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痴漢冤罪で人生を壊された男は、異世界で《証明者》となり、嘘で人々を支配する聖女を断罪する  作者: 月瀬 リュカ


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第31話 聖女の見舞い



 サーシャが拘束された後も、ギルドの会議室には重い空気が残っていた。


 聖女付き侍女長。


 それは、ミコトの周囲で動ける者の中でもかなり近い位置にいる人間だ。


 そのサーシャに対して、《証明成立》が出た。


 第二箱隠匿。


 虚偽記録誘導。


 証言妨害。


 証人危害容認。


 罪は軽くない。


 普通なら、これで聖女ミコトにも疑いの目が向く。


 だが、現実はそこまで単純ではなかった。


 サーシャは最後まで言った。


 聖女様は命じていない。


 聖女様に罪はない。


 聖女様の白さを守ることが、自分の役目だった。


 直接の命令はない。


 あるのは、聖女様のご意向。


 望み。


 空気。


 言葉にならない指示。


 それは刃で斬りにくい。


 証拠として形にしにくい。


 だからこそ、厄介だった。


 俺は机の上に並べられた証拠品を見ていた。


 第二箱。


 白い花の印が押された指示書。


 リーネの暫定証言。


 サーシャの虚偽反応記録。


 捕らえた男たちの拘束記録。


 これだけ積み上げても、まだミコト本人には届かない。


 届きそうで、届かない。


 白い衣の裾を掴んだと思ったら、光で目を逸らされる。


 そんな感覚だった。


「レン」


 クララが小さく声をかけてきた。


「少し休んだ方がいいよ」


「大丈夫だ」


「大丈夫って顔じゃない」


 そう言われて、俺は自分の頬に手を当てた。


 確かに、顔が強張っている。


 サーシャの言葉が、まだ耳に残っていた。


 ――あなたの証明には、あなたの憎しみが混じっています。


 事実だ。


 俺はミコトを憎んでいる。


 あの日、俺の人生を壊した女。


 白羽美琴。


 この世界では聖女ミコトと呼ばれ、民から祈られている。


 俺はその事実を受け入れきれていない。


 だからこそ、慎重でなければならない。


 俺の怒りは、本物だ。


 だが、怒りだけでは証明にならない。


 証拠が必要だ。


 誰にも否定できない形が必要だ。


 そうでなければ、また俺は負ける。


 あの日のように。


「リーネは?」


 俺が尋ねると、クララは少しだけ表情を和らげた。


「まだ眠ってる。でも、呼吸は落ち着いてるって。マーヤさんが、今夜を越えられれば大丈夫かもしれないって言ってた」


「そうか」


 俺は短く息を吐いた。


 リーネは生きている。


 それは、今の俺たちにとって一番大きな事実だった。


 証人としてだけではない。


 人として、生きている。


 それを忘れてはいけない。


 その時、会議室の扉が叩かれた。


 バルトが反応する。


「入れ」


 入ってきたのは、ギルド職員だった。


 顔が硬い。


 ただの報告ではないと、すぐに分かった。


「バルトさん。神殿から申し入れです」


