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痴漢冤罪で人生を壊された男は、異世界で《証明者》となり、嘘で人々を支配する聖女を断罪する  作者: 月瀬 リュカ


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第14話 消えたトビー

 神殿を出たあとも、胸の奥に嫌な重さが残っていた。


 白い壁。整えられた祭壇。祈る人々の声。聖女ミコトの名。


 そこにあったものは、表面だけ見れば清らかだった。


 けれど、神殿の記録には矛盾があった。


 三日前、湿地入口の浄化杭は異常なし。


 担当者は、トビー。


 そのトビーは、神殿の金を盗んで逃げたという扱いになっている。


 あまりにも都合がよすぎる。


 そう思う一方で、俺はまだ何も断定できなかった。


 トビーが本当に盗んだ可能性も、ゼロではない。


 湿地の異変に気づいたあと、金を盗んで逃げたのかもしれない。


 追い詰められて、判断を間違えたのかもしれない。


 だからこそ、確かめる必要がある。


 証拠なしに信じない。


 証拠なしに決めつけない。


 それが、俺がこの世界で戦うために決めたことだった。


「レンさん」


 隣を歩いていたクララが、不安そうに俺を見上げた。


「これから、どうしますか?」


「トビーのことを調べる」


「お母さんの家に行くんですか?」


「ああ。ただ、場所が分からない」


「マーヤさんなら知っているかもしれません。薬を買いに来る人の話をよく聞いていますから」


「なら、まずマーヤさんの店に行こう」


 俺たちは神殿から離れ、薬師マーヤの店へ向かった。


 中央通りから少し外れると、人の数は減っていく。露店の声も遠ざかり、代わりに狭い路地を抜ける風の音が聞こえた。


 マーヤの店に着くと、扉の前には乾燥した薬草が束ねて吊るされていた。苦い匂いと、少し甘い匂いが混じっている。


 中へ入ると、マーヤは奥の棚で小瓶を並べていた。


「今度は何を拾ってきたんだい」


 顔も上げずに言われた。


「まだ何も拾っていません」


「じゃあ、これから拾いに行く顔だね」


 マーヤは棚に小瓶を置き、こちらを向いた。


「神殿に行ったんだろ。どうだった?」


「浄化杭の管理記録を見ました」


「ふん」


「記録では、三日前に異常なし。担当者はトビーという下働きでした」


 マーヤの目が少し鋭くなった。


「トビーか」


「知っているんですか?」


「直接の知り合いってほどじゃない。でも、母親がうちに薬を買いに来ることはあった」


 クララが一歩前に出る。


「病気のお母さんがいるって聞きました」


「ああ。長く肺を悪くしてる。寒い時期や湿気の強い日は咳がひどくなるんだ。トビーはその薬代を稼ぐために、神殿で下働きをしていた」


「真面目な人なんですか?」


「少なくとも、うちに薬代を払いに来た時はそう見えたよ」


 マーヤは腕を組む。


「銅貨を一枚ずつ数えて、足りない時は次の給金日に必ず持ってくると言っていた。実際、遅れても払っていた。金を盗んで母親を置いて逃げるような子には見えなかったね」


「家の場所は分かりますか?」


「西側の裏通りだ。古い井戸の近くに、小さな家がある」


 マーヤはそこで言葉を切り、俺を見た。


「ただし、気をつけな。神殿が盗人だと言った相手だ。下手に動けば、あんたまで面倒に巻き込まれる」


「もう巻き込まれています」


「だろうね」


 マーヤは呆れたように息を吐いた。


 それから、小さな紙袋を棚から取った。


「これを持っていきな」


「これは?」


「咳止めだよ。トビーの母親に渡してやりな。薬代は後でいい」


 クララが驚いたように目を開く。


「いいんですか?」


「病人相手に金の話だけしてたら、薬師なんてやってられないよ」


 マーヤはぶっきらぼうに言った。


「それと、あの母親は気が弱い。神殿の名前を出されると怯えるかもしれない。最初から詰め寄るんじゃないよ」


