表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
痴漢冤罪で人生を壊された男は、異世界で《証明者》となり、嘘で人々を支配する聖女を断罪する  作者: 月瀬 リュカ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
30/48

第30話 白い花の侍女長



 聖女付き侍女長サーシャ。


 彼女は、静かに会議室の中央に立っていた。


 深い紺色の侍女服。


 白い手袋。


 乱れのない髪。


 穏やかな声。


 どこを見ても、完璧に整っている。


 だが、俺の《反証の刃》は、すでに反応していた。


 リーネが生きている。


 それを聞いたサーシャは、こう言った。


 ――それは何よりです。


 その言葉に、刃は鳴った。


 嘘。


 少なくとも、彼女はリーネの無事を心から喜んではいない。


 サーシャは、俺の右手に浮かぶ透明な刃を見つめていた。


 驚きは少ない。


 警戒はある。


 だが、怯えはない。


 マルドゥクとは違う。


 彼は権威を失った瞬間に崩れた。


 サーシャは違う。


 最初から、自分の言葉だけで戦うつもりでここに来ている。


「では、始めましょう」


 俺は言った。


「聖女付き侍女長サーシャ。あなたが何を知っているのか、証明します」


 サーシャは小さく息を吐いた。


「証明者レン・クゼ様」


 声は落ち着いている。


「最初に申し上げておきます。私は、聖女ミコト様をお守りする立場です。聖女様の名誉を傷つけるような推測には、お答えできません」


「推測には答えなくていい」


 俺は返した。


「事実に答えてください」


「事実であれば」


 サーシャは微笑む。


「喜んで」


 喜んで。


 その言葉に、刃は鳴らなかった。


 彼女は本気でそう思っている。


 自分にとって都合のいい事実なら、いくらでも話す。


 都合の悪い事実は、事実ではない形に変える。


 そういう人間だ。


 エルハルト監査官が記録水晶を起動した。


 青い光が会議室の中央に浮かぶ。


 机の上には証拠品が並んでいた。


 旧礼拝所で見つかった第二箱。


 黒泥の乾いた塊。


 焦げた浄化香。


 香油瓶の破片。


 白い花の印が押された指示書。


 リーネの部屋の燃え残り。


 裏門の白い封蝋。


 捕らえた男たちの暫定供述。


 そして、リーネの証言記録。


 サーシャは、それらを一つずつ見た。


 表情は変わらない。


 だが、視線の動きだけは正直だった。


 第二箱よりも。


 黒泥よりも。


 彼女が一番長く見たのは、白い花の印が押された指示書だった。


「この指示書を知っていますか」


 俺は尋ねた。


「知りません」


 刃が鳴った。


 澄んだ音が、会議室に響く。


 サーシャの眉が、ほんの少しだけ動いた。


 エルハルトが記録水晶を見る。


「発言に反応あり」


 書記がすぐに記録する。


 俺は続けた。


「もう一度聞きます。この指示書を知っていますか」


 サーシャは少しだけ沈黙した。


 そのわずかな間に、彼女は答えを変えた。


「そのような文面のものを、見た記憶はございます」


 刃は鳴らない。


 言い方を変えた。


 知らない、ではなく。


 見た記憶はある。


 嘘から、曖昧な本当へ逃げた。


「誰が書いた」


「存じません」


 刃は鳴らなかった。


 完全な嘘ではないらしい。


 少なくとも、彼女は筆者を断定できない。


 あるいは、筆者を知らないと言える形にしている。


「では、この白い花の印は」


「聖女様の私的な花印に似ています」


 エルハルトが口を挟む。


「似ている、ではありません。これは聖女ミコト様の花印ですか」


 サーシャは、ゆっくりとエルハルトを見た。


「監査官様。花印には複数の印型がございます。聖女様がご自身でお使いになるもの。私室で保管されるもの。側仕えが代理で使用するもの。見た目はよく似ています」


「では、これはどれです」


