第22話 マルドゥクの切り札
神殿の鐘が鳴っていた。
低く、重く、町中へ響く音。
普段の時刻を知らせる鐘ではない。
人の不安を呼び集める鐘だった。
ギルドの中にいた冒険者たちも、受付の職員たちも、みな扉の方を見ている。
外からは、町の人々のざわめきが聞こえてきた。
「湿地が?」
「瘴気が広がったって?」
「聖女様が浄化してくださるらしいぞ」
「やっぱり聖女様だ」
その声が、少しずつ熱を帯びていく。
不安。
期待。
救いを求める声。
それらが一つの方向へ流れ始めていた。
聖女ミコト。
その名へ。
俺は胸元のペンダントを握りしめたまま、目の前のセイルを見た。
白い法衣の若い神官。
細い目。
青ざめた顔。
震える唇。
さっきまで証拠の中にだけいた人物が、今は目の前に立っている。
「セイル」
俺は言った。
「証言してください。今ここで」
セイルの肩が震えた。
彼は一度、外の鐘の音へ視線を向ける。
それから、俺を見た。
「私は……」
声が掠れていた。
「私は、命じられただけです」
ギルド内が静まり返る。
ミレイユが書類板を構えた。
「セイルさん。これからの発言は、ギルド記録として残します。よろしいですね」
セイルはすぐには答えなかった。
外の鐘がまた鳴る。
その音に追い立てられるように、彼は頷いた。
「……はい」
「では、確認します」
ミレイユの声はいつも通り静かだった。
「あなたは、神殿裏倉庫に搬入された『聖女ミコト認定式用物資第三箱』を受け取りましたか」
セイルの顔が歪んだ。
「……受け取りました」
クララが息を呑む。
バルトが低く唸った。
ミレイユのペンが走る。
「記録します。セイルさん本人が、聖女ミコト認定式用物資第三箱の受取を認めました」
「その箱には何が入っていた」
俺が聞くと、セイルは唇を噛んだ。
「最初は……香油と浄化香の箱だと聞いていました」
「最初は?」
「後で、中身を入れ替えるよう命じられました」
ギルドの空気がさらに重くなる。
「誰に」
俺は聞いた。
セイルは顔を上げた。
だが、その目は俺ではなく、ミレイユの書類板を見ていた。
記録される。
その事実が、彼を怖がらせていた。
「神殿の……上役です」
バルトが舌打ちする。
「名前を言え」
セイルの顔が青くなる。
「言えば……私は……」
「もう十分やばい立場だぞ」
バルトが低く言う。
「黙ってたら、全部お前のせいにされる」
セイルの目が揺れた。
俺は静かに言う。
「セイル。俺はお前を信じたいわけじゃない」
セイルがこちらを見る。
「でも、決めつけるつもりもない。お前が何をしたのか。誰に何を命じられたのか。それを証言しろ」
「……証言すれば、助かるんですか」
「助かるかどうかは分からない」
俺は正直に答えた。
「でも、黙っていれば、お前は便利な罪人になる」
セイルの顔が強張った。
その言葉は刺さったらしい。
便利な罪人。
トビーがそうされかけた。
俺もそうされかけた。
そして今、セイル自身がそうなろうとしている。
「私は……」
セイルの声が震える。
「マルドゥク様に、呼ばれました」
ミレイユのペンが止まった。
それから、ゆっくり動き出す。
「記録します。セイルさんは、マルドゥク様に呼ばれたと証言」
セイルは両手を握りしめた。
「湿地の浄化杭に異常が出ている。だが、認定式前に不安を広げるわけにはいかない。そう言われました。だから、記録を整えろと」
「整えろ?」
「異常なしにしろ、という意味です」
クララが小さく口元を押さえた。
トビーの記録。
湿地入口浄化杭、異常なし。
あの文字の裏に、セイルの手があった。
「トビーには?」
俺が聞くと、セイルは目を逸らした。
「あいつは……真面目すぎたんです」
その言葉に、俺の胸が熱くなる。
「真面目だから、罪を着せたのか」
「違う!」
セイルが叫んだ。
だが、すぐに声を落とす。
「違う……私は、あそこまでされるとは思っていなかった。トビーが戻ってきて、記録を直してほしいと騒いだ。だから、マルドゥク様に報告した。そしたら……」
