第34話 灰に残る文字
聖女ミコトの私室から持ち出された証拠は、ギルドの会議室に並べられた。
白銀草の資料。
余白を削られたページ。
祈りの間の白い幕を吊るしていた留め具。
敷物の下から見つかった紙片。
花印管理帳。
どれも、一つだけでは決定打にならない。
だが、すべてが同じ方向を向いていた。
白銀草の根。
薬効阻害。
再浄化。
民衆告知。
聖女判断。
黒泥は見えるところから消えた。
けれど、資料の中には、見えないところを残すための痕跡があった。
俺は机の前に立ち、紙片を見下ろしていた。
――根部阻害、残存。
――再浄化日程。
――民衆告知、聖女判断。
短い。
たったそれだけの言葉だ。
だが、意味は重い。
湿地の浄化は、完全ではなかった。
それは偶然ではなく、最初から想定されていた可能性がある。
白銀草の根に阻害が残る。
その後、再び浄化を行う。
民衆へ告知する。
そして、その判断を聖女が行う。
もしこれが本当なら、ミコトは湿地の傷を治し切らなかったのではない。
治し切らない形を選んだことになる。
ただし。
まだ、証明には足りない。
紙片には署名がない。
筆跡も一部だけ。
ミコト本人が書いたとは限らない。
サーシャが書いた可能性もある。
別の神官が書いた可能性もある。
ミコトはまた言える。
私は知りません。
私のために周囲が勝手に判断しました。
そう言える。
だから、俺たちはこの小さな紙片を、ただの紙片で終わらせるわけにはいかなかった。
「まず紙から見ましょう」
マーヤが机の前に座った。
薬師なのに、今は半分鑑定屋みたいな顔をしている。
小瓶。
粉。
細い金属棒。
拡大鏡。
ギルドの備品と彼女の薬師道具が、机の上に並んでいた。
エルハルト監査官は記録水晶を起動している。
バルトは腕を組み、扉の近くで立っていた。
クララは俺の横で、少し緊張した顔をしている。
リーネはまだ隔離室で休んでいる。
正式証言を終えた後、疲れが出たのだろう。
マーヤが、今日は絶対に会わせないと言い切った。
その判断は正しい。
証人は生きている。
なら、生かし続けなければ意味がない。
「この紙片、普通の神殿紙じゃないわね」
マーヤが言った。
「違うのか」
「ええ。神殿の一般書類に使う紙は、もっと繊維が粗い。これは薄くて白い。祈祷用の私信か、聖女周辺で使う上等紙」
エルハルトが頷く。
「聖女様の私室に置かれていた便箋と似ています」
「似ている、じゃなくて、ほぼ同じだと思う」
マーヤは紙片の端を光にかざした。
「透かしがある」
「透かし?」
クララが覗き込む。
マーヤは紙の下に小さな光石を置いた。
淡い光に照らされ、紙の繊維の中に薄い模様が浮かぶ。
白い花。
小さく、目立たない。
だが、確かに花の形があった。
俺は息を止めた。
「白い花……」
「聖女ミコト様の私的な便箋に使われる透かしです」
エルハルトが低い声で言った。
「ただし、聖女様本人だけが使うものではありません。侍女長、側仕え、聖女付き書記も扱えます」
「また逃げ道がある」
俺は呟いた。
「ええ」
エルハルトは苦い顔で頷く。
「しかし、少なくとも紙片が聖女周辺のものだという補強にはなります」
紙は聖女周辺。
内容は根部阻害と再浄化。
見つかった場所は、聖女の祈りの間の敷物の下。
線は太くなった。
だが、まだ本人には届かない。
「次に筆跡ね」
マーヤが紙片をそっと固定した。
エルハルトが、比較用の書類を並べる。
サーシャの署名。
リーネの報告書。
マルドゥクの管理記録。
聖女ミコトがギルドへ送った見舞い申し入れの書状。
そして、聖女ミコト本人の祈祷文写し。
正式な場で読み上げられた祈祷文らしい。
ただし、それも本人が書いたものか、写しなのかは確認が必要だ。
マーヤは一つずつ見比べた。
「紙片の字は、かなり崩してあるわね」
「わざと?」
「たぶん。筆圧が一定じゃない。普段の字じゃなくて、急いで書いたか、癖を隠して書いた感じ」
俺は紙片を見た。
確かに、文字は少し歪んでいる。
だが、読める部分はある。
根部阻害。
再浄化日程。
聖女判断。
重要な言葉だけが、残っている。