「この場で断定はできません」


 刃は鳴らない。


 サーシャは嘘をついていない。


 だが、答えてもいない。


 彼女は「分からない」という場所へ逃げている。


 巧い。


 マルドゥクのように大声で否定しない。


 ミコトのように清らかに逃げるのとも少し違う。


 サーシャは、言葉を細かく切って逃げる。


 断定を避ける。


 責任の位置をぼかす。


 質問の形を変えさせる。


 尋問され慣れているわけではないだろう。


 だが、人を管理し、言葉で場を整えてきた人間の強さがある。


「では、質問を変えます」


 俺は言った。


「この花印を代理で押せる人間は、ミコト本人、リーネ、そしてあなた。間違いありませんか」


「通常の運用では、その三名です」


「通常ではない運用は?」


「聖女様の許可があれば、臨時に他の者が扱う場合もあります」


「その記録は?」


「私室内の管理記録になります」


「今、確認できますか」


「聖女様が休息中です。私室への立ち入りは控えるべきです」


 刃が小さく鳴った。


 サーシャの目が俺の刃へ向く。


 俺は言った。


「控えるべき、は嘘ですね」


「表現の問題です」


「違う。あなたは、私室を調べられたくない」


 サーシャは微笑んだ。


「聖女様の私室です。誰であれ、軽々しく踏み込まれたくないと思うのは当然では?」


「当然かどうかは聞いていません」


 俺は一歩前に出た。


「調べられたくない理由があるのか、と聞いています」


「ありません」


 刃が鳴った。


 今度は強い。


 会議室の空気が揺れる。


 書記の手が止まった。


 エルハルトが低い声で言う。


「サーシャ様。虚偽発言として記録されます」


 サーシャは少しだけ目を伏せた。


「……訂正します」


「どうぞ」


「聖女様の私室には、聖女様の個人的な祈祷具や書簡がございます。外部に晒すべきでないものもあるため、調べられたくない理由はございます」


 刃は鳴らない。


 嘘ではない。


 だが、足りない。


 隠したいものはある。


 それが事件に関係するかは、まだ言っていない。


「リーネの件に移ります」


 俺は言った。


「あなたは、リーネが混乱していると書状に記しました」


「はい」


「なぜ、そう判断した」


「近頃、彼女の様子が不安定でした。湿地の騒動、聖女様の認定式、神殿内の混乱。若い側仕えには重すぎたのでしょう」


「具体的には」


「物忘れが増え、指示への反応が遅くなっていました。時折、怯えたような様子もありました」


 刃は鳴らない。


 ここは本当なのか。


 リーネは実際に怯えていた。


 それをサーシャは「不安定」と呼んでいる。


 嘘ではないが、意味をすり替えている。


「怯えていた理由に心当たりは?」


「ありません」


 刃が鳴った。


 サーシャはすぐに言い直す。


「……心当たりと言えるほど確かなものはございません」


 刃は鳴らない。


 また逃げた。


 確かなものではない。


 だから知らないと言う。


 だが、心当たりはある。


「リーネは旧礼拝所で言いました。第二箱を運ぶよう命じられた。サーシャ様が、聖女様のご意向だと伝えた、と」


 サーシャは静かに俺を見る。


「リーネがそう言ったのですね」


「はい」


「彼女は混乱していたのでしょう」


 刃が鳴った。


 サーシャの目が細くなる。


「混乱していた、は嘘です」


 俺は言った。


「彼女は負傷していた。弱っていた。だが、あの証言は混乱によるものではない」


「あなたの力は、心の状態まで証明できるのですか」


「できません」


 俺は即答した。


「ただし、今のあなたの発言が嘘かどうかは分かる」


 サーシャは黙った。


 初めて、言葉が途切れた。


「では、確認します」


 エルハルトが口を開いた。


「サーシャ様。あなたはリーネに、第二箱の移動を命じましたか」


「命じていません」


 刃が鳴った。


 サーシャはすぐに続ける。


「……第二箱に関する通常の準備を伝えました」