「トビーは殴られた」
セイルは黙った。
沈黙は答えだった。
ミレイユが記録する。
「セイルさんは、トビーさんが湿地異常を報告した件をマルドゥク様に伝えた。その後、トビーさんは暴行を受けたと証言済み」
「私は殴っていません」
セイルが震える声で言った。
「そこは確認します」
ミレイユは淡々と答えた。
「続けてください。第三箱について」
セイルは喉を鳴らした。
「第三箱は、裏倉庫に運ばれました。荷札は認定式用物資。中身は……黒い泥の入った壺と、焦げた浄化香、それと香油です」
胸元のペンダントが熱を帯びる。
《証拠記録》更新
証言一:セイルは聖女ミコト認定式用物資第三箱の受取を認めた。
証言二:第三箱の中身は黒泥入りの壺、焦げた浄化香、香油。
証言三:セイルはマルドゥクに呼ばれ、湿地異常記録を「整えろ」と命じられたと証言。
関連候補:黒泥/認定式用物資/記録改変/マルドゥク
つながっていく。
だが、まだ足りない。
セイルの証言だけでは、マルドゥクを断定できない。
マルドゥクは言うだろう。
セイルが勝手に解釈した。
部下が独断でやった。
不安を広げまいとした未熟な行動だった。
そんな逃げ道が、まだ見える。
「その黒泥を、湿地へ持っていったのは誰だ」
俺は聞いた。
セイルは唇を噛む。
「……私です」
ギルド内がざわついた。
バルトが一歩前に出る。
「お前が撒いたのか」
「違う!」
セイルの声が裏返る。
「私は、箱を運んだだけです。湿地の近くまで持っていった。そこから先は、別の神官が……」
「名前は」
「分かりません。顔も布で隠していました。ただ、神殿の聖印が入った外套を着ていました」
「便利な証言だな」
バルトが冷たく言う。
セイルは泣きそうな顔になる。
「本当です! 私は、本当に全部は知らなかった!」
「全部は知らなかった」
俺は静かに繰り返した。
「なら、知っていた部分を話せ」
セイルは息を呑む。
「黒泥が、湿地を弱らせるものだとは聞いていました。でも、民を苦しめるためだとは……」
「何のためだと聞いた」
「聖女様の浄化を、確実に成功させるためだと」
その瞬間、ギルドの空気が凍った。
外の鐘が、また鳴る。
まるで、その言葉をかき消すように。
「聖女様の浄化を、確実に成功させるため」
俺はゆっくりと言った。
喉の奥が冷たくなる。
「湿地を弱らせておいて、聖女が浄化する。それが成功すれば、認定式の前に大きな功績になる」
セイルは何も言わない。
だが、その沈黙も答えだった。
ミレイユが慎重に言う。
「確認します。セイルさんは、黒泥が湿地を弱らせるものだと知っていた。ただし、その目的については『聖女様の浄化を確実に成功させるため』と説明された。そういう証言ですね」
「……はい」
「誰からそう説明されましたか」
セイルの体が強張る。
彼は何かを言おうとした。
その時、ギルドの扉が開いた。
今度は乱暴ではなかった。
静かに。
丁寧に。
だが、拒めない空気を連れて。
白い法衣の神官たちが入ってくる。
その中央に、マルドゥクがいた。
穏やかな笑み。
白い手袋。
柔らかい声。
「困りましたね」
マルドゥクは、いつもの言葉を口にした。
ギルド内が一瞬で静まる。
セイルの顔から血の気が消えた。
「セイル」
マルドゥクは優しく呼んだ。
「まさか、ここにいたとは」
その声だけで、セイルの体が縮む。
ミレイユが前へ出た。
「マルドゥク様。現在、ギルドはセイルさんから証言を記録しています」
「ええ。見れば分かります」
マルドゥクは微笑んだ。
「ですが、その者は現在、神殿の重要管理物を無断で持ち出し、記録を改ざんした疑いがあります。神殿として身柄を預かる必要があります」
「証言中です」
「ですから、神殿で正式に聞き取ります」
ミレイユの目が細くなる。
「ギルドも同席します」
「必要ありません」
マルドゥクは柔らかく言った。