「サーシャの字と比べると?」
バルトが聞く。
「似てるところはある。でも、違う」
マーヤはサーシャの署名を指した。
「サーシャの字は角が硬い。縦線がまっすぐ。でも紙片の字は、最後の払いが柔らかい」
「ミコトの字は?」
俺が聞くと、マーヤは見舞い申し入れの書状を見た。
「こっちとは似てる」
部屋の空気が一瞬だけ止まった。
「ただし」
マーヤはすぐに続けた。
「この見舞い書状がミコト様本人の字とは限らない。侍女長が代筆した可能性もある」
やはり、逃げ道がある。
俺は奥歯を噛んだ。
近づく。
近づいている。
でも、決定打の一歩手前で必ず壁がある。
まるで、最初からそういう構造になっているみたいに。
「聖女本人の筆跡と確定できるものはないのか」
俺が聞くと、エルハルトは考え込んだ。
「公式文書は基本的に書記や侍女長が整えます。聖女様本人が書くものは、私的な祈祷文や覚え書きになりますが……それこそ私室内のものです」
「つまり、本人の筆跡を確認するには、さらに私室の中を調べる必要がある」
「はい。ただし、今回の限定確認ではそこまで認められていません」
また、手続き。
また、聖女の白い壁。
だが、ここで焦ってはいけない。
証拠が必要だ。
手順も必要だ。
手順を壊せば、ミコトはそこを突く。
不当な捜索。
聖女への私怨。
証明者の暴走。
そういう物語にされる。
「花印管理帳は?」
クララが言った。
「書き直されてるって話でしたよね。元の記録が見つかれば、何か分かるんじゃ」
「そうだな」
俺は頷いた。
「元記録か、下書きか、燃え残り」
エルハルトが表情を引き締める。
「聖女私室周辺の灰捨て場は、神殿清掃係が管理しています。確認は可能です」
「すぐ行きましょう」
俺が言うと、エルハルトは頷いた。
「ただし、灰はすでに清め場へ運ばれている可能性があります」
「清め場?」
「神殿内で出た香灰や紙屑を集め、浄化してから処分する場所です」
マーヤが眉をひそめる。
「浄化してから処分……証拠消しには便利ね」
エルハルトは否定しなかった。
「本来は清浄管理のためです。しかし、今回は急ぐべきでしょう」
俺たちは、すぐに神殿へ向かった。
ギルドから神殿までの道は、いつもよりざわついていた。
町の人々が、こちらを見ている。
レン・クゼ。
証明者。
神殿の不正を暴いた男。
聖女の周辺を調べている男。
その視線には、感謝もあれば不安もある。
だが、少しずつ別の色も混ざり始めていた。
警戒。
疑い。
聖女様をどこまで疑うのか。
そんな声が、聞こえないはずなのに耳に残る。
サーシャの言葉が思い出される。
――聖女様を憎む余所者の証明者。
まだ誰も口にしていない。
だが、いずれ誰かが言い出す。
ミコトが望めば、きっと。
神殿に入ると、空気はさらに重かった。
監査官エルハルトが前に立ち、灰捨て場の確認を命じる。
清掃係の神官は青い顔をした。
「聖女様の私室周辺の灰ですか」
「そうです。昨日から本日朝までの分を確認します」
「それは……すでに清め場へ」
「案内を」
エルハルトの声は硬い。
神官は逆らえず、神殿の裏手へ俺たちを案内した。
清め場は、神殿の裏庭の奥にあった。
石で囲まれた小さな炉。
香灰や紙屑を集め、浄化香とともに焚く場所らしい。
空気には白い煙の匂いが残っている。
煙は清らかに見えた。
だが、俺には証拠を覆い隠す白い幕に見えた。
「いつ焚いた」
エルハルトが神官に問う。
「今朝です」
「誰の指示で」
「通常の清掃手順です」
俺の掌は熱を持たない。
神官は本当にそう思っている。
「通常より早くないか」
バルトが聞く。
神官は肩を震わせた。
「それは……聖女様の私室確認が入ると聞き、清掃を徹底するようにと」
「誰が言った」
神官は迷った。
エルハルトが低く促す。
「答えなさい」
「聖女付きの補助侍女です。名は、ミリィと」
新しい名前。
ミリィ。
聖女付き補助侍女。
また一人、周囲の人間が出てきた。
「サーシャではないのか」
「サーシャ様は拘束中ですので……その後、ミリィ様が一時的に私室周辺の管理を任されています」
