第42話 異界修行の記録
異界修行。
その言葉は、会議室の空気を変えた。
湿地。
黒泥。
第二箱。
禁書記録。
再祈祷。
そこまで積み上げてきた証拠が、突然、俺の過去へ手を伸ばしてきたようだった。
現世。
駅。
集まる視線。
白羽美琴。
そして、俺の手元に残った銀色のペンダント。
机の上に置かれたそれは、白く光っている。
だが、光の奥には、かすかに黒い濁りがある。
俺はその濁りから目を離せなかった。
あの日、俺に向けられた疑いが、まだそこに残っているように見えた。
「異界修行の記録を確認します」
エルハルト監査官が、硬い声で言った。
「聖女ミコト様。聖具貸与記録、異界修行報告、帰還後聖性測定記録。この三点の提出を求めます」
ミコトは静かに座っていた。
白い衣。
清らかな顔。
だが、さっきまでの余裕は薄い。
ペンダントが出てから、ほんの少しだけ変わった。
表情は崩れていない。
けれど、沈黙の長さが違う。
「古い記録です」
ミコトは言った。
「残っているかは、分かりません」
俺の内側で、刃が鳴った。
短く、鋭く。
クララが息を呑む。
マーヤがペンダントを見たまま、眉を寄せる。
エルハルトの声が低くなる。
「残っているのですね」
ミコトは目を伏せた。
「……聖具貸与記録と帰還後測定記録は、聖具庫に保管されていると思います。ただ、異界修行報告は、私的な内容を含むため、閲覧制限があるはずです」
「監査権限で確認します」
「必要ですか」
ミコトの声は穏やかだった。
だが、その穏やかさの奥に、硬いものがある。
「湿地の件と、私の異界修行は別です」
刃が鳴った。
もう一度。
今度は、会議室全体に響いた。
ミコトの指先が、ほんのわずかに動く。
俺はその反応を見て、静かに言った。
「別ではない」
「……なぜ、そう思うのですか」
「あなたの力が同じだからだ」
俺は机の上に並ぶ記録を指した。
「誰かが疑われた時、あなたへの信仰が増えた」
次に、ペンダントを指す。
「この聖具にも、誰かに向けられた疑いが、聖性へ変わった痕跡がある」
ミコトは黙った。
「現世で何が起きたのか」
俺の声は、自分でも驚くほど冷えていた。
「それを確認する必要がある」
エルハルトが立ち上がった。
「聖具庫へ向かいます。聖女様には、引き続きこの場でお待ちいただきます」
「私も行けます」
ミコトが言った。
「必要ありません」
エルハルトは即座に答えた。
その声は、監査官のものだった。
神殿の人間としてではない。
証拠を守る者としての声だ。
「記録の所在確認は、監査側とギルド立会いで行います。聖女様が同行されれば、後に『聖女様が指示した』『聖女様が触れた』という疑義が生じます」
ミコトは微笑んだ。
「私を疑う方々のために、ということですね」
「はい」
エルハルトは目を逸らさなかった。
「疑いを残さないためです」
ミコトはそれ以上、何も言わなかった。
俺たちは会議室を出た。
残るのは、神殿兵二名、書記二名、そしてギルド職員。
記録水晶は起動したままだ。
ミコトは白い顔で座り続ける。
逃げない。
抵抗しない。
それすらも、彼女を白く見せる。
だからこそ、俺は急いだ。
証拠は、白い顔ではなく、紙に残る。
聖具庫は、神殿のさらに奥にあった。
禁書棚よりも冷たい場所だった。
厚い扉。
銀の鎖。
聖紋の刻まれた錠前。
エルハルトが監査官の鍵を差し込む。
聖具管理官の老人が、震える手で二つ目の鍵を差し込んだ。
三つ目の鍵は、記録神官用だった。
オルグが拘束されているため、代理の神官が鍵を持っていた。
扉が開く。
中には、棚が並んでいた。
剣、杖、鈴、聖杯、護符。
どれも布に包まれ、番号札が付けられている。
聖具管理官の老人は、俺たちを奥へ案内した。
「異界修行用の聖具記録は、この棚です」
棚には、古い木箱がいくつも並んでいた。
その一つに、白い花の印が押されている。
