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痴漢冤罪で人生を壊された男は、異世界で《証明者》となり、嘘で人々を支配する聖女を断罪する  作者: 月瀬 リュカ


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第2話 証明者





 土の匂いがした。


 湿った草の冷たさが、頬に触れている。


 遠くで、鳥の鳴く声が聞こえた。


 けれど、それは俺の知っている鳥の声ではなかった。


「……っ」


 目を開ける。


 最初に見えたのは、木々だった。


 高い。


 あまりにも高い。


 ビルのように伸びた幹が、空を隠すように並んでいる。


 葉の隙間から差し込む光は柔らかいのに、どこか現実味がなかった。


 俺はしばらく、その場に倒れたまま空を見ていた。


 ここはどこだ。


 駅裏の通路ではない。


 アスファルトの地面も、薄汚れた壁も、白羽美琴が消えた魔法陣もない。


 あるのは、見知らぬ森だけだった。


「……どこだよ、ここ」


 声を出した瞬間、自分の声にも違和感を覚えた。


 少し若い。


 いや、声だけじゃない。


 身体が軽かった。


 重かった肩も、ずっと痛かった腰も、裁判の日々で削られていた疲労も、まるで嘘みたいに消えている。


 俺はゆっくりと上体を起こし、自分の手を見た。


 知らない手だった。


 いや、知らないわけじゃない。


 俺の手だ。


 だけど、三十二歳の男の手ではなかった。


 指は少し細く、皮膚には疲れた生活の跡がない。


 若い。


 明らかに若返っている。


「……なんだ、これ」


 近くに水たまりがあった。


 俺はふらつきながら立ち上がり、その水面を覗き込んだ。


 映っていたのは、俺だった。


 久世蓮。


 けれど、そこにいたのは三十二歳の俺ではない。


 二十歳前後の、まだ疲れ切る前の俺だった。


「……俺、なのか?」


 水面の中の男も、同じように呆然と口を開いている。


 若返っている。


 身体だけが、過去に戻ったみたいだった。


 けれど、記憶は消えていない。


「この人、痴漢です!」


 あの声。


 集まる視線。


 スマホを向ける人々。


 駅員室。


 裁判所。


 無罪判決。


 戻らなかった仕事。


 距離を置いた家族。


 離れていった友人。


 そして、美琴の笑顔。


「でも、捕まらなかったんでしょう?」


 あまりにも軽い声だった。


 俺の人生が壊れたことなんて、どうでもいいと言わんばかりに。


 美琴は笑った。


「なら、よかったじゃない」


 胸の奥に、怒りが滲んだ。


 身体は若返った。


 けれど、俺の中にあるものは何ひとつ消えていない。


 あの女に壊されたものも。


 奪われたものも。


 全部、覚えている。


 その時、手の中に硬い感触があることに気づいた。


 銀色のペンダント。


 美琴が消えた場所に落ちていたものだ。


 白い石のようなものが嵌め込まれていて、光の角度によって淡く濁って見える。


 白いのに、汚れている。


 そんな矛盾した印象が、なぜか胸に引っかかった。


「……なんで、これまで」


 俺はペンダントを握りしめた。


 なぜ、これだけが俺と一緒に来たのかは分からない。


 けれど、捨てることはできなかった。


 その瞬間、視界に文字が浮かんだ。


「……は?」


 目の前に、半透明の板のようなものが表示されている。


 まるでゲームの画面みたいに、そこにはこう書かれていた。


名前:レン・クゼ

種族:人間

状態:異界転移者

職業:《証明者》


「レン・クゼ……?」


 久世蓮。


 レン・クゼ。


 名前が、この世界向けに変換されたのだと、なんとなく理解した。


 いや、理解したくはなかった。


 こんなもの、普通ならありえない。


 けれど、美琴は俺の目の前で魔法陣に包まれて消えた。


 そのあと俺も、同じような光に呑まれた。


 なら、ここは。


「……異世界、ってやつか」


 乾いた笑いが漏れた。


 小説やゲームなら、喜ぶところなのかもしれない。


 若返って、知らない世界へ来て、特別な職業まで与えられて。


 けれど、俺は喜べなかった。


 これは救いじゃない。


 俺の人生が戻ったわけじゃない。


 ただ、別の場所に放り出されただけだ。


 表示はさらに続いていた。


スキル

《鑑定》

《矛盾看破》

《証拠記録》

《反証の刃》

《無罪結界》


「証明者……」


 俺はその言葉を呟いた。


 証明。


 嫌になるほど聞いた言葉だった。


 俺はずっと証明しようとしていた。


 自分がやっていないことを。


 触っていないことを。


 罪を犯していないことを。


 けれど、無罪を勝ち取っても、誰も戻ってこなかった。