「分かりました」


 俺は紙袋を受け取った。


 店を出る前、マーヤがもう一度言った。


「レン」


「はい」


「トビーが本当に盗んだのかどうか、あたしには分からない。でも、もし違うなら、あの母親にまで盗人の家族なんて背負わせるんじゃないよ」


「はい」


 俺は頷いた。


「そのために調べます」


 マーヤの店を出て、西側の裏通りへ向かった。


 中央通りの賑わいから離れるほど、建物は古くなっていく。白い石造りの神殿とは違い、こちらは木の壁が黒ずみ、屋根の一部が傾いた家もあった。


 細い路地の奥に、古い井戸が見えた。


 その近くに、小さな家が一軒あった。


 窓は薄い布で覆われ、扉の下には隙間風を防ぐための布が詰められている。


 クララが小さく息を呑んだ。


「ここですね」


「ああ」


 俺は扉を軽く叩いた。


 しばらく返事はなかった。


 もう一度叩くと、中から小さな咳が聞こえた。


「どなた……?」


 かすれた女の声だった。


「冒険者ギルドから来ました。レン・クゼです。薬師のマーヤさんから、咳止めを預かっています」


 中で何かが動く気配がした。


 少しして、扉が細く開く。


 顔を出したのは、痩せた女性だった。


 年齢は四十代ほどに見えるが、病のせいか実際よりも老けて見えた。頬はこけ、目元には疲れが濃く出ている。


「マーヤさんが……?」


「はい」


 俺は紙袋を見せた。


 女性は少し迷ったあと、扉を開けた。


「どうぞ……狭いところですが」


 中は簡素だった。


 小さな寝台。古い机。水差し。壁際には、薬草を煎じるための鍋が置かれている。


 寝台の下に、男物の古い靴が押し込まれていた。


 泥が乾いてこびりついている。


 黒っぽい泥だった。


 俺はそれに目を留めたが、すぐには触れなかった。


「マーヤさんからです」


 クララが咳止めの紙袋を女性へ渡した。


 女性は両手で受け取り、深く頭を下げる。


「ありがとうございます……あとで、必ず薬代は……」


「マーヤさんは、あとでいいと言っていました」


「そんな……」


 女性の声が震える。


 クララは優しく首を横に振った。


「今は、飲んでください」


 女性は目元を押さえた。


「すみません……」


 俺は少し間を置いてから尋ねた。


「トビーさんのお母さんですね」


 女性の体が、びくりと震えた。


 その反応だけで、神殿がここへ何をしに来たのか少し分かった気がした。


「あなたたちも……神殿の方ですか?」


「違います」


 俺は首を横に振った。


「冒険者ギルドから来ました。湿地の浄化杭の件を調べています」


「浄化杭……」


 女性の顔が青ざめる。


「やっぱり、あの子は……」


「トビーさんが金を盗んだかどうかを、確認しに来ました」


 女性は唇を震わせた。


「盗んでいません」


 その声は小さかった。


 けれど、はっきりしていた。


「あの子は、盗んでいません。そんなこと、する子じゃありません」


「そう思う理由を聞かせてください」


「理由なんて……」


 女性は胸元を押さえ、咳をこらえた。


「トビーは、私の薬代のために働いていました。神殿で下働きをして、少しずつ薬代を払ってくれて……。自分の食事を減らしてでも、薬を買ってくれる子でした」


「最近、変わった様子はありましたか?」


 女性は少し迷った。


 それから、机の引き出しを見た。


「三日前の夜、帰ってきました」


「三日前?」


「はい。ひどく怯えた顔で……。湿地の杭が折れていたと言っていました」


 俺とクララは顔を見合わせた。


「トビーさんが、そう言ったんですね」


「はい。黒い泥が広がっていたとも言っていました。神殿に報告しなきゃいけない。記録を直してもらわないといけないって……」


「記録を直す?」


 俺は聞き返した。


 女性は頷いた。


「詳しくは分かりません。でも、あの子は、変だと言っていました。自分が異常なしと確認したことにされるかもしれないって」