管理官は箱を開け、薄い帳面を取り出した。
「聖具貸与帳です」
エルハルトが受け取る。
ページをめくる音が、静かな部屋に響いた。
聖女候補の名。
貸与された聖具。
修行先。
貸与日。
返却日。
いくつもの名が並ぶ。
その中に、あった。
『候補者名:ミコト』
『主加護:《白き信仰》』
『修行先:異界・信仰希薄領域』
『貸与聖具:白環のペンダント』
『目的:信仰なき地における聖性保持』
『副目的:無辜の魂への救済実践』
俺の指が止まった。
無辜の魂への救済実践。
クララが小さく読み上げる。
「無辜の魂……罪のない人、ってことですか」
エルハルトが頷く。
「はい。異界修行では、聖女候補が権威も奇跡も通じない世界で、ただ一人の人間として誰かを救えるかを見るとされています」
「じゃあ、本来の修行は……」
マーヤが言葉を詰まらせる。
「誰かを助けること」
俺は言った。
その声が、思ったよりも低く響いた。
誰かを救うための修行。
それなのに、あいつは俺を壊した。
俺は奥歯を噛んだ。
ここで怒りに呑まれるな。
記録を見ろ。
エルハルトが続きを読んだ。
『貸与聖具番号:WF-07』
『形状:銀環。白晶石一個。首飾り型』
『返却欄:未返却』
クララが顔を上げる。
「未返却……」
マーヤが机の上から持ってきた保全袋を開ける。
ペンダントを慎重に取り出し、聖具記録と見比べた。
「番号、あるよ」
白い石の裏側。
肉眼ではほとんど見えないほど小さな刻印。
マーヤが拡大鏡を当てる。
「WF-07」
エルハルトが息を吸った。
「一致します」
聖具管理官の老人が震える声で言った。
「その聖具は……失われたものとして処理されたはずです」
「失われた?」
バルトが低く問う。
管理官は頷いた。
「異界修行から帰還した際、ミコト様は聖具を紛失したと報告されました。異界との接続が閉じたため回収不能とされ、紛失記録が残っています」
「紛失したのに、認定されたのか」
バルトの声には怒りが混じっていた。
管理官は顔を伏せる。
「聖具紛失は重大な過失です。ですが……帰還後の聖性測定値が極めて高く、修行成果は十分と判断されました」
「聖性測定記録を」
俺が言うと、管理官は別の帳面を取り出した。
厚い紐で綴じられた測定記録。
表紙には、聖女候補帰還後検査と書かれている。
エルハルトがページをめくる。
ミコトの名がある。
『帰還者:ミコト』
『聖具:白環のペンダント 未返却』
『肉体損傷:なし』
『精神状態:一時不安定』
『聖性総量:基準値の三・二倍』
『信仰流入:異常値』
『救済実践報告:成立』
救済実践報告、成立。
その文字を見た瞬間、胸の奥が冷えた。
何が成立した。
誰を救った。
俺は壊された。
仕事も、家族も、友人も、信用も失った。
それでも、この記録では修行成功になっている。
「報告書は?」
俺の声は、ほとんど唸りに近かった。
エルハルトは管理官を見る。
「異界修行報告書を出してください」
管理官はためらった。
「そちらは封印記録です。聖女様の私的証言を含むため、閲覧には聖女本人か上位監査官の許可が……」
「監査官エルハルトの名で開示を求めます」
「ですが」
「聖具未返却、聖性異常値、湿地事件との関連疑義があります。今ここで拒むなら、拒否記録も残します」
管理官は唇を震わせた。
やがて、棚の奥から黒い封筒を取り出した。
封蝋は古い。
白い花の印。
そして、監査済みを示す青い印。
エルハルトが封印を確認し、記録水晶に映してから開封する。
中には数枚の紙が入っていた。
ミコト本人の報告書。
当時の監査官の所見。
帰還後の聖性波形。
俺は、ミコト本人の報告書を見た。
そこには、整った文字が並んでいた。
『異界修行報告』
『私は信仰なき地において、身の危険を感じる出来事に遭遇しました』
『見知らぬ男性に近づかれ、恐怖を覚えました』
『声を上げたところ、周囲の人々が私を守ってくださいました』
