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痴漢冤罪で人生を壊された男は、異世界で《証明者》となり、嘘で人々を支配する聖女を断罪する  作者: 月瀬 リュカ


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第21話 消された記録



 翌朝、ギルドの受付前には、いつもより張り詰めた空気があった。


 冒険者たちの声は普段通りうるさい。


 依頼板の前では、今日の獲物を探す者たちが肩をぶつけ合っている。


 受付では、ミレイユがいつものように淡々と書類を処理していた。


 けれど、その机の隅には、普段とは違う封筒が積まれている。


 神殿宛ての照会状。


 納入業者への確認書。


 運搬組合への問い合わせ。


 浄化香を作る工房への聞き取り依頼。


 黒泥の正体を探るための記録が、そこに集められていた。


「おはようございます、レンさん」


 ミレイユが顔を上げた。


「おはようございます」


 俺は受付前に立つ。


 隣にはクララ。


 少し後ろにバルト。


 マーヤは店で黒泥の追加検査を続けている。トビーと母親も、まだマーヤの店の奥で保護されていた。


「神殿から返答は?」


 俺が聞くと、ミレイユは一通の封筒を指で押さえた。


「来ました。ですが、予想通りです」


「予想通り?」


「はい」


 ミレイユは封筒を開き、中の書面を読み上げた。


「湿地入口浄化杭の管理記録に不備なし。認定式用物資の保管および搬入に異常なし。神殿裏倉庫内で確認された物資は、すべて正式に管理された儀式用品である」


 バルトが鼻を鳴らした。


「なんだそりゃ。全部問題ありませんって書いただけじゃねえか」


「はい」


 ミレイユは表情を変えない。


「それ以上の情報はありません。物資一覧や搬入時刻、担当者名については、神殿内部資料にあたるため開示できないとのことです」


「逃げたな」


 バルトが言う。


 俺も同じことを思った。


 だが、ミレイユは小さく首を横に振る。


「逃げたというより、こちらに答えを選ばせないための返答です。神殿の中だけで確認すれば、この一枚で終わります」


「でも、外側の記録がある」


 俺が言うと、ミレイユは頷いた。


「はい。ですので、今日は外部記録を確認します」


 彼女は机の上に三つの紙を並べた。


 一つ目は、浄化香工房。


 二つ目は、香油商。


 三つ目は、運搬組合。


「昨日のうちに、簡易照会は出してあります。正式な記録はすぐには出ませんが、聞き取りは可能です」


「俺たちはどこへ?」


「まずは香油商です。黒泥には香油反応がありました。神殿が認定式前に香油を大量に購入しているか確認します」


「神殿に香油は必要なんですか?」


 クララが聞いた。


「必要です」


 ミレイユが答える。


「儀式用の灯火、聖印の手入れ、浄化香の調合、加護の証へ塗る香りづけなど、用途はいくつかあります。だから、購入自体は不自然ではありません」


「では、何を見るんですか」


「量と日付です」


 ミレイユは書類を整えながら言った。


「いつ、どれだけ買ったのか。誰が受け取ったのか。神殿の記録と外部の記録が合うか。そこを確認します」


 俺は頷いた。


 神殿だけの記録は、神殿が好きに書ける。


 だが、外の商人の帳簿まで完全にそろえるのは難しい。


 嘘は、一つだけなら形を保てる。


 だが、関係する記録が増えるほど、どこかに歪みが出る。


「行きましょう」


 ミレイユが言った。


 俺たちはギルドを出た。


 交易町ラトルの朝は早い。


 大通りには荷車が行き交い、商人たちが店先で箱を開けている。


 昨日よりも、聖女ミコトの旗が増えていた。


 白い布に、金色の聖印。


 その下に、微笑む聖女の絵姿。


 露店の男が大声を張り上げている。


「聖女ミコト様の認定式は間もなくだ! 加護の証、旅の安全にどうだい!」


 通行人たちは足を止め、何人かは木札を買っていく。


 罪なき者を守る証。


 罪ある者を裁く証。


 そう信じられているものが、町中で売られている。


 俺は胸の奥に、小さな棘が刺さるのを感じた。


 罪なき者を守る。


 その言葉が本当なら、トビーはなぜ盗人にされた。


 俺はなぜ罪人にされかけた。


 だが、まだ言葉にはしない。


 今は証明するために歩く。


 香油商の店は、大通りから一本入った場所にあった。


 店の中には、細長い瓶が棚に並んでいる。


 甘い匂い。


 花の匂い。


 薬草の匂い。


 その中に、どこか神殿の香炉に似た匂いも混ざっていた。


 店主は痩せた中年の男だった。