「通常の準備?」


「認定式に必要な物資として、所定の場所へ運ぶよう手配しました」


「所定の場所とは、湿地ですか」


「一時保管場所です」


「旧礼拝所ですか」


「最終的には、そうです」


 だんだん、言葉が変わっていく。


 命じていない。


 準備を伝えた。


 一時保管。


 最終的には旧礼拝所。


 逃げ道を探しながら、少しずつ事実が出てくる。


「第二箱の中身を知っていましたか」


 俺は尋ねた。


「認定式用の香炉具材と聞いていました」


 刃は鳴らない。


 聞いていた。


 誰から聞いたのかは言っていない。


「黒泥が入っていることは」


「知りませんでした」


 刃が、小さく鳴った。


 完全な嘘ではない。


 だが、何かが引っかかった。


 俺は眉を寄せる。


 今の音は、はっきりした虚偽ではない。


 半分だけずれている。


「知らなかった、ではない」


 俺は言った。


「黒泥という名前では知らなかった。そういうことですか」


 サーシャは初めて、わずかに目を見開いた。


 それから、静かに笑った。


「鋭い方ですね」


「答えてください」


「黒泥という名では知りませんでした」


 刃は鳴らない。


「では、何として知っていた」


 サーシャは少し沈黙した。


「穢れ寄せの泥」


 マーヤが、薬室から戻ってきたところで足を止めた。


「穢れ寄せ?」


「浄化の儀式において、穢れを一か所へ集めるための補助材と説明を受けていました」


「誰に」


 サーシャは答えない。


「サーシャ様」


 エルハルトの声が厳しくなる。


「誰に説明を受けたのです」


「資料です」


「資料?」


「聖女様の私室に保管されていた浄化儀式資料です」


 私室。


 またそこだ。


「その資料を書いたのは誰ですか」


「分かりません」


 刃は鳴らない。


 サーシャは本当に知らないのかもしれない。


 あるいは、署名のない資料だったのか。


「資料に従って第二箱を動かした?」


「はい」


 刃は鳴らない。


「その結果、湿地に薬効阻害が出た」


「それは、私の専門外です」


「リーネを旧礼拝所へ移動させたのは」


「保護のためです」


 刃が強く鳴った。


 サーシャの表情がわずかに硬くなる。


「保護は嘘です」


 俺は言った。


「リーネは旧礼拝所で刺されていた。床には薬効阻害の香油が撒かれていた。外套の男二人が彼女を殺そうとした。保護ではない」


「私が刺したわけではありません」


「それは聞いていません」


 俺はサーシャを見据えた。


「リーネを旧礼拝所へ移動させた目的は、保護ではない。では何ですか」


 サーシャは沈黙した。


 刃は鳴らない。


 沈黙。


 それが、彼女の最後の壁になり始めていた。


「答えないなら、質問を変えます」


 俺は言った。


「リーネを神殿から遠ざける必要があった」


 サーシャは黙ったままだ。


 刃は鳴らない。


「リーネは、何かを知っていた」


 沈黙。


「リーネが知っていたことは、第二箱だけではない」


 サーシャの指が、白い手袋の中でかすかに動いた。


「白い幕の向こうで聞いた声」


 俺は続けた。


「見えるものだけ消せば、民は祈る」


 その瞬間、サーシャの表情から初めて微笑みが消えた。


 会議室が静まり返る。


 エルハルトが記録水晶を見る。


 バルトはいつでも動けるように構えている。


 マーヤは俺の横に立ち、鋭い目でサーシャを見ていた。


「リーネはそんなことまで話したのですね」


 サーシャの声は静かだった。


 だが、先ほどまでの整った柔らかさはない。


「話しました」


「弱っている者に、随分と酷なことをなさいましたね」


 刃は鳴らない。


 彼女は本気でそう思っている。


 リーネから証言を得た俺を責めている。


 自分が彼女を旧礼拝所へ移動させたことよりも。


 彼女が刺されたことよりも。


 証言を取られたことを、責めている。


「酷なのは、彼女を消そうとした側です」


「消そうとした、とは人聞きが悪い」


