第11話 湿地の再調査
北門の前には、すでに一人の男が立っていた。
大柄な体格に、厚い革鎧。背中には幅広の剣を背負っている。顔には無精髭があり、腕には古い傷跡がいくつも残っていた。
見覚えがある。
冒険者ギルドで、俺をからかった男だ。
「お前が例の証明者か」
男は俺を見るなり、口の端を上げた。
「泥遊びの次は、調査ごっこか?」
クララが少しむっとした顔をする。
俺はそれを手で制した。
「今日は戦闘を任せます。俺は記録と確認をします」
「言い返さねえのか」
「言い返しても、瘴気は消えませんから」
男は一瞬だけ黙った。
それから、鼻を鳴らす。
「……変な新人だな」
そこへ、ミレイユが歩いてきた。
手には依頼書と、小さな革袋を持っている。いつもの受付の制服ではなく、外へ出るためか、上から薄い外套を羽織っていた。
「お待たせしました」
ミレイユは俺たちを順に見て、最後に大柄な男へ視線を向ける。
「紹介します。こちらは鉄級冒険者のバルトさんです。湿地や森の依頼経験が多く、今回の戦闘担当として同行してもらいます」
「バルトだ」
男は短く名乗った。
「先に言っておくが、危ないと思ったら俺の指示に従え。新人の判断で勝手に動かれるのが一番面倒だ」
「分かりました」
「クララさんもです」
ミレイユがクララを見る。
「今回は調査補助です。薬草や瘴気草の確認はお願いしますが、戦闘には絶対に近づかないでください」
「はい」
クララは緊張した顔で頷いた。
ミレイユは依頼書を広げる。
「今回の目的は、湿地の入口近くで確認された瘴気泥の調査です。マッドリーチの出現位置、白銀草への影響、瘴気の広がり方を確認してください」
続けて、彼女は革袋を俺に渡した。
「泥や薬草を持ち帰るための袋です。必要なら使ってください」
「ありがとうございます」
「これは討伐依頼ではありません。確認依頼です。湿地の奥には入らないでください。危険だと判断した時点で撤退。無理に原因を探ろうとしないこと」
その言葉に、バルトが肩をすくめた。
「確認だけで済めばいいがな」
冗談のように言ったが、目は笑っていなかった。
湿地に慣れているからこそ、危険を軽く見ていないのだろう。
ミレイユは俺を見る。
「レンさん。あなたには記録と違和感の確認をお願いします。昨日の報告を見る限り、あなたの職業は調査で役立つ可能性があります」
「できる範囲でやります」
「十分です。証明できないことを、証明したように扱わないでください」
ミレイユの言葉に、俺は少しだけ目を見開いた。
彼女は静かに続ける。
「あなたは決めつけを嫌う人です。だからこそ、そこは信頼しています」
「……分かりました」
俺は頷いた。
証明できないことを、証明したように扱わない。
それは、俺が一番忘れてはいけないことだ。
疑うだけでは駄目だ。
決めつければ、俺を壊した連中と同じになる。
「それでは、お願いします」
ミレイユに見送られ、俺たちは北門を出た。
湿地へ続く細い道は、昨日と同じように静かだった。
町の外へ出ると、人の声はすぐに遠ざかる。代わりに、草を揺らす風の音と、遠くで鳴く鳥の声が聞こえてきた。
バルトは先頭を歩く。
足取りは重そうに見えるのに、ぬかるんだ土を避ける動きに無駄がない。
俺とクララは、その後ろをついていった。
「で」
しばらく歩いたところで、バルトが振り向かずに言った。
「証明者ってのは、何ができるんだ」
「違和感を拾う。証拠を記録する。嘘や矛盾を見つける」
「魔物相手に証拠集めか」
バルトは鼻で笑った。
「変な職業だな」
「魔物も嘘をつく時があります」
「は?」
「人の声を真似て、獲物を誘う魔獣がいました」