 ミレイユがギルドの照会書を見せると、男は少し緊張した顔で奥の帳簿を持ってきた。


「神殿様への納品ですか」


「はい。聖女認定式に関わる可能性のある香油納入記録を確認したいのです」


「神殿様とは長い付き合いです。うちは変なものは納めてませんよ」


「あなた方を疑っているわけではありません。記録の確認です」


 その言い方は、いつものミレイユだった。


 決めつけない。


 だが、曖昧にもさせない。


 店主は帳簿を開く。


「認定式前ですからね。今月は多いですよ。白香油、清め油、灯火油……」


 ミレイユが日付を追う。


「三日前の納品はありますか」


「三日前……ええ、あります」


 店主は指で行をなぞった。


「清め油、小瓶五本。白香油、大瓶一本。受け取りは神殿の若い神官さんですね」


「名前は?」


「ここには受取印だけです。細い目の若い方でしたよ。何度か来ています」


 俺とバルトが視線を交わす。


 細い目の若い神官。


 セイル。


「その納品は、神殿側の正式注文ですか?」


 ミレイユが聞く。


「はい。神殿の印があります」


「数量は普段と比べてどうですか」


「認定式前ですから、多いのは当然です。でも……」


 店主は少し迷った。


「でも?」


「清め油の質を指定されたんです。いつもより粘りの強いものを、と」


「粘りの強い香油」


 俺は思わず呟いた。


 黒泥が水面に広がった理由。


 香油反応。


 水に沈みにくい性質。


 胸元のペンダントが、かすかに熱を帯びる。


《証拠記録》更新

証言一:香油商は三日前、神殿へ清め油小瓶五本、白香油大瓶一本を納品。

証言二:受取人は細い目の若い神官。

証言三:粘りの強い清め油を指定された。

関連候補:セイル/黒泥/香油反応/水面拡散性


 ミレイユが淡々と記録する。


「その粘りの強い清め油は、通常の儀式で使われますか?」


「使えなくはないです。ただ、煙の香りが重くなりますし、加護の証に塗ると乾きにくい。普通は少量だけです」


「小瓶五本は?」


「多いですね」


 店主は頷いた。


「認定式でたくさん灯すならあり得ますが……粘りの強いものを五本というのは、少し珍しいです」


「記録を写させていただけますか」


「写しなら構いません。ただ、神殿様に迷惑がかかるようなことは……」


「記録確認です」


 ミレイユは同じ言葉を返した。


「正確な記録は、あなたの店を守るためにも必要です」


 店主は少し考え、渋々頷いた。


 店を出ると、バルトが低く言った。


「一つ目から出たな」


「まだ直接証拠ではありません」


 ミレイユが言う。


「ですが、黒泥の性質と合う香油の納品が確認できました」


 俺は頷いた。


「受取人もセイルに近い」


「はい。ただし、まだ本人確認は必要です」


 次に向かったのは、浄化香の工房だった。


 町の外れに近い、煙突のある建物。


 中に入ると、乾いた草木の匂いと、焦げた香の匂いが鼻を突いた。


 工房の親方は、白髪混じりの女性だった。


 ミレイユが照会書を見せると、親方は眉をひそめた。


「神殿の浄化香ね。今は認定式前で忙しいんだけど」


「少しだけ確認させてください」


「神殿に納めた分なら、ちゃんと記録はあるよ」


 親方は帳簿を開いた。


「通常浄化香、二十束。高位儀式用浄化香、五束。失敗品の引き取り、なし」


 ミレイユの手が止まった。


「失敗品の引き取り、なし?」


「そうだよ。神殿は時々、失敗品も引き取るんだ。火つきが悪いものや、香りが偏ったものでも、下級の清掃や訓練用に使うってね」


「今回はなしですか」


「帳簿上はね」


 親方は不満そうに言った。


「でも、おかしいんだよ」


「何がですか」


「三日前、若い神官が来た。細い目の、背の高い男だよ。失敗品を譲ってほしいって言った」


 クララが小さく息を呑む。


 また、細い目の若い神官。


「しかし、帳簿にはなしとあります」


 ミレイユが確認する。


「ああ。正式注文じゃなかったからね。私は断った。失敗品でも神殿経由なら記録が必要だ。勝手には渡せないって言ったんだ」


「その神官はどうしましたか」


「引き下がったよ。表向きはね」


「表向き?」


 親方は奥の棚を見た。


「その日の夕方、失敗品の箱が一つ減っていた」


 空気が止まった。


 ミレイユの目が鋭くなる。


「盗難届は?」


「出してない」


「なぜです」


「中身は売り物にならない失敗品だ。工房内の数え間違いだと思った。それに、認定式前に神殿絡みの騒ぎを起こすのは面倒だった」


 親方は苦い顔をした。


「でも今思えば、騒いでおくべきだったね」


 俺は拳を握る。


 失敗した浄化香。


 焦げた匂い。