 サーシャは言った。


「私は、リーネを休ませたかっただけです」


 刃が鳴った。


 強く。


 会議室の水晶が白く揺れるほどに。


 エルハルトが告げる。


「虚偽反応、明確」


 サーシャは唇を閉じた。


 もう言い直さない。


 ごまかしきれないと判断したのだろう。


 沈黙が落ちる。


 その沈黙を破ったのは、マーヤだった。


「あなた、リーネさんが刺されたことを知ってたの?」


 サーシャはマーヤを見る。


「私は、旧礼拝所で何が起きたかまでは知りませんでした」


 刃は鳴らない。


 本当だ。


 少なくとも、刺されるところまでは知らなかった。


「では、外套の男たちは?」


 俺は聞いた。


「知りません」


 刃が鳴った。


「訂正しますか」


 サーシャは少しだけ目を閉じた。


「……外部警護の者を手配したことはあります」


「リーネを守るため?」


「第二箱を守るためです」


 刃は鳴らない。


 第二箱を守るため。


 つまり、証拠品を守るためではない。


 隠すためだ。


「その外部警護に、リーネを殺せと命じましたか」


「命じていません」


 刃は鳴らない。


 ここは本当。


 サーシャは直接、殺せとは命じていない。


「では、何と命じた」


 サーシャはしばらく黙った。


 やがて、低い声で答える。


「リーネを旧礼拝所に留め、誰にも会わせないように、と」


 刃は鳴らない。


「抵抗した場合は」


 サーシャは答えない。


「抵抗した場合は、どうしろと命じた」


 沈黙。


 俺の掌の刃が、静かに光を増す。


「答えろ」


 サーシャは、ゆっくりと息を吐いた。


「……必要な処置を取れ、と」


 クララが別室から戻ってきたところで、顔を青くした。


「必要な処置……?」


 サーシャはクララを見ない。


 俺だけを見ている。


「曖昧な命令ですね」


 俺は言った。


「殺せとは言っていない。けれど、相手が殺しても、自分はそういう意味ではなかったと言える」


「私は、殺せとは命じていません」


 刃は鳴らない。


「だが、殺される可能性は分かっていた」


 サーシャは黙った。


 俺はもう一度言う。


「リーネが殺される可能性を、分かっていた」


「……荒事になる可能性はありました」


 刃は鳴らない。


 エルハルトの顔が険しくなる。


「それを承知で、外部の者を使ったのですか」


「神殿兵を動かせば、記録が残ります」


 言ってから、サーシャは口を閉じた。


 初めての失言だった。


 記録が残る。


 つまり、記録を残したくなかった。


 エルハルトが低く言う。


「今の発言も記録されました」


 サーシャは小さく笑った。


「そうですね」


 その笑みは、もう侍女長のものではなかった。


 美しい作り物の顔が、少しずつ剥がれていく。


「サーシャ様」


 エルハルトが問う。


「あなたは、第二箱を隠し、リーネを神殿外へ移し、外部警護を使って彼女を隔離しようとした。それを認めますか」


 サーシャは答えない。


 代わりに、俺を見た。


「レン・クゼ様。あなたは、なぜそこまで聖女様を疑うのですか」


「今はあなたの話です」


「いいえ」


 サーシャの声が少しだけ強くなる。


「あなたは最初から、聖女様を見ている。マルドゥク様でも、リーネでも、私でもない。あなたが斬ろうとしているのは、聖女様です」


 会議室の空気が張り詰めた。


 サーシャは続ける。


「聖女様は、この町を救おうとなさいました。実際に、湿地の黒泥は消えた。民は安心した。それなのにあなたは、残った染みばかりを見ている」


「残った染みが、人を苦しめるからだ」


「すべてを完全に救える者などいません」


「だから、見えるものだけ消せばいいのか」


 サーシャの目が細くなった。


 俺は一歩前に出る。


「白銀草の薬効阻害は残った。リーネは殺されかけた。トビーは濡れ衣を着せられた。セイルは切り捨てられかけた。マルドゥクは罪を背負わされた。どれも、見えにくい場所へ押し込められた」


