐに口を閉じた。


 エルハルトの顔が険しくなる。


「残っていますね」


 ミコトは目を伏せた。


「……聖女候補管理室の古い棚に、あるかもしれません」


 まただ。


 ある。


 だが、最初は曖昧にする。


 いつもそうだ。


 完全には嘘をつかない。


 けれど、最初に白い布をかける。


 エルハルトは神殿兵へ指示を出した。


「聖女候補管理室の加護制御訓練記録を封鎖。ミコト様の候補時代記録をすべて保全してください。ギルド立会いで確認します」


 神殿兵が走っていく。


 ミコトはその背中を見送った。


 白い顔のまま。


 けれど、目の奥には明らかに硬さがあった。


 しばらくして、記録箱が運ばれてきた。


 古い木箱だった。


 表面には、白い花の印と、青い管理印。


 聖女候補管理室。


 ミコト候補。


 加護制御訓練。


 そう書かれた札が付いている。


 エルハルトが封印を確認し、記録水晶に映す。


 それから箱を開いた。


 中には、数冊の薄い帳面と、訓練報告書が入っていた。


 俺は息を整える。


 ここにあるのは、過去だ。


 ミコトが、自分の力をどこまで知っていたか。


 それを示す記録。


 エルハルトが一冊目を開く。


『聖女候補ミコト 加護制御訓練記録』


『主加護:《白き信仰》』


『訓練目的:信仰流入の制御、過剰聖性化の抑制、負性視線転換反応の監視』


 負性視線転換反応。


 その言葉が出た瞬間、会議室が静まり返った。


 エルハルトの声が少し震える。


「続けます」


『訓練一日目』


『通常祈願に対する聖性増幅、正常』


『感謝反応、正常』


『不安反応、やや過剰』


『疑念集中時、聖性増幅が急上昇』


『候補者へ説明』


『被疑対象を作らないこと』


『疑念が一名へ集中する場では、加護使用を控えること』


 クララの顔が強張った。


「被疑対象を作らないこと……」


 マーヤが拳を握った。


「ちゃんと書いてある」


 俺はミコトを見る。


 ミコトは目を伏せていた。


「説明を受けているな」


 俺が言うと、ミコトは静かに答えた。


「はい」


 刃は鳴らない。


 エルハルトは次のページをめくる。


『訓練二日目』


『候補者ミコト、疑念反応時の聖性増幅を自覚』


『本人申告:周囲の不安が自分へ流れ込む感覚あり』


『指導:流入感覚が発生した場合、祈祷を中断し、被疑対象への疑いを解く行動を優先すること』


 俺はその一文を見た。


 被疑対象への疑いを解く行動を優先すること。


 あの日。


 現世で俺が疑われた時。


 美琴は、疑いを解いたか。


 違う。


 俺が無罪になった後ですら、あいつは笑った。


「なら、よかったじゃない」


 胸の奥で、怒りが静かに燃える。


 エルハルトはさらに読む。


『訓練三日目』


『実地想定』


『状況:候補者に不利益が生じる場面で、周囲が第三者を疑う』


『結果:候補者の聖性、通常値の二・一倍へ上昇』


『候補者ミコト、泣くことで周囲の庇護反応が強まると申告』


 その言葉に、クララが息を詰めた。


 バルトが低く呟く。


「泣くことで、庇護反応が強まる……」


 エルハルトの手が止まった。


 彼自身も読むのが苦しそうだった。


 だが、俺は言った。


「続けてください」


 エルハルトは頷く。


『指導:涙や沈黙は、周囲の疑念を特定対象へ誘導する場合がある』


『注意:候補者は、自身の恐怖や悲しみが他者への疑いを強める可能性を理解すること』


『候補者確認署名あり』


 署名欄。


 そこには、確かに名前があった。


『ミコト』


 ミコト本人の字。


 清らかに整えられた署名。


 マーヤが祈りの箱から出た筆跡資料と照らす。


「一致します。少なくとも、本人の署名で間違いないと思う」


 エルハルトも頷いた。


「聖女様。これはあなたの署名ですね」


 ミコトは目を閉じた。


「はい」


 刃は鳴らない。