俺がそう言うと、クララが補足した。
「レンさんは、ライアークロウの嘘を見抜いたんです。助けを求める声が、同じ間隔で繰り返されていることに気づいて……」
「ライアークロウか」
バルトの声が少し変わった。
「あいつは新人が一人で相手にするには面倒だぞ」
「死にかけました」
「だろうな」
バルトはそれ以上笑わなかった。
少しだけ、俺を見る目が変わった気がした。
湿地が近づくにつれ、空気が重くなっていく。
湿った泥の匂い。
水草の青い匂い。
それに混じって、昨日も感じた嫌な臭いがあった。
腐ったような、冷えた煙のような、胸の奥にまとわりつく臭い。
瘴気。
そう呼ばれるものなのだろう。
クララが小さく咳をした。
「大丈夫か?」
「はい。少し、空気が重いだけです」
バルトが振り返る。
「無理ならすぐ言え。瘴気は我慢するもんじゃねえ」
「はい」
クララは頷いた。
湿地の入口に着くと、バルトは足を止めた。
昨日と同じ浅い水場が広がっている。細い土の道が、水たまりの間を曲がりながら続いていた。
「案内しろ」
バルトが短く言う。
俺は頷き、昨日の記憶をたどった。
白銀草の群生地。
泥が黒く滲んでいた場所。
マッドリーチが潜んでいた水たまり。
視界の端に、薄い文字が浮かぶ。
《証拠記録》参照
前回記録地点と照合中。
白銀草群生地付近。
瘴気泥確認地点まで、推定十歩。
便利だ。
だが、やはり気味が悪い。
俺自身の記憶なのか。
ペンダントが記録しているのか。
それとも、俺の職業がそうさせているのか。
考えても答えは出ない。
「こっちです」
俺は細道を進んだ。
バルトが前に出て、剣に手をかけながら周囲を見る。クララは俺の後ろで、足元に気をつけながら歩いていた。
やがて、昨日白銀草を採った場所に着く。
俺は足を止めた。
「ここです」
クララがすぐに白銀草の群生地へしゃがみ込む。
そして、表情を曇らせた。
「昨日より、弱っています」
「分かるのか?」
バルトが聞く。
クララは白銀草の根元を慎重に掘り、泥を払った。
「根元に黒い筋があります。葉の先も少し萎れています。瘴気に当てられた薬草は、こういう傷み方をすると聞きました」
俺も白銀草に触れた。
「鑑定」
小さく呟く。
名称:白銀草
状態:軽度汚染
特徴:瘴気により薬効低下
用途:瘴気抜き薬の材料としての価値低下
昨日は良好だった。
少なくとも、全部が汚染されていたわけではない。
それが、一晩でここまで変わっている。
「汚染が広がっている」
俺が言うと、バルトの顔が険しくなった。
「やっぱり、ただ薬草が傷んでるだけじゃねえな」
俺は周囲を見る。
黒い泥は、昨日より範囲を広げていた。
だが、広がり方がおかしい。
水の流れに沿って広がっているのなら分かる。けれど、黒い泥は細い線のように、白銀草の群生地へ向かって伸びていた。
まるで、誰かがそこへ流し込んだみたいに。
視界に文字が浮かぶ。
《矛盾看破》発動
泥の広がり方に不自然な偏りを確認。
水流方向と汚染方向が一致しません。
胸の奥が冷える。
「これは、自然に流れたんじゃない」
俺は言った。
バルトが眉を寄せる。
「何?」
「水の流れと、黒い泥の広がり方が合っていません。普通なら向こうへ流れるはずなのに、汚染は白銀草の方へ伸びている」
「誰かが、ここへ瘴気を運んだって言いたいのか」
「いるかどうかは分かりません。でも、そう考えないと合わない跡があります」
俺は泥の線を追った。
黒い滲みは、白銀草の群生地から少し外れた場所へ続いている。細道から外れ、水草の陰へ向かっていた。
「そっちは足場が悪いぞ」
バルトが言う。
「無理には進みません。ただ、確認できる範囲で見たい」