 胸の奥が冷えた。


 トビーは、記録が使われることに気づいていた。


 だから、報告しようとした。


 その結果、消えた。


「トビーさんは、そのあとどうしましたか?」


「神殿に戻りました。すぐ報告すると言って……」


 女性の指が震える。


「でも、その次の日、神殿の人たちが来ました」


「神殿の人たち?」


「白い法衣の人と、若い神官が二人……。トビーが神殿の金を盗んで逃げたと言いました。もし戻ってきたら、すぐ知らせるようにと」


 クララが息を呑む。


「そんな……」


「信じられませんでした。でも、怖くて……」


 女性は小さく咳き込んだ。


「神殿の人は言いました。盗人をかくまえば、私も罪に問われると。トビーが戻ってきても、話を聞かずに知らせるようにと」


 俺は拳を握りかけ、ゆっくりと力を抜いた。


 怒るのは後でいい。


 今は聞く。


 証拠を拾う。


「トビーさんは、そのあと戻ってきましたか?」


 女性は黙った。


 答えたくない、という沈黙ではなかった。


 怖くて言えない沈黙だった。


「今すぐ信じろとは言いません」


 俺は静かに言った。


「ただ、俺は証拠なしにトビーさんを罪人だと決めたくない」


 女性が俺を見る。


「あなたは……あの子を疑っていないんですか?」


「疑っていないわけではありません。決めつけていないだけです」


 女性の目に、少しだけ涙が浮かんだ。


「……昨夜、少しだけ戻ってきました」


 クララが身を乗り出す。


「トビーさんが?」


「はい。でも、すぐに出ていきました。顔を腫らして、口元から血を流して……。歩くのもつらそうでした」


「殴られたんですか?」


 クララの声が震えた。


 女性は小さく頷いた。


「聞いても、何も言いませんでした。ただ、神殿に見つかったら私まで危ないから、ここにはいられないって……」


 女性は机の引き出しから、折りたたまれた紙を取り出した。


「あの子が置いていったものです」


 俺は紙を受け取った。


 開くと、簡単な地図が描かれていた。


 湿地の入口。


 白銀草の群生地。


 浄化杭の位置。


 そして、低い木の根元に丸印がついている。


 その横には、震えた字でこう書かれていた。


 杭が折れていた。


 黒い泥。


 裏倉庫の箱。


「裏倉庫の箱……」


 俺は呟いた。


「心当たりはありますか?」


 女性は首を横に振る。


「分かりません。でも、トビーは神殿の裏倉庫で荷運びをしていたことがあります」


「神殿の裏倉庫……」


 神殿の奥には、俺たちがまだ見ていない場所がある。


 記録室ではない。


 マルドゥクが見せなかった、裏倉庫。


 そこに何かがある。


 視界の端に文字が浮かんだ。


《証拠記録》発動

証言一:トビーは湿地の浄化杭破損を母親に話していた。

証言二:トビーは神殿へ報告に戻った。

証言三:その後、神殿側はトビーを金銭窃盗犯として扱った。

証言四:トビーは負傷した状態で母親の家へ戻っていた。

物証一:湿地の地図。

物証二:「杭が折れていた」「黒い泥」「裏倉庫の箱」と記されたメモ。

物証三:黒い泥のついた靴。


 俺は寝台の下にある靴を見た。


「その靴は、トビーさんのものですか?」


「はい。昨夜、履き替えていきました。泥だらけだったので……」


「確認してもいいですか?」


「はい」


 俺は靴に近づき、泥の部分を見る。


 湿地で見た黒い泥に似ている。


 もちろん、見ただけでは断定できない。


「鑑定」


 小さく呟く。


名称:泥の付着した靴

状態:乾燥

付着物:瘴気を含んだ泥の可能性あり

備考:湿地由来の泥と類似


 完全な証明にはならない。


 だが、トビーが湿地へ行ったことを示す手がかりにはなる。


 その時だった。


 外で、小さな物音がした。


 木箱が倒れたような音。


 女性の顔色が変わった。


「トビー……?」


 俺はすぐに扉へ向かった。