 俺は机に手を置いた。


「つまり、お前は知っていた」


 ミコトは答えない。


「自分が泣けば、周囲が誰かを疑うことを」


 沈黙。


「自分の恐怖や悲しみが、他者への疑いを強めることを」


 沈黙。


「そして、誰かが疑われるほど、自分の聖性が増すことを」


 ミコトは、ゆっくり顔を上げた。


「知っていたからこそ、気をつけようとしていました」


 刃は鳴らない。


 その言葉も本当なのだろう。


 かつては、気をつけようとしたのかもしれない。


 あるいは、そう思った瞬間だけはあったのかもしれない。


 だが。


「なら、なぜ繰り返した」


 俺は言った。


 ミコトの目が動く。


「トビーが疑われた時、お前は疑いを解いたか」


「私は、詳しい事情を知りませんでした」


「マルドゥクが罪を被った時、お前は自分への聖性流入を止めたか」


「祈祷は終えていました」


「サーシャが断罪された時、お前は『私のために背負った』と言ったか」


 ミコトは黙った。


「オルグが記録を消した時、お前は『記録が人を傷つけることもあります』と言った」


「それは、サーシャを思って」


「リーネを神殿へ戻そうとした時、お前は『私は責めるつもりはありません』と伝えた」


「私は本当に責めるつもりは」


「言葉だけなら、全部綺麗だ」


 俺の声は、自分でも驚くほど低かった。


「だが、お前は知っていた」


 会議室に、俺の声だけが響く。


「自分の言葉が、周囲をどう動かすか」


「自分の涙が、誰かへの疑いを強めることを」


「自分が悲しめば、周囲が勝手に罪を探すことを」


「そして、その疑いが自分の聖性になることを」


 ミコトは動かない。


 白い顔のまま。


 だが、もう完全には白く見えなかった。


 エルハルトが、訓練記録の最後のページを開いた。


『総合所見』


『候補者ミコトは、《白き信仰》の制御に高い適性を示す』


『一方で、不安・疑念・庇護反応に対する聖性増幅が強い』


『被疑対象を生じさせる場面での加護使用は厳重注意』


『候補者本人へ説明済』


『本人回答:疑いを祈りに変えないよう努める』


 その下に、署名。


『ミコト』


 俺はその言葉を見た。


 疑いを祈りに変えないよう努める。


 そう書いている。


 自分で。


 分かっていた。


 疑いが祈りに変わることを。


 他人の罪が、自分の聖性になることを。


 ミコトは、最初から無知ではなかった。


 エルハルトは声を絞り出すように言った。


「聖女様。あなたは、《白き信仰》が他者への疑いを聖性へ変える危険性を、候補時代から説明されていました」


「……はい」


「また、疑念が一名へ集中する場では、加護使用を控えるよう指導されています」


「はい」


「涙や沈黙が、周囲の疑念を特定対象へ誘導する可能性があることも、説明されています」


「はい」


 ひとつずつ、ミコトは認めていく。


 その声は静かだった。


 崩れない。


 まだ、崩れない。


「ですが」


 来る。


 俺はそう思った。


 ミコトは顔を上げる。


「私は、人を陥れるために涙を使ったことはありません」


 刃は鳴らなかった。


 会議室が、重く沈む。


 本人の中では、そうなのだ。


 人を陥れるためではない。


 自分を守るため。


 民を導くため。


 混乱を避けるため。


 悲しかったから。


 怖かったから。


 救いたかったから。


 あいつの中では、いつも言葉が白い。


「そうだろうな」


 俺は言った。


 ミコトが俺を見る。


「お前は、人を陥れるためだとは思っていない」


 俺は机の上の訓練記録を指した。


「だが、知っていた」


 次に、湿地の証拠を指す。


「そして、同じ構造が起きた」


 次に、ペンダントを指す。


「現世でも、同じ構造が起きた」


 俺はミコトを見た。


「お前がどう思っていたかではなく、何が起きたかを証明する」


 ミコトは静かに言った。