 黒泥に含まれる浄化香由来成分。


 また一つ、線が見えてきた。


《証拠記録》更新

証言四:三日前、細い目の若い神官が浄化香工房に失敗品の譲渡を求めた。

証言五:工房側は記録が必要として拒否。

証言六:同日夕方、失敗浄化香の箱が一つ減っていた。

関連候補:セイル/浄化香由来成分/黒泥/神殿非公式物資


 ミレイユが親方に向き直る。


「失敗品の箱には、何か印がありましたか」


「工房の焼印だけだよ。神殿の正式品じゃないから、聖印はない」


「箱の大きさは?」


「小さな木箱だ。女一人でも持てるくらい」


「黒い泥がついていた可能性は?」


「ここではつかない。うちは泥場じゃないからね」


「分かりました。失敗品の管理記録の写しをいただけますか」


「いいよ。ただし、私の名前は無駄に出さないでおくれ」


「必要な範囲で記録します」


 工房を出た後、クララが不安そうに言った。


「セイルさんが、香油と浄化香の失敗品を……」


「まだセイル本人とは断定できない」


 俺は言った。


「でも、特徴は一致している」


 バルトが腕を組む。


「これで偶然って言い張るのは苦しくなってきたな」


「偶然は、重なりすぎると説明が必要になります」


 ミレイユが言った。


「次は運搬組合です」


 運搬組合は、町の荷車や荷運び人を管理する場所だった。


 倉庫の前には、荷車が何台も並んでいる。


 汗を拭う男たち。


 荷札を確認する係員。


 積み下ろしを待つ木箱。


 そこには、神殿とは違う、働く人間の匂いがあった。


 組合の受付は、日に焼けた男だった。


 ミレイユが照会書を見せると、男は帳簿をめくった。


「神殿行きの荷物なら毎日ありますよ。認定式前ですからね」


「三日前から昨日までの搬入記録を確認したいです」


「はいはい……三日前、神殿裏倉庫行き。白布三箱。儀式杯一箱。加護の証束二箱。香油箱一つ」


 ミレイユが眉を動かした。


「香油箱?」


「ええ。神殿裏倉庫へ搬入。受け取りは神官セイル、とあります」


 セイル。


 名前が出た。


 クララが俺を見る。


 バルトは低く舌打ちした。


「受け取りの確認印はありますか」


「ありますよ」


 男は帳簿をこちらに向けた。


 そこには、細い文字で書かれた名前と、神殿の印があった。


 セイル。


 受取確認。


 神殿裏倉庫。


 香油箱一つ。


 ミレイユが記録する。


「香油箱の内容は?」


「中身までは知りません。荷札には『認定式用物資』とだけ」


「白札ですか?」


「ええ、白い荷札です。神殿の印つき」


 トビーの証言と一致する。


 黒泥のついた箱に貼られていた白札。


 聖女ミコト認定式用物資。


「その箱に黒い泥は?」


 俺が聞くと、受付の男は首をひねった。


「搬入時点では、汚れてませんでしたよ。うちは荷の汚れも記録します。汚れていると、後で責任問題になりますから」


「では、黒泥は神殿に入った後についた」


 俺が呟く。


 ミレイユがすぐに言う。


「可能性です」


「はい。可能性です」


 けれど、その可能性は重い。


 外から入った時点では汚れていない。


 神殿裏倉庫でトビーが見た時には黒泥がついていた。


 なら、その間に何かが起きている。


《証拠記録》更新

証言七:運搬組合記録に三日前、神殿裏倉庫行き香油箱一つの搬入あり。

証言八:受取人は神官セイル。

証言九:荷札は認定式用物資。

証言十:搬入時点で黒泥の汚れは確認されていない。

関連候補:セイル/神殿裏倉庫/認定式用物資/黒泥付着時期


 俺の胸元で、ペンダントが静かに熱を持つ。


 だが、まだ《証明成立》ではない。


 当然だ。


 ここで証明できるのは、セイルが認定式用物資を受け取ったことまで。


 黒泥を作ったこと。


 湿地へ持ち出したこと。


 マルドゥクの命令。


 聖女ミコトとの関係。


 そこまでは、まだ届いていない。


 ミレイユが運搬組合の受付へ聞く。


「同じ日に、浄化杭に関する荷物はありますか」


「浄化杭?」


 男は帳簿をめくる。


「交換用の浄化杭なら、二日前に神殿から湿地方面へ搬出予定がありました。ですが……あれ?」


「どうしました」


「線が引かれています」


 男が眉をひそめる。


「予定取り消しになっていますね」


「取り消し理由は?」


「空欄です」


 ミレイユの目が細くなる。


「担当者は?」


「神殿側の依頼印だけ。担当名は……ここ、薄くなってるな」


 男が帳簿を近づける。


 削った跡。


 書いた文字を、あとから薄く消したような跡があった。


 俺は胸がざわつくのを感じた。


「見せてください」


 男が帳簿を傾ける。