「これは神殿内部の問題です」
「湿地異常に関わる重要証言です。ギルドの調査対象でもあります」
「湿地異常については、まもなく聖女ミコト様が浄化されます」
マルドゥクは外の鐘の音へ視線を向けた。
「民の不安を鎮めることが最優先です。証拠、記録、疑い。そうしたものにこだわっている間にも、瘴気は広がっているのですよ」
その言葉に、周囲の冒険者たちがざわついた。
民を救う。
瘴気を浄化する。
そう言われれば、誰も反対しにくい。
マルドゥクは、それを分かって言っている。
「その瘴気を広げた原因を調べています」
俺は言った。
マルドゥクの視線がこちらに向く。
「レンさん」
柔らかい声。
だが、目は笑っていない。
「あなたは本当に、救いの場面を疑うのがお好きですね」
「疑っているんじゃない。確認しているだけです」
「その確認のために、民を待たせるのですか?」
「民を苦しめた原因を隠したまま、救いだけを見せる方が危険です」
マルドゥクの笑みが少しだけ薄くなる。
彼はセイルへ視線を向けた。
「セイル。あなたは、何を話したのですか」
セイルは震えた。
答えられない。
ミレイユが書類板を前に出す。
「セイルさんは、第三箱の受取、黒泥入り壺、焦げた浄化香、香油、そして湿地異常記録の改変について証言しています」
「なるほど」
マルドゥクは残念そうに息を吐いた。
「そこまで自分の罪を認めたのですね」
セイルが顔を上げた。
「違います! 私は、命じられて……!」
「誰に?」
マルドゥクが静かに聞いた。
優しい声だった。
だが、セイルの喉が止まる。
「誰に命じられたのですか、セイル」
「そ、それは……」
「私が、民を苦しめるために黒泥を撒けと命じたと?」
セイルの唇が震えた。
言えない。
証明できない。
マルドゥクはそれを分かっている。
「私があなたに命じたことは、湿地異常の不安が認定式前に無用に広がらないよう、記録を丁寧に確認しなさい、ということだけです」
「違う……」
セイルの声は小さかった。
「違うんです……」
「あなたは、その言葉を勝手に曲げて受け取った」
マルドゥクは悲しそうな顔をした。
「そして、認定式用の物資を無断で扱い、湿地へ持ち出した。さらには、トビーさんに罪を着せようとした。レンさんにも疑いを向けた。そうですね?」
「違う!」
セイルが叫んだ。
だが、その叫びは弱かった。
マルドゥクは首を振る。
「残念です。あなたを信じていたのですが」
ギルド内に嫌な空気が広がる。
セイルが一人で崩れていく。
いや、崩されていく。
俺は一歩前に出た。
「待ってください」
「何でしょう」
「セイルの証言は、神殿外部の記録と一致しています。香油商、浄化香工房、運搬組合、荷札控え。全部が第三箱につながっています」
「ええ」
マルドゥクは頷いた。
「セイルがそれらを行った証拠ですね」
「セイル一人で、神殿の記録を書き換え、運搬組合の帳簿を削り、黒泥を用意し、湿地異常を作り、さらにトビーと俺に罪を着せた。そう主張するんですか」
「現時点では、その可能性が最も高い」
可能性。
またその言葉だ。
「証明できますか」
俺は聞いた。
マルドゥクは微笑む。
「セイル本人が認めているのでしょう?」
「認めたのは、受け取りと運搬です。命令者についてはまだ証言途中です」
「命令者など存在しないかもしれません」
「かもしれない」
俺は言った。
「なら、それだけではセイル一人の犯行とも断定できません」
マルドゥクの目が細くなる。
ミレイユが頷いた。
「ギルド記録としても、セイルさん単独犯と断定するには不足しています。命令系統、物資管理権限、記録改変の機会について、追加確認が必要です」
マルドゥクは少しだけ黙った。
だが、すぐに笑みを戻す。
「もちろん、確認は大事です。しかし今は緊急事態です」
外の鐘が、また響く。
「聖女ミコト様が湿地へ向かわれます。町の民は救いを待っている。あなた方がここで一人の神官の証言にこだわっている間に、瘴気は広がり続けるのです」