「マルドゥク様は罪人です」


「そうだ」


 俺は認めた。


「だが、罪人に全部を押し付ければ終わり、ではない」


 サーシャは黙る。


「あなたも同じだ。自分が罪を背負えば聖女は守れると思っている」


 サーシャの表情が、初めてはっきり変わった。


 怒りだった。


 静かで、冷たい怒り。


「聖女様を守ることは、私の務めです」


「罪を隠すことも?」


「聖女様に罪はありません」


 刃は鳴らなかった。


 俺は眉を寄せる。


 サーシャは本気でそう思っている。


 ミコトに罪はない。


 少なくとも、彼女の中ではそうなっている。


「では、あなたの罪は?」


 俺は聞いた。


「私は、聖女様のために必要なことをしました」


 刃は鳴らない。


 これも本心。


 サーシャは自分を悪人だと思っていない。


 いや、悪だとしても構わないと思っている。


 聖女のためなら。


 そういう顔だった。


「必要なこととは」


 俺は一つずつ確認する。


「第二箱を動かした」


 サーシャは黙る。


「リーネに命じた」


 沈黙。


「白い花の印を使った」


 サーシャの指が動く。


「裏門の通行札を出した」


 沈黙。


「荷なしと記録させた」


 サーシャの目が細くなる。


「旧礼拝所へリーネを移した」


 沈黙。


「外部警護を手配した」


 沈黙。


「抵抗した場合、必要な処置を取れと命じた」


 刃が光る。


 俺は右手を上げた。


「これで十分だ」


 サーシャは、俺の刃を見た。


 怖がってはいない。


 むしろ、受け入れるような顔をしている。


「証明するのですか」


「ああ」


「私を」


「あなたの罪を」


 俺は刃を構えた。


 透明な光が、会議室に広がる。


 机の上の証拠品が、一つずつ反応するように淡く光った。


 第二箱。


 封蝋。


 指示書。


 燃え残り。


 記録水晶。


 捕らえた男たちの供述。


 リーネの証言。


 サーシャの発言。


 それらが線で繋がる。


 マルドゥクの時と同じだ。


 ただし、今回の線はもっと細い。


 もっと白い。


 黒泥のように分かりやすく汚れていない。


 綺麗な言葉で包まれている。


 聖女のため。


 保護のため。


 秩序のため。


 民を安心させるため。


 だが、その中にあるものは同じだ。


 証拠隠滅。


 証言妨害。


 虚偽記録。


 証人への危害容認。


「反証開始」


 俺は告げた。


「対象、聖女付き侍女長サーシャ」


 証明陣が床に広がる。


 サーシャの足元に光が走る。


 彼女は逃げなかった。


 ただ、静かに立っている。


「あなたは、第二箱の移動に関与した」


 光が強くなる。


「リーネに命じ、聖女様のご意向という言葉で従わせた」


 サーシャの手袋が揺れる。


「白い花の印を用い、指示書と通行札の正当性を作った」


 会議室に、文字が浮かぶ。


「荷なしと記録させ、神殿の正式記録から痕跡を薄めた」


 エルハルトが息を呑む。


「旧礼拝所に第二箱とリーネを移し、外部警護を使って証言を封じようとした」


 サーシャは目を閉じた。


「殺害を直接命じてはいない。だが、危害の可能性を理解した上で、必要な処置を許した」


 刃が鳴る。


 今度は嘘ではない。


 証明が形になる音だった。


 空中に文字が刻まれていく。


 ――第二箱隠匿。


 ――虚偽記録誘導。


 ――証言妨害。


 ――証人危害容認。


 四つの罪名。


 マルドゥクの時ほど大きくはない。


 だが、確かに重い。


 そして、その下に。


 冷たい文字が浮かぶ。


 ――証明成立。


 会議室に、誰も声を出さなかった。


 サーシャはゆっくりと目を開けた。


 証明成立の文字を見ても、崩れない。


 膝もつかない。


 叫びもしない。


 ただ、静かに息を吐いた。


「そうですか」