サーシャが落ちたら、次の者が動く。
切っても、また次の白い手が出てくる。
ミコト本人は動かない。
周りが動く。
「灰は残っているか」
マーヤが炉を覗いた。
「完全には燃えてないわね」
彼女は顔を上げ、布を口元に当てる。
「ただ、浄化香を混ぜて燃やしてる。紙の成分が壊れやすい」
「読めるか」
「全部は無理。でも、灰の中に燃え残りがあれば」
マーヤが慎重に灰を広げる。
俺たちは息を詰めて見守った。
灰。
白い灰。
黒い灰。
香の燃えかす。
紙片の欠片。
その中から、マーヤが小さな黒いものを拾い上げた。
焦げた紙片だった。
文字はほとんど読めない。
だが、端に一文字だけ残っている。
――再。
再。
再浄化か。
再祈祷か。
それだけでは分からない。
さらに探す。
もう一つ。
今度は少し大きい。
焦げた紙の中央に、かすかに文字が残っていた。
――花印、旧帳。
エルハルトの顔が変わった。
「花印の旧帳……」
「元の管理帳の下書きか」
俺が言うと、エルハルトは頷いた。
「可能性があります」
マーヤはさらに灰を探った。
指先が止まる。
小さな白い塊。
封蝋の燃え残りだった。
白い花の欠片が、わずかに残っている。
「これ、リーネの部屋や裏門の封蝋と同じ系統ね」
マーヤが言った。
「聖女様の私室周辺の灰から、白い花の封蝋が出た」
バルトの声が低くなる。
「普通なら出るものか?」
エルハルトが答える。
「私的な書簡を処分すれば出ます。ですが、今この時期に、花印旧帳に関わる燃え残りと同じ灰から出るのは重い」
重い。
だが、まだ足りない。
ミコトは言える。
私信を処分しただけ。
旧帳の下書きはサーシャのもの。
ミリィが清掃した。
私は知らない。
また逃げられる。
「もっと残ってないか」
俺が言うと、マーヤは炉の端を見た。
そこには、燃え切らずに石の隙間へ入り込んだ灰があった。
彼女は細い金属棒で慎重に掻き出す。
黒い紙片が出た。
今までのものより大きい。
端は燃えているが、中央部分が残っている。
マーヤが息を呑んだ。
「読める」
俺たちは一斉に覗き込んだ。
紙片には、乱れた文字が残っていた。
――第二箱、花印記録なし。
――旧帳より削除。
――聖女様確認済。
部屋の空気が止まった。
いや、ここは清め場だ。
屋外だ。
それなのに、空気が止まったように感じた。
聖女様確認済。
その言葉だけが、灰の中から浮かび上がっていた。
俺の胸が大きく鳴る。
近い。
今までで、一番近い。
第二箱。
花印記録なし。
旧帳より削除。
聖女様確認済。
これは、花印管理帳から第二箱の記録を削除したことを示している。
そして、その確認者として聖女様の名がある。
ただし。
またしても、逃げ道はある。
聖女様確認済。
誰が書いたのか。
何を確認したのか。
聖女本人が本当に見たのか。
それとも、サーシャがそう書いただけか。
まだ詰めなければならない。
だが、明らかに強い。
「保全を」
エルハルトが声を震わせながら言った。
書記が慌てて保全用の板を取り出す。
マーヤが紙片を慎重に乗せ、固定する。
「この紙、さっきの祈りの間の紙片と同じ透かしがあるかもしれない」
マーヤが言う。
「確認できるか」
「焦げてるから難しい。でも、端に繊維の薄い部分がある。あとで光を当てる」
バルトが神官を見た。
「この灰を焚いた時、誰か立ち会ったか」
神官は震えている。
「ミリィ様が……」
「そのミリィは今どこにいる」
「聖女様の私室前にいるはずです」
エルハルトが即座に神殿兵へ指示する。
「補助侍女ミリィを呼びなさい。身柄確認です。逃がしてはいけません」
神殿兵が走る。
神官はその場に膝をつきそうになっていた。
「わ、私は、いつも通りに灰を……」
「分かっている」
俺は言った。
「今のところ、あなたが知っていて燃やしたとは思っていない」
神官は俺を見た。
怯えた目だった。
マルドゥクの時も、セイルの時も、リーネの時も見た目だ。
自分も捨てられるかもしれない。
そう怯える目。
この神殿では、誰もがその恐怖を持っているのかもしれない。
聖女の白い光の下で。