「……俺が先に行く」
バルトは剣を抜き、前に出た。
大剣の刃が、鈍く光る。
俺たちは黒い泥の跡を追った。
途中、泥の表面に小さな泡が浮かんだ。
マッドリーチの前兆。
「右、二歩先。来ます」
俺が言うと、バルトが即座に剣を振り下ろした。
泥が弾ける。
黒い蛭のような魔獣が、水面から飛び出した瞬間、真っ二つになった。
クララが小さく悲鳴を飲み込む。
バルトは剣についた泥を軽く払った。
「……本当に来たな」
「泡が出ていました」
「泡だけで分かるのか」
「昨日も同じでした。攻撃の前に、小さな泡が出る」
バルトはしばらく俺を見た。
「証明者ってのは、そういうのも拾えるのか」
「見えているというより、証拠が出ているだけです」
「証拠ねえ」
バルトは呆れたように言ったが、もう笑ってはいなかった。
俺たちはさらに進む。
黒い泥の跡は、湿地の奥へ続いているわけではなかった。
細道から少し外れた、低い木の根元。
そこに、折れた杭があった。
半分ほどが泥に埋まり、残りは斜めに折れている。表面には薄く聖印のような模様が刻まれていた。
クララが息を呑む。
「これ……神殿の印です」
「神殿の?」
「はい。薬師のお婆さんの家にも、古いお守りに似た印がありました」
バルトが杭に近づき、慎重に周囲を見た。
「浄化杭だな」
「知っているんですか?」
「湿地や森の瘴気を抑えるために打つ杭だ。神殿が管理している。古い湿地には、たまにある」
「それが折れている」
「ああ」
バルトの声が低くなった。
「普通は簡単に折れるもんじゃねえ」
俺は杭に触れた。
「鑑定」
名称:浄化杭
状態:破損
用途:瘴気の抑制
備考:人為的な破損の可能性あり
人為的な破損。
その言葉が、頭の中に残る。
さらに、胸元のペンダントが熱を持った。
視界に文字が浮かぶ。
《不正干渉痕を確認》
対象:浄化杭
機能:瘴気抑制
状態:破損
原因:外部からの干渉
追跡対象との直接関連:不明
追跡対象。
聖女ミコト。
直接関連は不明。
つまり、まだ繋がっていない。
まだ、証拠は足りない。
俺は静かに息を吐いた。
「レンさん?」
クララが心配そうに見ている。
「何か分かったんですか?」
「杭は、外から何かされて壊れた可能性がある」
俺はペンダントの表示をそのまま言うことは避けた。
「自然に折れたとは考えにくい」
バルトが折れた断面を見る。
「確かに新しいな。腐って折れた感じじゃねえ」
俺は周囲を見回した。
泥の上に、何かを引きずった跡がある。
それに、草が踏み荒らされている場所があった。
人の足跡らしきものもある。
ただ、湿地の泥で崩れていて、はっきりとは分からない。
「誰かがここへ来た」
俺は呟いた。
「杭を壊した。あるいは、壊れた杭を確認した」
「どっちだ?」
バルトが聞く。
「まだ分かりません」
俺は首を横に振った。
「来た跡があることと、壊したことは別です。ここで決めつけたら、間違える」
クララが俺を見た。
「疑っているのに、決めつけないんですね」
「決めつけたら、俺が嫌っている連中と同じになる」
そう言ってから、俺は泥の中に落ちている白いものに気づいた。
布切れだ。
細長く裂けた白い布が、水草に引っかかっている。
俺は慎重に拾い上げた。
布の端には、薄い刺繍がある。
神殿の聖印に似ていた。
クララが青ざめる。
「それ……神殿の法衣の一部じゃ……」
バルトが眉をひそめた。
「おいおい。面倒なものが出てきたな」
俺は布片をじっと見た。
これが神殿関係者のものだとしても、それだけで神殿が杭を壊した証拠にはならない。
誰かが神殿の服を着ていたのかもしれない。