『私は多くの人の善意と信頼に触れ、人の祈りは形が違っても存在すると知りました』
『この経験により、私は救われる者の痛みと、守られることの尊さを学びました』
俺は紙を握り潰しそうになった。
見知らぬ男性。
近づかれた。
恐怖を覚えた。
声を上げた。
周囲が守ってくれた。
それが、あいつの報告書では救済実践になっていた。
俺が壊された事件が。
あいつが「守られる尊さを学んだ」経験になっていた。
「ふざけるな……」
声が漏れた。
クララが俺を見た。
「レンさん」
「大丈夫だ」
大丈夫ではない。
だが、倒れるわけにはいかない。
俺は紙から目を逸らさなかった。
マーヤが別の紙を見ていた。
「こっち、聖性波形です」
帰還後の測定記録。
白い線と黒い線が絡み合うような図が描かれている。
マーヤは眉を寄せた。
「これ、今ペンダントに出てる反応と似てる」
「どこがだ」
バルトが聞く。
「黒い反応が一度集まって、それが白い聖性へ変わってる。普通の信仰反応なら、祈りの波が直接白く増える。でもこれは違う」
彼女は線を指で追う。
「まず、疑いみたいな反応が一点に集まってる。その後、別方向に白い聖性が跳ね上がってる」
エルハルトが記録を読む。
「測定所見には……」
彼の声が止まった。
「どうした」
俺が聞くと、エルハルトは顔を強張らせた。
「所見の一部が削られています」
紙の端。
測定官のコメント欄。
確かに、不自然に削られている。
だが、紙の繊維にインクの跡が残っていた。
「マーヤ」
「うん」
マーヤが粉を使う。
削られた文字が、少しずつ浮かぶ。
『疑念集積反応』
『被疑対象一名』
『対象への負性視線が、候補者の聖性増幅へ転換』
会議室ではない。
聖具庫の冷たい空気の中で、誰も動けなくなった。
被疑対象一名。
対象への負性視線。
候補者の聖性増幅へ転換。
それは、ほとんど答えだった。
誰か一人に向けられた疑いが、ミコトの聖性に変わった。
それが、現世で起きた。
俺はペンダントを見た。
白い石の奥に、黒い線が走っている。
あの日の疑い。
俺へ向けられた視線。
それが、この石に残っている。
エルハルトの手が震えていた。
「これは……」
彼は言葉を失った。
神殿の監査官として、目の前の記録が何を意味するか分かっているのだろう。
聖女候補ミコトの修行成功は、純粋な救済ではない。
誰かが疑われたことによって、聖性が増幅した。
それを、当時の測定官は記録していた。
そして、その所見は削られていた。
「削ったのは誰だ」
バルトが低く言った。
管理官は慌てて首を横に振る。
「私は知りません。これは古い記録で、当時の管理は別の者が……」
刃は鳴らなかった。
少なくとも、この老人は知らない。
「当時の測定官は?」
エルハルトが聞く。
管理官は記録を確認した。
「名は、ユーデル。すでに神殿を退いています。生きていれば、北区の修道院にいるはずです」
「後で確認します」
エルハルトは記録を保全する。
俺は、さらに報告書を読み進めた。
ミコトの報告書の最後。
『異界での出来事により、私は理解しました』
『人は、不安の中でこそ清らかなものを求めます』
『恐怖の中で差し伸べられる手は、祈りと同じです』
『私は、その祈りを受け止める者になりたい』
綺麗な文章だった。
だが、俺には別の意味にしか見えない。
人は、不安の中でこそ清らかなものを求める。
その不安を作ったのが誰かを、書いていない。
誰かが疑われることで自分が清らかに見えたことを、隠している。
俺は紙を置いた。
「この報告で、ミコトは聖女認定を受けたのか」
エルハルトは測定記録を確認する。
「認定の決定打の一つです。異界修行で聖性が大きく増幅したことが、高く評価されています」
「被疑対象一名、という所見が削られた状態で?」
「……はい」
エルハルトは絞り出すように答えた。