 薄い文字。


 完全には読めない。


 だが、俺の視界に、スキルの反応が浮かぶ。


《矛盾看破》反応

対象:運搬組合帳簿

項目:浄化杭搬出予定

状態:担当者名削除痕あり

判定:記録改変の可能性

備考:削除前文字列に「セ」の痕跡あり


 セ。


 それだけで断定はできない。


 だが、俺は息を呑んだ。


「担当者名が削られています」


 俺が言うと、ミレイユがすぐに帳簿を確認した。


「確かに、削除痕があります」


 受付の男が慌てる。


「ちょ、ちょっと待ってください。うちはそんな」


「あなた方を責めているわけではありません」


 ミレイユは落ち着いて言った。


「この帳簿に触れた人間は?」


「組合の係と、神殿の連絡役くらいです。神殿の方は、内容確認の時に帳簿を見ることがあります」


「神殿の連絡役の名前は?」


「最近来ていたのは、若い神官です。細い目の……」


 まただ。


 細い目。


 若い神官。


 セイル。


 ミレイユのペンが走る。


「浄化杭搬出予定に担当者名削除痕あり。削除前文字列に『セ』の痕跡。神殿連絡役として細い目の若い神官の出入りあり」


 バルトが低く言う。


「こいつはもう逃げられねえだろ」


「セイルさんについては、説明を求める必要があります」


 ミレイユの声は冷静だった。


「ですが、まだマルドゥク様には届きません」


 俺は頷いた。


「セイルを切り捨てるでしょうね」


「その可能性が高いです」


 だからこそ、もっと奥の記録が必要だった。


 誰が命じたのか。


 なぜ湿地へ浄化杭を運ぼうとし、取り消したのか。


 なぜ担当者名が削られたのか。


 俺は帳簿の削られた部分を見つめる。


 記録は消されていた。


 だが、完全には消えていない。


 消した跡そのものが、記録になっている。


 その時、胸元のペンダントが強く反応した。


《証拠記録》更新

物証十一:運搬組合帳簿に浄化杭搬出予定の取り消し記録あり。

物証十二:担当者名削除痕を確認。

推定痕跡:削除前文字列に「セ」の痕跡あり。

証言十三:神殿連絡役として細い目の若い神官の出入りあり。

関連候補:セイル/浄化杭/記録改変/湿地異常


 証拠は増えた。


 だが、胸の熱はまだ収まらない。


 何かが引っかかっている。


 俺は帳簿の前後の行を見た。


 白布三箱。


 儀式杯一箱。


 加護の証束二箱。


 香油箱一つ。


 浄化杭搬出予定、取り消し。


 その下に、小さな空白があった。


 不自然な空白。


 行を削ったような広さ。


「ここ、何か消されています」


 俺が言うと、受付の男が青ざめた。


「そんなはずは……」


 ミレイユが帳簿を覗き込む。


「確かに、一行分の間隔が不自然です」


 俺は目を凝らす。


 文字はない。


 だが、紙の表面がわずかに荒れている。


 削られている。


 インクを落とし、上からこすった跡。


 胸元のペンダントが、さらに熱を帯びた。


《矛盾看破》反応

対象:運搬組合帳簿

状態:一行削除痕あり

周辺記録:認定式用物資搬入/浄化杭搬出予定取消

判定:関連記録が削除された可能性

復元不可

備考:帳簿外の控え確認を推奨


「帳簿外の控え……」


 俺が呟くと、ミレイユがすぐに受付の男を見る。


「荷札の控えは残っていますか」


「荷札の控え?」


「搬入時、荷札の半券や控えを保存しているはずです」


「あ、あります。大きな荷なら」


「確認してください」


 男は慌てて奥へ走った。


 しばらくして、古い木箱を抱えて戻ってくる。


 中には、小さな紙片が束ねられていた。


 荷札の控え。


 日付ごとにまとめられている。


 男は三日前の束を探し、机に並べた。


 白布。


 儀式杯。


 加護の証束。


 香油箱。


 そして、もう一枚。


 少し汚れた白い札。


 端が破れている。


 そこには、薄い文字でこう書かれていた。


 聖女ミコト認定式用物資。


 第三箱。


 神殿裏倉庫。


 受取確認、セイル。


 俺の背筋に冷たいものが走った。


 トビーの証言と同じ。


 黒泥のついた箱に貼られていた白札。


 その控えが、ここに残っていた。


 だが、運搬組合の帳簿からは、その一行が消されている。


 消したつもりだったのだ。


 帳簿からは。


 だが、荷札の控えまでは消しきれていなかった。


 ミレイユが静かに息を吸った。


「記録します」


 その声は、いつもより少し硬かった。


「運搬組合帳簿から、聖女ミコト認定式用物資第三箱の記載が削除された可能性あり。荷札控えにより、三日前、神殿裏倉庫へ第三箱が搬入されたことを確認。受取確認はセイルさん」