神殿の巡回者がここで魔獣に襲われたのかもしれない。
昔の布が偶然流れ着いたのかもしれない。
可能性はいくつもある。
「これだけで神殿の仕業とは言えない」
俺は言った。
クララは少し驚いたように俺を見る。
「でも……」
「でも、ここに神殿関係者のものらしい布が落ちていた。それは記録しておくべきだ」
俺は革袋に布片を入れた。
続けて、折れた浄化杭の欠片と、黒い泥を少量採取する。
クララは汚染された白銀草を一本、丁寧に抜き取った。
「これも持ち帰ります。マーヤさんなら、普通の白銀草との違いが分かると思います」
「頼む」
「はい」
その時、泥のあちこちから泡が浮かんだ。
一つではない。
二つ、三つ。
さらに奥でも水面が揺れている。
バルトが舌打ちした。
「増えてきたな」
マッドリーチだ。
昨日より多い。
いや、浄化杭が壊れているせいで、瘴気が濃くなっているのかもしれない。
「下がれ」
バルトの声が低くなる。
「ここから先は新人連れて入る場所じゃねえ」
「同意します」
俺はすぐに頷いた。
「必要な証拠は持ち帰れます。これ以上進む意味はありません」
「判断が早いのは悪くねえ」
バルトは剣を構えた。
次の瞬間、泥からマッドリーチが飛び出す。
「左!」
俺が叫ぶより早く、バルトの剣が振られた。
黒い魔獣が叩き落とされる。
続けて、右前方に泡。
「右前、来ます!」
「分かってる!」
バルトは一歩踏み込み、泥ごと魔獣を叩き潰した。
強い。
ライアークロウやマッドリーチ相手に必死だった俺とは違う。
バルトは慣れている。
戦うことにも、退くことにも。
「クララ、下がれ!」
「はい!」
クララが採取袋を抱えて細道へ戻る。
俺も後を追う。
背後で泥が跳ねる音がした。
バルトがまた一匹を斬ったのだろう。
やがて、俺たちは乾いた場所まで戻った。
バルトは最後に一度湿地を見てから、剣を肩に担ぐ。
「ここまでだ。十分だろ」
「はい」
俺は革袋の中を確認した。
汚染された泥。
折れた浄化杭の欠片。
神殿のものらしい布片。
軽度汚染された白銀草。
そして、俺の記録。
まだ何も証明できない。
けれど、ただの想像ではなくなった。
持ち帰るべき証拠がある。
「戻りましょう」
俺が言うと、バルトは軽く笑った。
「証明者ってのも、案外使えるな」
「案外ですか」
「褒めてんだよ」
バルトはぶっきらぼうに言った。
クララが少しだけ笑った。
緊張で強張っていた空気が、ほんの少し緩む。
けれど、俺の胸の奥は重かった。
折れた杭。
黒く染まった泥。
神殿のものらしい布片。
ペンダントが示した、不正干渉痕。
まだ、何も証明できない。
聖女ミコトと繋がっている証拠もない。
神殿が壊した証拠もない。
けれど、ひとつだけ分かった。
湿地の瘴気は、ただ自然に広がったものではない。
誰かが、何かを壊した。
なら、次はそれを証明する番だ。
俺たちは証拠を抱え、ラトルへ戻る道を歩き出した。
【作者より】
ここまで読んでくださり、本当にありがとうございます。
少しでも読みやすく、皆様に愛していただける物語になるよう、一話ずつ大切に執筆しています。
ただ、書き続けていると、作者自身でも「この物語は面白いのだろうか」「続きを読みたいと思ってもらえているのだろうか」と、不安になることがあります。
それでも、こうして読んでくださる方がいることを、とても嬉しく、光栄に思っています。
少し厚かましいお願いになりますが、面白い、続きが気になると思っていただけましたら、♡や★、作品フォローなどで応援していただけると嬉しいです。
皆様からいただく反応の一つひとつが、続きを書く大きな励みになります。