「またか」


 バルトの声が低くなる。


「今度は誰だ」


 職員は一瞬ためらい、答えた。


「聖女ミコト様ご本人です」


 会議室の空気が止まった。


 クララが息を呑む。


 エルハルト監査官は目を閉じ、深く息を吐いた。


 バルトは眉間に皺を寄せる。


 俺の掌が、勝手に熱を持った。


 来た。


 サーシャが落ちた直後に。


 リーネがまだ正式証言を取れる状態ではない、このタイミングで。


 ミコト本人が動いた。


「用件は」


 バルトが尋ねる。


 職員は緊張した声で答える。


「リーネ様のお見舞いと、治癒祈祷を行いたいとのことです」


「治癒祈祷……」


 クララが呟く。


 それは、表向きには正しい申し入れだった。


 負傷した側仕えを心配する聖女。


 自ら見舞いに来る。


 治癒の祈りを捧げる。


 誰がそれを責められる。


 むしろ断れば、こちらが悪く見える。


 リーネを利用し、聖女の癒やしを拒む者。


 そう見られる。


 美琴らしい。


 本当に、嫌になるほど上手い。


「外にいるのか」


 バルトが聞く。


「はい。ギルド入口に、神官二名と治癒補助の者を連れておられます。それと……」


 職員は言いにくそうに続けた。


「外に、少し人が集まり始めています」


「民衆か」


「はい。聖女様がギルドに来られたと聞いて」


 バルトが舌打ちした。


 偶然ではないだろう。


 聖女ミコトが、夜にギルドへ来た。


 負傷した側仕えを見舞うために。


 その話が広がれば、民衆はどう見るか。


 慈悲深い聖女。


 部下の不祥事にも心を痛める聖女。


 傷ついた者を見捨てない聖女。


 そして、もしギルドが拒めば。


 聖女の祈りを妨げるギルド。


 証人を囲い込むレン。


 聖女を憎む余所者。


 サーシャが言った通りになる。


「どうしますか」


 クララが不安そうに俺を見る。


 どうする。


 断るのは簡単だ。


 だが、断ればミコトに利用される。


 受け入れれば、リーネに近づかれる。


 治癒祈祷の名目で、傷に残る薬効阻害反応を消される可能性もある。


 リーネの記憶に干渉できるかは分からない。


 だが、ミコトの力は本物だ。


 本物だからこそ怖い。


 俺はマーヤのいる隔離室へ向かった。


 リーネは寝台に横たわっていた。


 顔色はまだ悪いが、呼吸は落ち着いている。


 マーヤは薬瓶を整理しながら、こちらを見た。


「聞いた?」


「ああ。ミコトが見舞いに来た」


「最悪のタイミングね」


「治癒祈祷をしたいらしい」


 マーヤの顔が露骨に歪んだ。


「今は駄目」


「理由は」


「リーネさんの傷には、薬効阻害成分がまだ残ってる。私は洗浄と中和を進めてるけど、完全には抜けてない。ここで聖女の浄化や治癒が入ると、傷の状態が変わる」


「治るならいいんじゃないのか」


 クララが小さく言った。


 責める声ではない。


 純粋な疑問だった。


 マーヤは首を横に振る。


「治ること自体は悪くない。でも、何がどう治ったのか記録する前に強い力を当てると、証拠が消える。短剣に塗られていた成分が、傷口から検出されたっていう重要な証拠が弱くなる」