 胸元のペンダントが熱を帯びる。


《証拠記録》更新

物証十四:荷札控えを確認。

記載:聖女ミコト認定式用物資/第三箱/神殿裏倉庫

受取確認:セイル

備考:同内容が運搬組合帳簿から削除された可能性あり。

関連候補:トビー証言/黒泥付着箱/認定式用物資/記録改変


 点が、はっきり線になった。


 トビーが見た箱は、存在した。


 神殿裏倉庫に搬入されていた。


 受け取ったのはセイル。


 そして、その記録は帳簿から消されていた。


 バルトが低く笑う。


「やっと尻尾が出たな」


「はい」


 ミレイユは荷札控えを慎重に布で包む。


「これは重要です」


 受付の男が青ざめた顔で言った。


「あの、うちに責任は……」


「記録を保管していたことは、あなた方の信用になります」


 ミレイユは言った。


「帳簿の改変については、誰が触れたかを確認します。あなた方には協力をお願いします」


「は、はい」


 俺は荷札控えを見つめていた。


 聖女ミコト認定式用物資。


 第三箱。


 第三箱。


 その言葉が引っかかる。


「第一箱と第二箱は?」


 俺が聞くと、ミレイユが顔を上げた。


「確かに。第三箱があるなら、第一、第二もあるはずです」


 受付の男が控えを探す。


 だが、出てきたのは白布や儀式杯、加護の証束の控えばかりだった。


「第一箱、第二箱という表記は見当たりません」


 男が言う。


 ミレイユが眉を寄せる。


「第三箱だけが外部搬入。第一、第二は神殿内部で準備された可能性があります」


「あるいは」


 俺は言った。


「第一、第二は別の経路で運ばれた」


 部屋の空気が重くなる。


 第三箱だけではない。


 黒泥に関わる箱は、まだ他にもあるかもしれない。


 その時、クララが小さく言った。


「第三箱が黒泥の箱なら、第一箱と第二箱には何が入っているんでしょう」


 誰もすぐには答えなかった。


 香油。


 失敗浄化香。


 黒泥。


 浄化杭。


 聖女認定式。


 嫌な想像だけが頭をよぎる。


 ミレイユが静かに言った。


「この件は、ここで一度ギルドへ持ち帰ります。荷札控えの写しを作成し、正式記録として保全します」


「神殿には?」


 バルトが聞く。


「照会します」


「正面から?」


「はい」


 ミレイユは頷いた。


「ただし、今度は質問ではありません。こちらは第三箱の荷札控えを確認しています。神殿側の搬入記録に、なぜその記載がないのか。説明を求めます」


 俺はその言葉を聞きながら、マルドゥクの顔を思い浮かべた。


 困りましたね、と微笑む顔。


 可能性ですね、と逃げる声。


 セイル、と一言で部下を黙らせた目。


 この証拠を見せた時、あいつはどう動く。


 セイルを切るか。


 運搬組合の記録不備にするか。


 それとも、別の罪人を用意するか。


 胸の奥が冷える。


 次は、あいつもただ見ているだけでは済まないはずだ。


 ギルドへ戻る道中、町では相変わらず聖女ミコトの名が飛び交っていた。


「認定式まで、あと少しだってよ」


「聖女様なら、瘴気も病も全部払ってくださる」


「神殿が準備しているんだから安心だ」


 安心。


 その言葉が、ひどく薄く聞こえた。


 神殿が準備しているから安心。


 聖女の名があるから正しい。


 白い旗があるから清らか。


 本当にそうか。


 俺は胸元のペンダントに触れた。


 荷札控え。


 削られた帳簿。


 消された一行。


 記録は消された。


 だが、真実は消えていない。


 ギルドに戻ると、ミレイユはすぐに控えの写しを作成し、封をした。


 その封筒には、ギルドの確認印が押される。