 それだけだった。


 バルトが眉をひそめる。


「ずいぶん落ち着いているな」


「覚悟はしておりました」


 サーシャは答えた。


「この役目を引き受けた時から」


「役目?」


 俺は聞き返した。


 サーシャは俺を見る。


「聖女様の白さを守ることです」


 クララが震える声で言った。


「そんなの……おかしいです」


「おかしい?」


 サーシャは初めて、クララの方を向いた。


「聖女様は、人々の希望です。湿地の民は、聖女様がいなければ不安に押し潰されていたでしょう。黒泥は消えました。民は祈ることができた。それの何が悪いのです」


「リーネさんは殺されかけました!」


「それは私の望んだ結果ではありません」


「でも、そうなるかもしれないって分かってたんですよね!」


 サーシャは答えなかった。


 クララの目に涙が浮かぶ。


「人を傷つけてまで守る白さって、何なんですか」


 サーシャは静かに言った。


「必要な犠牲です」


 その言葉に、俺の中で何かが切れそうになった。


 必要な犠牲。


 また、それか。


 誰かが自分を守るために、他人を差し出す時。


 その言葉を使う。


 必要だった。


 仕方なかった。


 大きな目的のためだった。


 俺の人生も、誰かの正義のための必要な犠牲にされたのかもしれない。


 痴漢を許さない社会。


 被害者を疑わない空気。


 声を上げた女性を守る正義。


 その中で、俺の言葉は邪魔だった。


 だから消された。


 必要な犠牲として。


「サーシャ」


 俺は低く言った。


「聖女ミコトは、あなたがここまでやったことを知っているのか」


 サーシャは黙った。


「答えろ」


「聖女様は、何も命じておりません」


 刃は鳴らない。


 嘘ではない。


 やはり直接命令はない。


「聖女様は、黒泥を撒けとも、リーネを移せとも、外部警護を使えとも、命じておりません」


 刃は鳴らない。


 これも本当。


 ミコト本人は、直接は言っていない。


 サーシャは、そこを盾にしている。


「では、なぜ動いた」


 俺は問う。


「聖女様が望まれたからです」


 刃は鳴らない。


 その言葉に、会議室の空気が変わった。


 命じていない。


 だが、望んだ。


 直接の指示ではない。


 だが、周囲が動くには十分な意思。


 ミコトらしい。


 自分の手は汚さない。


 言葉を濁す。


 周囲が勝手に解釈する。


 そして問題になれば、こう言える。


 私は命じていない。


「何を望んだ」


 俺は聞いた。


 サーシャは静かに答えた。


「民が救われたと信じることを」


「本当に救うことではなく?」


「信じることも救いです」


「白銀草の薬効が戻らなくても?」


「すぐには戻らなくとも、民が希望を持てば町は保てます」


「トビーが濡れ衣を着せられても?」


「それはマルドゥク様の判断です」


 刃は鳴らない。


 そこは切り離している。


「リーネが消されても?」


「私は、消せとは命じていません」


 また刃は鳴らない。


 直接命令はない。


 だが、逃げ道の中にいる。


 ミコトも。


 サーシャも。


 言葉の隙間に立っている。


「見えるものだけ消せば、民は祈る」


 俺は言った。


 サーシャの目が揺れた。


「その言葉は、ミコトのものか」


「……聖女様は、民の心を理解しておられます」


「答えになっていない」


「レン・クゼ様」


 サーシャは俺の名を呼んだ。


「あなたは、なぜ聖女様をミコトと呼ぶのです」


 その質問に、俺は一瞬だけ止まった。


 サーシャは続ける。


「この世界で、聖女様をそのように呼び捨てにする方は多くありません。まして、あなたの声には親しみではなく、古い憎しみがある」


 会議室の空気が変わった。


 バルトが俺を見る。


 クララも、マーヤも。


 エルハルトも。


 サーシャは穏やかに言った。