 外に出ると、路地の奥に人影があった。


 細い青年だ。


 汚れた外套を羽織り、片手で壁を支えている。


 頬は腫れ、口元には切れた跡があった。片目の下も青黒くなっている。歩き方もぎこちない。


 青年は俺たちを見るなり、逃げようとした。


「待ってください」


 俺は追いかけず、声だけをかけた。


「神殿の人間じゃありません」


「嘘だ」


 青年は壁にもたれたまま、荒い息を吐いた。


「みんな、そう言うんだ」


「冒険者ギルドから来ました。レン・クゼです」


「ギルド……?」


「湿地の浄化杭の件を調べています」


 青年の顔が引きつった。


「やめろ」


 声が震えていた。


「それを言うな。母さんまで巻き込まれる」


「トビーさんですね」


 青年は答えなかった。


 けれど、その沈黙が答えだった。


 家の中から、母親がよろめきながら出てくる。


「トビー……!」


「母さん、出てくるなって言っただろ!」


 トビーは焦ったように声を上げた。


 その声だけで、彼が母親を置いて逃げたわけではないことが分かった。


 少なくとも、そう見えた。


 クララが一歩前に出る。


「その怪我、神殿で……?」


「関係ない」


 トビーは顔を背けた。


「俺は何も知らない。何も見てない。だから帰ってくれ」


「今すぐ信じなくていい」


 俺は言った。


 トビーがこちらを見る。


「俺は、お前が罪人かどうかを証拠で確かめに来た」


「証拠……?」


「ああ」


「神殿はもう、俺が盗んだって決めた」


「神殿が決めても、証明されたことにはならない」


 トビーの目が揺れた。


 その顔には、疑いと恐怖と、ほんの少しの希望が混ざっていた。


「本当に……神殿の人間じゃないのか」


「違う」


「じゃあ、どうして調べるんだ」


「罪人だと言われた人間を、証拠なしに罪人扱いしたくないからだ」


 トビーは黙った。


 それから、ずるずると壁にもたれて座り込む。


 限界だったのだろう。


 クララが慌てて駆け寄る。


「動かないでください。傷を見ます」


「いい、触るな……」


「このままだと悪くなります」


 クララの声は震えていたが、逃げなかった。


 母親も涙をこらえながら、トビーの肩に手を置く。


「何があったの……?」


 トビーは母親を見て、顔を歪めた。


「ごめん」


「謝らないで。あなたは何も……」


「違う。俺が、余計なものを見たから」


 余計なもの。


 その言葉に、俺は静かに聞いた。


「湿地の浄化杭か」


 トビーは小さく頷いた。


「あの日、巡回補助で湿地に行った。浄化杭の確認なんて、本当は下働きの俺が一人でする仕事じゃない。でも、人手が足りないからって言われて……」


「杭は折れていた?」


「ああ。折れてた。黒い泥も広がってた。だから、戻って報告した」


 トビーの呼吸が少し荒くなる。


「でも、マルドゥク様は……」


 そこで言葉が止まった。


 体が震えている。


 俺は急かさなかった。


 しばらくして、トビーはかすれた声で続けた。


「記録室じゃなくて、裏の部屋に呼ばれた。俺が、湿地のことを大きく騒ぎすぎだって言われた」


 トビーの目が、どこか遠くを見る。


 その声に、回想の色が混じった。


「俺は、杭が折れているって言っただけだった。黒い泥が広がっているから、早く直さないといけないって……」


 トビーは腫れた頬に手を当てた。


「そうしたら、殴られた」


 クララが息を呑む。


「誰に……?」


 トビーは唇を噛んだ。


「マルドゥク様に」


 母親が口元を押さえる。


 俺の胸の奥で、冷たい怒りが広がった。


 だが、まだ黙って聞く。


「部下に殴られたんじゃない。マルドゥク様が、自分で……」


 トビーの声が震える。


「白い手袋をしたまま、俺の頬を殴った。怒ってる顔じゃなかった。笑ってた」


 トビーの言葉が、路地の冷たい空気に落ちる。