誰かが汚れ役になることを恐れている。
「あなたは、清掃を命じられただけですか」
俺が聞くと、神官は何度も頷いた。
「はい。私は、清め場へ運ぶようにと……ただ、いつもより急ぐよう言われただけで」
「誰に」
「ミリィ様です」
俺の掌は鳴らない。
嘘ではない。
今度はミリィ。
サーシャが落ちた後、すぐに動いた補助侍女。
だが、また同じだ。
ミリィも切られるかもしれない。
補助侍女が勝手に清掃を急がせた。
聖女様は知らなかった。
そういう形にされる。
「レン」
バルトが俺の肩に手を置いた。
「焦るな」
「分かっています」
「顔が焦ってる」
俺は息を吐いた。
確かに、焦っていた。
聖女様確認済。
その文字を見た瞬間、刃が勝手に届く気がした。
でも、まだ駄目だ。
ミコト本人の筆跡。
確認の意味。
旧帳の内容。
ミリィの証言。
それらを繋げなければならない。
ここで叫んでも、ミコトは笑うだけだ。
証明できるものならどうぞ、と。
「この紙片が重要なのは間違いありません」
エルハルトが言った。
「ですが、確定には筆跡と文脈が必要です」
「ミリィを聞く」
俺は言った。
「はい」
エルハルトは頷く。
その時、走っていった神殿兵が戻ってきた。
顔が青い。
「監査官殿」
「ミリィは?」
「見当たりません」
エルハルトの顔が険しくなる。
「私室前にいたのでは」
「少し前までいたそうです。ですが、清め場へ人が向かったと聞いた直後、聖女様への薬湯を取りに行くと言って離れたと」
「どこへ」
「薬湯室には来ていません」
逃げた。
あるいは、消された。
まただ。
証言者になりそうな者が、消える。
リーネの時と同じ。
ただし、今回は早い。
こちらが灰を見つけた直後だ。
「門を閉じろ」
エルハルトが命じる。
「神殿内の出入りを一時停止。ギルドにも連絡を」
バルトがすぐに頷く。
「俺が外へ伝える」
神殿兵が慌ただしく動き出す。
清め場の空気が、一気に騒がしくなった。
マーヤは灰の紙片を保全している。
エルハルトは神殿兵に指示を飛ばしている。
バルトは外へ走る。
クララは不安そうに俺を見ていた。
「また、逃げたんでしょうか」
「分からない」
俺は答えた。
「自分の意思で逃げたのか、逃がされたのか、消されたのか」
「リーネさんみたいに……?」
「その可能性もある」
ミリィが黒幕とは限らない。
たぶん違う。
サーシャの次に動かされた駒。
灰を処分させられ、危なくなったら逃がされるか、消される。
もし捕まれば、また罪を被せられる。
補助侍女が勝手に記録を燃やした。
聖女様は知らない。
そういう物語にされる。
「ミリィを見つける必要がありますね」
クララが言った。
「ああ」
「今度は、生きてるうちに」
その言葉は小さかった。
でも、重かった。
リーネは助かった。
だが、次も助けられるとは限らない。
嘘は、証人を消そうとする。
それを止めなければならない。
俺たちは清め場を出た。
神殿内は一気に騒がしくなっていた。
門の封鎖。
侍女の点呼。
薬湯室の確認。
裏通路の見張り。
ギルドへの連絡。
その中で、遠くに白い姿が見えた。
聖女ミコト。
彼女は廊下の向こうに立ち、騒ぎを見ていた。
神官が何かを説明している。
ミコトは悲しそうに頷いていた。
まるで、また周囲の誰かが勝手に問題を起こし、自分は心を痛めているだけだという顔で。
俺と目が合った。
彼女は静かにこちらを見た。
俺は、灰の紙片を保全する板を抱えたマーヤの手元を見る。
聖女様確認済。
その文字は、まだ小さな欠片だ。
だが、確かに残った。
燃やしても残った。
清めても残った。
浄化香の灰に混ぜても、消えなかった。
ミコトは、その紙片を見ていないはずだ。
だが、俺の視線で何かを察したのかもしれない。
ほんの一瞬だけ。
本当に一瞬だけ。
彼女の微笑みが薄くなった。
そして、すぐに戻った。
「レン・クゼ様」
遠くから、ミコトが声をかけた。
廊下にいた者たちが一斉に静まる。
彼女の声は、やはり強い。
怒鳴らなくても、人を止める力がある。
「また、何か見つかったのですね」
穏やかな声。
悲しげな目。