バルトが低く言う。
「ずいぶん都合のいいタイミングで広がる瘴気だな」
「自然とは、人の都合を待ってくれませんから」
マルドゥクは穏やかに返した。
その言葉に、俺は強い違和感を覚えた。
自然。
こいつは今、自然と言った。
黒泥が人の手で作られた可能性を、こちらが掴んだ直後に。
「セイル」
俺はマルドゥクから視線を外さずに言った。
「最後に一つだけ答えろ」
セイルが震えながら俺を見る。
「湿地の瘴気が今日広がることを、知っていたか」
セイルの顔が、はっきり変わった。
驚き。
恐怖。
そして、後悔。
「……今日、聖女様が浄化に向かうとは聞いていました」
「いつ聞いた」
「三日前です」
ギルド内がざわつく。
三日前。
黒泥。
第三箱。
香油。
失敗浄化香。
浄化杭。
すべてが動いた日。
「三日前の時点で、今日の緊急浄化が決まっていた?」
俺が言うと、セイルは唇を震わせた。
「緊急とは……言っていませんでした。ただ、認定式前に、聖女様が湿地を浄化する場を整えると……」
マルドゥクの笑みが消えた。
「セイル」
低い声だった。
今までで一番冷たい声。
だが、もう遅い。
ミレイユのペンが走っている。
「記録します。セイルさんは、三日前の時点で、聖女ミコト様が湿地を浄化する予定を聞いていたと証言。現在の緊急浄化告知との時系列に不一致あり」
胸元のペンダントが強く熱を帯びる。
《矛盾看破》反応
対象:聖女ミコト緊急浄化告知
告知内容:湿地瘴気の急拡大に対する緊急対応
証言:三日前の時点で湿地浄化予定を確認
判定:時系列に重大な矛盾
備考:緊急対応ではなく、事前計画であった可能性あり
来た。
大きな矛盾だ。
だが、まだ証明成立ではない。
ここで踏み込みすぎれば、マルドゥクは民の救いを盾にする。
マルドゥクはゆっくり息を吐いた。
「なるほど」
彼はセイルを見た。
「あなたは、混乱していますね。罪を犯した者が、少しでも自分の責任を軽くしようとしている」
「違う……!」
「違いません」
マルドゥクは静かに言い切った。
「セイル。あなたは神殿の信頼を裏切りました。認定式用物資を不正に扱い、記録を混乱させ、湿地異常の対応を遅らせた」
「違う! 私は命じられて……!」
「誰に?」
またその問い。
セイルは言えない。
証明できない。
マルドゥクは、その一点だけでセイルを切るつもりだ。
「ミレイユさん」
マルドゥクは受付嬢へ向き直る。
「神殿は、セイルを処分します。これで湿地異常に関する内部不備は明らかになりました。あとは聖女ミコト様が浄化を行い、民を救う。それでよろしいでしょう」
「よろしいわけがありません」
ミレイユの声は静かだった。
「セイルさんの処分と、湿地異常の原因究明は別です」
「民に必要なのは、原因究明ではなく救いです」
「原因を究明しなければ、同じことが繰り返されます」
マルドゥクの笑みが硬くなる。
俺はその横顔を見た。
この男は、セイルを差し出して終わらせるつもりだ。
罪人は見つかりました。
聖女が救いました。
民は安心しました。
それで幕を下ろすつもりだ。
マルドゥクはギルド全体に聞こえるように言った。
「皆さん」
冒険者たちが顔を上げる。
「神殿は過ちを隠しません。セイルが行った不正については、正式に処分します。そして今、聖女ミコト様が湿地へ向かい、瘴気を浄化されます。どうかご安心ください」
安心。
また、その言葉。
ギルド内の何人かがざわつく。
「セイルがやったのか?」
「神殿が処分するなら、それでいいんじゃないか」
「聖女様が浄化してくれるなら、湿地は助かるんだろ」
空気が流れかける。
真実ではなく、安心の方へ。
マルドゥクはそれを見て、わずかに微笑んだ。
これが切り札か。
セイルを罪人にする。
聖女の浄化で民の不安を消す。
そして、すべてを「解決済み」にする。
俺は拳を握った。
だが、ここで叫んでも意味はない。