 俺は頷いた。


「つまり、治癒祈祷は証拠の上書きになる」


「そう。意図的かどうかは別としてね」


 意図的だろう。


 少なくとも、ミコトならそれを理解している可能性が高い。


 見える傷を癒やす。


 その行為は美しい。


 だが、同時に傷に残る証拠を消す。


 見えるものだけ消せば、民は祈る。


 また同じだ。


「リーネ本人は」


 俺が聞くと、マーヤは首を振った。


「まだ意識がはっきりしない。本人の意思確認は無理」


「なら、勝手に会わせられない」


「同感」


 マーヤはきっぱり言った。


「患者としても、証人としても、今は面会禁止」


 決まった。


 だが、ただ断れば利用される。


 こちらから条件を出す必要がある。


 俺は会議室へ戻った。


 バルト、エルハルト、クララが待っている。


「条件付きで会います」


 俺は言った。


 バルトが眉を上げる。


「リーネには会わせない。治癒祈祷も行わせない。ただし、ミコト本人には会議室で説明する。記録水晶を起動した状態で」


 エルハルトが頷いた。


「妥当です。患者保護と証拠保全を理由にすれば、拒絶ではありません」


「外の民衆には?」


 クララが聞く。


「ギルドから説明する。リーネは重傷で、薬師の判断により面会できない。聖女様の祈りはありがたいが、今は患者の安静と証拠保全を優先する、と」


 バルトが少しだけ笑った。


「証拠保全まで外に言うのか」


「言います」


 俺は答えた。


「隠すと、向こうに『拒まれた』と言われます。最初から理由を出します」


 サーシャの時と同じだ。


 隠せば刺される。


 なら、見せる。


 ただし、見せるものはこちらで選ぶ。


 バルトは頷いた。


「分かった。俺から入口に伝える」


 エルハルトは記録水晶を机の中央へ置いた。


「では、聖女ミコト様をこちらへ」


 数分後。


 会議室の扉が開いた。


 白い衣が見えた。


 聖女ミコト。


 白羽美琴。


 彼女は、夜のギルドに似合わないほど清らかな姿で入ってきた。


 白い衣。


 薄く光る髪飾り。


 穏やかな瞳。


 疲れているように見える顔。


 けれど、その疲れさえ美しく整えられている。


 周囲にいた神官たちは、深く頭を下げたまま部屋の外で止まった。


 ミコトだけが中に入る。


 彼女はまず、エルハルトへ向かって頭を下げた。


「夜分に失礼いたします」


 次にバルトへ。


「ギルドの皆様にも、ご迷惑をおかけしております」


 そして最後に、俺を見た。


 ほんの一瞬。


 表情が柔らかくなる。


 懐かしいものを見るような目ではない。


 警戒でもない。


 余裕。


 それが一番近かった。


「レン・クゼ様」


 彼女は俺の名を呼んだ。


 初めてではない。


 だが、その声で呼ばれると、胃の奥が冷える。


「リーネのことを守ってくださっていると聞きました。ありがとうございます」


 綺麗な礼だった。


 完璧だった。


 彼女は、自分がリーネを心配している聖女としてここに立っている。


 サーシャが落ちても。


 第二箱が見つかっても。


 指示書に白い花の印があっても。


 彼女だけは、まだ白い。


「リーネは重傷です」


 俺は言った。


「今は面会できません」


「もちろん、無理に会おうとは思っていません」


 ミコトはすぐに答えた。


 早い。


 用意していた答えだ。


「ただ、私の力が少しでも役に立つならと思い、参りました」


「治癒祈祷もできません」


 ミコトの眉が、ほんの少しだけ下がる。


 悲しそうな顔。


 それだけで、周囲の空気が揺れる。


 クララでさえ、一瞬だけ迷った顔をした。


 美しい悲しみ。


 人はそれに弱い。


「理由を伺ってもよろしいでしょうか」


 ミコトは静かに尋ねた。


「リーネの傷口には、薬効阻害反応が残っています。現時点で強い浄化や治癒を行うと、傷の状態が変化し、証拠保全に影響します」


 ミコトは目を伏せた。


「証拠保全……」


 その言い方は、本当に悲しんでいるように聞こえた。


「傷ついた人を前にしても、証拠を優先なさるのですね」


 クララが息を呑んだ。


 バルトの目が鋭くなる。


 エルハルトが記録水晶を見る。


 俺は、胸の奥が冷えるのを感じた。


 来た。


 そう来ると思っていた。


 人命か。


 証拠か。


 その二択に見せる。


 そして、俺を冷酷な人間にする。


「違います」


 俺は答えた。


「リーネの治療は、マーヤが行っています。今は状態が安定しつつある。だから、証拠を消す可能性のある別の力を加えないだけです」


「私の祈りが、証拠を消すと?」


「可能性があります」


「私は、リーネを助けたいだけです」