 法廷では証明できた。


 でも、世間には届かなかった。


 俺が黙っていると、ペンダントが淡く光った。


 白い石の内側に、黒い影のようなものが一瞬だけ揺れる。


 そして、新しい文字が視界に浮かんだ。


追跡対象:白羽美琴

異世界名:聖女ミコト


 息が止まった。


「……聖女?」


 あの女が。


 人の人生を壊して笑った女が、この世界では聖女。


 俺は思わず笑った。


 喉の奥から、低く乾いた笑いが漏れる。


「ふざけるなよ……」


 聖女。


 人を救う存在。


 清らかで、尊くて、誰からも信じられる存在。


 あの女には、これ以上ないほど似合わない言葉だった。


 いや、だからこそ、あいつには都合がいいのかもしれない。


 この世界でも、きっと誰も疑わない。


 美琴が「この人は罪人です」と言えば、周囲は信じる。


 あの時の俺と同じように。


 俺はペンダントを握りしめた。


「……見つけてやる」


 そう呟いた時だった。


 森の奥から、声が聞こえた。


「助けて……」


 俺は顔を上げた。


 女の声だった。


 弱々しく、震えている。


「誰か……助けて……」


 胸の奥が嫌なふうに揺れた。


 美琴の声を思い出した。


 駅員室で震えていた、あのか細い声。


 周囲の人間を一瞬で味方につけた声。


 あれも、こういう声だった。


「……誰かいるのか?」


 俺は声のする方を見た。


 森は静かだった。


 木々の間に人影は見えない。


 けれど、また声が聞こえた。


「助けて……こっち……」


 俺は迷った。


 ここがどこかも分からない。


 未知の魔物がいるかもしれない。


 そもそも、この世界の人間とまともに話せるのかも分からない。


 けれど、助けを求める声を無視できなかった。


 俺は近くに落ちていた太めの棒を拾った。


 武器と呼べるようなものではない。


 それでも、何も持たないよりはましだった。


 声の方へ進む。


「助けて……」


 また聞こえた。


 同じ声。


 同じ調子。


 同じ間隔。


 俺は足を止めた。


「……ん?」


 おかしい。


 声は怯えている。


 なのに、息遣いが聞こえない。


 助けを求めている。


 なのに、草を踏む音も、衣擦れの音もない。


 それに、声の間隔があまりにも同じだった。


「助けて……」


 まただ。


 同じ高さ。


 同じ震え方。


 同じ言葉。


 その瞬間、視界の端に文字が浮かんだ。


《矛盾看破》発動。

音声情報に不自然な反復を確認。

人間の声である可能性、低。


 背筋が冷えた。


「……嘘の声か」


 次の瞬間、頭上の枝が揺れた。


 黒い影が落ちてくる。


「っ!」


 俺は咄嗟に横へ飛んだ。


 直後、さっきまで俺の頭があった場所を、鋭い爪がかすめる。


 地面を転がり、慌てて顔を上げる。


 そこにいたのは、大きなカラスだった。


 いや、ただのカラスじゃない。


 身体は犬ほどもあり、黒い羽は濡れた油のようにてかっている。


 鋭いくちばしの奥から、赤黒い舌が覗いていた。


 濁った赤い目が、俺を見ている。


 俺は震える手で棒を構えた。


「……鑑定」


 そう口にした瞬間、視界に情報が浮かぶ。


名称:ライアークロウ

種別:魔獣

特徴:人間の声を真似て獲物を誘う

危険度:低

状態:空腹


「低って……」


 冗談じゃない。


 こんなもの、俺からすれば十分に化け物だ。


 ライアークロウが首を傾けた。


 そして、女の声で鳴いた。


「助けて……」


 胃の奥が冷たくなる。


 さっきの声。


 俺を誘っていた声。


 こいつは、弱った人間のふりをしていた。


 助けを求める声で、獲物を誘い込んでいた。


 美琴と同じだ。


 弱いふりをして。


 傷ついたふりをして。


 相手を騙す。


「ふざけるな……」


 俺の声に反応したのか、ライアークロウが翼を広げた。


 黒い羽が空気を叩く。


 次の瞬間、魔獣が飛びかかってきた。


「くそっ!」


 俺は棒を振った。


 だが、当たらない。


 ライアークロウは軽々と身をひねり、俺の腕を爪で引っかいた。


「ぐっ……!」


 熱い痛みが走る。


 見ると、腕から血が滲んでいた。


 俺は後ずさる。


 戦った経験なんてない。


 喧嘩だって、まともにしたことがない。


 三十二歳まで普通に働いて、普通に疲れて、普通に生きてきた男だ。


 急に異世界へ飛ばされて、魔獣と戦えと言われても、できるわけがない。


 ライアークロウが木の枝へ飛び移る。


 そしてまた、あの声を出した。


「怖い……」


 俺は奥歯を噛んだ。


「黙れ」


「助けて……」


「黙れって言ってるだろ!」


 怒鳴っても、魔獣は止まらない。


 むしろ俺の反応を楽しむように、同じ声を繰り返す。