「あなたは、聖女様を以前からご存じなのですか」


 俺は答えなかった。


 答えれば、この場の焦点がずれる。


 サーシャはそれを狙っている。


 自分の罪から、俺とミコトの関係へ。


 俺の個人的な感情へ。


 そうやって、証明者の中立性を揺らすつもりだ。


「今はあなたの証明です」


 俺は言った。


「いいえ」


 サーシャは静かに首を振った。


「あなたの証明には、あなたの憎しみが混じっています」


「混じっていたとしても、証拠は変わらない」


「人々はそう見るでしょうか」


 サーシャの声が柔らかくなる。


「聖女様を憎む余所者の証明者。神殿を乱し、侍女長を断罪し、聖女様にまで刃を向けようとする男。そう見られた時、あなたの証明は本当に信じられるのでしょうか」


 嫌なところを突いてくる。


 民衆は証拠だけを見るわけではない。


 誰が言ったか。


 どんな顔で言ったか。


 どんな物語に乗っているか。


 それで判断する。


 俺はそれを知っている。


 あの日、俺の言葉が信じられなかった理由も同じだ。


 俺は男だった。


 美琴は泣いていた。


 周囲が信じたい物語は、最初から決まっていた。


「サーシャ」


 俺は静かに言った。


「あなたは、俺を疑わせたいんですね」


「疑いは大切でしょう?」


 サーシャは微笑んだ。


「あなたがそう教えてくださった」


 上手い。


 本当に上手い。


 自分の罪が証明成立した直後に、俺の信用を傷つけに来た。


 ミコトを守るためなら、自分が罪人になってもいい。


 その代わり、レン・クゼの証明に私怨があると印象づける。


 そうすれば、次にミコトへ刃を向けた時、民衆は迷う。


 これは正義なのか。


 復讐なのか。


 レンは本当に証明しているのか。


 それとも、聖女を憎んでいるだけなのか。


 サーシャは、そこまで考えている。


「確かに、俺はミコトを憎んでいる」


 俺は言った。


 クララが息を呑む。


 バルトも目を細めた。


 エルハルトが記録水晶を見る。


 俺は続けた。


「でも、それと証拠は別だ」


 サーシャは何も言わない。


「俺が憎んでいようが、いまいが、第二箱はある。白い花の印はある。リーネの証言はある。あなたの発言への虚偽反応もある。外部警護の男たちもいる」


 俺はサーシャを見る。


「俺の感情で、それらは消えない」


 刃が静かに光る。


「嘘は、全部を消せない」


 サーシャは、しばらく俺を見つめていた。


 やがて、小さく笑った。


「あなたは、危険な方ですね」


「よく言われる」


「聖女様も、そう思われるでしょう」


 その言い方に、妙な引っかかりがあった。


 俺は眉を寄せる。


「サーシャ。あなたは、ミコトに俺のことを話したのか」


 サーシャは沈黙した。


 刃は鳴らない。


 答えていないからだ。


「ミコトは、俺の名前を知っているのか」


 沈黙。


 エルハルトが口を開こうとした。


 だが、その前にサーシャが言った。


「聖女様は、多くの民の名を覚えておられます」


「逃げるな」


 俺は一歩踏み込んだ。


「ミコトは、レン・クゼという名前に反応したのか」


 サーシャは、初めてはっきりと俺から視線を逸らした。


 その瞬間、俺の中で確信に近いものが生まれた。


 美琴は、俺に気づいている。


 少なくとも、ただの余所者とは思っていない。


「答えろ」


 サーシャはゆっくりと俺を見た。


 そして、静かに言った。


「聖女様は、あなたを恐れておられません」


 刃は鳴らなかった。


 俺の背筋に、冷たいものが走る。


 恐れていない。


 それは本当。


 あいつは俺を恐れていない。


 警戒はしているかもしれない。


 面倒だとは思っているかもしれない。


 だが、恐れてはいない。


 なぜなら、あいつはまだ自分が逃げ切れると思っている。


 あの日と同じように。