 刃は鳴らない。


 俺の掌は熱を持たなかった。


 嘘ではない。


 ミコトは、本気でリーネを助けたいと思っている。


 そのことに、俺は一瞬だけ困惑した。


 だが、すぐに理解する。


 彼女にとって、リーネを助けることと、証拠を薄めることは矛盾しない。


 リーネが生きていれば、聖女は慈悲深い。


 傷が癒えれば、証拠は弱まる。


 リーネが後で証言しても、混乱していたと言える。


 すべてが、彼女にとって都合のいい形になる。


 嘘ではない。


 だからこそ厄介だ。


「助けたいなら、今は近づかないでください」


 俺は言った。


 ミコトは静かに俺を見る。


「レン様は、私がリーネに危害を加えると思っているのですか」


 部屋の空気がさらに冷える。


 その問いは危険だった。


 はいと言えば、証明できない疑いを口にしたことになる。


 いいえと言えば、近づけない理由が弱くなる。


 俺は答えを選んだ。


「思っているかどうかではなく、証人保護の手続きです」


「手続き」


 ミコトは繰り返した。


「あなたは、随分と手続きに厳しいのですね」


「手続きがなければ、罪は誰かに押し付けられる」


 俺は返した。


「トビーのように。セイルのように。リーネのように」


 ミコトの目が、ほんのわずかに細くなった。


 だが、すぐに悲しげな顔へ戻る。


「サーシャが、あなた方にご迷惑をおかけしたと聞いています」


「迷惑ではありません。罪です」


 俺は言った。


「サーシャには《証明成立》が出ました」


「ええ」


 ミコトは胸に手を当てた。


「私も、胸が痛みます。まさか、あの子がそこまで追い詰められていたとは思いませんでした」


 あの子。


 サーシャをそう呼ぶのか。


 自分のために罪を被った侍女長を。


 切り捨てるのではなく、哀れむ。


 これも上手い。


 サーシャも被害者にする。


 追い詰められていた。


 聖女を守ろうとした。


 やり方を間違えた。


 そういう物語へ変えていく。


「追い詰めたのは誰ですか」


 俺は尋ねた。


 ミコトは俺を見る。


「誰かが追い詰めたと決まっているのですか」


「サーシャは言いました。聖女様の白さを守るのが役目だと」


「……サーシャは、とても真面目な人でした」


 ミコトの声は静かだった。


「真面目すぎて、私のために必要以上のことをしてしまったのかもしれません」


 必要以上。


 また、言葉を整える。


 第二箱を隠したことも。


 リーネを旧礼拝所へ移したことも。


 外部警護を使ったことも。


 必要以上。


 それで包む。


「サーシャは、あなたが命じていないと言いました」


 俺は言った。


「はい。私は命じていません」


 刃は鳴らない。


 本当。


「でも、望んだとも言いました」


 ミコトの表情は変わらない。


「何をでしょう」


「民が救われたと信じることを」


 ミコトは、少しだけ目を伏せた。


「それは、聖女として当然の願いです」


 刃は鳴らない。


 これも本心。


「民が救われたと信じることと、本当に救われることは違います」


 俺は言った。


「白銀草の薬効阻害は残っていた」


「完全な浄化には時間が必要です」


「見える黒泥は消えた」


「それにより、民の不安は和らぎました」


「見えるものだけ消せば、民は祈る」


 その言葉を出した瞬間。


 ミコトの瞳が、ほんの少しだけ揺れた。


 ほんの一瞬。


 だが、見えた。


 エルハルトも気づいたのか、記録水晶へ視線を落とす。


 ミコトは静かに言った。


「その言葉を、どこで?」


「リーネが証言しました」


「リーネは重傷です。意識が混乱していたのでは?」


 刃は鳴らない。


 彼女は本気で、そう言える余地があると思っている。


 いや、そう思っているというより、その逃げ道を当然のものとして使っている。


「旧礼拝所の指示書にも、似た文言がありました」


 俺は続けた。


「見える穢れを優先」


「儀式の手順としては、不自然ではありません」


 マーヤが会議室の入口に現れた。


 いつの間にか来ていたらしい。


 彼女は冷たい声で言った。


「不自然です」


 ミコトがマーヤを見る。


「あなたは?」


「薬師のマーヤです。黒泥と白銀草の反応を調べました」


「そうですか。リーネの治療もあなたが?」


「はい」


「ありがとうございます」


 ミコトは丁寧に頭を下げた。


 マーヤは表情を変えなかった。


「見える穢れを優先する浄化は、薬効阻害を残します。湿地で起きたことと一致します。治癒でも同じです。見える傷だけ塞げば、患者は治ったように見える。でも中に残った阻害を無視すれば、後で悪化する」