俺は目を閉じた。
レン・クゼになる前の俺。
久世蓮だった俺。
あの日、俺は壊された。
その壊された俺の疑いが、ミコトの聖女認定の材料になっていた。
白羽美琴は、俺を踏み台にして聖女になった。
怒りで視界が赤くなりそうだった。
だが、俺は拳を握るだけにした。
まだだ。
これでも、まだミコトは言う。
自分は恐怖を感じただけ。
周囲が勝手に疑っただけ。
聖性の増幅は自分の意図ではなかった。
報告書に嘘はない。
そう言うだろう。
だから、決定打にはもう少し足りない。
意図。
あいつが、誰かが疑われるほど自分が白くなる仕組みを、帰還後に理解していた証拠。
それが必要だ。
「帰還後の補足記録は?」
俺が聞くと、管理官が怯えたように棚を探した。
「補足……測定官の追加所見なら、別綴りにあるかもしれません」
別の箱が開かれる。
中に、古い紙束が入っていた。
マーヤが一枚を取り出し、目を通す。
「これ、ユーデル測定官のメモかも」
紙は黄ばんでいる。
文字は少し癖がある。
『候補者ミコトの聖性増幅は異例』
『通常の信仰流入ではなく、負性視線の転換を伴う』
『被疑対象に強い社会的損傷が発生した可能性』
『この力は、誤用すれば他者の疑いを聖性燃料とする危険あり』
マーヤの声が震えた。
「聖性燃料……」
クララが両手を口元に当てる。
バルトが低く唸った。
「完全に今の構図じゃねえか」
エルハルトは顔を青くしていた。
俺はそのメモを見る。
他者の疑いを聖性燃料とする危険。
誰かが疑われるほど、ミコトが白くなる。
誰かの罪が、ミコトの聖性になる。
それは、俺たちが今まで見てきたものそのものだった。
トビー。
マルドゥク。
サーシャ。
オルグ。
そして、現世の俺。
「このメモは、正式記録に残っていたのか」
俺が聞くと、管理官は首を振った。
「補足箱に入っていたということは、正式採用されなかった可能性があります」
「なぜだ」
「分かりません」
刃は鳴らない。
本当に知らない。
エルハルトがメモの裏を確認する。
そこに、短い朱書きがあった。
『信仰増幅として処理』
『疑念転換の記述は不要』
『候補者の資質を損なう恐れあり』
署名はない。
だが、白い花の小さな印が押されている。
クララが呟く。
「また、白い花……」
マーヤが印を見た。
「古い。今のミコトの花印と少し違うけど、系統は同じ」
エルハルトは言った。
「聖女候補管理室の印です。当時、候補者の認定資料を扱う部署が使っていました」
「つまり」
俺は言った。
「危険性を指摘した記録は、正式認定から外された」
誰も否定しなかった。
ミコトの力は、その時点で危険だと分かっていた。
だが、聖性が高かった。
聖女として優秀だった。
だから、危険性は削られた。
そして今、同じことが繰り返されている。
誰かが疑われる。
ミコトは白くなる。
それが救いとして扱われる。
俺はペンダントを握った。
白い石が熱を持つ。
その奥にある黒い線が、わずかに濃くなった気がした。
「この聖具に残った反応と、帰還後測定記録の波形を照合できますか」
俺が聞くと、マーヤは頷いた。
「完全には専門家が必要。でも、似てることは分かる。聖具鑑定士がいれば、もっとはっきり出せる」
エルハルトがすぐに言った。
「聖具鑑定士を呼びます。神殿外部の者に依頼しましょう」
「外部?」
「はい。神殿内部では、信頼性を疑われます」
エルハルトはもう、神殿だけで守るつもりはないらしい。
その変化を、俺は黙って受け取った。
聖具庫から出る時、俺はもう一度、貸与帳を見た。
『副目的:無辜の魂への救済実践』
無辜。
罪のない者。
それが、俺だったのか。
救われるべきだったのか。
それなのに、俺は疑われた。
そして、ミコトは聖性を得た。
胸の奥で、何かが軋む。
俺は自分に言い聞かせた。
まだ、終わっていない。
怒りは証拠ではない。
だが、この記録は証拠になる。