自分も真実を望んでいるという顔。
俺は答えた。
「はい」
「それは、私に関わるものですか」
危険な質問だ。
ここで断定すれば、まだ早い。
俺は言葉を選んだ。
「あなたの周辺に関わるものです」
ミコトは少しだけ頷いた。
「そうですか」
「補助侍女ミリィが所在不明です」
「ミリィが?」
その声に、刃は鳴らない。
彼女は本当に知らなかったのか。
少なくとも、今この場でミリィが消えたことを初めて聞いた反応だった。
「心配です」
ミコトは言った。
刃は鳴らない。
これも本心。
ミリィの身を心配している。
だが、その心配が俺たちと同じ意味かは分からない。
ミリィが無事かどうか。
ミリィが何を話すか。
ミリィが自分を守れるか。
どれを心配しているのか。
「見つけます」
俺は言った。
「生きていれば、話を聞けますから」
ミコトの目が、ほんの少しだけ細くなった。
「人を疑うために?」
「違います」
俺は答えた。
「消されないために」
廊下の空気が変わった。
聖女の前で、消されるという言葉を使った。
周囲の神官たちがざわつく。
ミコトは悲しそうに目を伏せた。
「この神殿で、そのようなことがあると思われているのですね」
「すでにリーネが殺されかけました」
「それはサーシャが――」
「サーシャだけではありません」
俺は遮った。
言いすぎかもしれない。
だが、ここは引けなかった。
「マルドゥク、サーシャ、リーネ、ミリィ。問題が起きるたび、あなたの周囲の人間が一人ずつ切られていく」
ミコトは黙った。
「それでも、あなたは毎回、白い場所にいる」
廊下が静まり返る。
エルハルトが俺を見た。
バルトが戻ってきたところで、足を止める。
クララが息を呑む。
俺は、自分の言葉が危ういことを分かっていた。
証明ではない。
まだ証拠の線を口にしただけだ。
だが、ミコトも分かっているはずだ。
俺たちは近づいている。
白い場所の足元へ。
ミコトは、ゆっくりと微笑んだ。
「白い場所にいることは、罪なのでしょうか」
「いいえ」
俺は答えた。
「でも、周りだけが汚れていくなら、白さの理由は調べます」
ミコトの微笑みが、少しだけ深くなった。
「あなたは本当に、証明者なのですね」
「そうです」
「では、証明してください」
彼女は静かに言った。
「私の白さが偽物だと」
廊下に、冷たい沈黙が落ちた。
挑発。
だが、聖女の顔で言えば、それは真実への協力に見える。
俺は右手を握った。
今はまだ、刃を抜かない。
ここで抜けば負ける。
証拠が揃う前に、感情で斬れば負ける。
「そのために、ミリィを探します」
俺は言った。
ミコトは頷いた。
「彼女が無事であることを、私も祈ります」
その言葉に、刃は鳴らなかった。
祈りは本物。
ただし、誰にとって都合のいい無事なのかは分からない。
俺たちは廊下を離れた。
背後に、白い聖女の姿を残して。
神殿の門は閉じられ、捜索が始まった。
補助侍女ミリィ。
清め場へ灰を急がせた女。
花印旧帳の燃え残りを知っているかもしれない女。
聖女様確認済という文字が何を意味するのか、その答えに近い女。
彼女を見つけなければならない。
生きているうちに。
その日の夕方、ギルドへ戻った俺たちの前に、保全された紙片が並べられた。
祈りの間の紙片。
資料の余白の復元。
清め場の灰から出た燃え残り。
白い花の封蝋。
すべてが灰と焦げの匂いをまとっている。
消されたもの。
燃やされたもの。
清められたもの。
それでも残ったもの。
俺は、灰の中から拾われた文字を見つめた。
――聖女様確認済。
その一文は、まだ刃にはならない。
だが、刃の形に近づいている。
ミコト。
お前は言った。
証明してください、と。
なら、してやる。
白い場所に立つために、どれだけの人間が汚れ役にされたのか。
どれだけの記録が燃やされたのか。
どれだけの証人が消されかけたのか。
そして、そのすべてを誰が確認していたのか。
灰は、完全には消えなかった。
燃やしても、文字は残った。
清めても、紙片は残った。
祈っても、証拠は残る。
嘘は、全部を消せない。
次は、消えたミリィを探す番だ。