「それでも、私が意図していた証拠にはなりません」


「ああ」


 俺は頷いた。


 その通りだ。


 まだ足りない。


 知っていたことは証明できた。


 危険性を説明されていたことも。


 現世で俺に向いた疑いがミコトの聖性になったことも。


 湿地で同じ構造が起きたことも。


 だが、最後の一点。


 ミコトが、その構造を利用すると選んだ証拠。


 それが必要だ。


 ミコトはそれを分かっている。


 だからまだ白い顔で座っている。


「レン・クゼ様」


 ミコトが言った。


「あなたは、私が恐ろしい人間だと思いたいのでしょう」


「違う」


「違いません。あなたは、現世で私に傷つけられたと思っている」


 クララが声を上げかけた。


 俺は手で制した。


 ミコトは続ける。


「私は、あの時本当に怖かった。あなたが違うと言うなら、そうだったのかもしれません。けれど、私の恐怖も本物でした」


 刃は鳴らない。


 そこは本物。


 何度も聞いた。


 だが、俺はもう揺れない。


「恐怖は罪じゃない」


 俺は言った。


「だが、恐怖の後で何をしたかは、罪になる」


 ミコトの表情が、ほんの少しだけ固まった。


「お前は現世で、俺が無罪になった後、何を言った」


 ミコトの目が、一瞬だけ動いた。


 それはごく小さな反応だった。


 だが、俺は見逃さなかった。


 覚えている。


 あいつも、覚えている。


 俺は続けない。


 まだだ。


 ここで俺の記憶だけを出しても、証拠としては弱い。


 必要なのは、ペンダントの記録だ。


 あの日の会話まで、この聖具が覚えているか。


 それを調べる必要がある。


 イーリスが、ペンダントを見つめていた。


「……もしかすると」


「何か分かるのか」


 俺が聞くと、彼女は慎重に答えた。


「聖具の奥に、もう一層あります」


「もう一層?」


「最初の疑念集積反応の後、時間を置いて小さな再反応があります。大きな聖性増幅ではありません。ですが、持ち主の感情と言葉に近い痕跡が残っている可能性があります」


 心臓が鳴った。


「読み取れるのか」


「すぐには無理です。聖具を傷つけずに深層を開くには、専用の鑑定陣が必要です」


 エルハルトが言う。


「どこにありますか」


「魔道具組合の鑑定室です。外部鑑定としてなら使用できます」


 ミコトが口を開いた。


「聖具の深層を開くのは危険です」


 全員の視線が彼女へ向いた。


 ミコトは静かに続ける。


「聖具は、持ち主の魂にも関わるものです。無理に開けば、記録が壊れるかもしれません」


 刃は鳴らなかった。


 危険は本当なのだろう。


 だが、同時に。


 開かれたくないのも本当だ。


 俺はペンダントを見る。


 美琴が現世で落としたもの。


 俺が拾ったもの。


 この世界まで俺と一緒に来たもの。


 被疑対象が俺だと証明したもの。


 その奥に、まだ何か残っている。


 あの日の後。


 無罪判決の後。


 美琴が俺に向けた、あの軽い笑み。


「なら、よかったじゃない」


 その痕跡が残っているなら。


 ミコトの最後の逃げ道を潰せる。


 エルハルトが宣言した。


「白環のペンダントを外部鑑定室へ移送します。目的は深層記録の確認。立会人は、ギルド、監査官、外部聖具鑑定士。聖女ミコト様には同席を求めます」


 ミコトの表情は変わらない。


 だが、ほんの少し。


 白い指が、重ねた手の上で強く握られた。


 俺はそれを見た。


 やっとだ。


 ようやく、あいつが本当に触れられたくない場所に近づいている。


 知っていたことは証明した。


 次は、知った上で何を選んだかを証明する。


 嘘は、全部を消せない。


 候補時代の訓練記録も。


 削られた所見も。


 聖具の奥に沈んだ声も。


 全部、まだ残っている。


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