 ミコトは穏やかに答える。


「だからこそ、私が祈りを」


「今は不要です」


 マーヤははっきり言った。


「薬師として、患者への接触を禁じます」


 ミコトの顔に、悲しみが浮かぶ。


「私の力は、信用していただけないのですね」


「力は本物だと思います」


 マーヤは即答した。


「でも、使い方を信用していません」


 会議室に沈黙が落ちた。


 クララが目を見開く。


 バルトは小さく息を吐いた。


 エルハルトの顔が引き締まる。


 ミコトは、しばらくマーヤを見ていた。


 そして、柔らかく微笑んだ。


「率直な方ですね」


「仕事なので」


「では、患者のために、あなたの判断を尊重します」


 あっさり引いた。


 それが逆に怖かった。


 ミコトは無理に押し通さない。


 押し通せば疑われると分かっている。


 だから、譲る。


 譲った姿を見せる。


 聖女は薬師の判断を尊重した。


 これでまた、彼女は綺麗になる。


「ただ」


 ミコトは続けた。


「リーネが目覚めたら、伝えてください。私は、彼女を責めるつもりはありません、と」


「責める?」


 俺が聞き返す。


「ええ」


 ミコトは悲しそうに目を伏せた。


「彼女もきっと、苦しんでいるでしょう。サーシャに命じられ、第二箱の件に関わり、結果として多くの混乱を招いた。自分を責めているはずです」


「あなたがそう言うと、リーネの罪が強調されますね」


 俺が言うと、ミコトは目を上げた。


「そんなつもりはありません」


 刃は鳴らない。


 本当にそんなつもりではない。


 いや、違う。


 彼女にとっては、それが自然なのだ。


 リーネも罪を背負う側。


 サーシャも罪を背負う側。


 マルドゥクも罪を背負う側。


 自分は彼らを哀れむ聖女。


 それが彼女の中の自然な物語なのだ。


「リーネは証人です」


 俺は言った。


「罪を問うかどうかは、証言と証拠を確認してからです」


「もちろんです」


 ミコトは頷いた。


「ですが、罪があっても、私は彼女を見捨てません」


 綺麗な言葉。


 周囲に聞かせるための言葉。


 会議室の外にいる神官たちにも、ギルド職員にも届くような声。


 俺は、その言葉の奥にあるものを見た。


 見捨てない。


 つまり、彼女はまだリーネを自分の物語の中に戻そうとしている。


 罪を犯したが、聖女に許される側仕え。


 そうなれば、リーネの証言はまた弱くなる。


 聖女に許された者が、聖女を責めるのか。


 そんな空気が生まれる。


 見舞いも。


 祈りも。


 許しも。


 全部、証人を包み込むための白い布だ。


「リーネへの伝言は記録します」


 俺は言った。


「そのまま伝えます。ただし、彼女にどう受け取らせるかは、あなたには決められない」


 ミコトは微笑んだ。


「もちろんです」


 その時、会議室の外からざわめきが聞こえた。


 バルトが職員へ目配せする。


 職員が外を確認し、戻ってきた。


「外の民衆に、聖女様がリーネ様を見舞いに来られたことが広がっています」


「早いな」


 バルトが低く言う。


 職員は困った顔をした。


「聖女様が治癒を断られたという噂も……」


 ミコトが悲しそうに目を伏せる。


 俺はすぐに言った。


「ギルドから正式に説明を出してください」


 職員が俺を見る。


「リーネは薬師の管理下にあり、状態安定のため面会と外部治癒を一時停止している。聖女ミコト様は薬師の判断を尊重し、祈りを控えられた。そう伝えてください」


 ミコトがこちらを見る。


 俺は続けた。


「あなたが薬師の判断を尊重したことも、きちんと伝えます」


 ミコトの微笑みが、ほんの少しだけ固まった。


 彼女は外へ向けて、断られた聖女になるつもりだったのかもしれない。


 だが、こちらが先に「薬師を尊重した聖女」として発表すれば、攻撃の材料にはしにくい。


 綺麗な姿を、こちらから固定する。


 彼女の逃げ道を、少しだけ狭める。


「ご配慮に感謝します」


 ミコトは言った。


 刃は鳴らない。


 感謝は本物らしい。


 自分を綺麗に見せる発表なのだから、当然かもしれない。


「では、私はこれで失礼します」


 ミコトは静かに頭を下げた。


「リーネの回復を、心より祈っています」


 その言葉にも、刃は鳴らなかった。


 彼女は本当に祈っている。


 自分にとって都合のいい形で、リーネが回復することを。


 ミコトが扉へ向かう。


 その背中に、俺は声をかけた。


「ミコト」


 部屋の空気が止まった。


 エルハルトが俺を見る。


 クララも、マーヤも、バルトも。


 ミコトは扉の前で足を止めた。


 ゆっくりと振り返る。


 その顔は、聖女のままだった。


「何でしょう、レン様」


「あなたは、俺のことを知っていますか」


 聞いた瞬間、心臓が強く打った。


 これは危険な質問だ。


 この場で聞くべきではないかもしれない。


 だが、聞かずにはいられなかった。


 サーシャの反応。


 ミコトの余裕。


 俺の名前を呼ぶ声。


 確認したかった。


 ミコトは、静かに微笑んだ。


「もちろんです」


 俺の掌が熱を持つ。


 だが、刃は鳴らない。


 彼女は続けた。


「あなたは、《証明者》レン・クゼ様。トビーさんの無実を証明し、湿地の真実を明らかにした方です」