 さらに、別の紙に神殿への照会文が書かれた。


 内容は短い。


 だが、鋭かった。


 聖女ミコト認定式用物資第三箱。


 神殿裏倉庫搬入。


 受取確認、セイル。


 運搬組合帳簿には該当記載の削除痕あり。


 神殿側の管理記録に当該物資の記載がない理由を説明されたし。


 ミレイユはペンを置いた。


「これで、神殿は答えざるを得ません」


「答えますかね」


 俺が言うと、ミレイユは少しだけ目を伏せた。


「答えない場合、それも記録になります」


 なるほど。


 沈黙も、証拠になる。


 嘘をついても、証拠になる。


 帳簿を消しても、消した跡が証拠になる。


 そういう戦いだ。


 バルトが肩を回す。


「で、次は神殿の返事待ちか?」


「はい。ただし、返事が来る前に動きがある可能性があります」


「向こうが?」


「ええ」


 ミレイユは封筒を見た。


「セイルさんが問われるのは避けられません。マルドゥク様がどう動くかは分かりませんが、少なくとも、証拠を整理する時間は与えたくないでしょう」


 俺は頷いた。


 その時だった。


 ギルドの扉が乱暴に開いた。


 全員の視線がそちらへ向く。


 入ってきたのは、白い法衣の若い神官だった。


 顔が青い。


 息が乱れている。


 細い目。


 背の高い体。


 セイルだった。


 彼は入口で立ち止まり、俺たちを見つけると、喉を震わせた。


「レン・クゼさん……」


 ギルド内がざわつく。


 ミレイユがすぐに立ち上がった。


「セイルさん。何のご用件でしょうか」


 セイルは答えない。


 汗が額に浮かんでいる。


 何かを言おうとして、何度も口を閉じる。


 バルトが一歩前へ出た。


「おい。用があるなら言え」


 セイルの肩が震えた。


 そして、彼は絞り出すように言った。


「私は……」


 その声は小さかった。


「私は、命じられただけです」


 ギルドの空気が止まった。


 ミレイユのペンが、静かに紙の上へ置かれる。


 俺はセイルを見る。


「誰に」


 セイルの唇が震える。


 その瞬間、ギルドの外から鐘の音が響いた。


 神殿の鐘。


 昼でも夕方でもない、中途半端な時刻に鳴る鐘。


 町の人々が外でざわめく声が聞こえた。


 ミレイユの表情が変わる。


 受付の一人が外を見て、青ざめた顔で戻ってきた。


「神殿から告知です!」


「何の?」


 バルトが聞く。


 受付員は震える声で言った。


「湿地の瘴気が急激に広がったため、聖女ミコト様による緊急浄化が行われるそうです!」


 俺の背筋に冷たいものが走った。


 セイルは顔を歪め、床を見つめている。


 俺は胸元のペンダントを握りしめた。


 記録を追った。


 荷札を見つけた。


 消された一行を暴いた。


 だが、向こうは先に動いた。


 湿地の瘴気。


 聖女の緊急浄化。


 人々の不安。


 そして、救いの演出。


 黒泥の正体は見えた。


 消された記録も見つけた。


 だが、まだ遅いわけじゃない。


 俺はセイルを見る。


 この男は、何かを知っている。


 そして、今ならまだ話せるかもしれない。


「セイル」


 俺は言った。


「証言してください。今ここで」


 セイルの顔が歪む。


 外では神殿の鐘が鳴り続けている。


 町中が、聖女ミコトの名へ向かって動き始めていた。


 消された記録は見つかった。


 だが、真実が民の歓声に飲み込まれる前に、次の証明を始めなければならない。


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