聖女が悪い。
神殿が仕組んだ。
そう叫んだところで、証明できなければ、ただの妄言だ。
ミレイユが小さく俺を見る。
冷静に。
そう言っている目だった。
俺は息を吸った。
「マルドゥク様」
「はい」
「セイルさんを神殿へ連れていくなら、ギルド職員の同席を求めます」
「先ほども言いましたが、これは神殿内部の問題です」
「違います」
俺は言った。
「セイルさんは、湿地異常、黒泥、認定式用物資第三箱、記録改変に関する重要証言者です。神殿だけで聞き取れば、証言が変わる可能性があります」
「神殿が証言を歪めると?」
「歪めないことを証明するためにも、第三者の同席が必要です」
マルドゥクの目が細くなる。
ミレイユがすぐに続けた。
「ギルドとしても同意見です。セイルさんを神殿へ移す場合、ギルド職員の同行を条件とします」
少しの沈黙。
外ではまだ鐘が鳴っている。
マルドゥクは、ゆっくり笑った。
「よろしいでしょう」
意外なほどあっさりだった。
「ただし、私はこれから湿地へ向かわなければなりません。聖女ミコト様の浄化に立ち会う必要がありますので」
逃げる。
いや、舞台へ向かうのだ。
民の前で、聖女の救いを見せるために。
「セイルの身柄は神殿の者に任せます。ギルドの同席も認めましょう」
セイルは絶望した顔でマルドゥクを見ていた。
「マルドゥク様……私は……」
「残念です、セイル」
マルドゥクは優しく言った。
「あなたが道を誤ったことを、神に祈りましょう」
その言葉で、セイルの顔が完全に崩れた。
切られた。
誰が見ても分かるほど、はっきりと。
だが、マルドゥクはもう彼を見ていなかった。
俺へ視線を向ける。
「レンさん」
「はい」
「あなたも湿地へ来ますか」
その誘いに、ギルド内がざわついた。
俺は黙る。
「疑うなら、ご自身の目で見ればよろしい。聖女ミコト様が、瘴気に苦しむ地を救う瞬間を」
柔らかい声。
だが、その奥には挑発があった。
「もちろん、民の前で騒ぎを起こすことはお控えください。救いの場に、疑いの毒を撒くことは許されませんから」
俺はマルドゥクを見る。
聖女の浄化。
民の前。
そこで何かを証明できなければ、こちらが悪者になる。
だが、行かなければ、向こうの演出だけが町に広がる。
どちらにしても、危険だ。
バルトが低く言う。
「行くなら俺も行く」
「私も行きます」
クララが震える声で言った。
「湿地の白銀草がどうなったのか、見たいです」
ミレイユは少し考えた。
「私はセイルさんの証言保全を優先します。ですが、レンさんが湿地へ行くなら、ギルドの調査員として扱います。記録を取ってください」
「分かりました」
俺は頷いた。
マルドゥクが満足そうに微笑む。
「では、参りましょう」
俺は胸元のペンダントに触れた。
熱はまだ残っている。
セイルの証言。
第三箱。
緊急浄化の時系列矛盾。
マルドゥクの切り捨て。
証拠はある。
だが、まだ聖女ミコトには届かない。
湿地へ行けば、彼女がいる。
俺の人生を壊した女。
無罪になったんでしょ、と笑った女。
今度は聖女として、民の前に立つ。
俺は奥歯を噛みしめた。
焦るな。
決めつけるな。
証明しろ。
ギルドの外へ出ると、町の人々はすでに湿地方面へ流れ始めていた。
白い旗が揺れている。
聖女ミコトの名を呼ぶ声が響いている。
その先で、救いの舞台が始まろうとしていた。
マルドゥクは歩きながら、穏やかに言った。
「民は救いを求めています。真実ではなく、救いを」
俺はその背中を見る。
「俺は、嘘で作った救いを救いとは呼びません」
マルドゥクは振り返らない。
ただ、少しだけ笑ったように見えた。
セイルは切り捨てられた。
町は聖女へ向かっている。
真実は、歓声に飲み込まれようとしている。
だからこそ、見届けなければならない。
聖女ミコトの浄化が、本当に救いなのか。
それとも、作られた災厄の上に立つ演出なのか。
次に証明するべきものは、湿地にある。