 そう来る。


 俺の聞きたいことだけを外す。


 嘘ではない。


 だが、答えではない。


「そういう意味じゃない」


 俺は言った。


 ミコトは首をかしげる。


 少し困ったような顔。


 完璧な表情。


「では、どういう意味でしょう」


 答えない。


 あくまで、こちらに言わせようとする。


 俺と白羽美琴の過去を。


 この場で。


 俺の口から。


 そうすれば、サーシャが言った通りになる。


 聖女を憎む男。


 過去の恨みを持ち込んだ証明者。


 だから俺は、そこで止まった。


「いずれ証明します」


 俺は言った。


 ミコトは微笑んだ。


「証明できることなら、どうぞ」


 その声は優しかった。


 だが、俺には挑発に聞こえた。


 証明できるものならしてみろ。


 あの日と同じように。


 誰もあなたを信じない。


 そう言われている気がした。


 ミコトはもう一度頭を下げ、会議室を出ていった。


 白い衣が扉の向こうに消える。


 外の廊下で、神官たちが静かに彼女を迎える声がした。


 やがて、足音が遠ざかっていく。


 会議室に残ったのは、重い沈黙だった。


「レン」


 クララが不安そうに声をかける。


「ごめん」


 俺は先に謝った。


「少し、感情が出た」


「ううん……でも、怖かった」


「俺もだ」


 本当に怖かった。


 ミコトはまだ強い。


 力が本物だからではない。


 聖女だからでもない。


 彼女は、自分を疑う者を悪者にする方法を知っている。


 自分の白さを守るために、相手の黒さを作る方法を知っている。


 それが怖い。


「でも、収穫はあったわ」


 マーヤが言った。


「収穫?」


「ミコト様は治癒祈祷を引いた。つまり、今無理に傷を消すより、聖女としての見え方を優先した」


「それが証拠になるか」


「直接はならない。でも、行動記録にはなる」


 エルハルトが頷く。


「聖女ミコト様が、リーネへの面会と治癒祈祷を希望したこと。薬師判断により拒否されたこと。聖女様がそれを受け入れたこと。すべて記録します」


 バルトが腕を組んだ。


「外への説明も急がせる。噂が先に走ると面倒だ」


「お願いします」


 俺は頷いた。


 ミコトは、今回も白いまま帰った。


 だが、完全に好きな形にはさせなかった。


 リーネには会わせなかった。


 傷の証拠も守った。


 外への説明も、こちらが先に出す。


 小さな防衛。


 それでも、今は大きい。


「レンさん!」


 その時、隔離室の方からクララの声がした。


 いつの間にかリーネの様子を見に戻っていたらしい。


 俺たちはすぐに向かった。


 リーネが目を開けていた。


 まだ意識はぼんやりしている。


 だが、確かにこちらを見ている。


「リーネ」


 俺が声をかけると、彼女の唇が小さく動いた。


「……聖女……様……」


 胸が嫌な音を立てた。


「ミコトはここへ来た。でも、会わせていない」


 リーネの目に、涙が浮かぶ。


 恐怖か。


 安堵か。


 その両方かもしれない。


「……よかった……」


 彼女は小さく呟いた。


 ミコトに会えなくて、よかった。


 その言葉を聞いた瞬間、会議室よりも強い証拠が出た気がした。


 もちろん、まだ感情だ。


 正式な証言ではない。


 でも、リーネの中にある恐怖は本物だった。


「リーネ」


 俺は静かに言った。


「今は話さなくていい。けど、一つだけ確認したい」


 マーヤが止めようとした。


 だが、リーネはかすかに頷いた。


「あなたは、ミコトに会いたくないのか」


 リーネの目から涙がこぼれた。


 そして、彼女は小さく答えた。


「……はい」


 刃は鳴らなかった。


 嘘ではない。


「理由は、後で聞く」


 俺は言った。


「今は休め」


 リーネはまた目を閉じた。


 呼吸は乱れていない。


 マーヤが状態を確認し、小さく頷く。


「大丈夫。意識が戻ったのはいい兆候よ」


 俺は隔離室の外へ出た。


 廊下の窓から、ギルドの外が見える。


 遠くで、白い衣の一団が神殿へ戻っていくところだった。


 その中心に、ミコトがいる。


 民衆が道を空け、頭を下げている。


 彼女は静かに手を合わせていた。


 まるで、今も誰かのために祈っているように。


 俺は窓越しにその姿を見た。


 リーネは言った。


 会いたくない、と。


 聖女を恐れている。


 助けを求めるはずの相手を、恐れている。


 それは小さな証言だ。


 だが、確かに残った。


 見える傷だけではない。


 見えない恐怖にも、証拠はある。


 ミコト。


 お前は今日も白いまま帰った。


 民衆は、お前を慈悲深い聖女として見ただろう。


 でも、リーネは違った。


 お前に会えなくて、よかったと言った。


 その恐怖は、消させない。


 証言は生きている。


 傷も残っている。


 薬効阻害の反応も残っている。


 そして、俺は見た。


 お前が綺麗な見舞いの形で、証人に近づこうとしたことを。


 嘘は、全部を消せない。


 祈りでも。


 涙でも。


 白い衣でも。


 消せないものがある。


 次は、それを証明する。


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