俺たちはギルド会議室へ戻った。
ミコトは、同じ椅子に座っていた。
記録水晶の光の中で、白い顔を保ったまま。
俺たちが入ると、彼女は静かに顔を上げた。
「記録は、ありましたか」
エルハルトは答えた。
「ありました」
ミコトは目を伏せる。
「そうですか」
その声は穏やかだった。
だが、俺には分かった。
ペンダントを見た時ほどではない。
けれど、わずかに硬い。
エルハルトが記録を机に置く。
「聖具貸与記録。白環のペンダント、番号WF-07。未返却」
マーヤが保全袋のペンダントを示す。
「現物と一致」
エルハルトは続ける。
「帰還後聖性測定記録。聖性総量、基準値の三・二倍」
さらに、削られた所見を置く。
「復元された所見。疑念集積反応。被疑対象一名。対象への負性視線が、候補者の聖性増幅へ転換」
ミコトは黙っていた。
白い顔。
だが、沈黙が長い。
エルハルトは最後に、ユーデル測定官の補足メモを置いた。
「他者の疑いを聖性燃料とする危険あり」
その言葉が、会議室に落ちた。
クララはミコトを睨むように見た。
マーヤは唇を噛んでいる。
バルトは動かない。
俺は、ミコトの目だけを見ていた。
「説明してください」
エルハルトが言った。
ミコトは、静かに息を吐いた。
「当時の私は、異界で本当に恐怖を感じました」
刃は鳴らない。
そこは本当なのだろう。
「見知らぬ場所で、見知らぬ人々に囲まれ、不安でした。男性に近づかれ、怖くなり、声を上げました」
俺の拳が震える。
男性。
近づかれた。
その言葉で、自分の嘘を薄める。
ミコトは続ける。
「周囲の人々が私を助けてくれた。その祈りのような善意が、私の聖性を強めたのだと思っていました」
刃は鳴らない。
思っていた。
過去形。
また逃げ道を作る。
俺は聞いた。
「今は違うと知っているのか」
ミコトは黙った。
沈黙。
今度は長い。
俺はもう一度問う。
「誰かが疑われることで、自分の聖性が強まる。今は、それを知っているのか」
ミコトは、静かに答えた。
「……人々が不安の中で聖女を求めることは、知っています」
「言い換えるな」
刃が鳴る。
俺は立ち上がった。
「俺は聞いている。誰かが疑われるほど、お前の聖性が増すことを知っているのか」
ミコトは俺を見上げた。
白い聖女の顔で。
だが、その目の奥に、わずかに怒りがあった。
「レン・クゼ様」
「答えろ」
「あなたは、私に何を言わせたいのですか」
「真実だ」
「真実とは、あなたの望む答えですか?」
クララが立ち上がりかける。
バルトが手で制した。
俺は動かない。
「違う」
俺は言った。
「証拠と合う答えだ」
ミコトは微笑んだ。
その笑みは、ほんの少しだけ冷たかった。
「なら、証明してください」
その言葉を聞いた瞬間、胸の奥の怒りが静かになった。
ああ。
そうだ。
お前は、まだそう言える。
現世でも、俺には証明できなかった。
あの時の俺には、何もなかった。
声も届かなかった。
証拠もなかった。
だが、今は違う。
俺は机の上のペンダントを見た。
美琴が落とした聖具。
あの日の疑いを覚えている石。
まだ最後の証拠には足りない。
だが、確実に近づいている。
エルハルトが聴取を一時中断した。
「外部聖具鑑定士を呼び、ペンダントの反応と帰還後測定記録を照合します。また、ユーデル元測定官の所在を確認します」
ミコトは何も言わなかった。
ただ静かに座っていた。
だが、もう完全な白ではない。
白い衣の影に、黒い線が見え始めている。
俺はミコトを見た。
「次は、ユーデルだ」
あの日、危険性を書き残した測定官。
正式記録から削られた、もう一つの証人。
その人間がまだ生きているなら。
ミコトの力の正体に、さらに近づける。
嘘は、全部を消せない。
記録から削られた文字も。
封印された報告書も。
そして、現世で俺に向けられた疑いも。
全部、この世界まで残っていた。