「困りましたね、トビー。あなたはまだ、自分が何を間違えたのか分かっていない。そう言われた」


 クララの顔が青ざめる。


 トビーは続けた。


「俺は、間違ってないって言った。杭が折れているって報告しただけだって。そしたら、もう一度殴られた」


 母親が泣きそうな顔で首を振る。


「そんな……」


「それから、金袋を見せられた。神殿の金が消えた。お前が持ち出したことにすると言われた」


「ことにする……?」


 俺は低く聞いた。


 トビーは頷く。


「お前が黙れば、母親は今まで通り暮らせる。お前が騒げば、盗人の母として町中に知られる。どちらが親孝行か、分かりますねって……」


 マルドゥクの声が、頭の中で再生された気がした。


 穏やかな声。


 丁寧な言葉。


 人を下に置く目。


 救いという言葉で、相手を縛る男。


「だから逃げたのか」


 俺が言うと、トビーは両手で顔を覆った。


「逃げるしかなかった。俺が捕まれば、母さんまで巻き込まれる」


 トビーの声が震える。


「でも、逃げたら本当に盗んだみたいになる。それも分かってた。分かってたけど……」


「怖かったんですね」


 クララが静かに言った。


 トビーは答えなかった。


 ただ、肩が震えていた。


 俺はトビーの前にしゃがんだ。


「トビー」


 彼が顔を上げる。


「お前の話だけでは、まだ証明にはならない」


 トビーの顔が一瞬、絶望に沈む。


 だが、俺は続けた。


「でも、証拠はある。お前の地図。メモ。靴の泥。母親の証言。神殿の管理記録の矛盾。そして、お前の怪我」


「怪我も……証拠になるのか」


「なる。誰に、いつ、どこでやられたかを確かめる必要はあるけどな」


 トビーは呆然と俺を見た。


「信じてくれるのか」


「今すぐ全部を信じるわけじゃない」


 俺は正直に言った。


「でも、証拠を集める価値はある」


 トビーは少しだけ笑った。


 泣きそうな顔で。


「変な人だな」


「よく言われる」


 クララが傷の様子を見ながら、小さく言った。


「頬の腫れがひどいです。口元も切れています。お腹も打たれていますか?」


 トビーは気まずそうに頷いた。


「少し……」


「少しじゃありません」


 クララは珍しく強い声を出した。


「マーヤさんのところへ行きましょう。ちゃんと手当てしないと」


「だめだ。外を歩いたら見つかる」


「なら、マーヤさんを呼ぶ」


 俺は言った。


「それと、ギルドにも知らせる」


 トビーが怯えた顔になる。


「ギルドに?」


「ああ。神殿ではなく、ギルドにだ」


「でも、神殿が俺を盗人だって……」


「だから、証明する」


 俺は立ち上がった。


「お前が本当に盗んだのか。それとも、盗んだことにされたのか」


 トビーは俺を見上げた。


「そんなこと、本当にできるのか」


「やる」


 俺は答えた。


「やっていない罪を背負わされる苦しみを、俺は知っている」


 自分の声が、少しだけ低くなった。


 現代の駅。


 満員電車。


 向けられた視線。


 この人、痴漢です。


 あの声が、一瞬だけ耳の奥によみがえる。


 けれど、俺は目を逸らさなかった。


「だから、見逃さない」


 路地の向こうで、風が吹いた。


 神殿の白い塔が、建物の隙間から見えている。


 あの中に、まだ何かが隠されている。


 裏倉庫の箱。


 黒い泥。


 書き換えられたかもしれない管理記録。


 マルドゥクの手。


 そして、盗人にされたトビー。


 まだ、何も終わっていない。


 むしろ、ここからだ。


 トビーは逃げたのではない。


 逃げるしかなかった。


 なら、次にやることは決まっている。


 盗人にされた証拠を、一つずつ崩す。


 そして、証明する。


 トビーが本当に罪人なのか。


 それとも、神殿に罪を着せられただけなのかを。


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