 周囲が自分を信じると思っている。


「そうか」


 俺は刃を下ろした。


「なら、恐れるところまで証明する」


 サーシャは微笑んだ。


「その言葉も、私怨と取られますよ」


「記録しておけばいい」


 俺はエルハルトを見る。


「俺にはミコトへの個人的な憎しみがある。それも記録してください」


「レン殿」


 エルハルトが驚いたように言う。


「隠す方が危険です」


 俺は言った。


「サーシャはそこを突いてくる。なら、最初から記録に残した方がいい」


 バルトが低く笑った。


「開き直ったか」


「事実を隠すと、後で刺されます」


 それは、自分に言い聞かせた言葉でもあった。


 俺はミコトを憎んでいる。


 それは事実だ。


 だが、憎しみだけでは証明しない。


 証明できないことは、言わない。


 証明できることだけを、積み上げる。


 それしかない。


 エルハルトはしばらく黙った後、頷いた。


「記録します。ただし、同時に、証拠品およびサーシャ様の虚偽反応も記録されています」


「お願いします」


 サーシャの顔から、わずかに笑みが消えた。


 俺を私怨で揺らす作戦は、完全には成功しなかった。


 だが、傷は残った。


 今後、ミコトを追うほどに、これは必ず問題になる。


 それでもいい。


 隠して後で暴かれるより、最初から見せた方がいい。


「サーシャ様」


 エルハルトが立ち上がった。


「証明成立を受け、あなたを監査拘束します。容疑は第二箱隠匿、虚偽記録誘導、証言妨害、証人危害容認。正式な処分は神殿監査会およびギルド立会いのもと決定されます」


 サーシャは静かに頷いた。


「承知しました」


 抵抗はしない。


 逃げもしない。


 神殿兵が近づき、彼女の両側に立つ。


 その時、サーシャは俺を見た。


「レン・クゼ様」


「何ですか」


「あなたは、聖女様に届くと思っているのですね」


「ああ」


 サーシャは、少しだけ哀れむように笑った。


「聖女様は、あなたが思うよりずっと白い場所におられます」


「白い場所?」


「ええ」


 サーシャは会議室の扉へ歩きながら、最後に言った。


「白は、汚れがついても光で飛ばせるのです」


 扉が閉まった。


 その言葉だけが、会議室に残った。


 白は、汚れがついても光で飛ばせる。


 聖女の力。


 民衆の信仰。


 美しい涙。


 清らかな声。


 それらがあれば、多少の黒い染みなど見えなくできる。


 サーシャはそう言ったのだ。


 俺は机の上の証拠品を見た。


 第二箱。


 指示書。


 白い花の印。


 リーネの証言。


 確かに、ミコト本人にはまだ届いていない。


 サーシャは落ちた。


 だが、ミコトはまだ祈祷台の上にいる。


 白い衣のまま。


 清らかな顔のまま。


 自分の周囲が崩れても、まだ白い場所に立っている。


「レン」


 クララが小さく言った。


「大丈夫?」


「大丈夫だ」


 俺は答えた。


 だが、拳は強く握っていた。


 悔しい。


 サーシャの罪は証明した。


 それでも悔しい。


 ミコトはまだ遠い。


 けれど、遠いだけだ。


 届かないわけじゃない。


 サーシャは言った。


 ミコトは命じていない。


 でも、望んだ。


 民が救われたと信じることを。


 見えるものだけ消せば、民は祈る。


 その言葉は、確かに残った。


 証拠としてはまだ弱い。


 だが、消えない。


 嘘は、全部を消せない。


 白い光で飛ばしても。


 誰かが罪を被っても。


 記録を整えても。


 燃やしても。


 灰は残る。


 声は残る。


 傷は残る。


 そして俺は、それを拾う。


 一つずつ。


 白い聖女の影は、もう輪郭を持った。


 次は、その光の中に踏み込む番だ。







評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