「助けて……」


「怖い……」


「こっち……」


 頭の中に、美琴の顔がちらつく。


 泣きそうな顔。


 震えた声。


 そして、一瞬だけ見せた笑み。


 あの時の俺は、何も分からなかった。


 周囲の視線に押し潰され、ただ否定することしかできなかった。


 でも、今は違う。


 相手は人間じゃない。


 そして、こいつの嘘は見える。


 俺は呼吸を整えた。


 ライアークロウを見る。


 声に惑わされるな。


 動きを見ろ。


 奴は声を出す前に、必ず左の翼が少し下がる。


 飛びかかる前に、嘴がわずかに開く。


 そして、三回とも同じ角度から来た。


 左上。


 木の枝。


 急降下。


 視界に文字が浮かぶ。


《証拠記録》発動。

行動記録:三回連続、左上方より急降下。

攻撃前兆:左翼の沈み、嘴の開口。


 俺は棒を握り直した。


 手は震えている。


 怖い。


 怖くないわけがない。


 けれど、逃げたら終わりだ。


 ライアークロウが、また女の声で鳴いた。


「助けて……!」


 左の翼が下がる。


 嘴が開く。


 来る。


 俺は一歩だけ横へずれた。


 黒い影が目の前を落ちてくる。


 さっきまでの俺なら、正面から受けていた。


 けれど、今は違う。


「それは――」


 棒を振り上げる。


「真実じゃない!」


 その瞬間、棒に淡い光が走った。


《反証の刃》発動。


 ただの木の棒だったはずのそれが、刃のように光る。


 光をまとった棒が、ライアークロウの翼を切り裂いた。


 魔獣が悲鳴を上げる。


 今度は、人の声ではなかった。


 耳障りな、獣の鳴き声だった。


 ライアークロウは地面に叩きつけられ、何度か羽ばたこうとした。


 だが、もう飛べない。


 俺は息を荒くしながら、もう一度棒を構えた。


 近づきたくなかった。


 怖かった。


 けれど、放っておけば、また襲ってくるかもしれない。


「……終わりだ」


 俺は棒を振り下ろした。


 光が一瞬だけ走り、ライアークロウは動かなくなった。


 森に静けさが戻る。


 俺はその場に膝をついた。


「はあっ……はあっ……」


 息が苦しい。


 腕が痛い。


 手が震えている。


 勝った。


 そう思った瞬間、遅れて恐怖が押し寄せてきた。


 俺は魔獣を殺した。


 生きるために。


 この世界で、初めて。


「……これが、異世界かよ」


 その時、胸元のペンダントが小さく光った。


 視界に、文字が浮かぶ。


《討伐成立》

対象:ライアークロウ

判定:敵性魔獣

獲得経験値:少量


《証拠記録》に行動解析が保存されました。

《反証の刃》の熟練度がわずかに上昇しました。


「……倒しても、強くなるのか」


 俺は息を荒くしながら、ペンダントに触れた。


 けれど、不思議と大きな力を得た感覚はない。


 魔獣を倒した経験は残る。


 だが、《証明者》として本当に力を増すのは、ただ敵を殺した時ではない。


 嘘を見抜き、矛盾を暴き、真実を示した時。


 そんな気がした。


 笑う余裕なんてなかった。


 けれど、分かったことがある。


 《証明者》は、ただ強い職業じゃない。


 敵の嘘を見抜く。


 動きの矛盾を拾う。


 証拠を記録する。


 そして、反証する。


 それが力になる。


 俺は動かなくなったライアークロウを見下ろした。


「嘘を暴けば、戦える……」


 呟いた言葉が、自分の中に沈んでいく。


 美琴の嘘も。


 この世界で聖女と呼ばれているあの女の正体も。


 いつか必ず暴いてやる。


 俺は腕の傷にハンカチを巻いた。


 ポケットに残っていたものだ。


 血が滲み、すぐに赤く染まる。


 痛い。


 けれど、動けないほどじゃない。


 俺は立ち上がった。


 森の向こうに、細い煙が見えた。


 木々の隙間から、白い煙が空へ昇っている。


 人がいる。


 村か。


 町か。


 少なくとも、この森で一人きりでいるよりはましだ。


 俺はペンダントを握りしめた。


 白い石は、まだ淡く濁って見えた。


 美琴が落としていったもの。


 なぜか、この世界まで俺と一緒に来たもの。


 そして、聖女ミコトの名を示したもの。


「聖女ミコト……」


 その名前を口にすると、胸の奥で怒りが熱を持った。


 あの女は、この世界で聖女と呼ばれている。


 人を救う存在として、信じられている。


 なら、俺がやることはひとつだ。


 進む。


 生き残る。


 そして、証明する。


 俺はまだ、この世界のことを何も知らない。


 けれど、ひとつだけ分かっている。


 嘘は、また誰かを傷つける。


 なら俺は、その嘘を見抜く。


 何度でも、証明してやる。


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